原卓也のレビュー一覧
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中巻を読み終えて、私なりに思う『カラマーゾフの兄弟』…略して『カラ兄(きょう)』(上巻の帯にそう書いてあったんです!!)の楽しみ方をここに綴りたい!!!!ネタバレなしで!!
まずは残念ながらヘテロセクシュアルの女性、あるいはホモセクシュアルの男性の方のみに通用する読み方になってしまうのだけど、
カラマーゾフの兄弟たちを、すんごいイケメンな男性たちに想像して読み進めるというもの。(ロシア系とか東欧系の顔立ちの白人男性だとより物語の中身とマッチするかもだけど、無理なら人種なんてどうでも良い!!)
そうすると、ワクワクとゾクゾクがとにかく増すんです!!!
「え?私も奪い合われてみたいけど?!」となる(笑)
私の推しのイワンは、とんでもないイケメン&インテリな雰囲気が出まくりの教養人として想像してました(笑)
(因みに @koten.book さんからは周りはみんなイワン推しだよと教えてもらい、自分も同じだと安心しました笑)
でもロシアって究極の美女も多いし、女たちが揃うシーンでは、ものすんごい美女も想像してみた!!(笑)
それも良かった!!
はい。ルッキズム丸出しの低俗な(?)読み方はここまでとして…失礼いたしました。
少し小難しい国家と教会がどうあるべきか的な、独白みたいになるところとかは、強めのお酒をちびちび飲みながら、お家で、小さな声に出しながら、自分が独白してるかのように読む!!
ただただ私がそうしただけだけど、上巻の終わりの方はこれをやるのが堪らなく楽しかった。
そしてそして、中巻の3/4くらいからは、どう読むかとかなく、続きが気になり過ぎて、無我夢中で読んでた!!
気がついたら最終ページに!
下巻がどうなるのか楽しみ。
村上春樹さんと金原ひとみさんが感銘を受けた本、そして我らが @book26ts
さんが名刺代わりに選ぶ本に入ってるから、もう読みたくて読みたくて(笑)
だから読めてることが嬉しい!!
人生のあれこれ、社会のあれこれ、全てこれに詰まってると思うの。
現代に通じることばかり。
そしてドストエフスキーさんの中から溢れ出る考えと言葉を、純粋に書き出している感が伝わってくる気がして、それがまたすごく好き。
でももちろんただ書き出しているだけじゃなくて、全ての物語の順序立てが綺麗にされていて、伏線も全て綺麗に回収されていき、読んでいて快感なんです。
私なんかが、ドストエフスキーさんの偉大さを語るまでもないんだけど!!(当たり前)
だからって「逆に何がすごいの?」って思う意見があっても全然良いし!読んでみたけど合わなかったももちろんある!!
金原ひとみさんだって上巻半分読むのに3ヶ月かかって、つまんない!って思ったて帯に書いてあるし!!(笑)
とにかく下巻が楽しみだっ!! -
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(いつも感想を読んでくれる)あなたへ
季節の変わり目だけど、元気にしてる?
私は今とある外国の、とある家族の元で、ホームステイをしているの!ビッグニュース!!あ、ストーリーズにもよく上げてたから知ってるか(笑)でもこうやって改めて報告するのは初めてだよね。
ホームステイはいつかしたいと思ってたことなんだけど、不安がなかったと言ったら嘘になるし、何ならモチベーションが下がってた時期もめちゃくちゃあるんだよね。
もう少し先延ばしにしようかなと思ってたの。
でも、やっぱり最近沸々とワクワクの方が勝ってきて、「行くなら今しかない!」と思って、思い切って来ちゃった!!何がきっかけだったんだろ?もしかしたら、最後に触れた文化が、あまりにも自分に近いもので、その反発が起こったのかも。
ドイツ語でね、「Fernweh(フェルンヴェー)」って言葉があるんだけど、ホームシック(Heimweh[ハイムヴェー])と真逆の意味の単語で、「これまでに行ったことのない場所やどこか遠い場所へ行くことを欲する状態」を指している言葉なんだよね。
まさしくこの「フェルンヴェー」がホームステイをする原動力になったの!!
