津本陽のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
確か、09年自分が卒論のテーマを絞り込む段階の際に読んだ本。
卒論は渋沢栄一とは直接関連するものではないが、儒教にも通じる考え方を持っていた点では大いに参考となった。
この本は伝記的性格が強く、彼が単なる秀才ではなく、「行動」を伴った人物であったことがわかるものであった。ひとつ、ここに一例を紹介したい。
「本を読むというのは、何も畳の上に座って読むことだけが読書ではない。鍬を振って土を耕す時も、あるいは道を歩いている時も頭の中で本を読み続けろ。本を読み続けるということは、読んだ文字が現実に照らし合わせて、あるいは自分の生き方に照らし合わせて、どういう意味を持っているかということを追求することだ。しかし、決して急いではならない。時間をかけてじっくりと心の眼で本を読め」
読書をただ「読んで」満足するものに終わらせるのではなく、様々な状況下に自分の身を置かせながら読むことで現実とすり合わせ、そして自分の意識下に落とし込んでいくというものだ。さらに、焦って多くの本をひたすら読むのではなく、じっくりどんな意味が含まれているのか考え抜くこと、とある。
実際自分が最も課題とすることの一つだと強く認識させられる。
ある人は、「2度読み」読書法を薦める。一度読んだ本に付箋等付いてあるだろうから、その部分に注意しながら、改めて読んでみる。もちろん新たに付箋を付けたっていい。ただ、なぜその点が気になったのか、Whyに引っかかることが必要だという。
そこから、新たにその本の良さを発見し、魅了されるのであれば、それはより深い読書を行ったといえる。また、行動への意欲も高まるうえ、その行動を習慣に変える原動力ともなると言える。
残念ながら、自分は読んだ書籍数がまだまだ読み足りないため、「2度読み」は年に数冊分しかできていない。けれども、徐々に深い読みが実践できるように、まずは「幅」を広げられるようにしていきたい。 -
Posted by ブクログ
16年前の1993年12月16日に悪徳政治家:田中角栄は75歳で没。
まったく正反対に、高学歴ではない人が首相にまでのし上がった、そのサクセスストーリーをクローズアップして傑出した人物だったという評価もありますが、少し冷静に考えてみると、利権政治や派閥政治を強引に強力に推し進めたり、環境・人間性破壊をあたかも進歩や美徳のようにして日本を壊滅状態にした張本人であったのですが。
その著書『日本列島改造論』(1972年)を、科学的合理主義としての未来学と同列に捉えた信じられない時代があったとしても、薔薇色の快適未来社会を描いて国民を騙して、モータリーゼーションや工業化を金科玉条のごとく推進して地方の過疎化・植民地化をよけいに早め、金権政治を当たり前にやり、成功して金儲けすることが善で正しいという風な、今にいたる金銭至上主義というか拝金主義の価値観をはびこらせたとんでもない犯罪的な極悪人です。
ただ恐ろしいのは、彼が際立った真正の悪党かというと、そうではなく、根はどこにでもいるそこいら辺の人情深いおっちゃんで、だからつまり私たちも、うかうかして欲望のままに権力志向丸出しで強欲に生きていると、いつ彼の二の舞になるか解らないところに、この狂信的情熱の怖さがあります。
彼を反面教師として、自らの戒めとして読み取る行為が必要だと思います。
この感想へのコメント
1.サラミ御殿あるじ (2009/12/21)
これほど功より罪のほうが大きかったことが知れ渡っているのに未だに偉大な政治家と思っている(主に)男性が多いのが不思議です。
ワタクシ上巻のみで挫折し。
ゴシップ寄りの『決定版私の田中角栄日記』佐藤昭子著に逃げてしまいました。
2.薔薇★魑魅魍魎 (2009/12/23)
まぁ、このぅ、なんといいましょうか、日本人は立身出世譚が大好きな民族でありましてぇ、世間を騒がした悪い奴でも、貧乏からのし上がって首相にまでなった男を、お涙ちょうだい式に苦労したんだ角栄さんみたいに褒め称えるという卑しき美風が現存するんですわ、情けないことに。
