あなたは、『紙が好き』でしょうか?
昨今、さまざまな場面から『紙』が消えつつあります。一年のはじまり、お正月の風物詩とも言われた年賀状もピークとされる2003年に比べて三分の一にまで減少したことがニュースとなりました。職場でも『紙』を減らすことが求められ、日常生活でも現金を持ち歩かなくなった人も珍しくはないでしょう。このまま時代が進むと、『紙』って博物館に展示されているあれのこと?と子供に質問される…そんな未来もありそうなくらいに『紙』は私たちの周りから減りつつあります。
しかし、その一方で『紙』そのものが持つ魅力が消えたわけではありません。
『たしかにわたしは紙に目がない。文具店や紙ものの置かれた雑貨店にはいると出てこなくなるタイプ』。
このレビューを読んでくださっているみなさんの中にもそれ、私のこと!と頷く方もいらっしゃると思います。そうです。『紙』というものは時代の流れの中でなくなっていくのではなくて、その魅力が形を変えて続いていく、可能性に満ち溢れたものでもあるのだと思います。
さてここに、『紙が好き』という一人の女子大生が主人公となる物語があります。『紙ってどうしてこんなに魅力的なんだろう』と『紙』の魅力に囚われた女性の思いに寄り添うこの作品。そんな女性が『紙』の魅力を伝える側にまわってもいくこの作品。そしてそれは、『紙屋ふじさき記念館』という場を通じて、『紙』の素晴らしさを読者も再認識させられる物語です。
『今度、紙小物のイベントがあるの。仕事でお世話になってる人が出店するみたいで、案内をもらったんだけど、いっしょに行かない?』と叔母の紫乃から誘いを受けたのは主人公の吉野百花(よしの ももか)。『紙小物のイベント?なんだろう、と思って』差し出された『リーフレット』に目を落とし、『「東京紙こもの市」と書かれている』表紙を見る百花。『なかを開くと、レターセットにポストカード、ポチ袋…』と『おしゃれな品々の写真がなら』んでいるのを見る百花は『これは…かわいい』と『思わずごくりと唾を呑』みます。『そもそもこれ、どんなイベントなの?どういう人が出店しているの?』等湧き上がる疑問を叔母にぶつけていく百花。そんな百花に一つひとつ丁寧に答えてくれる叔母は『どう?いっしょに行かない?』と誘ってくれます。『予定はないし、もちろん行きたい。だが…先立つものがない』と思う百花は、『実は…お金が…』と正直に告白します。『わたしの荷物持ちをしてくれたら、少しバイト代出すよ』と言う叔母に『またそうやって…』と母が牽制するものの話はまとまりました。『ところで、紫乃の知り合いってなんのお店を出してるの?』と訊く母に『和紙の店。お店で使う包装紙とか箱とか、ショップカードとか、だいたいそこの人に世話してもらってるんだ』と説明する叔母は『ちょっと浮き世離れしてるけど、紙を見る目だけはたしかなんだよね』と話します。
場面は変わり、『入場を待つ人々の長蛇の列』という会場にやってきた百花は、『想像以上に宝の山だ。どのブースにもかわいいものがあふれていて、頭がくらくらし』ます。『活版印刷の多色刷りのうつくしいカード、レトロな模様があしらわれた包装紙…』という品々を見て、『きれい、素敵、かわいいばかり連発』し、『かわいすぎて、もうどうしたらいいかわからない』と言う叔母に『叔母さん、落ち着こうよ』となだめる百花。取り敢えず『おのおの別々に場内一周』、『そのあいだは買わない。見て、目星をつけるだけ』と約束して叔母と別行動に移ります。
再度場面は変わり、『紙ってどうしてこんなに魅力的なんだろう』と、思いつつ場内をめぐる百花は、『すぐ破れそうだし、水にも弱いし、なんというか、儚い。だからだろうか。いくらきれいなものを手に入れても、結局使えない。いつか使う日を夢見て、そっと引き出しに取っておく』と『紙』のことを思う中、『小学生のときに』『事故で他界』した作家だった父親からもらった『束見本』のことを思い出します。『本を印刷製本する前に、実際の本と同じ紙で作られる見本』のことをいう『束見本』。約束の時間になり、叔母と合流した百花は、ランチを共にし、『叔母といっしょにもう一度会場』へと戻り、『ヨーロッパの包装紙』、『ごわごわとした手漉きの紙のマット』などを手に入れました。同様に気に入ったものを手に入れ、『満足そうににこにこ笑』う叔母は『じゃあ、帰ろうか』と声をかけてきます。それに、『叔母さん、なんか知り合いのブースに行くって言ってなかったっけ?』と訊きます。それに、『あ、いけない。忘れてた。そうだ、一成くんのとこに行くんだった』と思い出した叔母は、『よかった、帰る前に気づいて』と『マイペース』に答えます。