池上英洋のレビュー一覧
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レオナルド・ダ・ヴィンチは天才というより常軌を逸した人って感じ
数少ないレオナルド・ダ・ヴィンチ作品が数点個人蔵って書いてるのなんかハワイ諸島のこの島は個人所有って言われてるみたいな感覚だな。この絵はお前らのアイドルではないから見られないみたいな。
レオナルド・ダ・ヴィンチは舞台系の衣装デザインもしてたらしい。
レオナルド・ダ・ヴィンチってめちゃくちゃイケメンで派手好きでオシャレだったらしいけど、知られてる自画像がこれだからな。
池上英洋
(いけがみ ひでひろ、1967年- )は、日本の美術史学者、東京造形大学教授。専門はイタリアを中心とする西洋美術史・文化史。広島県出身。広島生まれ。広島学院高等学校卒。1991年東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、93年同大学院修士課程修了、同大学助手(-95年)。ボローニャ大学などに留学。2005年恵泉女学園大学人文学部特任助教授、07年准教授、10年國學院大學文学部准教授、13年東京造形大学造形学部准教授、16年東京造形大学造形学部教授。2007年3月に東京国立博物館の特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」の日本側監修者を勤めた。この特別展にてレオナルドの「受胎告知」は史上3度目のウフィツィ美術館外展示となり、同年3月20日から6月17日までの会期中に約80万人が来場となる大成功を収めた。
「しかし、レオナルドがそれに反論もせず真っ赤になって下を向くのは、そう嘲笑されても仕方ないほど、彼がほとんどの作品を最後まで完成させられずに終わっていることを自覚しているからです。事実、レオナルドの作品は非常に少なく、そのうち完成させた作品はさらに少なくなります。数え方にもよりますが、現存作例は一五点前後で、これは寡作で知られる画家フェルメールの半分以下にすぎません。そして三分の一ほどが未完成に終わり(あの〈ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)〉でさえ未完成作です)、別の三分の一ほども非常に傷んだ状態にあります(たとえば有名な〈最後の晩餐〉は、もともと描かれていた顔料のかなりの部分が失われています)。くだんのブロンズ騎馬像のように、実現しなかった作品や計画倒れに終わったものとなると、その数は膨大になります。このことは、大作を次々とものしていったミケランジェロと、たしかによい対照をみせています。レオナルドは当時の芸術家としては致命的なほどに仕事が遅く、何度も試行錯誤を繰り返し、失敗も多く、そしておそらくは作品を完成させるエネルギーにもやや欠けていたに違いありません。 ではなぜこれほど未完成だらけ、計画倒ればかりの芸術家が、西洋の美術史を代表する人として知られているのでしょう。〈ラ・ジョコンダ〉や〈最後の晩餐〉ほど広く世に知られた作品は他になく、レオナルドほど誰もが知っている芸術家の名前もたしかに無いのです。人気も常に高く、たとえば一九七四年に東京で開かれた〈モナ・リザ〉展は、一五〇万人以上の来館者を集め、企画展の単館入場者数の世界記録をいまだに保持しています。 不思議なことです。そこには、そうなるだけの理由が必ずあるはずです。本書では、そうした理由をひとつひとつ追いながら、この不思議を一緒に解き明かしていきます。レオナルド・ダ・ヴィンチを称して「万能の天才」とはよく言われることですが、その「万能の天才」というレッテルでは単純に片付けることのできない、波乱に富んだ一生をおくった、重層的で複雑で、不運と失敗だらけの「偉大なる普通の人」としてのレオナルドの姿が浮かび上がってくるはずです。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「彼は一般に思われているような、何の苦労もなく「万能の天才」になった人ではありません。時には自信なさげに悩み、かと思えばわざと大きな事を言って虚勢を張ってみたりします。収入が少ないと不満を言い、部下が働かないとぼやき、わからず屋が多いと嘆きます。生い立ちからしてハンデをかかえていたので、それを跳ね返そうともがいてもいます。母親に愛された記憶がわずかなためでしょう、一生母性への憧れを持ち続け、それを画面の上に吐露していきます。おまけに幼い頃に充分な教育を受けていないためにコンプレックスを抱えていたし、学問の探求を始めてからは実際にそのせいで苦労もしています。 しかし彼の凄いところは執拗で、かつ謙虚なところです。わからないことがあれば自分よりも詳しい人のところへ素直に聞きにいき、同じ問題を何度も繰り返し考えるうちに、いつしか彼がその問題について当時最も詳しい人となっていきます。