原卓也のレビュー一覧

  • カラマーゾフの兄弟(中)

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    やっと読み終わった
    この本を買って読み始めたのは半年前くらいかな?
    流石に冗長すぎて、まんがで読破バージョンで1度読んでからまた読み返したら頭に入った。

    探偵小説とも言えるし、恋愛小説とも言えるし、哲学的な本とも言えるし、なんとなーーくすごい本だってのは分かる。

    だけど、流石に長すぎるし今の自分の価値観と違いすぎて登場人物に後にあまり共感出来なかった
    は、は!

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    2024年08月20日
  • 賭博者

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    ギャンブルの怖さがよくわかる小説。ドストエフスキーが、債権者である出版人に苦しめられて、わずか27日の口述筆記によって完成。そのため、とっ散らかった序盤の読みづらさや、登場人物によっては行く末が尻切れトンボな人もいますが、著者のギャンブル経験あっての迫真な賭けのシーンは十分楽しめました。

    あらすじ:
    家庭教師のアレクセイ・イワーノヴィチは、金策にパリなどを駆けずり回り、南ドイツのカジノがある観光地に滞在している雇い主の将軍一家に合流します。この将軍、借金だらけで、フランス人債権者のデ・グリューに首根っこを抑えられている始末。頼みは、危篤状態の資産家のお祖母さんの遺産。それが手に入れば全額返済しても余裕な莫大な金額なため、遺産を手にマドモアゼル・ブランシュとの結婚を考えていたのでした。一方、将軍の義理の娘ポリーナに恋焦がれるアレクセイは、遺産がポリーナに与える影響をフランス人債権者のデ・グリューとの関係を勘ぐってヤキモキします。そんな折、お祖母さんが皆の宿泊しているホテルに現れて、亡くなるどころか健在ぶりを披露。アレクセイを伴ってカジノに行き、ルーレット勝負に大金を賭けはじめて…。

    ギャンブルではアルアル話しの心理面の変化が、著者自身も賭博者だけに、なんとまあリアルな書きっぷり。賭けにハマって行く過程やスリル、そして運に見捨てられて破滅に至る終局や、勝っても負けてもお金に群がる人たち…そんな悲喜交々がドキドキしながら味わえました。やっぱりギャンブルは胴元が儲かるようにできてるんですね。読書中は某有名通訳もこんな感じだったのかなと脳裏をよぎったのでした。

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    2024年07月31日
  • カラマーゾフの兄弟(下)

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    盛りだくさんだな。
    中盤以降になって、おや、これはミステリーでもあるな!と思い当たった。
    スメルジャコフはクリスティの「カーテン」を思い出す。

    もう少しドストエフスキーの作品を読んでみないとな。

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    2023年08月17日
  • カラマーゾフの兄弟(中)

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    ゾシマ長老の記録はまたぜひゆっくり読み返すとしても、何だって自ら破滅に向かうのだ、ドストエフスキーの登場人物は!

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    2023年08月16日
  • 賭博者

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    デ・グリューとミスター・アストリーを同一人物だとずっと勘違いして読んでいた。最後の最下位ののシーンでなんかおかしくね?ってなって気づいたけど、ロシア文学はややこしい。

    自分はパチンコ位しか賭博をやった事がないからあまり詳しくないけど、負けた時のあのゾクゾク感は分かる。その瞬間、金を取り戻す事しか頭に残らないんだよね。お祖母さんがとんでもない金額負けるシーンはなんか共感出来た。最後まで嫌な人にならず、自分の事を馬鹿な老人って反省してるのがいいね

    ポリーナが自分勝手で、あんまり好きになれなかったなあ。主人公を弄んで、最後はフランス人とぬくぬく生活。まあ主人公も悪いけど。

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    2023年05月15日
  • 人生論

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    非常に難解な文章だった。人生論とあるが、幸福論としたほうが相応しいような気がする。

     人間は動物的自我によって自分個人の為の生き方に疾走ろうとし、それこそが幸福であり生活の凡てだと思い込む。しかし、あらゆる人間が自分個人の為に生きると考えると、その為には他人を排除しようとする者が出てくる。とすると、自分個人の幸福とは容易に手に入るものではない。ましてや病気、衰え、死などが刻々と近づいているわけである。それを避けることはできないし、そうなると自分個人の幸福はまやかしのようなものであることに気づき、人生の矛盾にぶち当たる。
     したがってほんとうの幸福の為には自らの動物的自我を理性的意識に従わせる必要がある。そこから発生するのが愛である。愛とは自分個人の幸福よりも他者への善、自己犠牲を伴う行為である。真の愛の為には死をも恐れなくなるのだ。