でもね、来てみたら、やっぱり母国語で話せない国でのホームステイは寂しいこともあるし、不安もあるし、結局またホームシックになって「早く帰りたい…」ってなることもあるし、なんなら「何を話してるの?」って理解に及ばない事もあったりするんだよね。アウェー感ももちろん感じるよ。
それでも、断然ワクワクだったり、アドレナリンが出まくるほどの楽しさだったり、思い切って来た自分が誇らしいっていう気持ちだったりが勝ってる!!圧倒的に!!知らない世界の知らない文化の人たちと触れ合うことで、学びがめちゃくちゃ多いし、時としてそれがぴったりと自分の文化や自分の国の人たちと重なり合ったりしてる瞬間を感じる時に、震えるんだよね。「あ、人間の根本とはこういうことなのか…それは変わらないのか…」って痛感するんだよね。
最近では、気になる人も出てきたんだ(照)
イワンっていうものすごいクールな知的人なんだけど、この間実は彼の修羅場を目撃しちゃって、去り際に「奥さま、私はご褒美を求めてはおりませぬ。」ってうシラーの詩の一節を、ドイツ語で捨て台詞として吐いていったんだよね。
ここだけ切り取って話しても、彼のかっこよさが伝わらないかもしれないね、ごめん(笑)でもね、私はこの時、めちゃくちゃ痺れたんだよ。本当にやばかった(笑)カッコよかった…
まぁ、そんな感じでめちゃくちゃこちらでの生活、楽しんでます!!
まだ目処はついてないけど、ホームステイが終わる時は必ず来るし、帰国した後に見る景色がどう変わってるのか、すごく楽しみ!!
土産話なら沢山できると思うから、また聞いてね!!!
じゃあ、また連絡します!
あなたも体に気をつけて、元気でね!
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本書(中巻)は、第二部の途中から第三部。読みどころ満載で、感嘆のため息が出てしまいました。すごい、すぎる。
アリョーシャの師であるゾシマ長老の死去。その中での彼の心の変化が描かれた後が、本書(中巻)の真骨頂。
アリョーシャの兄、ドミトリーが大いに動きます。婚約者カテリーナと別れて、グルーシェニカ(父の愛人でもある)と新生活を始めたいと思っているドミトリー。カテリーナから預かった3千ルーブル返済の必要性もあり、金策に走ります。
大立ち回りさながらのドミトリーの動きに、BGMとしてルパン3世のテーマでもかけたい気分。
そんな中、血生臭い事件勃発。父フョードル殺害事件の容疑者として連行されるドミトリー。
お腹いっぱいのスリルを味わうことができました。人間の心理描写、最高にして最強。下巻はどんな展開になるのか・・・・
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独特の言い回しがとても謎めいていて、読み始めからのめり込みました。
主人公はアリョーシャ20歳。ゾシマという長老を師とする修道僧。私の印象としては、世間知らずの優等生タイプ。優しい。
アリョーシャには2人の兄がいます。ドミトリー28歳。イワン24歳。
3人の父はフョードル55歳。荒々しさマックスの人物として描写されます。いい意味でも悪い意味でも、率直かつエネルギッシュという印象です。
ドミトリーの母親とアリョーシャ、イワンの母親は違います。
こんな登場人物の設定からしても、カラマーゾフ家はミステリアス満載で、何かしら事件が起きそうでドキドキします。この家の料理人スメルジャコフのエピソードもなかなかです。
息子と父親が言い争う場面は、舞台劇を見ているような臨場感がありました。
父親、息子共に女性とお金に関わる問題があり、人間の心の奥底にあるものを、怖いぐらいにえぐりとる描写に、圧倒されっぱなしでした。
上巻後半で、神の存在について語られるところは難解でした。
怖いもの見たさのような感じになってきていますが、今後の展開が気になります。 -
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長い長い旅でしたね。3ヶ月くらいかかったかな?