作品を完成できずに放り出す彼の姿と、真似できないほどにしつこく食い下がる姿の、はたしてどちらが本当の彼なのでしょう。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「長男ではないなどの理由で親の職業を継がない場合、当時の男性が生きる道はいくつかに限られていました。戦乱の世なので兵士となる者や聖職者になるケースも少なくないのですが、多くは商家か職人工房に住み込みで働き、給金をもらいつつ経験を積み、いつの日か親方となって独立をはかるケースが一般的です。レオナルドもこのケースに該当し、おそらく一三歳頃にはフィレンツェのヴェロッキオ工房に入門しています。 セル・ピエロにとっては、自分の職を継がないことがわかっている息子に充分な教育投資をする理由がありません。そのためレオナルドは当時の知識階級であれば当然習得するラテン語を覚えることなく育ち、後に研究を始めてから大いに苦しめられることになります。また普通は矯正される左利き筆記もそのまま放置され、もともと右利き用にできているアルファベットを左右反転させて書くようになります。これが有名なレオナルドの「鏡文字」として知られるものです。彼が遺した膨大なノートには、後述するように当時のキリスト教会を否定するような危険な文言も書かれているため、秘密にするために自ら開発したのだといった伝説ができあがりましたが、原因はごく単純なものなのです。もちろん知識階級に属さない庶民も左利きのまま成人したのでしょうが、当時はそもそもほとんどの人が読み書きできないまま一生を終えるので、結局はレオナルドのような特殊な人だけの反転筆記が残ったわけです。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「レオナルドが書き残した大量のメモ、ノートの類を手稿と呼びますが、その中で彼は観察が大事だと何度も述べています。しかしその一方で、観察によって得たものを、ベッドのなかで「想像して」何度も描くのは良いことだとも助言しています。つまり彼は実際の景色を観察し描き取ったのち、それをベースに彼なりの理想化をおこなったのではないでしょうか。こうした風景の理想化こそ、後に〈ラ・ジョコンダ〉(口絵 13)などで描かれるようになる、彼独特の幻想的な風景の原点とも言えるでしょう。 それまで風景とは、聖書の説話場面の背景にすぎませんでした。しかしここには、そういった風景を描くための理由がありません。あるのは、純粋な風景表現です。この点で本デッサンは、西洋美術史における、風景そのものを自立した主役として描いた、最初の作例のひとつとしての重要性を有しています。 彼の単独デビュー作にあたるのが、〈受胎告知〉です。フィレンツェのすぐ外側にあるモンテ・オリヴェートのサン・バルトロメオ修道院に最初掛けられていた板絵ですが、父セル・ピエロが後に同修道院の公証人となっているので、父の口利きによる注文かもしれません。聖母マリアの処女懐胎を大天使ガブリエルが告げる場面ですが、受胎告知の伝統的な構図に則りながらも、遠近法を厳格に導入しようと試み、また背景に遠くまで奥行きのある風景を置いたりと、彼の挑戦心をよく示した野心的な作品です。意欲はサイズにもあらわれており、彼の現存単独作としては壁画の〈最後の晩餐〉に次ぐ大きさを誇っています。言い方を換えれば、彼はデビュー作を超える大きさのタブロー(移動可能な絵画)作品を、その後ついに仕上げることなく終わることを意味します。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「それでもこの作品には、後に彼の特徴となる要素がすでにいくつも示されています。植物に対する博物学的な好奇心、画面に広がりを与える遠近法、画面全体を落ち着いた均衡状態にはめこむ構図センスと、それが画面にもたらす不思議な静けさ。画面奥に広がる自然の風景に対する関心、衣服の襞にみられる卓越した細やかな技術。なかでも、マリアの足もとに敷かれたテラコッタ(素焼き)のタイルの表面には、焼成工程で水蒸気が抜け出た小さな孔がびっしりと描かれています。この板絵が、修道院で信者のそばには掛けられないことがわかっている状況で、これほど緻密に写実的に描き込むような画家を、筆者は他に知りません。レオナルドのリアリストぶりがよくわかる部分ですが、このようなことをしていれば、一作品を完成させるのに膨大な時間がかかってしまうわけだと納得もできてしまいます。彼の完成作品が非常に少ないことのひとつの説明となるかもしれません。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「後述するように、のちに徹底したリアリストとなるレオナルドは、デビュー作ですでに、飛行する天使であれば、空を飛ぶ鳥と同じような翼を持っているに違いないとの信念を示しているのです。