原卓也のレビュー一覧
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『賭博者」 ドストエフスキー
初のドストエフスキーは彼の作品の中でも比較的ライトな『賭博者』に。
ロシア人はルーレットを好む、ということを知らなかったが、それぞれのお国柄を痛烈に書いている当たりが面白い。
今だったら差別だと言われてしまいそうなことも嫌味たっぷりに、書いているから読んでて楽しい。
一言でまとめると、賭博の沼に浸かって人生を棒に振ってしまう一人の男の話である。
しかし、悲観的とは相反する捉え方で書かれているのも読んでいて疲れない。
「あなたは人生や、自分自身の利害や社会的利害、市民として人間としての義務や、友人たちなどを(あなたにもやはり友人はいたんですよ)放棄したばかりでなく、勝負の儲け以外のいかなる目的をも放棄しただけではなく、自分の思い出さえ放棄してしまったんです。わたしは、人生の燃えるような強烈な瞬間のあなたをおぼえていますよ。でも、あなたはあのころの最良の印象なぞすっかり忘れてしまったと、わたしは確言しています。」
旧友にこう言われても全く響いていない主人公が、どうしようもない賭博者であることを最後に括っている。
いかにギャンブルがその人の神経の骨の髄までしゃぶり尽くしてしまうのか、というのを本質的に書き写している部分である。 -
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ネタバレ罪と罰を読んでいたから人物の名前の難しさとか文章の難しさは大丈夫だった。
裁判の検事の話しが少し難しかった。
ただ終わり方が未完なのかな…
結局どうなったの?って感じで中途半端な気もするけど、あれこれ想像で補ってくださいみたいな感じでこれで完結したとも言えるような終わり方だった。
子供に「なぜお父さんを愛さなければいけないのですか?」という質問にちゃんと答えられる親は何人いるんだろう。
どんな親でも愛さなければいけないって言われるけど愛してもくれない、愛し方も教えてくれなかった親をどうして愛せるだろう。
ペルホーチンとホフラコワ夫人の今後知りたかったのになかったな…
個人的には罪と罰のが好きだった。 -
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ネタバレドストエフスキーを初めて読む
このくらいの分量なら読めるかなと思い選んだ
登場人物たちの我の強さが目立つがロシアでは当たり前なのか、時代がそうさせているのか。主人公・イワーノヴィチの隷属体質の理解はあまり進まなかったが、ときどきその思考の一端に「たしかに」と思うことがあったりした
正直、面白くないなと思いながら読み進めていたが、おばあさん登場あたりから火が灯る
博打の才能、いや一時の神がかった運の説明・表現力がさっそうとしていてこの部分は読む手が止まらない
一時の高みから真っ逆さまに落ちていく過程、その後の主人公の運の巡りの描写までは気持ちが良い
総評としてはまま良かったので別のも読んでみます -
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ネタバレロシアの作家チェーホフ(1860-1904)が二十代半ばの駆け出しのころに書いたミステリ小説にして唯一の長編小説。1884年。
巻末の江戸川乱歩によると、本書は所謂「叙述トリック」のなかの「記述者=犯人」の類型に含まれるという。しかし、他の「叙述トリック」の有名作と比べて、この作品のインパクトはかなり弱くなってしまっているように感じる。それは、解説において佐々木敦が指摘しているとおり、この作品の構成の複雑さに起因するだろう。
ある編集者のもとに元予審判事が原稿を持ち込み新聞への掲載を依頼するところから物語が始まる。この原稿『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』の内容が本書における小説内小説となっていて全体の九割を占めており、その前後を挟む外枠の部分が『狩場の悲劇(実在の事件)』とされている。そして本書終末の『狩場の悲劇(実在の事件)』の部分で、編集者が、この小説内小説『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』が実は元予審判事が犯した実際の犯罪をもとにしたものであると暴き、「探偵」役を果たす。つまり、「記述者」が「犯人」であると暴かれる場面は、「記述」された物語の内部(『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』)ではなくその外部(『狩場の悲劇(実在の事件)』)においてであり、暴かれた「犯人」は、小説内小説の「記述者」(セリョージャ)ではなく、その外部において新聞社に原稿を持ち込んだ「記述者」(カムイシェフ)である。つまりこの作品には、物語の真実が物語の枠を超えて読者の側の世界に迫り出してくるあの異様な感覚はなく、物語内物語として物語の中に綺麗に収められてしまっていて、読者は自分たちの世界と物語の世界との境界が物語の側から侵犯されるような不安の感覚に襲われることはない。
