原卓也のレビュー一覧
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『クロイツェル・ソナタ』の方は光文社文庫で読んだので、こちらは『悪魔』のみの感想をば。
エヴゲーニィという真面目な青年の悲劇。
人間なら誰もが抱くであろう感情に苦悩し敗北してしまった人。
こんなにも苦しんだのに誰一人彼の苦悩を理解しない結末。
もしかしたら、それは現代人にも通用することで、今現代で同じ悩みを持つ人間がいたなら、恐らくその人も誰にも理解されないのではないだろうか…。
エヴゲーニィはあの女性を“悪魔”と言っていたけど、悪魔は常にエヴゲーニィの中に居たんじゃないかな。それは誰の中にも居るだろうものだと思う。
エヴゲーニィとリーザは良い夫婦だと思う。身重のリーザをお姫様抱っこしたシーンが好きです。
表面的な描写しかないけど。
エヴゲーニィが終始かわいそうだった…。
真面目が故に苦しむ人。そして現代ではとても生きていけない人。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ名著であり、とても面白いと評判の本作をいつか読みたいと思いながら、買ったまま読めずにいた。
読み始めてみてやはり、登場人物の名前がロシア名なだけに覚えづらく、先に漫画版を読んだ。
無神論者イワンの考え方が面白い。神がいるならなぜ助けてくれないのか。いかにも異常者として成長しそうなスメルジャコフ話も面白い。
対して、フョードルは清々しいほどのクソ野郎でありながら、イワンやアレクセイに嬉しそうに語りかける無邪気さもあって憎めないところもある。
一番面倒くさいのはドミートリイ。フョードルがクソ野郎なのはごもっともだが、ドミートリイもドミートリイだ。
第一編・ある家族の歴史
カラマーゾフ一家の紹介。
典型的な成金で酒と女が好きなクソ野郎な父・フョードル。
父親に似た直情型で退役軍人、がはは、俺に任せとけ!な長男・ドミートリイ。
合理主義・無神論者でインテリ系次男・イワン。
純粋で優しく皆に可愛がられる、修道院に入った三男・アレクセイ。
そこに絡んでくる使用人と女たち。
フョードルは二度結婚し、1人目との子が長男、あとの2人は2人目との子であり、各母親や、各子供らの生い立ちについて。
第二編・場違いな会合
相続に関して特に父と長男は揉めがちであり、第三者であるゾシマ長老を交えて家族会議をすることに。(ゾシマ長老の凄さを見れただけで、大して進展はないが笑)
グルーシェニカとドミートリイの出会い、婚約者のカテリーナの金を浪費しつつもグルーシェニカを選ぶ。しかし、金を返したい。父から元々自分のものだった金を3000ルーブルでもいいから奪いたい。
また、イワンはカテリーナに惚れていた。
第三編・好色な男たち
グリゴリーの過去、スメルジャコフの生い立ち。(畜生なフョードル)
猫を殺して葬式ごっこするのが好きだった。
グルーシェニカを取り合う父と長男。
カテリーナがドミートリイを慕う事情。
第四編・病的な興奮
アレクセイが謎の少年に中指を噛まれる。正体は二等大尉スネギリョフの息子・イリューシャ。ドミートリイとグルーシェニカの出会いのきっかけとして、単に仕事として頼まれたので手形の売買しに来た大尉に対し、父の企みだと考えたドミートリイは興奮し、大尉の髭を掴んで街中を引っ張り倒して好き放題言われ、それを目撃していた住民もおり、息子は情けない父親を持っているとしていじめの対象になった。
スメルジャコフがイリューシャに猫を殺させ、それも同級生にバレていじめの一因に。
また、イリューシャは病気。
カテリーナはドミートリイを思い、謝罪金としてアレクセイに大尉へ渡してくれるよう頼むが、金で解決すると思っているのか、と跳ね除けられる。
第五編・プロとコントラ
カテリーナをイワンにくっつけたいドミートリイ。
イワンの悩み、人の愛し方、神はいるのか?