彼は「美しいことが必ず善いこととはかぎらない」という言葉も残しています。これはおよそ画家の言葉ではなく、博物学者や科学者の言葉です。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「人生五〇年の時代に、そのなかばを過ぎてレオナルドは賭けにでます。あらたな挑戦の場となったのはミラノ。そこはルドヴィコ・スフォルツァ、通称イル・モーロが支配していました。モーロとはムーア人(アフリカ人)のことで、生まれながらに浅黒い肌をしていた彼につけられた綽名を、彼自身が気に入って長じても使っていました。実際には、暗殺されて亡くなっていた兄の遺児が正式なミラノ公の地位にはあったのですが、まだ幼い甥の後見人としてイル・モーロが実権を握っていました。 イル・モーロは学識高い君主で、農業や手工業を振興し、彼の治世の間にミラノの人口は一二万を突破。北イタリアでながく一人勝ちの状態にあった強国ヴェネツィアを脅かす存在となりつつありました。 もうひとつ、レオナルドにとって魅力的な情報がありました。イル・モーロが、亡き父フランチェスコを称えるための騎馬像の建立を計画しているという噂です。半島中に聞こえていたこの噂を頼って、ミラノには複数の芸術家から制作の申し出がありました。そのなかには、フィレンツェのアントニオ・デル・ポッライウォーロも含まれていました(ニューヨークのロバート・レーマン・コレクションに、そのためのデッサンが残っています)。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「また、同年の一月二六日に、軍隊長ガレアッツォ・ダ・サンセヴェリーノの館でジオストラ(馬上槍試合)が開かれています。ガレアッツォはイル・モーロの非正嫡の娘ビアンカを妻としていることからも明らかなように、イル・モーロの懐刀のような存在でした。レオナルドはこの催しのために同館で準備していることなどを自らのノートに書いています。興味深いことにそこには、役者の若者たちに「舞台用の農夫の衣装をためし着」させたと書かれています。そして彼のノートには、やや後年のものと思われますが、槍を手に持つ少年か青年の姿を描いたスケッチもあります(図 33)。その衣装は非常に派手で、とても普段着ていたものには見えず、明らかに舞台用にデザインされたものです。つまりこれらのことからわかるのは、レオナルドの舞台演出には衣装デザインも含まれていたという点です。彼はファッション・デザイナーでもあったわけです。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「そうなると、当初の計画のように後ろ脚だけでいななくように立つ大胆なポーズでは無理と判断して、伝統的な三脚接地ポーズに落ち着きます。ちなみに、その後の時代も含めて最大のブロンズ製騎馬像は、ジラルドンによるフランス王ルイ一四世のもので、パリのヴァンドーム広場にありました。レオナルドより二世紀ほど後のもので、やはり七メートル近くあったのですが、フランス革命で破壊されてしまいました。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「性的嗜好をあまり詮索する気はありませんが、生涯独身ですごしたレオナルドは、前述したようなサライとの関係性からしても、人体解剖や絵画で女性の性的側面にほとんど関心を払わない点からみても、同性愛者には違いありません。そして当時のフィレンツェでは、古代ギリシャのプラトン的少年愛が、古典復興の一環かのように復活していました。ドナテッロやミケランジェロ、ボッティチェッリもレオナルドと同じような告発をうけたことがあり、師のヴェロッキオも二度密告されたことがあります。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「ひとしく同性愛者であっても、ミケランジェロにとってのヴィットリア・コロンナのような、精神的に深い交流を長年続けられるような女性の友人はレオナルドには見当たりません。そもそも、レオナルドには親友と呼べるような存在があまり見あたらないのです。それでも、通称イル・ピストイアという詩人アントニオ・カッメッリとは、ミラノ宮廷時代に一時期親しくつきあったようです。レオナルドの手稿には時おり本人以外の筆跡による書き込みがありますが、そのうち「わがリオナルドよ、なにをそれほど悩むのか」という書き込みを、イル・ピストイアのものとする説があります。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「トリノに、レオナルドの自画像とされる名高いデッサンがあります(図 48)。