島本理生のレビュー一覧
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島本さんの本を初めて読んだ。
わたしの愛してやまない作家の共通事項は、
「食」への執着と貪欲さ(いい意味)
「食」にまつわるシチュエーションの表現が上手な作家さんは、
他のシチュエーションでも、これでもかこれでもかと言わんばかりに、こちらをぐいぐいひっぱる力を感じる。
島本さんの作品にも同じものを感じた。
また、わたしの好きなバンドや作家さんの名前がたくさん出てきたことも、
島本さんの他の作品を読んでみようと思ったきっかけになった。
「一緒にご飯が食べられないっていうのはね、心の奥底で相手を拒絶してるからなんだって。美味しくご飯が飲み込めるっていうのは、目の前にいる相手を受け入れてるってことにもつながるんだよ」
「二十代前半の夏、年上の男性に「海のほうへ岩牡蠣を食べに行きませんか」と誘われたことがあった。
一見控え目なわりに、さらっと先回りするのが上手な人だった。」
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スカイツリーを見上げる下町の片隅にある、架空の商店街の物語、第3弾。
知らない作家さんの名前も増えてきたが、今回もまた一段と、箱庭世界が充実していった。
自分のコレクションが増えていくような気持ち。
自営業と後継ぎという定番の物語、古くなってしまった業種、逆に商店街にはそぐわないようなおしゃれな店舗のことなど、品ぞろえ多数。
その中、シリーズで一番最初のお話だったカフェ・スルスのその後の様子を知ることができてよかった。
また、店の内情は一つもうかがわせず、舞台として使われている「アイスバイン」は、ちょっと異色で、文学的にして官能的である。
『明日の湯』が一番好きかも。
そして、お店をやっていくというのは、才能が必要なのだと改めて感じた。
自営業はみな「専門家」だ。今更ながら。
一軒目『カフェ スルス ~一年後~』 大島真寿美
スルス一周年記念のお祝いをすることになるが、招きウサギが勘違いで出雲大社でハワイアンでアニソンで!(意味不明)
二軒目『ブティックかずさ』越谷オサム
商店街のイベントステージに立つ悪魔?
三軒目『エステ・イン・アズサ』青谷真美
いくつになっても。
四軒目『明日の湯』秋山浩司
風呂屋の申し子のような名前を持つ三木家の長男。
祖母がいきなり銭湯を畳むと言い出し、急に納得できなくなる。
五軒目『ドイツ料理屋「アイスバイン」』島本理生
あの人は肉を食べない。
六軒目『多肉植物専門店「グリーンライフrei」』加藤千恵
母親の離婚で、男を信用できない10歳の少女の、冷めた発言がまたかわいい。
七軒目『赤城ミート』彩瀬まる
私と、もう一人の私。
別の才能を持ち、別の才能を持たない。 -
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ネタバレ大好きな明日町シリーズ、第三弾
一軒目「カフェ スルス~一年後~」大島真寿美
平均年齢60歳。老後の楽しみに開いたお店に咲く恋の花。
二軒目「ブティックかずさ」 越谷オサム
三十近いひきこもりがちのバンドマンの一人息子VS昭和の香りプンプンな「ブティックかずさ」を守り続けている父。
三軒目「エステ・イン・アズサ」青谷真未
お互いを思いやるお嫁さんと姑さん、なんて素敵なんだ。
四軒目「明日の湯」秋山浩司
銭湯の壁の絵にまつわるおばあちゃんの恋心に、心がぽかぽか♪。
がんばれ三太郎!
五軒目「ドイツ料理屋・アイスバイン」島本理生
ずっと好きでいたいからと、他の男性と結婚した主人公。
だから、その罰として義母をきちんと介護するんだなんて…
温かなポトフの匂いがするわりには、美味しそうに思えなかった。
お店のマスター目線で読みたかったかな。
六軒目「多肉植物専門店・グリーンライフrei」加藤千恵
多感な小学生の女の子と、憧れの叔母さん。
サボテンのとげがちょっぴりささる感じ。
七軒目「赤城ミート」彩瀬まる
彩瀬まるさんはとても好きで、特に楽しみにしてたんですが…
最後まで読めなかった。ふがいない…
特に好みだったのは二軒目
語りは「ブティックかずさ」の飼い猫・黒猫のオジーちゃん。(ちゃんをつけると妙ですが)
普段はほどよい距離でほっておいてくれと言いながら、
ぎくしゃくする親子の関係に、あれこれ気をもみ駆け回るオジーがかわいすぎる!