価値観に強い影響を与えられたと言わざるを得ない。
子供の教育については色々考えちゃうんですけど、アリョーシャに語られるってのが非常に心に響きますね。それがやっぱドストエフスキーのすごいところですわ。
あ感想書く。
下巻は主にミーチャの尊属殺人についての裁判ですね。ミーチャはずっと父を殺してないと言い張っているが(状況的にミーチャが疑われて当然なのである)、感情的な性質から起こした様々な暴力的な出来事のせいで市民からそれを信じてもらえない。
しかし決定的な証拠がないため、裁判は無実にもなり得る、といった具合。
でまあ上巻中巻の長い前置き故に読んだ人はわかるんやけど、誰がどう見てもミーチャは有罪。しかし親しい人はミーチャの嘘がつけない性質を知っているためにミーチャは無実だと信じ切っている(召使にスメルジャコフってのがおって、ミーチャが殺してないとしたらこいつしか殺せない)(でもこいつは当時病気持ちで殺せるはずがないと市民は信じている)(前代未聞の括弧が連続するという事態が起きてしまった、ここからこの小説がどんだけ長いかをわかってくれ)。
まあ実際スメルジャコフが嘘ついとったので殺した犯人はスメルジャコフなんですが、これには色々事情がありましてその証言が聞き入れてもらえないんですよ。次男イワンしかこの事実を知らないのだが、イワンが妄想を見てしまう重病にかかっているため聞き入れてもらえない的な。おまけにスメルジャコフ自殺するし。
で!弁護士が色々頑張ってすごい逆転裁判!かと思いきや有罪は覆らないってまでが裁判のオチ。
何が面白いってこの展開は内面に触れる上で重要であるだけで、物語の本筋ではないということ(主観ね、違うと思っても気にしないで)。
アリョーシャが、兄が無実であることを最初からわかってて、しかも有罪って判決されることをわかっていることが面白いんです。
信心深く、正直であるためにみんなから愛される主人公アリョーシャが、何もかも、ましてや精神的な部分すらも見抜いてしまっていることが私には非常に面白かった。
内面を見抜きながらも、一切その人のことを馬鹿にしていない姿勢に深い尊敬の念を抱くばかりです。
物語のオチとしては、この事件がロシア中に知られ、様々な憶測が飛び交う中、アリョーシャが最後に子供達に個人的な考えを述べます。この考えがおそらくドストエフスキーが最も伝えたかったことなのではないでしょうか、と考えてしまいますね。
そのくらい、オチまでの流れがしっかりしていた。そして、最後のアリョーシャの言葉は大変響く。それもこれも、上巻、中巻と長い間キャラの性質について深掘ったためであり、それが最後のアリョーシャの言葉に繋がるのである。
愛もテーマにあると思うが、子供の教育が最もドストエフスキーの語りたいところだと、オチでそう思った。
いやー、面白かった。
反省した。
これは今日色々考えちゃいますね。
1番心に残っている言葉は、アリョーシャの「人間の魂にそれほど多くのことを求めてはいけない。」
これです。シンプルやし、言い尽くされたような言葉でもあると思われるが、アリョーシャが言うのが良いんです。これは本当に、忘れてはいけないことだと、個人的に思いましたね。
非常に読み直すのが楽しみな作品の1つです。 -
Posted by ブクログ
100/10
パンを選ぶか?愛を選ぶか?神を選ぶか?