晩年のものと思われますが、それにしても、六七歳で亡くなったレオナルドの自画像としては年老い過ぎているような気がします。ただ、平均寿命が五〇歳前後だった当時にあっては、充分に死期を意識せざるをえない年齢で描かれたものです。彼は人生が終わりに近づいていることを自覚し、自らをあたかも悟りを開いた賢者のように描くために、意図的に老いた姿で描いたのかもしれません。 実際には、彼は美男だったとの証言がいくつかあります。メルツィが描いたものとされる肖像(図 49)は、師の知性と優雅さをよく描き出しています。ただ派手好きだったようで、カーヴをつけた長い髭をたらし、足元まである長い丈のコートが一般的だった時代に、丈の短い真っ赤な上着を着ていたと、例の『アノニモ・ガッディアーノ』が伝えています。レオナルドは概して流行に反発するきらいがあり、この頃は裾が長くなって皆引きずって歩いている、とやや軽蔑口調の感想を残してもいます。襟を短くするのが流行していたと思ったら、最近は逆に襟が滑稽なほどに高く大きくなって横からだと顔も見えない、といった具合の小言も記しています。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「レオナルドの代表作のひとつ〈最後の晩餐〉(口絵 11)は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会の修道院にあります。レオナルドが描いたなかで最大のサイズを誇り、彼が完成させた数少ない作例のひとつで、そしてついに画家としての栄誉を彼にもたらした作品です。 かつてはこの作品を見るために長い長い列に並んで待たなければならず、筆者も三時間も並ばされたことがありますが、現在はすべて予約制になっています。作品にこれ以上のダメージを与えないよう、いくつもの部屋で待たされながら入り、一五分程度で追い出されてしまいます。かつて食堂だったその部屋はとても細長く、天井は第二次大戦時の爆撃で落ちて戦後架け替えられたため真っ白です。晩餐図の上にかろうじて残る三つの半円の壁(ルネッタ)部分も、レオナルド工房の作品です。ルネッタの装飾はセッコ技法(後述)で描かれており、かなり剝落していますが、スフォルツァ家の三名の紋章がルネッタの中にそれぞれ描かれています。中央のひときわ大きな紋章がイル・モーロのもので、短冊状の枠のなかにうねうねと蛇のような姿がかすかに見えます。これはビッショーネと呼ばれる、人を吞み込もうとしている蛇で、本来はヴィスコンティ家の紋章です。同家はかつてミラノ公としてながくミラノを支配していましたが、傭兵隊長あがりのフランチェスコ・スフォルツァ(イル・モーロの父で騎馬像のモデル)が政権を簒奪するにあたって、ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティを妻にしたことにより、自らの紋章に採りこんだのです。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「レオナルドが壁画を描いていた頃、マッテオはまだ一二歳かそこらの少年でしたが、そこで目にした光景を、数十年後に記憶をたどって書き残したのが引用した文章です。じっくりと熟慮しながら少しずつ筆を入れていくレオナルドの描き方は、まるでアクリル絵具や油彩を用いる近代以降の画家のようで、およそフレスコ画のスタイルではありません。この記述からだけでも、レオナルドの描き方がフレスコ画にはまったく向いていないことは明らかです。 レオナルドは、自分のスタイルに合う技法を模索します。〈最後の晩餐〉にせよ、次章で紹介する〈アンギアーリの戦い〉にせよ、彼の作品の悲劇のいくつかは、彼自身による技法選択の失敗が原因です。 主として板絵を描く際に用いられるテンペラ技法も、古くから広く使われていました。こちらはなんらかの溶剤を顔料に混ぜて塗り、乾くのを待つ方法すべてを指しますが、溶剤には主に卵が用いられていました。時間をかけて描くことができますが、壁画のためのものではありません。ちなみに油絵は読んで字のごとく溶剤に油(乾性油)を用いるもので、テンペラの一種と言えます。この技法では乾燥というより酸化することによって顔料を固着させるので、乾くまでに時間がかかり、それだけ何度も塗り直しがききます。混色も楽で透明感もありますが、そのかわりに時間が経つにつれて比較的変色しやすい性質を持っています。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「なかば諦めたような口調の悲観的な手紙からは、レオナルドが数学などに没頭するあまり、すでに絵画への情熱を失っていたことがわかります。そして彼と工房の弟子たちとの協働作業のスタイルがわかる点も貴重です。