肝心なのは、おのれに嘘をつかぬとです。おのれに嘘をつき、おのれの嘘に耳を傾ける者は、ついには自分の内にも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになるのです。だれをも尊敬できなくなれば、人は愛することをやめ、愛を持たぬまま、心を晴らし、気をまぎらすために、情欲や卑しい楽しみにふけるようになり、ついにはその罪業たるや畜生道にまで堕ちるにいたるのです。これもすべて、人々や自分自身に対する絶え間ない嘘から生ずるのですぞ。おのれに嘘をつく者は、親を立てるのもだれより早い。なにしろ、腹を立てるということは、時によると非常に気持ちのよいものですからの、ではありませんか?なぜなら本人は、だれも自分を総録した者などなく、自分で豚手に侮をこしらえあげ、体裁をととのえるためにはをついたのだ、一つのシーンを作りだすためにおおげさに誇張して、言葉尻をとらえ、針小棒大に騒ぎたてたのだ、ということを承知しているからです。それを自分で承知しておりながら、やはり真っ先に腹を立てる。腹を立てているうちに、それが楽しみになり、大きな満足感となって、ほかならぬそのことによって、しまいには本当の敵意になってゆくのです……ゾシマ長老p102
とすれば、あの世にもこの世にも自分の利益や美が見あたらないために、せめて自分の皮くらい守ろうとしたからといって、なぜわたしが特に罪深いことになるんですか? だから、わたしは神さまのお慈悲を大いに当てにして、すっかり許していただけるだろうという希望をいだいているんですよ……スメルジャコフp323
俺はこの神の世界を認めないんだ。それが存在することは知っているものの、まったく許せないんだ。俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ。イワンp592 -
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ネタバレイワンはスメルジャコフを3度訪ね、ついに真犯人はスメルジャコフだったとの供述を得る。しかしそれはイワンが心の底で父親の死を願い、父が殺される状況を作り出したからなのだと刷り込まれ、イワンは譫妄症になって精神的に錯乱する。一方スメルジャコフは自殺し、ミーチャの公判は波乱の末、有罪が決定する。
イッポリートの論告が長くて、弁護人フェチュコーウィチの方は長くてもまだ引き込まれて読めたんだけど、それでも有罪になるんだな…と思った。たしかに一つ一つの証拠は不利ではあるけれど事実を決定的に示唆するものはなかったのに。裁判の話のやりとりから、当時のロシア社会の状況や問題意識が見え隠れするようだった。農奴制が解体されたとか、ヨーロッパの知識が入ってくるとか。
イワンが譫妄になって、もう一人の自分のような悪魔のような謎の存在とずっと話しているシーンもあって、人間の精神とかそういうものをとことん詰めた作品だなと思った。
解説を読んで、地主貴族の子として、民衆ナロードのことは決して理解できないと悟ったドストエフスキーが、「近代ロシアの不幸の源を、いたずらに西欧文明に心ひかれる知識階級の、素朴な民衆からの遊離にあると考え」、「ロシアの救いは当然、素朴な民衆への回帰にあるはず」なので、無神論者イワンに対してゾシマ長老を配置したというのが面白かった。「ロシアの民衆が自己の内部に固有のものとしてそなえている《教会》を尊んだ。《教会》とは、神と民衆が結ばれる精神共同体であり、正教であり、ロシアの大地と結びついた信仰であった。このことを理解せずに、いかに社会を変革し、貧困をなくしたところで、真の自由と幸福は得られないと考えた」
だからミーチャはグルーシェニカと脱走した後、アメリカで先住民族に混じって3年くらい潜伏したとしてもロシアに帰ってきてロシアの大地に死ぬと宣言しているのか。
また、アリョーシャは最初からキリストっぽいと思っていたけれど、というのは聖人のようでありながらあえて修道院から俗世に下り、聖人らしくかつ感情もある人間らしく振る舞うところがそんな感じがしていたけれど、最後にイリューシャとの思い出の土地でコーリャや子どもたちを集めて、自分が去った後もこの子ども時代の平和な記憶と、お互いのことを大切に覚えておこうと諭すところがまさにキリストという感じがした。そうすると、アリョーシャを俗世に遣わしたゾシマ長老が父なる神で、俗世に揉まれながら柔和に生きるアリョーシャが子なるキリストで、互いに愛し合いなさいっていう教えを子どもたちに残しているように思えるが如何に。 -