     拙い要約としてはこういう内容であった。おしまい。
     
     

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    2023年04月26日
  • カラマーゾフの兄弟(中)

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    『カラマーゾフの兄弟』(中編)ドストエフスキー
    深淵に脚を踏み入れ2/3まで読み進んだ。
    ゾシマ長老が亡くなってからの前半と、ドミートリイが父親殺し(してないって言ってる)をして、最愛の(というか狂愛している)グルーシェニカに愛を表現しまくってる最中に警察に殺人罪で連行さえるまでの一巻。
    上巻はロシア文学表現に慣れなくてなかなか進まなかったけど、中巻はテンションに慣れて一気に読めたしめっちゃ面白かった。

    グルーシェニカがガチで悪女(そして悪女であるに相応しい美人)すぎて老人は殺されるし、周りの人も血を流すし、息子は正気を失って完全にアカン人になっちゃってる。
    たまたま今日読み終わって、愛をテーマに作品集めたルーブル展にもいって、この前エーリッヒフロムの「愛すること」も読み終わって、なんかやたら愛について考える最近。
    愛は目に見えないので、みんなが共通認識していると思っている愛はきっと少しずつか、あるいは完全に違ったものを指しているかもしれないってホラーすぎる。いつの時代も、1500年代の絵画も1800年代の小説も、愛をテーマにしたなんかに取り掛かるにはこれだけまわりくどく、象徴的で、婉曲的で、帰納的にしか表現できない複雑な概念。
    カラマーゾフの兄弟のどこかで、「神を直接描写することはできない。神でないことを挙げ続けることでしか神を表現することはできない」って言ってて、似てるなって思った。


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    2023年03月31日
  • 狩場の悲劇

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    帯に「前人未踏の大トリック」とあるので読んでみたのだけど、、正直に言うと「このあとどんな仕掛けがあるんだろう…残りページ少ないけど、、」のまま終わってしまいました。。まぁでも、歴史的なものですよね、”あの作品”より早く世に出ているらしいので。あと、主要登場人物の誰にも共感できなくて読み進めるのがしんどかった。事件も中盤以降にならないと起きないので、そこもすいすい読めなかった理由かな。推理小説というよりは心理小説と思って読んだ方がいいと思います。

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    2022年10月24日
  • 賭博者

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    不思議な感覚、後半の読書疾走感が気持ちよかった、ぐいぐいページを進められた。ギャンブルの真髄が垣間見えた。でもそれが何かって、言い表せない。不思議で素敵。

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    2022年09月07日
  • 人生論

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    自分の理性
    「理性は人を幸福に導く」自分を信じて、理性が意識するがまま生きることによって幸福を得ることができる。過去信仰がその理性を左右したが判断するのはあくまで自分自身であると。現代、「理性」とは道理によって物事を判断する心の働き、とある。人は様々なヒト・コト・モノによって心が動かされるが、より多くのヒト・コト・モノに遭遇できることはトルストイの生きた時代とは違い幸運だと思う。よって判断できる材料をできる限り集め、自分に快適、且つ心地よい道が許され、自信を持って前に進むべきなのだ。

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    2022年07月11日
  • 人生論

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    ネタバレ

    【感想】
    人間が生きる意味はまさに、他者に尽くすことであるという一言に尽きる。
    理屈では分かるものの、これが中々難しい。生命の法則が相互奉仕にあることも理解できる。だが、現実世界を生きるには絶えず闘争に打ち勝たねばならないという意識もある。ゲーム理論的には、お互いに協力し合うことが両者にとって最善なのだろうが、出し抜いた側はより一層恩恵を受けられる(欲を充足できる)。ここに、一人一人の人間が陥りがちな個人の幸福を願う動物的個我の問題点が発露する。

    頭でまずは理性を自覚する、生命の至上命題を理解することが、社会が幸せになるための大きな一歩なのであろう。その方策として考えられるSDGsや社会起業家の出現等に鑑みれば、理性に従属する動物的個我の発現は今後大いに期待できるのではないだろうか。