つまり下絵をレオナルドが描き、彩色はおおよそ弟子にやらせつつ、自らは監督し修正加筆をするなどして仕上げていくやり方です。おそらく彼の後半の制作活動は、このスタイルが基本となっていたと思われます。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「ミラノを離れて以降、レオナルドは画家よりも科学者としての色合いが濃くなります。ここでは、彼の科学と思想を概観してみましょう。 レオナルドが、ラテン語の素養がないために苦しんだことはすでに書きましたが、そのことで強烈なコンプレックスを抱いていたことがよくわかる書き込みがあります。「私が学者ではないことから、私を無学の人と貶すことができるとおこがましくも考える者がいるのはわかっている」(『アトランティコ手稿』より)。 また、絵画や彫刻などの美術よりも、詩と文学が最上位の芸術とみなされていたので、たとえばミケランジェロの弟子であるヴァザーリは、建築や絵画で多くの作品を精力的に発表した人ですが、『美術家列伝』を著して初めてミケランジェロから、これであなたも立派な芸術家の仲間入りをしたと褒められています。レオナルドの手稿のなかには、明らかに出版を意図した記述や本の章立ての構成案などが書かれていて、「無学の人」からの脱却をはかっていましたが、いずれも出版されることなく終わっています。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「このように、アウトプットに関してはあまり精力的な人ではありませんでしたが、好奇心の強い彼は、インプットについては労を惜しみません。なにしろ彼は読書家です。手稿には、持っている本の覚え書きが三か所でてきます。まずは『トリヴルツィオ手稿』の、三〇代で書きとめたと思われる「ドナート、石について、プリニウス、算術書、モルガンテ」というリスト。このうち「ドナート」とは、四世紀のドナートゥスによるラテン語の文法書です。大プリニウスによる『博物誌』や、ルイージ・プルチによる叙事詩『大モルガンテ』といった教養や文学の書と一緒に、ラテン語文法書とアバコ(算盤の一種)の算術書が挙げられているわけです。どちらも初等教育でならうはずの教科なので、よい歳になっているレオナルドが必要にかられて入手したのでしょう。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
「 若きフランス王フランソワ一世は、軍事的にも政治・経済的にもイタリアを圧倒していたフランスに、ただひとつまだ足りないものが文化であることを自覚していました。そのため王は手っ取り早く、イタリアから各分野の名だたる文化人をあらかた招聘します。この狙いはいずれフランス文化の隆盛へと繫がって実を結ぶことになりますが、その象徴的な存在こそがレオナルドでした。イタリアでついぞ叶えられなかった「宮廷画家」という身分と、かつて王の姉が住んでいたクルー城館(図 89)が与えられ、ミケランジェロらとようやく肩を並べるだけの年俸と、さらには弟子のメルツィにまで貴族の出自にふさわしい額の年金が与えられました。」
—『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ (ちくまプリマー新書)』池上英洋著
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池上英洋
(いけがみ ひでひろ、1967年- )は、日本の美術史学者、東京造形大学教授。専門はイタリアを中心とする西洋美術史・文化史。広島県出身。広島生まれ。広島学院高等学校卒。1991年東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、93年同大学院修士課程修了、同大学助手(-95年)。ボローニャ大学などに留学。2005年恵泉女学園大学人文学部特任助教授、07年准教授、10年國學院大學文学部准教授、13年東京造形大学造形学部准教授、16年東京造形大学造形学部教授。2007年3月に東京国立博物館の特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」の日本側監修者を勤めた。この特別展にてレオナルドの「受胎告知」は史上3度目のウフィツィ美術館外展示となり、同年3月20日から6月17日までの会期中に約80万人が来場となる大成功を収めた。
フランシス・ベーコンってアイルランド生まれのゲイなんだ。当時のアイルランドでは同性愛差別があったのにゲイをオープンにしてたらしい。その感じがベーコンらしくて良いな。ベーコンの作品大好きだから、アイルランドに対する憧れがまた募った。アイルランドにベーコンの美術館とかあるのかな?