人間の本質、愛、憎しみ、信仰、無神論、正義、理性。様々な神や人間への問いかけが、この物語に交差している。登場人物それぞれが、思想も違えば、愛した方も違う、生き方ももちろん違う。そんな多様な人間劇が「カラマーゾフの兄弟」内で行われる。有象無象の映画をこれまで数えきれないほど観てきたが、これほど多くのテーマを均等に際立たせ、尚且つ一つ一つの物語として、魅せているフィクション作品は他にない。例えば「大審問官」では、自由を与えられた人間は、それを抱えきれず苦しみ、結局は誰かに支配されることを望む、そんな絶望的な真理が語られる。私はその言葉に抗うことができなかった。今もその思想は、胸の内で静かに、しかし確かに蠢いている。他にも印象的だった場面のひとつに、「ゾシマ長老の過去編」がある。そこには、神への愛、赦しの深さ、そして人間への限りない信頼といったテーマが、言葉ではなく生き様として語られている。特に私が心を打たれた一節は次のような場面だ。「それじゃわたしたちは、召使をソファに座らせて、お茶を運んでやらなきゃいけないんですか?」わたしは答えた。「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」みんなは大笑いした。この言葉に私は深い感動を覚えた。そこにはロシアに残る身分制度や奴隷的な慣習への静かな批判が込められているようにも感じられる。ゾシマは、決して高らかに正義を叫ぶことはしない。ただ、日常の中でほんの少し視点を変え、「たまには席を譲る」という小さな愛の行為を通じて、人間の尊厳を回復させようとしているのだ。この一節は、兄弟愛や友愛の延長として、すべての人間に対する深い敬意を示している。読んでいて、思わずドストエフスキーという作家の胸に飛び込みたくなるような、そんな衝動を覚えた。そして、最後の「裁判編」。この章には、それまでの全ての出来事が一点に収束し、爆発するような迫力があった。まさに「正義 対 正義」。どちらも譲ることのできない信念を抱え、検事と弁護士がぶつかり合うその応酬は、永遠に終わらない議論のようでもあり、私は読者であるはずなのに、いつしか傍聴席に座っているような気持ちになった。そして気がつけば、被告席のミーチャの姿に強い共感と、どうしようもないほどの同情を抱いていた。彼が本当に犯人かどうか、という問題よりも、彼の苦しみ、彼の叫び、その生きざまに、私たちは何度も揺さぶられる。だが、私たち読者は本当の犯人を知っている。だからこそ、この裁判はどこまでも虚しく、そして悲しい。事実ではなく、言葉と印象、感情と偏見が人を裁いてゆくこの構図に、私は息苦しさを覚えずにはいられなかった。ラストに訪れるアリョーシャのスピーチで、私は初めてフィクション作品に涙した。これまでの愚劣な行いや偽りが渦巻く物語の中で、アリョーシャはなおも純粋で、汚れなき神を信じる子供たちに向けてこう語りかけた。「わたしたちは、憎しみを持ってはならない。どんなことでも忘れてはならない。あの時感じたことを、あの時見たものを、ずっと覚えていよう。いずれまた、思い出す時が来る。だから、生きていこう。」そしてこうも言った。「人生を恐れてはならない。何かしら正しいことをすれば、きっと人生は楽しくなる。」、この物語が、私に訴えかけるのは、まさにこの部分だと思う。神が存在しようが、しないだろうが、人間の矛盾も、愚かさも、愛がなくても、救済の可能性もすべてを飲み込みながら、それでもなお、一歩づつでもいいから、あゆみ続けるアリョーシャは本当に美しい。
”生きていこうじゃないか、人生なにが起きようとも、どうだっていい。ただ、人を愛しつづけ、死をも愛そう。”人として生きるってもんは、まさにこうじゃないか?
自分は在り来りかもだけど、愛を選ぶ。多分ね笑
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やっと読み終わった… たぶん亀山訳の方が読みやすいんじゃないかと思うけど、内容的に、どこに向かっているのかわからなくなりがちだったり、人物が一筋縄ではいかない、常に信用できそうなのはアリョーシャだけど、他の人は性格がつかみにくく、少なくともたいていの人が読み慣れている"小説"でのような役割が理解しにくい、等々がやはりすいすい読み進められなかった原因なのかな。新潮版は訳としては標準的で、やはりこの小説は訳文以前に出会うタイミングの問題が大きいのかも。ドミートリーなど、読んでいる間は、後半は意外と好感が持てたりするのだけど、ちょっと読みさすとなぜそんなふうに思っていたのかわからなくなったりするのは、それだけこの小説世界の描写がよくできてるということだろう。読み直しが楽しみだ。