そして、『リーフレットの地図』を開いて『和紙だから、和紙関連のブースが集まってるあたりだと思うんだけど…』と言う叔母と場所を確認して歩き始めた百花。やがて、『ああ、ここ、ここ』と叔母は足を止めますが、『そのブースの前だけ、人気が』ありません。『なんだか素っ気ない。店の人の姿もない』という中に、『紙屋ふじさき』というブース名を見る百花は、『奥の方の椅子に男の人がひとりで座って、本を読んでいる』のを目撃します。『一成くーん』と『叔母が声をかけると、男の人はやっとこちらに気づ』くと『にこりともしないで』『こちらにやって来』ます。『イベント、すごい盛況ね…』と声をかける叔母に『うちはご覧の通り、ヒマそのものですけど』と『無表情でそう続ける』男の人を見て『うーん、苦手だ、こういうタイプ』と思う百花。『ほんと、ヒマそうね』と『まったく臆さず、笑いながら言う』叔母に『どうしたらいいかわからず、机のうえに広がっている紙に目を落とした』百花は、『え?なに、これ。きれい』と、『思わず声が出そうにな』ります。『真っ白い薄い和紙かと思っていたが、穴がたくさん空いている』、『これ、紙なんだ』と、思う百花ですが、『破けてしまいそうで、手』を出すことができません。『あ、そうだった。一成くん、こちらは百花、わたしの姪。で、こちらは藤崎一成くん』と紹介してくれる叔母に、『吉野…百花です』と『緊張しながら頭をさげる』百花。そんな百花が、一成が館長を務める『紙屋ふじさき記念館』でアルバイトを始める先に『和紙』の魅力にどっぷりとハマっていく物語が描かれていきます。
“編集者の母と二人暮らしの百花はある日、叔母に誘われた「紙こもの市」で紙雑貨の世界に魅了される。会場で紹介されたイケメンだが仏頂面の一成が、老舗企業「紙屋ふじさき」の親族でその記念館の館長と知るが、全くそりが合わない。しかし百花が作ったカードや紙小箱を一成の祖母薫子が気に入り、誘われて記念館のバイトをすることに。始めはそっけなかった一成との関係も、ある出来事で変わっていく。可愛くて優しい「紙雑貨」に、心もいやされる物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。幾つものシリーズを展開されていらっしゃるほしおさなえさん。そんなほしおさんが2020年からスタート、このレビュー執筆時点で第7作まで刊行されているのが「紙屋ふじさき記念館」シリーズです。そんなシリーズの記念すべき第1作となるこの作品では、この作品の中心となる『紙』の魅力はもちろんのこと主要登場人物となる吉野百花と藤崎一成の出会いが描かれていきます。
そんな物語では『紙』だけではなく、『紙屋ふじさき記念館』のある『日本橋』の街も描かれています。今までに1,000冊以上の小説ばかりを読んできて私ですが、『日本橋』が描かれた作品は記憶にありません。ということでまずはこの『日本橋』の描写から見てみましょう。百花たち大学生による『日本橋ツアー』の様子です。
『まずは三越前に集合し、日本銀行本店にある貨幣博物館へ。三井本館や三越の建物を見たあと、向かいのコレド室町と広場にある福徳神社を見て、良さそうな店で昼食』。
大学生たちの一日『日本橋』ツアーが描かれていきますが、これがなかなか楽しいです。
『予定通り貨幣博物館へ。日本銀行の施設だからだろうか、入口の警備がやたら厳重で、大きな荷物はロッカーに預けなければならない。古代、中世、近世、現代、それぞれの貨幣の実物が展示されている』。
『貨幣博物館』は行ったことがないです。そうか、『日本銀行本店』があるからこそなんですね。昨今、現金を持ち歩くこと自体少なくなってきた私ですが、こちはは是非行ってみたいです。
『博物館のあとは三井本館へ。重厚な石造りで、ヨーロッパの建物みたいだ』。
『これが財閥の富なんですかね』
『まさに歴史的建造物だな』
面々の素直な感想だけでなく、物語には、『占領中はGHQによってビルの一部が接収…』といった豆知識も記されていきます。まさしく都心にある観光地めぐりといった面持ちでしょうか。物語は、
『日本橋の近くの東京市道路元標と日本国道路元標を見た…欄干のうえの獅子や翼のある麒麟の像をながめながら日本橋を渡る』。
そんな風に首都高の地下化で再び脚光を浴びつつある『日本橋』へと歩みを進めていく様子が描かれていきます。思った以上に興味深い風景が描かれていく様子は間違いなくこの作品の魅力の一つだと思います。
さて、そんな『日本橋』の一つのビルの中にあるのがこの作品の書名にも冠され、またこの作品の主要な舞台となる『紙屋ふじさき記念館』です。まずはそれがどんなところかを見ておきましょう。
● 『紙屋ふじさき記念館』ってどんなところ?