フランシス・ベーコンは絵は独学
「また月桂樹は雌雄別体なので単体では実をつけないため、純潔の象徴でもあった。そのことからダフネは聖母マリアにもたとえられた。月桂冠を戴くアポロンはキリストになぞらえられる。多神教であるギリシャ・ローマ神話と一神教であるキリスト教とがむりやり融合させられているのだ。さらにはダフネの貞節がアポロンの肉欲に優るという教訓も込められている。その意味では第 3章の「[番外編]自ら死を選ぶ──ルクレティア」の、夫以外の男性に言い寄られたため自ら命を絶つルクレティアとも似た価値観を示しているとも言える。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「それらの〝武勇伝〟がどこまで本当かはわからないが、ヴィルジニー・ビネという女性とは一四年間つきあい、息子までもうけている。が、ビネは貧困から他の男性と結婚してしまう。クールベを敬愛していた画家、ホイッスラーの恋人だったアイルランド女性のジョーはお気に入りだったようで、彼女をモデルにした絵も数点描いている。有名人に近づいて妊娠したと騒ぎ立て、手紙を公開すると脅して金をゆする女性にひっかかったこともあった。 しかしクールベは彼女たちと人間らしい、精神的なつながりを持つことはなかった。互いに温かい思いやりで相手を気遣い、安定した関係を取り結ぶといったことは苦手だったようだ。女性に対して人並みの、あるいはそれ以上の関心を持っていたにもかかわらず、だ。恋愛は絵画に限らずさまざまな創作活動に大きな影響を及ぼすものだが、クールベの絵には情愛よりもやや歪んだ欲望が色濃く漂うように感じられる。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「画家が密かにポルノグラフィーを描くことはときどきある。多くの場合、画家本人か、亡くなったあとに遺族が処分してしまうので、世に出ないことも多い。スイス出身の画家、ヨハン・ハインリッヒ・フューズリもそうだった。彼は生涯にわたって大量のポルノグラフィックなドローイングを描いていたと言われている。しかし彼が一八二五年に没したとき、妻のソフィア・ローリンズが大半を燃やしてしまい、友人が持っていたわずかなものだけが残った。 フューズリは一七四一年、チューリヒに生まれる。聖職者になるべく教育を受けたが、牧師になるのは断念、一九歳の時にスイスを出て一七六五年にイギリスに渡った。種々の書き物をして生計を立てていた彼は、ロイヤル・アカデミーの初代会長となるジョシュア・レイノルズと出会い、画家になる決意をする。一七八八年にはロイヤル・アカデミーの準会員に、一七九九年には絵画科の教授となり、一八二五年、ロンドンで没している。 彼の画家としてのキャリアは一七八二年に発表された《夢魔》[図 155]に始まった。白い服を着た女性がぐったりと横たわり、その体の上に悪魔が座っているという蠱惑的な構図だ。カーテンの向こうからは白目の馬が覗き込んでいる。彼は超自然的なものに強く惹かれており、《夢魔》のように夢や悪魔、魔女、妖精といったモチーフを多く描いた。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「 三島が『仮面の告白』でとりあげたグイド・レーニは一七世紀前半に活躍したバロックの画家だ。カラヴァッジョ的な強い明暗でドラマチックな画面を構成することもあるが、一連の《聖セバスティアヌス》ではラファエッロに近い古典的な美しさを見せる。 この他に三島はガブリエレ・ダンヌンツィオの戯曲『聖セバスチァンの殉教』を訳している[池田弘太郎と共訳]。そこでとりあげているソドマは本名をジョバンニ・アントニオ・バッツィといい、ソドマはソドミア、同性愛からきたあだ名だ。バッツィは自ら同性愛者だと告白しているのだ。彼の《聖セバスティアヌス》[図 172]では首や太腿を射貫かれてなお、しっかりと立っている。三島はマンテーニャが描く《聖セバスティアヌス》[図 173]もお気に入りだったようだ。ルーヴル美術館所蔵のものでは円柱に縛りつけられたセバスティアヌスにたくさんの矢が突き刺さっている。マンテーニャの別の作品では頭も射貫かれており、果たしてこれで生きていたのか疑問に思われるほどだ。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「ぽっかりと開いた口から見える歯。叫ぶ教皇。溶けていく塊のような肉。そんな不気味なイメージを次々と展開したフランシス・ベーコンが生きていた時代、イギリスをはじめとするいくつかの国では法律で同性愛は禁じられていた。