美樹本晴彦のレビュー一覧
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失った悲しみを、得られなかったゆえの孤独を戦場という箱庭での遊戯に変えて誤魔化そうとする人々の物語。戦争なんてものも掘り下げていけばこんなものか?
大地母神マーファの包容を求めるもの達が、MSという服を着て、大人のふりして抱きついて行く。母の懐に飛び込んでいく勇ましく、そして爆散。
魂は、母のもとに帰れたか?
語り合いにて、共有されなかった悲しみ。その隙間は決して埋まることはないだろう。MSという衣を脱いで、語り合いに興じない限り。
「近代の危険は、利便性をささえるシステムそのものにあって、システムが稼働している限り、人は、危機にたいする想像力を低下させていったという事例には、こと欠かなかったのである。」 -
ネタバレ 購入済み
映画見てきました。
中学時代に近所の図書館に稀にしか借りられず、読み漁っていたガンダム小説。この閃光のハサウェイだけはなかなか見つからず、読まずにいました。その後、悲しい結末であることを知り、キャラやモビルスーツを知りながらも読むのを避けてきていました。映画化されると聞き、先週見に行って、読んでみました。やはり、小説を読んで映画のあの場面の言動の意味はこういうことなのかとわかる楽しみを思い出した。例えばハサウェイのホテルを後にした後の「夕方の便にしようかな」の言葉、映画では何気ない一言、ただ意味のある一言だあることなど、奥深さは小説読んで初めてわかるところ。また来週2回目見に行こうかな。久しぶりに楽しめたガンダム映画で中、下巻も読んで、映画を見に行こうと思う。
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ネタバレ最終巻のテーマは友情。上巻のテロリズムと移民、中巻の恋愛と比べれば随分地味な気がしないでもないが、本書で描かれたハサウェイとケネスの素晴らしい読後感だった。
“「いや、マフティーがはっきりとした戦いの目標をかかげても、そんなに人を殺していれば、いつかはマフティーが生贄になるなって、そう思って……」”
(富野由悠季『機動戦士ガンダム――閃光のハサウェイ(上)』角川書店〈角川スニーカー文庫〉、1989年2月28日初版発行、206頁より引用。)
と上巻でケネスに対して正直に語ったハサウェイは、早くもその運命を辿ることになる。しかし、その死には卑屈さも惨めさもない。多くの人々に敬意を抱かれながら、自らの運命を従容として受け入れ、戦士に対する礼を以て銃殺されたテロリスト、ハサウェイ。上巻の感想文で述べた通り、その姿にはチェ・ゲバラのようなものを感じる。
それと、本書で良かった点は、富野監督がハサウェイをニュータイプとして描かなかったことであった。「ニュータイプにできることなんて人殺しだけですよ」と語ったカミーユ・ビダン、「子供はみんなニュータイプ」ということで始まって収拾がつかなくなったZZ、よくわからない理屈で地球に住んでいる人々の大量虐殺を図った逆襲のシャア。チェ・ゲバラのいう「新しい人間」(革命後のキューバには、実際にはこのような人間類型が育たなかったことは周知の通り)という概念並みに曖昧模糊としたニュータイプという言葉に引きずられて、ガンダムはよくわからなくなっていったという感が私には強かったため、ハサウェイを特にニュータイプではない人間として、なおかつ魅力的な人物として描き、そして物語に破綻がなかったことは素晴らしい。
“’「……ぼくは、まえにニュータイプといわれた人びとに会ったことがある。彼等は、年齢に関係がなく、大人社会にくいこんでいったけど、いい結果を手にいれられなかった。それに、ぼくには、ニュータイプ的な才能はない……となれば、地球を中心にした体制にふくまれている毒をとりだして、根源的な問題を、人類のすべてに認識してもらうためには、こんなことしかできないな」”(本書41頁より引用)
ハサウェイが「こんなことしかできない」と語る「こんなこと」の内容は、テロ組織マフティー・ナビーユ・エリンによる地球連邦政府の閣僚暗殺を中心とした一連のテロ活動である。本書のラストではハサウェイが神話化された救世主(正に史実のイスラームの救世主マフディーである)として語り継がれていく展開が示唆されているが、本書の一番素晴らしい点は、「ニュータイプ」といった概念で偶像化されがちな「救世主」ではなく――それは現在の神話化されたゲバラの姿である――一人の人間が革命家として立つときの、こんな人物は実際にいそうだという姿を、リアリティを以て示したことではないか。映画の公開が待ち遠しい。 -
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ネタバレ劇場版「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」とは同じ舞台をテーマにした、別の作品。
作者である富野由悠季氏は、「あとがき」の冒頭で「映画を本編とすれば、本書は、モチーフ小説と位置づけられるもので、本来、発表されるべき性質のものではないでしょう。」と言い切っている。
最初に「あとがき」から読んだので、作者の意図することや彼の伝えたかったこと、試したかったこと、映画ではできないことをしたいこと、が何だったのかわかった上で読むことができた。
劇場版を観た上でお読みになる方には、是非「あとがき」から読んでいただきたい。
この作品でアムロとシャアの織りなす、宇宙世紀の物語は終わる。
そのことを改めて実感したいがために読んだ。
富野由悠季という人が、その終わりに伝えたかったことは何だったのか、をすべて知ることはできないけど、その一面を垣間見ることはできたのかなぁと。
余談:どこかのこの作品のレビューで「アムロが父親になることは許されなかった。主人公が父親になることを許されるようになったのは、ドラゴンボールの孫悟空以降」と読んだ。確かにそうなのかもしれない。 -
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Life「動員と革命〜10万人で何をしようか」に投稿した「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の参考資料は、映画・劇場版ではなく、この小説版「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア - ベルトーチカチ・ルドレン」です。
初見の際あまり感じませんでしたが、「革命」への糾弾、そして「近代の徹底・近代の超越」論的に対する思いを、Lifeへの投稿です。
あとがきに作者(富野由悠季)かいてる「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の【原作】ではなく【モチーフ】と書いておりており、サブタイトル(?)あるベルトーチカは映画では出てません、
無論、映画も見ましたが、引用の台詞の書き起しも小説版です。(小説と映画に台詞の比較はしてません。) -
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ネタバレマーモ公国の公王となったスパーク。風の部族と炎の部族との対立に頭を悩ませるスパーク。風の部族の騎士アファッド、ウッディンの反乱。単身乗り込み説得するスパーク。妖魔の銀の鉱脈を求めての捜索。ダークエルフの兄弟との出会い。闇の森から現れる魔獣たちに対抗するためアラニアの森に住む魔獣使いエレーナの説得にあたるスパーク。セシルの同行。マーモの人間と自分の笑顔のために同行を承諾するエレーナ。エレーナの活躍により徐々に成果を上げる魔獣狩り。ヒュドラとの戦い。マーモ皇帝ベルドの遺児レイエスを皇帝としてマーモ帝国を復活させようとするヴェイル。