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生命には、根本的な矛盾がある。それは、個人の幸福を追求していけば、奪い合いの世界になり、争いが起き勝った者と負けた者との世界となる。個人の追求は、全体の幸福を作らない。これを解決するためには、個人が自己中心的な欲求を解消することをやめ(自己中心的な、選り好みした愛、自分が良ければいいという考え)他人への献身こそが、人間の心の志向であるということに気づかなければならない。人間の精神の根底にある真の心の志向は、万人が共通して持っているものである。万人が共通して持っている心の志向とは、他人を喜ばせること、他人を幸せにすることが自分の心を充足させることにつながるという精神である。
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学生の頃に途中で諦めてしまったが、社会人になってから再度読み直した。
学生の頃は理屈家だったので、大審問官の章が説明になっていないじゃないかとイライラしてたんだけど…
社会人になった今、
・この世は愛している/愛していないの二元論では無く、不完全な愛というものが存在すること
・理性では人間の倫理に触れられない。その役割を担うのは唯一宗教であり、信仰である、ということ
がかなりジワジワと実感できるようになってきた。
明瞭な理屈無しに他者を抱擁できる宗教は偉大すぎるなと
ただ、人間の倫理は誰が作るべきか、という問いは依然として自分の中に残っている。
ドストエフスキーは人間の理性を信じず、神を信じている。ただそれはか弱い人間にとっては救いになる一方で、多くの人間の自立を妨げているように思う。
ニーチェ程では無くても、せめてカミュくらいの温度感で人間の理性で倫理を形造り突き進む風潮の方が、活気ある社会になりそう。 -
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人類史上最高文学と称される「カラマーゾフの兄弟」
高野史緒さんの「カラマーゾフの妹」を先日読み、原作であるこちらももう一度読もうと思い飛ばしながら読んでいった。
実際にしっかりと読破したのは時間を持て余していた3年位前のコロナ禍の時。俗に言われる「カラマーゾフを読んだ側の人間」に40歳を越えてやっとなれた。
中学生の時、20才頃、2度挫折した経験がある。読みにくいし言葉が分かりにくく物語は長いし正直つまらなかった。そもそもカトリック、プロテスタント、ロシア正教会等のキリスト教の知識が多少ないとあまり理解できない作品で、知識が未熟だった時分では到底読んだ側にはいけなかった。
この作品が人類史上最高文学と定義付けされているのがなんといっても「大審問官」のパート。
この「大審問官」のパートが無ければただの古典文学、ただの物語になってしまうだろう。
無神論者のイワンが何故神に疑問を抱くのか?神童のような聖人の弟アリョーシャにその真意を自作の物語にのせて話すという場面。その物語とは秩序を守るために人を火炙りの刑にしている異端審問官がキリスト本人に人間の本質を提示し信教への疑心と疑念を紛議するという物語。
幾つもの人間の性質的な問いと哲学をキリストに投げ掛けている。
自分もこの場面が「レ・ミゼラブル」のジャメールの投身自殺の場面と並び私史上最高文学の場面だと感じている。
内容は人間とは不完全な(完全にはできていない)生き物、なのに何故キリストは人間に自由を与えたのか?という問い。自由だけでは人は生きていけない。人間は弱く卑しく作られているため自由に耐えられる性質を持っていない。
さすれば自由の中では何かに支配されなければいけない。慈愛の精神だけでは人々は生活できない、だから食料(パン)を与え神秘を募り(奇跡)権力で秩序を守る(権威)。それが人間に必要なのだと語気を強める。
富と食を分配し威光を魅せ権力で治安を維持するという共産理論をキリストにぶつけるという話。
このイワンの語るキリストと異端審問官の物語はキリスト教という神に対しての矛盾と共産社会主義国家ロシアの深い信念が見えてくる。
このイワンの物語の内容が凄く理解できてしまう。
信仰心を主とする理想主義だけでは人は生きていけないと強く感じさせられてしまう。また同様に科学を主とする共産主義という思想論だけでも人は生きていけないとも思う。
日本でも民主主義という民主政体をとっているものの、ある一定の人々の結束により組織化し、その特定の人が民意を支配する為に法を形成し統治しているのではないだろうかとも思えてしまう。
