この世は男中心にできており、それが最も露骨に現れる場の一つはセックスである。
誰もが知っている真実だが、誰もが敢えて触れようとはしない真実でもある。フェミニストですらそうだ。なぜならセックスの場において自分と相手との間にある優位と劣位の差に気がついてしまうことは、とんでもなく痛いことだからである。
だから男向けエロ業界を女が観察してきました、というルポの多くは、男と一緒にエロが楽しめちゃう私、というキャラをかぶったり、冷静な観察者というキャラをかぶって書かれている。この本が他と大きく異なるのはそこだ。田房さんは、自分が現場にいる時に感じるざらっとした感触から目を背けることができるほど、器用な人ではない。
ていうか、心配になるくらい不器用な人だと思う。なんで男たちが無意識に醸し出す優越感に対して人一倍敏感な人が、わざわざこんな辛くなりそうな仕事を選んじゃったのかと、田房さんが取材する風俗嬢の方ではなく、田房さんのことが心配になってしまうくらいだ。
田房さん自身は風俗ルポの仕事を選んだ理由を、「そういう仕事に憧れがあった」としか説明していないけれど、たぶん風俗の現場に敢えて踏み込むことで、男の態度にも痛さを感じないで生きていける私になりたかったんじゃないだろうか。酸いも甘いも噛み分けて、男とは女とは世間とはそういうもんだよねと飲み込んでしまえれば、痛さを感じずに生きていける、と。
でも田房さんはそれほど器用な人ではなかった。だからこそ、この社会の本質が見えるようになったんだと思う。その本質とは、この社会全体が「男しか行けない場所」になってるんだということ。男中心の社会だからこそ、性風俗がこんな形でできあがってるのだ。
そんなこと、とうに知ってたって?でも自分の痛みを痛みとして感受できなければ見えないことがある。そして自分の痛みを認識するのは決して容易なことではないのだ。