    【メモ】
    何物も個人の幸福を追求するならば、それは死への絶え間ない接近にすぎない。故に真の意味での幸福はありえない(その場合、死によって全てが無に期すためである)。

    この個人の幸福を追求する動物的個我を理性へと従属させること(生命活動そのものである愛の認知※愛とは特定の人に向けられるものではなく、自己の動物的個我よりも他の存在を好ましく思う感情)で①幸福を実現することができると同時に、②死の恐怖を克服する(死が存在しなくなる)ことにつながる。

    ①生命の法則は闘争ではなく、存在同士の相互奉仕。
    ②動物的個我による生存を重視する人は、生命とは身体と結び付いていると考えるため、身体の消失は生命の死であると感ずる。しかし、人の自我や世界との関係性は肉体の消失によって発生するものではないため、理性における生命に死は存在しない。(例:亡くなった方々の思い出や記憶が連綿と現在に引き継がれていること、生前よりも一層影響力をもつこと等)

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    2022年01月09日
  • カラマーゾフの兄弟(中)

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    ネタバレ

    ついに親殺しの場面。
    ドミートリィには不利な状況証拠ばかり。でも、ドミートリィが犯人であるという確たる証拠はない。
    これから、どう展開するのか。

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    2021年12月30日
  • カラマーゾフの兄弟(中)

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    ネタバレ

    20代の時に読むが、文字やストーリーが重厚。
    想像力を必要とする。

    30代以降で再読を試みるも難しい。
    こういう本はホント若いうちだけだなと思った。

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    2021年08月30日
  • クロイツェル・ソナタ 悪魔

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    トルストイは本当に人を殺したことがあるんじゃ無いかと思うような殺しのシーン。

    万人が直視するのを避けがちな性の魔力について生真面目に問いただした純潔の文学。

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    2021年04月11日
  • 人生論

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    他のために自身を捧げることで生命は永遠となる、ととりあえず理解。
    後半少しだれたけど、動物的自我と理性の対比は勢いがあってよかった。

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    2021年04月01日
  • 賭博者

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    ルーレンテンベルグなる観光地でルーレットに取り憑かれた人間模様。
    賭博にハマった人たちの行動と心理描写のリアリズムが凄い。結局のところ大勝しても大敗しても破滅的な末路に陥るのは勉強になる。特にお祖母さんの顛末はテンプレート的ですらある。
    魅惑のポリーナの描写が生々しいと思ったところ解説によるとモデルは不倫相手。更にドストエフスキー自身もギャンブル狂という実体験によるリアリティと納得。
    ラストも印象的な賭博小説の逸品。

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    2021年02月19日
  • 賭博者

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    ネタバレ

    他の長編にくらべると思想的なものが薄かったりして読みやすかった。
    ギャンブルにはまったひとにしか書けなさそうな文だとおもったらドストエフスキーもギャンブルでえらいめにあってたのね…。
    書いてあることが、ギャンブル依存症の知人が言ってることとだいたい同じだった。

    老婦人が登場してからの勢いのある賭け方とスリ方にはつい笑ってしまった。
    ドストエフスキーの登場人物は唐突に叫んだり激昂したりするけど、この人もそんな感じで、周りが必死になってとめてるのにウォォォ!とばかりに賭けまくって持ち金全部なくす様は潔くもあり滑稽でもありまた切なくもあった。
    負ければ取り返したくなるのは仕方ないことだけどあまりにもはちゃめちゃな賭け方。

    『生涯にせめて一度なりと、打算的で忍耐強くなりさえすれば、それでもうすべてなのだ!せめて一度でも根性を貫きとおしさえすれば、一時間ですべての運命を変えることができる!大切なのは、根性だ。』
    という文は、すごい根性論ではあるけれどつい逃げそうになってしまう私には響いた。

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    2021年02月16日
  • カラマーゾフの兄弟(中)

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    ネタバレ有かも…
    ご注意ください

    さて中巻は見習い修道僧であり、愛されキャラ三男アリョーシャがお世話になっている修道院の長老であるゾシマが瀕死状態になる
    ここでゾシマ長老の過去の回想(伝記)及び法話と説教など…(か、かなり長い)

    今でこそアリョーシャをはじめ、民衆から尊敬されるゾシマ長老(その民衆らの信仰ぶりは遠方からはるばるゾシマ長老に一目会いにくるなど、上巻たっぷり記載されていた)だが、若い頃は結構平凡で普通の青少年だ
    ポイントとなるエピソードは3つ(個人的見解です)