自由を謳えばそれは自由ではないと証明している様に感じ、世の中は基本的に自由という不自由さで埋め尽くされているのかもしれない。
イワンが突き詰めすぎて精神崩壊していくのもよく分かる。
自由という物は本来人間にとって平等で然るべしと思われるが、どうしても不平等さが際立っている様に感じる。人によって価値観の水準の優劣が見え隠れするからだ。
結局人間はやはり不完全な生き物で実体のない定義のない自由というものに苦しめられ、しかしそれでもその中でも自由を求めてしまうものなのだと実感してしまう。
自由っていったいなんなのだろう?深すぎてよくわからなくなる。
「カラマーゾフの兄弟」長い物語で親子間の軋轢、金と権力、女性の奪い合い、信仰論と無神論、殺人事件、ミステリー等が詰め込まれた作品なのだが、物語の中盤の「大審問官」は人間の愚かさ、弱さ、醜さの問いが詰まっている最高傑作。
またいずれ読むであろうがその時はまた新たな気付きがあるかもしれないし、気付きたいとも思っている。
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教育の現場において「政治」「宗教」「性」はどれもいまだにタブーだ。中でも「性」は語りにくい。古文の授業で、恋愛の場面を十代の人に詳しく説明するのはやはり憚られる。しかし、芸術や文学において、それは、避けて通れないどころか、むしろ主題とも言うべきものだ。そしてそれが人間にとって普遍的根元的である以上、「性」を抑圧し封印していてはかえって危ない。「性」を自分の中でどのように位置づけるか、常に誰もが問われている。◆トルストイは、十九世紀から二〇世紀はじめを生きたロシアの作家。代表作は、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。キリスト教的な人間愛と道徳的自己完成を説いた大作家として知られる。若いころの放蕩を経て、「世界三大悪妻」の一人ソフィアとの間に多くの子供を残し、人生の終盤は、自殺願望を抱えつつ創作したが、一時は作家生活を捨て、最後には列車で移動途中の小さな駅でひっそりと亡くなった。◆『クロイツェル・ソナタ』は、実は、ベートーヴェン作曲のヴァイオリン・ソナタ第九番の通称。彼の全十曲のソナタ中でも最も激しい曲。主人公の妻が音楽家との演奏を楽しむこの曲の第一楽章は、「魂を苛立たせ」「自分自身を、自分の真の状態を忘れさせ、自分のではない何か別の状態へと運び去ってくれる」ものとして語られる。そして、それは妻の浮気心を高め、主人公を激しい嫉妬へと駆りたてる。妻に貞節を求めるあまり、主人公は、悲劇的な結末へと突き進んで行く。実際の事件を下敷きにした『悪魔』も、同じく性と倫理の葛藤を描く作品。◆語りにくいからこそ読むべきテーマに、この作品を通じて向き合ってみてほしい。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2014年2月号掲載 -
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ネタバレついに読み切ることができました!読みたいなと思いつつもなかなか手が出ていなかったけれども、読めて良かった。充実した読書時間を過ごせたし、ドストエフスキーの他の作品も読んでみたくなった。私の読書の世界が広がりそうな予感がして嬉しい。
下巻では、庶民や大地を肯定するところが印象的だった。ノブレスオブリージュ的な考えだろうか。農奴解放後の混乱という当時の時代要請だろうか。ドストエフスキーのお父様の事件とのリンクだろうか。特に庶民の底力を見た気がするが、判決についてはもう少し説明が欲しかった。ここは読者が想像の翼を広げる余地を残してくれたのだろうか。
また、ミーチャが、自分の悪いところや滑稽なところを認めていき、最後はこれまで自分が裏切って、そして法廷では裏切られたカーチャとも和解するところも印象的だった。やはりミーチャの中には、心の奥底では誠実でありたいという願いがあったことをより強く印象付けられた。
加えて、検察と弁護人の演説はどちらもすごく面白く、ぐいぐい読み進められた。ただ、人の一生を左右する刑罰についてこんなにも印象論ベースで語られるのかと怖くなり、「疑わしきは罰せず」の重要性を感じた。
イワンとスメルジャコフについては、未必の故意という非常に面白いテーマについて取り上げられていて、なるほど未必の故意でこういう小説が出来上がるのか、と興味深く読んだ。でも、あのイワンの行動でスメルジャコフにゴーサインを出したと意図に反して解釈されるというのは、悲し過ぎる。