津本陽のレビュー一覧
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南紀太地。
紀伊半島南東部にあるこの地は、古くから古式捕鯨と呼ばれる鯨漁を行ってきた。何艘もの小舟に乗った男たちが鯨を取り囲み、網をかけて銛を打つ。入り江に引き上げられた鯨は解体され、余すところなく利用される。鯨一頭で港全体が潤う富が得られる。
鯨漁はチームワークである。
山見と呼ばれる見張り場所から鯨を見つけると、狼煙で知らせが来て、勢子舟(せこぶね)、網舟、持双舟といった舟が沖を目指して漕ぎ出す。網を下すのが網舟、鯨を網に追い込んでいくのが勢子舟、鯨を港まで運んでくるのが持双舟である。
網にかかった鯨に銛を打つのは「刃刺(はざし)」と呼ばれる男たち。世襲の仕事である。「刺水主(さしかこ)」はその見習い格で刃刺の息子がなるものとされる。鯨の鼻に綱を通す穴をあける「手形切り」は危険な作業だが、刺水主が刃刺になる前に必ず行わなければならない洗礼のようなものだった。
全体を統括する「沖合」は鯨漁の成否を左右する重要な役目。刃刺の筆頭で、彼の指揮ですべてが決まる。
本書は明治期の太地を舞台とする歴史小説。
大きな時代の転換期、太地の鯨漁も岐路に立たされていた。
鯨が捕れない。
村は赤貧にあえぎ、「うけじゃ」と呼ばれる芋の粥もごくごく薄いものしか食べられない。年の瀬、借金まみれの人々は、正月を迎えるために、さらに借金をするしかない。年が明けても返せなければ、舟は借金のかたに取られ、娘たちは身売りをすることになる。
ここで1頭、鯨が捕れれば。皆、一息つけるはずだった。
そこへ天恵か、立派な背美鯨(せみくじら)が現れた。男たちは勇み立つ。
意気揚々と向かう先にいたのは、しかし、不吉とされる子連れの母鯨だった。
物語は史実にある「背美流れ」を追う。明治期、背美鯨を追う鯨漁の一団が潮流に流され、多くの犠牲者を出した海難事故である。
沖合の近太夫には悪い予感があった。しかし、この背美鯨を追わぬわけにはいかなかった。村は鯨を、金を必要としていた。しかし、この判断が予想を超えた大惨事を引き起こす。
近太夫の孫にあたる孫才次は、この漁で手形切りをするつもりだった。早く一人前になり、恋人のゆきと所帯を持ちたい。初々しい決意とともに舟に乗り込む孫才次の前に、大海と巨獣が立ちはだかる。
前半の山場は母鯨と男たちの対決場面で、その臨場感は特筆に値する。
身体を張り、命を懸け、鯨に向かう男たち。けれども鯨も子を抱え、必死で抵抗する。死闘の果て、どうにか鯨を仕留めたが、潮の流れは予想以上に早く、船団は沖に流されかけていた。
「背美流れ」は村に大きな傷を残した。
だが、その後も闘いは続く。村人たちはどうにか生きていかなければならなかった。
太地で捕れる鯨が減ったのは、欧米やロシアの船が、火薬を使う効率のよい漁で沖にいる鯨を根こそぎ捕獲してしまうためだった。それまでは太地の浜近くまで来ていた鯨がその手前で捕り尽されてしまうのだ。
太地の人々は、北海道に進出しての捕鯨に活路を見出そうとするが、そのためには大金が、つまりパトロンがいる。彼らは金づる探しに奔走するが、さて、これはうまく行くのだろうか。
そうこうする一方で、コレラの影が忍び寄る。明治期、鎖国の終結とともに入り込んだ流行り病は何度も各地で猛威を振るった。それが村にもやってこようとしていた。
人は負ける。負け続ける。
それでもあえぎながら、のたうち回りながら、人は闘い続ける。
孫才次は、周囲の大切な人を次々と亡くしながら、弱気にもなりながら、生きる闘いをやめない。
最後の最後まで、彼の闘いは負け戦だ。
あるいは古式捕鯨自体が滅びゆく運命だったのかもしれず、彼には最初から勝ち目はなかったのかもしれない。
だが彼の闘いはその弱さゆえに、いっそう胸を打つ。
立ち上がり、打ちのめされ、また立ち上がり。
そうして紡がれてきたものに、ふと思いを馳せる。
第79回直木賞受賞作。 -
