川原泉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
川原泉は「甲子園の空に笑え!」が好きで、あといくつかぱらぱらっとのぞいただけ。あれば読むし、決してきらいじゃないけど、大好きって感じでもないかなあ、くらいだった。
この短編集を最初から最後までふむふむ読んでいって、「月夜のダンス」を読み終わったら、じんわり「あれ、すごく好きかもしらん」と思った。
この低体温では、ぐあー大好きだー!とはならないけど、ほどよい心地よさに知らず長風呂してしまう。そのうちうっかり手放せなくなりそう。
「月夜のダンス」がなんともよいなあ。読み終わったあともう一度読んだ。
今年の桃は良い桃だ
もったいないが あんたにやる
「三月革命」のふたりも、ああちくしょバカだな可愛いな。
低体温人間ばっかりだが、無感動人間ではないんだよ。
「きゃーうれしいvv」とか言わないだけで、表情に出ないだけで、あと感動のポイントが周りとずれてるだけで。
悩んでいたりもするんだよ、人知れずだけど。本人も、悩んでることに気づいてなかったりするけれど。
でもそういう人達が、奇跡的に同種の人間やらなぜか波長の合う人と出会って、心地よく暮らしていくのが川原泉ワールド。ほっとする。
解説の締めにうんうん頷いた。
「恋愛なんて、りりかるな慕情やドラえもんのあくしゅでじゅうぶん、それだけで男というものと今後もやっていければ、こんなうれしいことはない。そんなのはただの女の子の夢…とおとなたちはいうけれど、そう、夢だっていいじゃないとわたしは思う。」
ね。夢だっていいじゃないね。
わかってやってるのでしょう、作者だって。
漫画にはそれを通して現実世界を見つめ直させてくれるものもあって(最近はまってる「進撃の巨人」はまさにそれ)、一時そういう漫画ばっかり好きだった。あるとき、ファンタジー作品が大好きで高校生の恋愛ストーリーが嫌いな友人が「お話の中でまでなんで現実見ないといけないの。フィクションは現実逃避だよ」と言い切った。
それって後ろ向きに聞こえるかもしれないけど、今なら私は、ああそうかもと頷きながら川原泉を読む。この中では、月夜にカーテンでドレスアップした女装男子がひらひらくるくると踊っていて、それを見た女子は「スネ毛は社会の迷惑です」と率直な意見を述べる。などと言いながら、最後は「すごくよく似合うよ~」と2人で「ドンジャラホイと」踊りまくる(その擬音はなんなのだ)。
解説に「姑息なのか無邪気なのか」とあるけれど、いやいやわかってやってますよこのお方は。だから私は安心して一時、現実を忘れる。
たった1冊でけっこう語りすぎたので、これからいろいろ読むうちにまた見方も変わってくるかもしれないな。
感激のワルツ
情熱のルンバ
狂乱のブギ
倒錯のタンゴ
哀愁のチャールストン
さよなら 月夜のドレス -
Posted by ブクログ
ネタバレ『ロレンツォのカエル』が読みたくて引っ張り出してきた。
改めて読むと、日常のクスッと笑える小ネタから始まって
リトルグレイになりきって締切から逃避したり、
RPG的な6月王国の物語を使って内輪ネタを披露したり、と
かなり迷走している時期に描かれたものなんだなぁと思う。
それ故あちらこちらに話が飛ぶので、正直ちょっと読みづらい。
とはいえ、ここで語られている薀蓄は
ジョン・ケージの4分33秒、ショーペンハウエル、リトルグレイ…等々
この本で初めて知って、今でも心に残っているものが多い。
その意味ではやはり川原ワールド健在といったところか。
「『フォレスト・ガンプ』って映画の主人公の名前何だっけ?」とか
すっとぼけた遣り取りもカワハラ教授ならでは。
最近の著作はだいぶご無沙汰。
『レナード現象には理由がある』のあとは読んでないな。
最近のも読みたいな、と改めて思った。
…そういえば、この話を連載していた『PUTAO』、気づいたら無くなってたな…。 -
Posted by ブクログ
前作「ブレーメン2」でセンス・オブ・ジェンダー賞を受賞したのから一転、ホモフォビア的と批判された本作。問題とされたのは「紹介したい人がいる」と主人公の兄が連れてきたのが男だったという最終話で、確かにホモフォビアと言われかねない描き方ではあります。
だけど、川原泉にとって、あるいは主人公にとって、同性愛者かどうかはさして重要なファクターではない。彼らにとって重要なのは、その対象者が身内かどうかという点に尽きるんだと思います。川原泉の作品においては、身内か身内でないかが決定的な判断基準であり行動原理であって、それは初期から今に至るまで一貫しています。そこでは身内とは無条件に受け入れるべき相手として存在します。一方で、身内以外は遠く景色として存在し自らと関わるはずの無いものであり、それが接触してきたなら警戒すべき事象となる。だから、本作について言えば、たとえ兄の連れてきた人物が女性であったとしても、主人公の反応は変わらなかったでしょうし、逆に一度身内として承認せれればホモであろうとなんだろうと受け入れられるでしょう(実際にそういう結末を迎えます)。今回はたまたま他者として識別された対象が同性愛者だったことから、その他者への警戒がホモフォビアとして映ってしまったということ。だから、川原泉がホモフォビアというわけではないと思います。
しかし、身内かそれ以外かという判断基準というのもそれはそれで大いに問題含みでもあります。そこでは対象の言動、意図、環境といったものは捨象される。だから、他者として識別されたならどこまでも冷酷になれる。一見ほんわかゆるい川原泉なればこそ、その冷酷さは根深い。