今尾恵介のレビュー一覧
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著者は、テレビ朝日で放送されている「タモリ倶楽部」にも出演したことのある人だ。そんな著者が地名に関して書いたのが今回の本。
ブラタモリですっかりおなじみになった「段差」と言う言葉。何しろ「ダンサー」と名乗る方がいるくらいだからなあ。その「段差」に関して、色々地名がついていることが分かる。
地名の安全性に関して、著者は、何とか丘、何とか台とついているからと言って一概に安全なあb書とは限らないと指摘している。一時期、週刊誌で「住んでも安全な地名」なんて言うような特集を組んでいるのをちらっと見たことがある。ここ数十年のうちに「台」や「丘」と名の付く場所に化けた可能性が考えられるからだ。回転寿司で人気のある魚が実は別の種類の魚だったというのを聞いて驚いたことがあるが、そんなかわいいレベルでは済まない。
この本に目をざっと通してブラタモリを見るとまた違った楽しみが出てくるかもしれないと思ったそんな1冊だ。 -
Posted by ブクログ
関東大震災後に、京王が横浜市電に旧型車を融通した時、自走で行けた話がすごい。新宿追分で東京市電に入り、京急を経て横浜市電へ。
戦中に変電所が爆撃されて甲州街道で省線を越えられなくなった話は有名だが、その勾配は 40 ‰ だったと言う。
現井の頭線と東京山手急行電鉄の話題が興味深い。
鉄道省文書という範囲から、多摩川以西の相模原線は言及されない。
西武は、国分寺から川越への川越鉄道を起源とするが、川越への競合路線として東上線と所沢から東京へ短絡する現池袋線が開業してしまう。対抗するために東村山から東京へ向う線を種々計画するが認可を得るのに苦労し、最終的にやっと実現したのが現新宿線という経緯が興味深い。
村山貯水池ができると観光需要を見込んで三社が支線を建設して競い、戦後も奥多摩湖への鉄道直通とケーブルカーが計画されたが、モータリゼーションが進んで頓挫したという。鉄道時代の観光需要が想像以上のものだったことに驚く。
東武は、利根川鉄橋が大きな課題だったことは想像できるが、開通時には荒川放水路がまだなく、開鑿時に線路変更と架橋が必要になったことを知らなかった。
東上鉄道の上州は渋川を目指していたことも、本書で知った。 -
Posted by ブクログ
東横線の計画時に、柿ノ木坂と交叉するところが平面つまり踏切という点に反対運動が起きている。土地勘がなくわからなかったのだが、踏切への反対よりむしろ急坂の途中を横切ることへの反対だと言う。地形図から計算して 9% の坂だそうで、荷車を人馬が牽く時代には切実な恐怖だったのだろうと。なるほど。
陳情書はガードで鉄道が道を越えることを求めているが、その後の地形図によると、現在の環七に続けて道の下を潜った様子。
池上線の五反田が高いのは高架で山手線内に入る意図があったのだと言う。その当時、五反田には市電も来ておらず、京急が青山七丁目まで行く免許を持っていたそう。そこから東京市外だったのだと。
小田急では、江ノ島線建設時点で、大野信号所が立体交叉だということを初めて知った (1929)。調布と比べると先見性に雲泥の差。向ヶ丘遊園の旧名は稲田登戸か。 -
購入済み
益々、地図が好きになります。
数十年前、小学生の頃から子供たちだけで、キャンプやサイクリングをしていました。
(良いことか悪いことかは別にして。)
当時は、国土地理院発行の地図を、大きめの書店で買って旅立ち前にワクワクしていたものです。
この本を読み、子供の頃のワクワクしながら見た地図の記憶が蘇ってきました。
最近は用途別に専用の地図が販売されており、非常に便利ですが、国土地理院発行の地図を見直そうかと思う次第です。
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Posted by ブクログ
西荻窪に住んで既に30年余りになるが、駅前なども土地が無いのでロータリーやバス停を含め余り変化が無いように思えるが良く気を付けて見れば随分と街は変わっている。先日は昔住んでいた善福寺公園の周りを散歩して見たら、かつては大きなお屋敷だった場所もいつの間にか切り売りされて住宅になっていたりするしな。でも所詮はここ2-30年の記憶しか無いのでその昔がどうであったかは知るすべも無い。
本書は古くは大正時代、昭和初期、高度成長期、平成期に発行された地図をベースにいかに一つの街が変遷していくのか具体的にまた詳細に定点観測して見せるもので何とも興味深いものだ。かつては田甫だったものが大きな工場になり、そして更に住宅地化の流れに押され工場も消えてマンション群になったりしているのが地図から読み取れる。
こんな場所もある。大正10年の地図には京王電気軌道が開通していた都内西部地区「くわやくこまえ」なんてのがあるのは何処の街だろう?なんとこれが今の「明大前」のことなのだからビックリ。起源は江戸幕府の煙硝蔵で、明治維新後に陸軍に引き継がれ、第一次大戦後の軍縮のながれで大正13年に廃止されるまで存在し、その後土地は明治大学と築地本願寺に払い下げられ、それぞれ大学と和田堀廟所になっているという。
明治、大正、昭和、平成と時代は移ろうがそれらを追っていく街の変化はまさに歴史の変遷という感が強く感じられる。古地図というと江戸時代のものばかりが注目されるが明治以降の地図ももう少し良く見てみると面白いのかも知れないし、つい昨日のような昭和の時代の地図も今は消えた何かが再発見できるかも知れない。
それにつけても地図は楽しいのだが如何せん地図の中の文字が小さく厳しい。老眼が進行しているのを改めて痛感してしまったようだ。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
路線変更の理由、峠越えの技術、乗り換えの名所、車窓から見る地形。
[ 目次 ]
第1章 線路を観察する(線路の幅はどうなっているか 距離標を楽しむ)
第2章 いかに山を越えるか、いかに曲がるか(全国の急勾配区間 汽車はいかに峠越えしたか カーブを曲がる技術)
第3章 車窓から見えるもの(車窓からいろいろな地形を楽しもう 長老トンネル物語 鉄橋あれこれ 高い橋、渡らずの橋、川のない橋 名称のルール)
第4章 「線路」を知る(鉄道の線路名はどうなっているのか 乗り換えの話 全国ナゾの線形めぐり 路線変更には理由がある)
第5章 鉄路でたどる鉄道史(何のために作った鉄道? 引込線が語る近代史)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]