    ■エピソード1
    (ん?スターウォーズ⁉︎)
    お兄さんの精神世界の変化
    ゾシマ長老は精神的にアリョーシャと自分の兄がそっくりだと言う
    17歳まで全く神を信じていなかった兄、無口で癇が強く、孤立していた
    しかし結核を患い余命半年から1年くらいから教会へ行くようになり、精神的にすっかり変わる
    思いやり、感謝、幸福の喜びを知り、死ぬ直前まで喜びで満たされていた

    ■エピソード2
    ペテルブルクの士官学校にて
    善良だったが素行は悪く、若さゆえに享楽の生活にのめり込むゾシマ君(笑)
    そんな折、若く美しい令嬢に想いを寄せるが、後に彼女が他の男性と結婚したことを知る
    うぬぼれに目がくらんで、気づかなかったことにショックを受けるゾシマ君
    憎悪をおぼえ、復讐心、憤り、見苦しい愚かな人間になりさがる
    そして恋敵に決闘を申込む
    自分は堕ちるところまで堕ちてしまったのだ!
    しかし決闘前日にある宿命的なことが起こる
    この時、亡き兄を思い出しの自分の罪深さに気づき、決闘を取り下げてもらうようプライドを捨てて頭を下げるのだ
    周りからは大ブーイング
    全てを受入れ、深く反省し、退役
    修道院へ入る決意をする

    ■エピソード3
    さらにこのエピソードは興味深い
    新たに出会った年輩の人物
    それは有力な地位の皆に尊敬される裕福な慈善家
    この50歳くらいの紳士はゾシマ君(この頃もまだ若僧)を信頼し、何度も話すうちにお互いに信頼関係ができ、年の離れた親友となる
    実は、彼は14年前、フラれた腹いせに女性を殺害した殺人者であり、それを誰かに打ち明けたかったのだ
    その白羽の矢が立ったのが信頼関係を築けたゾシマ君
    そして今度はこの罪の告白を愛する家族をはじめ、皆にもしようとするのだが、これがなかなかいざとなるとできない
    ゾシマ君は、告白すべきだと説得を続ける
    この立派な紳士の罪を泣きながら聖母マリヤに祈るゾシマ
    しかしこの紳士はだんだんゾシマに会うたび「まだ告白していないのか」というゾシマの無言のプレッシャーを勝手に感じ精神的に追い詰められていくのだ
    結局この紳士は勇気を出して告白するが、ゾシマを激しく憎むようになる
    「今やあの男(ゾシマ)だけが、俺を束縛してわたしを裁いている…」
    そう、ゾシマを殺そうとするほど激しく憎むようになる
    紳士は精神錯乱し、死んでしまう
    誰もが彼の罪を信じず、亡くなったことを嘆き、若僧ゾシマを白い目でみるように
    しかしながらやはり真実を信じる人が増える 
    そうすると今後は好奇心から、例の紳士のことをあれころゾシマに尋ねだす始末
    彼は一切を沈黙した
    「人間は正しい人の堕落と恥辱を好むものだ」と納得の上、ゾシマはこのエピソードが、自分の道を主が思し召してくれるのを強く感じるのだ
    そうこれらのエピソードからゾシマは修道僧となるのだ
    (教訓としては傲慢さを捨て、常に謙虚であれ…かな?)

    エピソード後は、ゾシマ長老の長い説法
    修道僧とは、修道僧の偉大なる仕事とはから始まり、精神的な人の対等とは、また祈りと愛の大切さ、地獄の考察など…が長々と続く
    ここは上巻のイワンの「大審問」に対する場面では!?
    イワンとゾシマ長老の正反対(しかしながらそう簡単ではないのだが)の話しを聞いたアリョーシャである(この場面は宗教色が強く、しっかりと理解するのは難しかった)

    これほど人々に尊敬され、愛されていたゾシマ長老の悲しい死
    ここできわめて異様で不安な思いがけない事態が起こる
    ゾシマ長老の棺から腐臭が立ち上り始め、それがあっという間に強烈になっていったのだ
    当然不信者たち(修道院内にも派閥があるのだ)は大喜びしたが、信者の中にも興奮し喜ぶものも多数いた
    これはまさに「人々は心正しき者の堕落と恥辱を好む」ということなのだ

