原卓也のレビュー一覧
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人類史上最高文学と称される「カラマーゾフの兄弟」
高野史緒さんの「カラマーゾフの妹」を先日読み、原作であるこちらももう一度読もうと思い飛ばしながら読んでいった。
実際にしっかりと読破したのは時間を持て余していた3年位前のコロナ禍の時。俗に言われる「カラマーゾフを読んだ側の人間」に40歳を越えてやっとなれた。
中学生の時、20才頃、2度挫折した経験がある。読みにくいし言葉が分かりにくく物語は長いし正直つまらなかった。そもそもカトリック、プロテスタント、ロシア正教会等のキリスト教の知識が多少ないとあまり理解できない作品で、知識が未熟だった時分では到底読んだ側にはいけなかった。
この作品が人類 -
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教育の現場において「政治」「宗教」「性」はどれもいまだにタブーだ。中でも「性」は語りにくい。古文の授業で、恋愛の場面を十代の人に詳しく説明するのはやはり憚られる。しかし、芸術や文学において、それは、避けて通れないどころか、むしろ主題とも言うべきものだ。そしてそれが人間にとって普遍的根元的である以上、「性」を抑圧し封印していてはかえって危ない。「性」を自分の中でどのように位置づけるか、常に誰もが問われている。◆トルストイは、十九世紀から二〇世紀はじめを生きたロシアの作家。代表作は、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。キリスト教的な人間愛と道徳的自己完成を説いた大作家として知られる。
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ネタバレついに読み切ることができました!読みたいなと思いつつもなかなか手が出ていなかったけれども、読めて良かった。充実した読書時間を過ごせたし、ドストエフスキーの他の作品も読んでみたくなった。私の読書の世界が広がりそうな予感がして嬉しい。
下巻では、庶民や大地を肯定するところが印象的だった。ノブレスオブリージュ的な考えだろうか。農奴解放後の混乱という当時の時代要請だろうか。ドストエフスキーのお父様の事件とのリンクだろうか。特に庶民の底力を見た気がするが、判決についてはもう少し説明が欲しかった。ここは読者が想像の翼を広げる余地を残してくれたのだろうか。
また、ミーチャが、自分の悪いところや滑稽なとこ -
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ネタバレいよいよ中巻。
この巻で特に印象的だったのは、泥棒と卑劣漢の対比に表されているように、高潔たろうとすること、名誉、恥辱なのではないかと思う。あるべき姿、ありたい姿が自分の中で明確になっていないとこういった考えや感情は湧いて来ないと思うので、やはりこの本の登場人物たち、特にミーチャは自分をしっかり持っている人なのだと思う。
私自身は、高潔、名誉、恥辱という言葉は普段は使わないものの、誠実でありたいとは思うし、自分の信念に反することをしたら落ち込むし、人からの評価を気にするし、、ともっと身近な言葉で置き換えて行くと、登場人物たちの考えや気持ちが少し身近に感じられた。
加えて、赦しという言葉 -
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ネタバレやっと読み始めることができたのも束の間、なかなか読み進められない日々が続いたが、段々登場人物一人ひとりが魅力的に思え、読み進められた。
特に印象的だったのは、誇りや卑劣かどうかを重視していること。これは中巻・下巻にも繋がる一つのポイントなのだと思う。誠実でありたいという登場人物たちの思いがこういった言葉に表れているのではないかと思う。
また、名高い大審問官のパートを読み、人間だもの、綺麗事だけでは生きていけず、パンや目の前の現実を直視・重視せざるを得ないことについて、私も否定できないなあと思った。ただ、この大審問官のパートは理解し切れていないように思う。あの長い話によって著者が伝えたかった -
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・ここまでが第一部で未完だったとは…たしかに「これだけ期待をもたせてここで終わるの?」とは思ったけど。
解説によると「書かれなかった第二部では、アリョーシャ・カラマーゾフが修道院を出て、リーザとの愛に傷つき、革命家になって皇帝暗殺の計画に加わり、断頭台にのぼることになっていたという説もある」とのことで、第二部、読みたかったなぁ…。
・私にはキリスト教的世界観は一生理解できないわけだけど、「キリスト教的世界観を外から見て感じ入る」という体験も貴重ではあるのかな、とも思う。「愛のむきだし」に感じたのと同種の静かな興奮・気持ちの昂りを覚えるし、語られる言葉の熱量に思わず涙する。この種の感情をおそらく -
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「少年たち」の章、続編への布石か。「兄イワン」の章、「神がなければすべてが許される」という自身の思想にイワン本人が押し潰されている。スメルジャコフの悪意、憎悪は彼を指導したイワンを圧倒して立場が逆転。彼が首を吊るのはご都合主義的、そんなタマじゃない。悪魔との対話は何言ってるのかわからず退屈。「誤審」の章、くるみの挿話は感動的。カテリーナの言動に人間の不可解さを見る。結局、フョードルとカテリーナが事態をややこしくした張本人のような。論告は長すぎ。最後のアリョーシャの演説の場面はこの小説の締めくくりに相応しい。この小説を読むたび、真人間になろうとの思いが湧いてくる。
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「カラマーゾフの兄弟を読破した側人間になりたい」というだけの極めて不純な動機で読み始めた本作だったがその初期衝動だけでこれだけの大著を読み通せるわけがない。単に面白かったから読んだ、それだけのこと。
不死がなければ善行もない、ゾシマ長老の説法、大審問官、フョードルとドミートリィの確執、スメルジャコフとイワンの不思議な絆、フョードルの死をめぐるミステリー、ドミートリィとカテリーナ、グルーシェニカの三角関係、少年たちとアリョーシャの掛け合い、法廷での危機迫る証言、検事と弁護士の白熱の舌戦。これら全てが単独のテーマとして10本の小説が書かれていてもおかしくはない。まさに総合小説。
キリスト教のあり方 -
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通勤電車でちまちまと読み進め、上巻から半年くらいかけて読み終わった。取り掛かっている時間が長かっただけに、読み終えた際の喪失感も一入だった。
半年近くかけて読んでも面白さが持続する長編小説、なんていうのはそう多くないのではないか。小説は時間をかければかけるほど、感情の揺さぶりが希釈され、感動が小さくなるものだと思っている。だから、時間をかけると飽きとの戦いになったり、話の粗探しを始めたりしてしまう。しかしながら、この本に関していえば、感情の揺さぶりが薄まってもなお十分なパワーを持っている。半年の間、この話を読んでいて退屈な時間は少しもなかった。
ひとつの長編小説としてもすばらしいけれど、場面場 -
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クロイツェルソナタとは、ベートーベン作曲のバイオリンソナタ第9番イ長調作品47のこと。私は聞いたことがなかったが、動画を検索して聞いてみると、バイオリン1台とピアノ1台が互いに調和しながら進行していく優雅な曲だった。そう、まるで仲睦まじい男女が目配せながら言葉を交わし合うかのように。
ところで収録2作品のうち「クロイツェル~」のほうは文庫本で173ページ。だが、ある男が列車に乗り合わせた初対面の男性に対し、性欲はすべてに勝るという主張を自分の半生を織り交ぜて語る文体は、サスペンスの要素濃い内容とあいまって、長さを感じさせない。
内容を見ると、ある男の妻の前に若くて気障なバイオリニストが現れ