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ネタバレゾシマ長老が亡くなり、その遺体が腐臭を放ったことで人々は長老を侮蔑し、アリョーシャは傷つく。一方、グルーシェニカを手に入れたいミーチャは金の工面に奔走するがうまくいかず、そのうちにグルーシェニカはかつての恋人の元へはしってしまう。ミーチャは父フョードルのところへグルーシェニカが行ったのではないかと疑い、父の家に忍び込んで様子を伺ううちに、老僕グレゴーリイを殴り瀕死の状態にして逃走する。グルーシェニカを追っていった先で、その心を掴んだ矢先、彼は父親殺しの嫌疑で取り押さえられる。
たしかにミーチャの視点で読んでいた段階では父親は殺していないのに、状況証拠としてはミーチャが殺したとしか思えない状況で、サスペンスな様相を帯びている。前半のゾシマ長老の腐臭や、それにショックを受けたアリョーシャをラキーチンがグルーシェニカのところへ連れてくるあたりは、非の打ち所がない完璧な存在の堕落するところを見たいという人間の暗い欲望がよく表れていると思う。完璧に見える存在に対して、尊敬してすごいなぁと思いながらも、彼が失敗したりボロを出したりすることを心の底で待ち構えているというか。人間ってそういうもんだよなと思う。
あとグルーシェニカがアリョーシャに語る一本の葱の話は芥川の蜘蛛の糸との類似が指摘されるところだけど、改めて読んで本当に一緒だなと思った。芥川がカラマーゾフの兄弟を読んだのか、どちらも同じ民話を元ネタにしているという説も読んだけれどどっちだろう。
グルーシェニカと出会って立ち直ったアリョーシャがゾシマ長老の柩の隣で見た夢、カナの婚礼にゾシマ長老も参列していて、アリョーシャに語りかける場面はとても美しかった。 -
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ネタバレ文庫本上巻にして667ページあった。修道者の三男アリョーシャを中心に、頽廃的な父フョードルや長兄ドミートリイ、虚無的な次兄イワンとのやりとりを描く。妖婦グルーシェニカをめぐる父と兄のゴタゴタや、敬愛するゾシマ長老に対する家族の不敬の数々に巻き込まれるアリョーシャが不憫すぎる。イワンとのやりとりは、聖書を深く踏まえた上でのニヒリズムや自由の苦しさについて、深いと思ったけれどもう一度ちゃんと読まないと全部は理解できてない気がする。無垢で無辜の幼い子どもを残虐に殺す大人たちでさえ赦されるというなら、それはいっそ救いではないし、生きるためのパンのために自由を抛つ弱い人間が大多数なのだから、イエスの与えようとした自由など無意味だということだろうか。悪魔の誘惑は、石ころをパンに変えればパンを求める人間の心を得ることはできるが、その人間はパンのために信仰するに過ぎないのだからそれは自由な信仰にはなり得ず、イエスはそのような奴隷的な信仰のあり方を退けたのだというのがなるほどな解釈だった。
生きる意味を見つけなければ人間はまともに生きていけないから、金の上に淫蕩生活を送るカラマーゾフ的な生き方で生きるしかない、というのが多分あって、「カラマーゾフ的」って形容がちょいちょい出てくるのが面白い。 -
Posted by ブクログ
トルストイズムに触れたくて読んでみたけど、個人的には読みやすかった!
前半は眠くなることしばしば、、という感じだったが、後半慣れてくると章が細かく分かれており、分かりやすく論理が展開されていると思った。
基本なるほどなーと素直に受け取りながら読めたけど、トルストイが説く「自己犠牲の愛」だけは共感できなかったな。
これは自己犠牲に反発を覚える自分の人生経験があるからだと思うけど…彼が印税で稼いだお金を受け取らず奥さんと喧嘩したことを思い出した。
聖書の再解釈ともいえる内容、極端に思える箇所があるかもしれない。けれど、彼が歩んだ人生を通して実感を伴ってたどり着いた思想の極致なのだろうと納得する、血肉の通った言葉たちだった^_^