・『館長』は、『藤崎産業の前社長の妻、藤崎薫子さん』の孫の藤崎一成
・『和紙専門だった』『江戸期創業の紙の店』『紙屋ふじさき』は『明治にはいって洋紙も扱うようにな』り、『戦後は株式会社藤崎産業と名前を変え』『大手企業』となった。『日本橋にはかつて本社だった四階だての古いビルが残って』おり、そこに居を構える
・『創業当時からの資料を集めた記念館』で『入場は無料』
・『「紙屋ふじさき記念館」という文字が彫られ』た『銀色のどっしりとした立て看板』があるが、一成が『面倒』という理由で出していない
・『入口の横の壁際には引き出し式の木の棚が置かれ、右と奥の壁にはガラスケースがならんでいた。ケースにはいろいろな紙や古文書のようなものが展示されている』
・一成『ひとりしかいない』記念館
・『どう見ても流行ってない』
はい、おおよそのイメージがお分かりいただけたかと思います。物語では、そんな『紙屋ふじさき記念館』が一つの舞台となりますが、それに関連して『紙』についても多方面から光が当てられていきます。もちろん、『紙』のそもそも論も説明されていきます。
『紙は木の繊維から作る。それは知ってるよね』、『木の皮を剝がして、煮熟して、アクを抜いて、塵を取って、繊維をほぐすために打解して、漉く。皮を剝がすのも、煮熟も、塵取りも、打解も全部人が手で行ってるわけだからね、当然全部微妙にちがうよ。漉き方もね』。
百花に『和紙』が出来上がるまでの一連の行程を説明する一成、という場面ですが、物語では『記念館』の展示物を上手く活用しながらわかりやすく進んでいきます。
『これが紙漉きに使う水槽だ。舟と呼ばれている』、『打解した繊維を水に溶かし、この舟いっぱいに入れる。そこに簀桁を入れる』。
そんな風に『紙』のまさしくイロハのイが語られる一方で、『紙に螺鈿細工をするってできるのかな?』という百花の疑問から展開していく話など、『紙』のさまざまな魅力に触れられていくだけでなく、
『オリジナルデザインのマスキングテープや付箋、ポチ袋に小箱。文具に似せたミニチュアグッズ。かわいい。ほしい』。
そんな風に『紙』をこよなく愛する百花の心の内など、物語は、全編を通して『紙』、『紙』、『紙』に満ち溢れています。
3つの短編が連作短編を構成するこの作品は、『紙が好き』という主人公の百花視点で終始展開していきます。
『紙ってどうしてこんなに魅力的なんだろう。すぐ破れそうだし、水にも弱いし、なんというか、儚い。だからだろうか。いくらきれいなものを手に入れても、結局使えない。いつか使う日を夢見て、そっと引き出しに取っておく』。
そんな風に語る百花は、叔母の紫乃に連れられ『東京紙こもの市』に出かけます。そして、そこで『紙屋ふじさき記念館』の館長でもある藤崎一成と出会ったことがきっかけで物語は大きく動き始めます。『どこを見ても人、人、人』という大盛況な盛り上がりを見せるイベントの中で、『そのブースの前だけ、人気がなかった』というブースの奥で一人本を読んでいるという摩訶不思議な存在感を示す一成。第一印象として『うーん、苦手だ、こういうタイプ。どう話したらいいのかわからなくなる』という思いを抱いて百花でしたが、あるきっかけもあり『紙屋ふじさき記念館』を訪れ、さらには横浜で来月開かれる『紙こもの市』を手伝う展開になります。
『やっぱり紙っていいなあ。小さくても、持っているとしあわせになる』。
物語は、『紙』と深く関わるようになる中で、自らの思いと向き合い、積極的に『紙屋ふじさき記念館』という場で自らができることにチャレンジしていく百花の姿が描かれていきます。
・『自分にできること。どんなことでも最初から完璧にできるわけがない』。
・『自分にできること。自信はない。でも、薫子さんはわたしにできることがあると言ってくれた』。
物語は、自分自身と向き合いながら一歩ずつ前に向かって歩みを進めていく百花と、そんな百花に刺激されて、少しずつ変化を見せていく一成の姿を描いていきます。物語は上記した通り『紙』の魅力全開に展開していきます。そして、そんな物語が描く結末、そこにはこの物語がシリーズ化されるのもさもありなんと思わせる『紙』の魅力がこの先も物語をぐんぐん牽引していくであろう極めて前向きな、清々しい物語が描かれていました。
『持ってるだけで紙はロマンよね。それはわかる』。
そんな風に思いをこめて語られる『紙』。そんな『紙』に多方向から光を当てていくこの作品には、普段何気なく手にしている『紙』が持つ素晴らしい魅力に気づかされる物語が描かれていました。『紙こもの市』に行ってみたくなるこの作品。これから始まる物語という印象の結末に、清々しい思いが湧き上がるこの作品。
『紙』を大切に思う人たちの熱い想いに感じ入る、素晴らしい作品でした。