ではなぜ事件の真犯人である元予審判事は自らの犯罪を物語として「記述」しさらにはそれを新聞紙上に公表しようとしたのか。そこに佐々木は「自意識の迷宮」(p365)という問題を見出すが、今回本書を読んでいてそこまで感じ取ることはできなかった。この作品は、物語のどぎつさ、登場人物のアクの強さ、異常さ、饒舌さにおいて、四大戯曲のチェーホフらしからぬ、ドストエフスキーの諸作品を思い起こさせた。そういえば『罪と罰』も『カラマーゾフ兄弟』も、ミステリ的な趣のある作品であった。
物語のどぎつさはともかく、登場人物たちのあの喧しさからくる独特の異物感は、ミステリをミステリとして楽しむときの邪魔をしているように感じる。「娯楽小説」を読むのなら、もっと、現代人が生きている感覚や文脈をピンポイントに刺激してくれるような、条件反射だけで事足りてしまう作品のほうが面白がれるのではないか、などと思ってしまった。読書の姿勢としては、ひどく怠惰なものだと思う。
後書きや解説で本書のトリックについて言及するのはいいとしても、他の作品のトリックを明かしてしまうのは、迷惑だ。かつて某トリックの有名作を読む前に誰かの文章の中でネタバレをくらってしまい、一度きりしか味わえないであろう衝撃の機会を逸してしまったという悔しい経験がある。その書き手が誰であったかは覚えていないが、いまでも恨んでいる。
「わたし、今日になってやっとわかったんです……今日になって! どうして昨日のうちにわからなかったのかしら? 今となっては何もかも取り返しがつかないし、すべては失われてしまったんですわ! 何もかも、何もかもね!」(p171) -
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ネタバレ大体のストーリーが掴めてきて上巻に比べたらスイスイ読めた。相変わらず登場人物が多い。ドストエフスキー自身はどうやって管理してたんだろうなぁ、脳内完結なのか紙に起こしていたのか。
イワンも怪しいけどフョードルがすんなりドアを開けて部屋に入れてくれるとも思えず、アリョーシャが怪しいってことになるよなぁと推察。あとページを増すごとにドミートリーがフョードルと同じような発言や行動をしていて、血は変えられない同族嫌悪とはこのことか...と思った。
ゾシマ長老のシーンで、人は信仰に奇跡を求めがちだけどあまりに傲慢だなとも思う。奇跡が起きた時はそれに縋るのに、奇跡が起きなかったら急に不信者になり、今までのゾシマ長老の活躍がすべて水の泡になるようで。
ただ、自分に置き換えてみても、例えばお坊さんが何かしら問題を起こすと「お坊さんなのに!」って思ってしまうわけで。
となると、人が人に布教するものであり続ける限り、信仰は非常に曖昧で不安定なものなのだと思う。 -
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ネタバレ重たすぎる腰を上げて読み始めた。2回挫折しているのでこれで3回目。今回こそは読み切りたい...。ちなみに前回のチャレンジから10年以上経っているのでストーリーは何一つ覚えていない。
まーじで本名に加えてニックネームまで書くの禁止にしてほしい...!笑 ただ最初の200P強に渡る紹介文が後々響いてくるので読まずに進むのは惜しい、というところ。父と長兄の醜すぎる争いと共に、徐々にストーリーが動き始める。
大審問官...うーん、とても難解だし捉え方があってるのかすら分からないけど興味深い。
キリストは全ての罪を背負い人に自由を与えたはずなのに、人は自由すぎると途端に迷いだす。そのため指導者を置いて指南すると、迷わなくて良いとたちまち服従する。...これって、現代人にも言えることなのかも。選択を誤って非難されるのは怖いし考えを放棄するほうが楽だけど、迷うことも必要なのかな、と。
ただ、明日パンの1つも食べられず、天上のパンを祈る生活になったらどうだろう。やっぱり信仰より地上のパンを選んでしまうかも。なら信仰って何のためにあるんだ?答えのない問いが続く...。 -