    そしてこの出来事でアリョーシャまでが動揺してしまう
    この物語の語り手である「わたし」に言わせると
    アリョーシャはゾシマ長老の奇蹟が起こらなかったことに対する失望ではなく、「正義」が起こらなかったことに対する動揺だという
    全世界のだれよりも高くたたえられるべき人が、おとしめられ辱められたのだ
    彼よりはるか下に位する軽薄で嘲笑的な、悪意にみちた愚弄にさらされたことを、悔辱と憤りで耐えられなかった
    無垢なアリョーシャの心を苦しめた

    そのアリョーシャをラキーチン(同じ修道院の神学生、なかなかいけ好かない奴)がグルーシェニカ(ある老商人妾であり、おとんフョードルと長男ドミートリィが取り合っている女性)のところへ連れていく(連れていくその理由が最低なのだが省略)
    ここでグルーシェニカがアリョーシャに出会ったことによる二人に相乗効果が発揮され、彼らに変化が起こる
    グルーシェニカがアリョーシャを憐れむことで、アリョーシャはグルーシェニカの愛に満ちた魂を見いだす
    善が悪に染まるのはハイウッド映画でよくあるが、ここはアリョーシャの勝ち!
    グルーシェニカが精神が、心が開花される
    これまた不思議な因縁である
    そしてアリョーシャも心が救われる
    その後アリョーシャは僧庵に戻り不思議な神秘的な体験をする
    大地をに接吻し、歓喜し、揺るぎなく確固とした何かがアリョーシャの魂の中に下りてくるのを感じたのだ
    アリョーシャはこの体験をきっかけに立派な精神的な意味で修道僧になったのではなかろうか

    さて
    グルーシェニカ(ある老商人妾であり、おとんフョードルと長男ドミートリィが取り合っている女性)には過去に愛する男性がいた
    彼は他の女性と結婚してしまったが、奥さんが亡くなり、グルーシェニカの元へやってくることに
    気を高ぶらせて彼との再会を待っている
    グルーシェニカにしてみれば、老商人もフョードルもドミートリィもぶっちゃけどうでもいい存在
    彼女は傲慢、利殖の才にたけ、ケチで金儲けにしわい性悪女なのである


    一方長男ドミートリィ
    そんなグルーシェニカに身を焦がし、彼女との新しい生活を勝手に夢見てお金の調達が必要なんだ!とまたも思い込む
    おとんだけをライバルだと思い込み、お金させあればうまくいくと思い込み、東奔西走し出すことに
    先走りと思い込みの激しさがもう何とも痛々しい
    相変わらずすぐカッカするし、口は達者(方向性が間違っているが)、調子が良すぎて破天荒
    雲行きが怪しくなってくる

    ある村の宿場で、グルーシェニカ、グルーシェニカの元カレ、ドミートリィ…他面々がそろう
    ドミートリィはヤケになっており、最後の豪遊!とたくさんのシャンパンと食材をじゃんじゃん運んでやってくる
    元カレとドミートリィらのやり取りを通じて、なんとまさかのグルーシェニカの心変わりが起こる!
    現実の元カレの態度や考えを見てガッカリしたのだ(かつらだったしね(笑))
    そこで一気にドミートリィへの愛へ目覚める(あれぇれれぇ…という展開)
    ここからお決まりの派手な酒盛りのどんちゃん騒ぎ♪
    とジェットコースターのような展開だが、さらにさらにそこへ突撃隊の如く警察署等らのお出まし
    そうドミートリィはおとんのフョードルの殺害事件の容疑者であると告げられる

    ドミートリィは父親殺しの無実を訴え続けるが、最終的に刑を受け入れようとする
    「僕はこれまでの一生を通じて毎日、この胸を打っては、真人間になることを誓いながら、毎日相変わらず卑劣な行為をやってきました。僕のような人間には打撃が、運命の一撃が必要なのです。僕はこの告発と世間に対する恥辱との苦しみを甘んじて受け、苦悩によって汚れをおとしてみせます!」と告白する
    こういうセリフをドミートリイに言わせるあたりがドストエフスキーだ