アイルランドのダブリンで生まれた彼は一六歳の時、母親の下着を着ているところを父に見つかってしまう。息子に強い男になってもらいたいと思っていた父は激怒した。ベーコンは家を追い出され、ロンドンに出る。生涯、女性ものの下着を身につけて暮らしたベーコンの〝原点〟とも言える体験だ。 ベーコンには何人もの恋人がいた。法で同性愛は禁じられていたとはいえ、それほど厳しく運用されていたわけではなく、彼は自身の性的嗜好を隠そうとはしなかった。年上の実業家、エリック・ホールは家賃などを支払い、 T・ S・エリオットの詩やギリシャ悲劇を教えてくれた、父のような存在だった。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「ベーコンは彼をモデルにするだけでなく、たっぷりと金を与えて不自由なく暮らせるようにした。が、ベーコンは次第にダイアに飽きてくる。捨てられることに強い不安を感じたダイアは荒れる。一九七一年、パリのグラン・パレでベーコンの大規模な個展が開かれる。そのオープニングの前日、酒と薬を大量に飲んだダイアがホテルのトイレで死亡していたのが見つかった、という知らせが届いた。 後にベーコンはダイアについて、「彼の死に関して深く罪を感じている」と言っている。ふんだんに金を渡すことでやる気を失わせてしまった、というのだ。「死んでしまってから、どれだけ愛していたか実感するんだ」[* 1]。ベーコンはまたダイアの肖像を描き始める。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「独学で絵を学んだ彼のイメージソースも興味深い。頻出する「叫び」のイメージの源泉はたとえば、ニコラ・プッサン《嬰児虐殺》の、我が子を守ろうとする母の叫びだ。彼はこれについて「おそらくこれまでに描かれた中で最も優れた人間の叫び」[* 1]と称している。エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』の、叫ぶ乳母のイメージは教皇の絵の一枚に引用されている。彼はピカソが描いた、歯の生えた女性器のイメージにもとりつかれていた。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「ヴェロッキオのダヴィデだけが服を着ているが、それも非常に薄いせいで、肋骨までが浮かび上がっている。ドナテッロの少年はなぜか装飾的な兜とブーツを身に着けるだけという奇妙さだ。ミケランジェロにいたっては全裸である。聖書によればダヴィデはこの時、王サウルの甲冑を身に着けているはずだが、彼ら三人ともダヴィデの肉体を露わにしている。これには、彼らが三人とも同性愛者であるという理由がひとつ。そして、この時期に古代ギリシャ・ローマの伝統が復活したというもうひとつの理由がある。 本書でも何度か見てきたように、古代は裸体表現であふれていた。中世でその伝統はいったん途切れたが、ルネサンス期にはいって古典芸術が再評価されるにともなって復活した。そのため三体のダヴィデとも、ギリシャ美術の特徴とも言える「コントラポスト」(休めのポーズのような自然な立ち方)の姿勢をとっている。これはルネサンスで復活したポーズである。これら三体は、古代神像の肉体の復活であり、ギリシャ的少年愛の再現でもあったのだ。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「いわゆる「エロ」の語源と聞くと、いやらしい神を想像してしまうが、いたって真面目なキャラクターだ。あるヴァリアントでは、宇宙ができたとき、混沌から生まれたさまざまなものをカップリングし、そこから「すべての素」を次から次へと誕生させていったのがエロスである。つまり太古の昔から、オスとメスが愛し合ってはじめて生命が誕生することはよく理解されていた。そのため、たとえ宇宙のはじまりであろうと、愛たるエロスが介在してこそ新たなものが次々と誕生すると考えられた。エロスは神話世界のはじまりにおいて、絶大な重要性を持っていたのだ。 ところが、「万物の交合をつかさどる」抽象的なエロスに代わって、「男女の恋愛を支配する」わかりやすいアフロディーテ(ヴィーナス)の重要性が増すにつれて、エロスは次第にこの女神の従属的な立場に甘んじるようになる。エウリピデスやヘシオドスは、明らかにエロスをアフロディーテに「付き従う者」として描いており、また詩人シモニデスになると、両者は母と子の関係に置かれるようになる。つまりエロスは、紀元前五世紀頃にはかつての重要性を失い始めていた。 それにつれて、それまで主として青年の姿で描かれていたエロスは、次第に低年齢化し始め、最後にはほとんど幼児に姿を変えてしまう。無垢で、やんちゃで、思慮が無く、好き勝手なことをして遊んでいる幼児としてのエロス。この移り変わりは、同様に最初は青年の姿で描かれていたのが、やはり幼児になってしまうキリスト教の「天使」とよく似ている。天使には最初は翼など無かったが、ほどなく背中に羽を持つ姿で定着したのには、クピドやヘルメス、ファエトンといった、翼をもつ多神教の神々のイメージの影響がある。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