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チェーホフと言えば短篇と戯曲というイメージだが、そんなチェーホフが書いた唯一の長編小説。しかもそれは、殺人事件が発生し、調査があって、遂には犯人が示されるという推理小説的なもの。
自分が書いた経験談を出版して欲しいと新聞社に持ち込んだ男と、新聞社の編集者とのやり取りがあって、編集者は一応その小説を読むこととした。そして、その小説が「狩場の悲劇(予審判事の手記より)」というもの。語り手である予審判事の男が住んでいるところに、領地を持つ伯爵が久し振りに帰ってくる。そんな彼らの前に、狂人の父と暮らす美しい娘が現れるが、彼女は伯爵の執事を務めるかなり年上の男のプロポーズを受け入れた。こうした登場人物の男女関係の中で、一体何が起こるのか、どんな悲劇が起きたのか。
確かに、小説ではガボリオ(当時流行していたフランスの探偵小説家)に言及していたりするので、チェーホフがミステリを意識していたのは間違いないだろうし、ミステリとして読んでも、当時としてはかなり斬新なトリックが使われていて興味深い。ただ、”謎解き”を主眼としてこの小説を書いたというよりは、登場人物の心理の真相は何なのかを読者に問い掛けようとしたのではないだろうか。
本書の前半は、自堕落な貴族の生活、結婚を巡る男女の交際や駆け引きの様子、身勝手な登場人物の心情描写など、いかにもなロシア小説の描写が延々と続き、なかなか読むのが捗らなかったが、事件の発生する当日、227頁からは一気読みになった。
解説者の読みも参考になるが、いろいろな「読み」の可能な、面白い小説だと思う。
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Posted by ブクログ
ネタバレ読み終わるのに本当に4,5年かかった シンプルに長いよ 話が
・ゾシマが亡くなったあとのシーン、腐臭がし出して民衆が手のひら返して批判しだしたのめっちゃ印象に残ってる 人間を感じた
・子どもが苦しんだりそのことで親が悲しむシーンシンプルに胸糞悪い
・血を分けたから父親というわけではない 父親を父親たらしめるのはその役割を果たしてこそ
子どもに愛してもらえる理由もそこにある
というところ 共感する
・苦しいときには誰も手を差し伸べてくれなかったくせに、ことが起きたら有罪だと切り捨てるのはお前も罪があるだろみたいなところ ここもめちゃ共感するし、現代に通ずるものがあるよね
新たな加害者や被害者を出さないためにも社会ぐるみで、また個人単位でもでできることがあるはずよね この百年くらい人間は何をしていたんだ -
Posted by ブクログ
ネタバレかなりの人が知ってるであろう某作家の超有名トリックが出版される何十年も前にこれを20代半ばで書いていたっていうのは本当にすごいなと思うんだけど、変に注釈などをいれたせいで最後の謎解きが全く驚きがなくなってしまっていて、ミステリ的にはとてももったいないなと…。
もし注釈を入れずに、最後の謎解きで本当に一気に謎を解いていればもっと評価された作品なんじゃないかなと思った。
事件が起きるまでも200ページ以上あるし、登場人物がどれもこれもいやな人ばかりなのでその点でも結構きつかったかもしれない。
このトリックをおそらくはじめて使ったということに関しては本当にすごいけど、そこまで楽しめなかったかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ如何にものロシア文学で、恐ろしくキャラの濃い登場人物たちが、日本だったとりあえず何かの施設に閉じ込められそうな大騒ぎを、当たり前の顔をして次々と引き起こす。肝心の殺人事件は物語の三分の二を過ぎるまで起こらない。この手のお話に慣れてない人には、少しキツいかも知れない。うんざりしながら、魅せられる感じで、迂生は結構好きです。
ミステリとしては、題名を告げられて、アレね、と答えられなければ、モグリと誹られても致し方ないと言う、超有名トリックを遡ること40年前に採用していた、という点で評価されているようだ。とはいえ、ミステリとして書かれたわけではなく、おおよそその半世紀後、読者が椅子から転げ落ちた、驚愕のトリックを、実にもったいない使い方をしている。探偵役の種明かしを前に、いったい何が起こったかが、読者にはっきり解るように書かれてしまっているのだ。これは残念なことだが、もしミステリ的に書かれていたなら、読者は何が起こったのか、さっぱり理解できなかったかも知れないなとも思う。