原卓也のレビュー一覧
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現代の小説で語られる問題提起の原型がここに全て大集結してるな、という感じがする、とんでもない小説だった。
昨日の夜、読み終わった直後は、気持ちを全くまとめられる気がしなくて、一晩寝かせた(笑)
一日経った今、感想を綴りたい!!
まずびっくりなのは、こんだけ長いのにここまでは実は第1部だったようで、本当は第2部に続く予定だったけど、ドストエフスキーさんはその前に亡くなられてしまったとか。
でも、もうこの1部で物語として完璧だと思う。本当に。
人間社会のテーマって他にある?って思うほど、全てがここに詰まってるという気がする。
いろんな世界の流れを感じているドストエフスキーさん、プーチンを -
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中巻を読み終えて、私なりに思う『カラマーゾフの兄弟』…略して『カラ兄(きょう)』(上巻の帯にそう書いてあったんです!!)の楽しみ方をここに綴りたい!!!!ネタバレなしで!!
まずは残念ながらヘテロセクシュアルの女性、あるいはホモセクシュアルの男性の方のみに通用する読み方になってしまうのだけど、
カラマーゾフの兄弟たちを、すんごいイケメンな男性たちに想像して読み進めるというもの。(ロシア系とか東欧系の顔立ちの白人男性だとより物語の中身とマッチするかもだけど、無理なら人種なんてどうでも良い!!)
そうすると、ワクワクとゾクゾクがとにかく増すんです!!!
「え?私も奪い合われてみたいけど?!」 -
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(いつも感想を読んでくれる)あなたへ
季節の変わり目だけど、元気にしてる?
私は今とある外国の、とある家族の元で、ホームステイをしているの!ビッグニュース!!あ、ストーリーズにもよく上げてたから知ってるか(笑)でもこうやって改めて報告するのは初めてだよね。
ホームステイはいつかしたいと思ってたことなんだけど、不安がなかったと言ったら嘘になるし、何ならモチベーションが下がってた時期もめちゃくちゃあるんだよね。
もう少し先延ばしにしようかなと思ってたの。
でも、やっぱり最近沸々とワクワクの方が勝ってきて、「行くなら今しかない!」と思って、思い切って来ちゃった!!何がきっかけだったんだろ?もし -
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本書(中巻)は、第二部の途中から第三部。読みどころ満載で、感嘆のため息が出てしまいました。すごい、すぎる。
アリョーシャの師であるゾシマ長老の死去。その中での彼の心の変化が描かれた後が、本書(中巻)の真骨頂。
アリョーシャの兄、ドミトリーが大いに動きます。婚約者カテリーナと別れて、グルーシェニカ(父の愛人でもある)と新生活を始めたいと思っているドミトリー。カテリーナから預かった3千ルーブル返済の必要性もあり、金策に走ります。
大立ち回りさながらのドミトリーの動きに、BGMとしてルパン3世のテーマでもかけたい気分。
そんな中、血生臭い事件勃発。父フョードル殺害事件の容疑者として連行される -
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独特の言い回しがとても謎めいていて、読み始めからのめり込みました。
主人公はアリョーシャ20歳。ゾシマという長老を師とする修道僧。私の印象としては、世間知らずの優等生タイプ。優しい。
アリョーシャには2人の兄がいます。ドミトリー28歳。イワン24歳。
3人の父はフョードル55歳。荒々しさマックスの人物として描写されます。いい意味でも悪い意味でも、率直かつエネルギッシュという印象です。
ドミトリーの母親とアリョーシャ、イワンの母親は違います。
こんな登場人物の設定からしても、カラマーゾフ家はミステリアス満載で、何かしら事件が起きそうでドキドキします。この家の料理人スメルジャコフのエピソ -
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ネタバレ長い長い旅でしたね。3ヶ月くらいかかったかな?
価値観に強い影響を与えられたと言わざるを得ない。
子供の教育については色々考えちゃうんですけど、アリョーシャに語られるってのが非常に心に響きますね。それがやっぱドストエフスキーのすごいところですわ。
あ感想書く。
下巻は主にミーチャの尊属殺人についての裁判ですね。ミーチャはずっと父を殺してないと言い張っているが(状況的にミーチャが疑われて当然なのである)、感情的な性質から起こした様々な暴力的な出来事のせいで市民からそれを信じてもらえない。
しかし決定的な証拠がないため、裁判は無実にもなり得る、といった具合。
でまあ上巻中巻の長い前置き故に読んだ人 -
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100/10
パンを選ぶか?愛を選ぶか?神を選ぶか?
人間の本質、愛、憎しみ、信仰、無神論、正義、理性。様々な神や人間への問いかけが、この物語に交差している。登場人物それぞれが、思想も違えば、愛した方も違う、生き方ももちろん違う。そんな多様な人間劇が「カラマーゾフの兄弟」内で行われる。有象無象の映画をこれまで数えきれないほど観てきたが、これほど多くのテーマを均等に際立たせ、尚且つ一つ一つの物語として、魅せているフィクション作品は他にない。例えば「大審問官」では、自由を与えられた人間は、それを抱えきれず苦しみ、結局は誰かに支配されることを望む、そんな絶望的な真理が語られる。私はその言葉に抗うこと -
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やっと読み終わった… たぶん亀山訳の方が読みやすいんじゃないかと思うけど、内容的に、どこに向かっているのかわからなくなりがちだったり、人物が一筋縄ではいかない、常に信用できそうなのはアリョーシャだけど、他の人は性格がつかみにくく、少なくともたいていの人が読み慣れている"小説"でのような役割が理解しにくい、等々がやはりすいすい読み進められなかった原因なのかな。新潮版は訳としては標準的で、やはりこの小説は訳文以前に出会うタイミングの問題が大きいのかも。ドミートリーなど、読んでいる間は、後半は意外と好感が持てたりするのだけど、ちょっと読みさすとなぜそんなふうに思っていたのかわから
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生命には、根本的な矛盾がある。それは、個人の幸福を追求していけば、奪い合いの世界になり、争いが起き勝った者と負けた者との世界となる。個人の追求は、全体の幸福を作らない。これを解決するためには、個人が自己中心的な欲求を解消することをやめ(自己中心的な、選り好みした愛、自分が良ければいいという考え)他人への献身こそが、人間の心の志向であるということに気づかなければならない。人間の精神の根底にある真の心の志向は、万人が共通して持っているものである。万人が共通して持っている心の志向とは、他人を喜ばせること、他人を幸せにすることが自分の心を充足させることにつながるという精神である。
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学生の頃に途中で諦めてしまったが、社会人になってから再度読み直した。
学生の頃は理屈家だったので、大審問官の章が説明になっていないじゃないかとイライラしてたんだけど…
社会人になった今、
・この世は愛している/愛していないの二元論では無く、不完全な愛というものが存在すること
・理性では人間の倫理に触れられない。その役割を担うのは唯一宗教であり、信仰である、ということ
がかなりジワジワと実感できるようになってきた。
明瞭な理屈無しに他者を抱擁できる宗教は偉大すぎるなと
ただ、人間の倫理は誰が作るべきか、という問いは依然として自分の中に残っている。
ドストエフスキーは人間の理性を信じず、神を