「少年が性行為によって汚れると考えられていたように、女性も性交によって清らかさを失うとみなされていたが、古くから女性の処女性が重視されたのには、もうひとつの理由がある。それは、 DNA鑑定など無い時代、父親は生まれた子が本当に自分の子かどうかを確かめるすべがなかったことによる。少し前まで、親の資産や家業を長男だけが継いでいたので、自分の子であることはとても重要だった。そのため結婚まで処女であり、初夜によって妊娠すれば、少なくともその子が自分の子であるという保証が得られる。こうして、洋の東西を問わず、ながらく処女であることは未婚女性に必須とされたのだ。 ルネサンス以降の美少女肖像画の多くが、結婚前の見合い写真的な用途か、あるいは結婚記念に描かれたものである。富裕層どうしの家の結びつきであれば、嫁側は家の経済力を示すために、高価な宝石や豪華な衣装を身につける。また、処女であることを強調すべく、純潔のシンボルである白百合を持たせたり、処女にしか懐かないとされた一角獣(ユニコーン)を抱かせるなどの工夫がなされている[図 226]。」
—『背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密』池上 英洋, 青野 尚子著
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Posted by ブクログ
【目次】
はじめに
第1章 人間とアートは切っても切り離せない?!
アートが無ければ本も無い
「美しい」と感じる動物は人間だけ?
異性に対して感じる「美しさ」って?
美しさの絶対的な基準はない
“カワイイ” のルーツ
“普遍的な” 美しさ
第2章 アートはどのように生まれたか?
“食べるため” に生まれたアート
そして、人はなぜか模様を付け始める
描かれた人の形
眼の無い顔
〈ミロのヴィーナス〉の腕
“印象派” を生んだ「類推する力」
第3章 アートが “働く” とは?
絵は最も力のあるメディアだった
見たことのないものを伝える役目
疑問があるなら答えましょう
絵が伝えるメッセージ
第4章 アートが面白いってどういうこと?
本物みたい! はいつだって凄い
アートは読み解けると面白い
現代アートは難しい?
これもアートなの?
次に読んでほしい本 -
Posted by ブクログ
随分前にセールで安くなってたから購入。時を経て、印象派たんへ行く前に知識をつけてから行こうと思って読み始め。(なお、展示会には間に合わなかった)
これはめちゃくちゃ面白い。良書。美術史とはつまり人間の歴史を見ることである。いやむしろ人間の歴史がわからないと読み解けない。「なぜそのような作品がその時代にその地域で描かれたのか、そしてなぜ流行ったのか」という美術が成り立つ背景を見ていく必要があり、それによっていままでモヤがかかっていたような「美術への理解」がどんどん鮮明になり面白い。
本書は絵画をベースに見方を書いていくのではなく、歴史をベースに「何が起こったからどういう絵が求められたのか」を書いてくれるので歴史に沿って理解を進めることができる。これを読んでいると学生時代の覚える勉強も大事だということがよくわかる…そして私は世界史専攻ではなかったので正直全くわからない。
絵はパトロンがいるから描かれるのだが、宗教的な美術を求められた時代から商人や市民がパトロンとなり美術を求めた時代への変遷、それに伴う技法の変化が面白い。そして印象派の異端さ。印象派についてはもっと詳しく知りたいので別の本を読む。
あくまでも入門かつ高校生向けということもあり深みまでは書かれていないが興味を持つには十分だった。巻末には推薦文献リストも豊富にあるので欲しい本が増えてしまった。読むのが楽しみ。この方の授業を受けられる学生は幸せだと思う。
メモ
・昔の西洋社会は識字率が低いため絵画が最大のメディアだった
・美術史とは人間をより深く理解するための学問のひとつ
・主題の選択と流行には、必ず何かしらの理由がある。美術史は社会を知るための手がかりとなりうる。
・必要性がない限り絵が描かれることはない。
・必ず買う人(パトロン)がいるから創られる。