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ジョン万次郎の生涯の後編。捕鯨から帰ると妻のキャサリンが亡くなっている。後編は読後感は少し重い。失意に沈む万次郎は帰国を決意し、カリフォルニアで金の採掘をしてからハワイに寄り、仲間とともに帰国する。琉球に降り立つ作戦が奏功する。琉球は島津氏の傘下で、かつその時の殿様は斉彬。こういう所もついている。そういう運命だったのだなと思わずにはいられない。しかし覚悟して帰ってきたもののやはり日本は重苦しい。死罪にならなくて時代が彼を必要としてくれたにも関わらず、やはり重い。見えない天井がそこにある。それでも天寿を真っ当できて、船長ともアメリカで再開できて良い人生だったのだろう。足るを知っていたというのだろうか、実利的な人だったのだろう。とても魅力的で多くの人に知ってもらいたい生涯だった。読んで良かった。しかしこの本に書かれる水戸の斉昭と勝海舟は本当に嫌なやつだ。もちろんいい所もあるんだろうけど、斉昭なんて最悪だな。勝もちょっと見方が変わった。
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高橋是清の伝記小説。
高橋がどんなにか波乱万丈な一生を送ったか、はっきり言ってこれ程までに内容の濃い人生を送ったとは正直驚いてしまった。
幕末絵師と女中の間に生まれた私生児で、仙台藩足軽に養子に出され、14歳で騙されてアメリカに奴隷で売られる。自由の身になってのち、芸者遊びにうつつを抜かし、芸者に養われる。株屋、牧場経営、翻訳家、ペルーの銀山経営と職を転々とし、やがて日銀総裁の地位に達する。
日露戦争の戦費調達を一手に引き受け、英米独仏の要人とコネクションを持ち、欧米を駆け回って海外金融市場での日本の信用確立、起債を成功させる場面は圧巻。金融危機ではモラトリアムを実施。軍部の暴走に敢然と立ち向かい軍事費の抑制に努力した結果、最後には二・二六事件の凶弾に倒れた。
勿論彼の持つ幸運もあったろうが、抜群の英語力と一心に努力を続けること、そしてその人柄から出会った多くの人々から愛された人たらしの面が彼をしてこの波乱万丈な一生を走りきったのであろう。
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2013.1記。
新潟の寒村に生まれ、裸一貫で上京した田中角栄の伝記的小説。日雇いから始め、その類まれな頭脳、愛嬌、先見性を武器に、小さな工事会社の社長として、やがては代議士として、ついには佐藤栄作の後継を巡る「三角大福中」の権力争いを経て首相にまで上り詰める。
それにしても、角栄の猛勉強ぶり、やるといったらやる人間性にはやはり圧倒される。通産大臣として米国との繊維交渉で歴代の誰よりも本気で相手と渡り合って役人を心酔させ、首相としては、日中国交回復を実現。その原点には、16歳で上京する角栄に向けた母フメの言葉があるようだ。「大酒は飲むな。できもしねえ大きなことはいうな」「人は休まねば体をいためる。だども休んでからはたらくか、はたらいてから休むかとなれば、はたらいてから休むようにしろ」(上巻P.74)
今の感覚で言えば、公共工事の情報をもとに先回りして土地を買い叩くなど角栄の「金権」は到底許されるものではない。が、代議士が足を運んだこともない山間の村に一人演説に来た若き日の角栄を信じ、「都会の人間たちに一本の無雪道路が人の生命を救うありがたさが分かるか」と、ロッキード事件後も票を投じ続けた人々のことを軽々に笑うこともできない。
学生時代、ゼミの研修で新潟県浦佐の農村を訪れたことがある。90歳の老翁が、既に盲目となった瞼を閉じながら「角栄先生の掘ったトンネル」について限りない敬愛を込めて語っていた姿を思い出す。それが村にバスを走らせ、商業作物の出荷で現金が入るようになり、そしてスキー客がやってきた。
角栄の功罪を問い直すことは、現在の日本が抱えている多くの問題について考えることだ、というのはよく言われることだが、おそらく多くの面において真実なのだろう。