    ああ、フョードルがとうとう死んでしまった
    彼こそまさにカラマーゾフの象徴なのに…
    おとんフョードルと長男ドミートリイは結構似ている
    しかし圧倒的にフョードルのが「カラマーゾフ的」で最高に笑わせてくれた
    格が違うし、「カラマーゾフ的」なキャラに何の迷いもなく、余裕しゃくしゃくだ
    その点、長男ドミートリイはまだ「カラマーゾフ的」なものになり切れない迷いや善良さや青さがある
    というわけで個人的にとても淋しい

    ちなみにおとんフョードル殺しについては、長男ドミートリィに容疑がかけられているが、ドミートリィはスメルジャコフを疑っている
    スメルジャコフというのはフョードルおとんの私生児で、料理が上手いため、フョードルおとんは彼を召使いかつ料理人にして身近に置いていた
    もっとも自分の子とは一切認めてもいないし、下手したらおとんのことだからそんなことさえも忘れているのではなかろうか…
    このスメルジャコフというのはかなり歪んだ人間だ
    人嫌いで寡黙、傲慢であらゆる人間を軽蔑しているかのようなふるまい、猫を縛り首にして葬式ごっごをするまさにサイコだ
    しかし割と頭はキレるし、普段は無口だが、生意気さと屁理屈に関して口は達者
    そして癲癇(てんかん)持ちである(あのおとんが心配するほどのなかなか重度の癲癇っぽい)
    そう丁度フョードル殺害時間の前後くらいは、激しい癲癇の発作があったスメルジャコフであるが…!?!?!?
    このスメルジャコフに対し激しい嫌悪感を持っているのが次男のイワン
    思考の支離滅裂さ、というよりむしろ思考の落ち着きのなさにおどろかされ、願望の非理論性や混乱におどろかされる
    いやらしい狎れなれしさにも嫌悪に感じていた(同じくつかみどころのない不気味な存在感で私も苦手)


    中巻まとめ
    ゾシマ長老の棺から腐敗臭がすることによる騒ぎ、ここで起こる人々の深層心理
    あれほど神聖な人間にこのようなことが起きると人はどうなるのか
    人の心の奥底の醜い部分を上手に引き出し描いている
    こういう人間の深い心情を描くのがドストエフスキーの唸らせるところである
    また逆に人は悪いところばかりじゃない
    悪いなりに良くもなるし、悪い中にも良い心がある
    ドミートリイやグルーシェニカに見え隠れする部分がそれだ
    全てが善、全てが悪なんていうのはない
    そんな人の複雑で奥深い心情をいつも見事に描いてくれる

    下巻はどういう展開となり物語は完結するのだろうか…
    ドキドキワクワク…

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    2021年01月27日
  • カラマーゾフの兄弟(下)

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    上・中・下巻足かけ約2ヶ月くらいけかてやっと読破。
    上巻に1ヶ月くやい費やしたかも。
    この緊急事態宣言が出たからこそ、読めたのかもしれない。
    父親殺しがテーマだけど、宗教、恋愛、病、児童虐待、親子いろんなことがてんこ盛りの小説で、読むには読んだけど、ドフとエフスキーの言わんとしたことがどこまで理解できたかは疑問。
    作者はアリョーシャが主人公としてるけど(続編が書かれる予定だったらしい)ドミトリー、イワン、アリョーシャそれぞれが主役だった。
    結局、父を殺したのは藪の中でスメルジャコフなのか(多分そうであろう)ドミトリーなのか判然としない結末。
    でも、ドミトリーはカテリーナが最後に裏切って出した手紙に今回の犯罪計画が(酔っ払って)書かれていたとして有罪になってしまう。
    そのドミトリーの弁護士の言論が作者の考えと思えてしかたなかった。
    サイドストーリースネリギョフとその息子のイリューシェチカ(病で死んでしまう)も興味深かった。

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    2024年07月13日
  • 賭博者

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    愛するポリーナのためになけなしの金を賭けて、主人公イワンは20万フランの勝ちを得る。
    だが「あんたのお金なんか貰わないわ」と顔に投げつけられてしまう。
    何たる屈辱であろうか。

    ギャンブルって、はまると抜け出せなくなりそうだから怖いよな。
    気がついたときには、この作品の主人公のように、労働を忘れてしまった、滅んだ人間になってしまっているのかもしれない。

    「ゼロさ、ゼロだよ!また、ゼロだよ!」
    お祖母ちゃんの快進撃がかなりおもしろいです。

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    2020年05月27日