そして、その薫陶を受けた小沢一郎が、命日に必ず墓参するという風に、まだまだ継続する忌まわしき悪の伝家の宝刀であるのです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ攘夷派の志士として命を賭ける覚悟をしながら、志半ばで将軍慶喜の家臣となり、派遣されたパリで西洋経済の力強さに圧倒された栄一がいよいよ日本経済の礎を築いていく。もちろん全てを紹介はしていないが、製紙会社や紡績会社、人造肥料会社などの立ち上げには凄まじい苦労があったと知り、興味深かった。逆境に立ったときに、それが「自然的逆境」ならば受け入れるしかなく、「人為的逆境」ならば自省して改める、というのは、数多くの修羅場をくぐり抜けたから言える言葉だと思う。また、公共事業や福祉事業にも力を入れ、晩年には米国の日本排斥の打破に尽力するなど、経済の父としての側面以外のこともわかり、アジアンヘイトなどが問題となる今だからこそ、より根強い問題なのだと感じられた。「まず道理が通るか考え、次に国家の利益になるか考え、最後に自己の利益のことを考える」。個人利益主義の現代において、心に留めておきたい言葉となった。
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Posted by ブクログ
南紀太地。
紀伊半島南東部にあるこの地は、古くから古式捕鯨と呼ばれる鯨漁を行ってきた。何艘もの小舟に乗った男たちが鯨を取り囲み、網をかけて銛を打つ。入り江に引き上げられた鯨は解体され、余すところなく利用される。鯨一頭で港全体が潤う富が得られる。
鯨漁はチームワークである。
山見と呼ばれる見張り場所から鯨を見つけると、狼煙で知らせが来て、勢子舟(せこぶね)、網舟、持双舟といった舟が沖を目指して漕ぎ出す。網を下すのが網舟、鯨を網に追い込んでいくのが勢子舟、鯨を港まで運んでくるのが持双舟である。
網にかかった鯨に銛を打つのは「刃刺(はざし)」と呼ばれる男たち。世襲の仕事である。「刺水主(さしかこ)」はその見習い格で刃刺の息子がなるものとされる。鯨の鼻に綱を通す穴をあける「手形切り」は危険な作業だが、刺水主が刃刺になる前に必ず行わなければならない洗礼のようなものだった。
全体を統括する「沖合」は鯨漁の成否を左右する重要な役目。刃刺の筆頭で、彼の指揮ですべてが決まる。
本書は明治期の太地を舞台とする歴史小説。
大きな時代の転換期、太地の鯨漁も岐路に立たされていた。
鯨が捕れない。
村は赤貧にあえぎ、「うけじゃ」と呼ばれる芋の粥もごくごく薄いものしか食べられない。年の瀬、借金まみれの人々は、正月を迎えるために、さらに借金をするしかない。年が明けても返せなければ、舟は借金のかたに取られ、娘たちは身売りをすることになる。
ここで1頭、鯨が捕れれば。皆、一息つけるはずだった。
そこへ天恵か、立派な背美鯨(せみくじら)が現れた。男たちは勇み立つ。
意気揚々と向かう先にいたのは、しかし、不吉とされる子連れの母鯨だった。
物語は史実にある「背美流れ」を追う。明治期、背美鯨を追う鯨漁の一団が潮流に流され、多くの犠牲者を出した海難事故である。
沖合の近太夫には悪い予感があった。しかし、この背美鯨を追わぬわけにはいかなかった。村は鯨を、金を必要としていた。しかし、この判断が予想を超えた大惨事を引き起こす。
近太夫の孫にあたる孫才次は、この漁で手形切りをするつもりだった。早く一人前になり、恋人のゆきと所帯を持ちたい。初々しい決意とともに舟に乗り込む孫才次の前に、大海と巨獣が立ちはだかる。
前半の山場は母鯨と男たちの対決場面で、その臨場感は特筆に値する。
身体を張り、命を懸け、鯨に向かう男たち。けれども鯨も子を抱え、必死で抵抗する。死闘の果て、どうにか鯨を仕留めたが、潮の流れは予想以上に早く、船団は沖に流されかけていた。
「背美流れ」は村に大きな傷を残した。
だが、その後も闘いは続く。村人たちはどうにか生きていかなければならなかった。
太地で捕れる鯨が減ったのは、欧米やロシアの船が、火薬を使う効率のよい漁で沖にいる鯨を根こそぎ捕獲してしまうためだった。それまでは太地の浜近くまで来ていた鯨がその手前で捕り尽されてしまうのだ。
太地の人々は、北海道に進出しての捕鯨に活路を見出そうとするが、そのためには大金が、つまりパトロンがいる。彼らは金づる探しに奔走するが、さて、これはうまく行くのだろうか。
そうこうする一方で、コレラの影が忍び寄る。明治期、鎖国の終結とともに入り込んだ流行り病は何度も各地で猛威を振るった。それが村にもやってこようとしていた。
人は負ける。負け続ける。
それでもあえぎながら、のたうち回りながら、人は闘い続ける。
孫才次は、周囲の大切な人を次々と亡くしながら、弱気にもなりながら、生きる闘いをやめない。
最後の最後まで、彼の闘いは負け戦だ。
あるいは古式捕鯨自体が滅びゆく運命だったのかもしれず、彼には最初から勝ち目はなかったのかもしれない。
だが彼の闘いはその弱さゆえに、いっそう胸を打つ。
立ち上がり、打ちのめされ、また立ち上がり。
そうして紡がれてきたものに、ふと思いを馳せる。
第79回直木賞受賞作。