こんぺいとう商店街のすみっこにいる、片耳の折れた招きうさぎ。
今日もお鼻をひくひく、ぴょんぴょんぴょん。
できれば24店舗といわず、ずっと続いてほしいです。 -
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冬期休暇のため長くて分厚い本が読める!と、気になっていた日本文学全集シリーズ。
現代語訳のため相当読みやすく、休み前半で読めた。
【井原西鶴「好色一代男」 新訳:島田雅彦】
光源氏、在原業平の流を汲む色好みの世之介さん、幼少のころから60歳までに遊びに遊んだ女3,742人と男725人、使ったお金は現在価格で500億近く。
そんな世之介さんの一代記(まさに一代限り。何も続かない、何も残らない)を
7歳から60歳までを1年ごとに54章で書いたもの。
昔増村保造監督、市川雷蔵主演の映画を見ました。
映画での世之介役の市川雷蔵は実に自由で前向きで明くて良かった!
光源氏や在原業平はいじいじグダグダしていて喝入れたくなったが(学生時代の授業での感想/ちゃんと読んでないから分からんが(笑))、この世之介さんなら一瞬の恋に燃えても楽しそう!と思えるような人物像でした。
そんな世之介さんを期待して、かなりワクワクしながら読み始めたのですが…
井原西鶴の原作もそうなのか新訳でそうしたのか、サクサクサクサク進み過ぎて世之介さんの心情も触れられず。
大店の遊び人と遊女を両親として生まれた世之介さんは、まだ母と添い寝の頃から従姉や女中さん近所のおかみさんたちに色っぽいことを言ってきた。
青年になって自然と遊女や人妻を相手にし、あまりにも度が外れた遊びっぷりに両親から勘当される。
それならばそれで…と、日本全国その日暮らしながらも色事っぷりは増すばかり、坊主修行をするもののすぐ色事に走り、、たまにどこぞの家に婿のように入ったり、たまに子ができても女も子も捨て、旅の尼さんにも坊さんにも手をだして…と、まあこの時代は金も家もなくても遊び倒せたんですね。
映画では勘当されてからは「ここぞ!」とばかりに自由への道を邁進するんだが…、原作では父が亡くなった後母により勘当は解かれて、(現代価格に換算し)500億の遺産を「好きなだけ遊びつくしなさい」と渡される。
そこで吉原、島原、下関など日本全国遊び歩き、名のある遊女と言う遊女は全員身請け、吉原一の花魁を正妻に迎えるが相変わらずの遊びっぷり。
結局60歳になって遊び友達と共に、女たちの腰布で帆を作った船に乗り海へと漕ぎ出しそれっきり。
それなりのいい男で金と時間はあり余り、遊ぶ以外にやることはないとなったらさすがの世之介さんも生きるのがキツくなったんだろうか。
市川雷蔵の映画の世之介さんでいいセリフがいくつかあったので覚えてる範囲で記載。
「(心中計ったが女だけ死んで)わたしもすぐに後を追うぞ!…でも先に三途の川を渡ったかな~今から後を追っても追いつけないかもしれないな~、よし!死ぬのは辞めた!」
⇒この前向きさ(笑)。きっと先に死んだ女性も許してくれるよ。
(映画のラストは役人に追われて逃げるための船出)「この船の帆は今まで出会ったおなごたちのものや!おなごたちの加護がついている、さあ、女護島へ出発や~!」
⇒散々遊び散らしていますが、一人ひとりに本気で誰からも恨まれてない!という自信があるんですね。
現代日本の道徳に同調している私でも「酷い男と酷い人生で添い遂げるより、一瞬でも世之介さんと遊べた方が幸せでは」と思った(笑)
「おなごは鬼と罵れば鬼にもなる、仏と拝めば仏にもなる。それなら仏と拝んだ方がいいではないか、ありがたやありがたや~~~」
⇒これは人間に対する心持の理想ではないか。座右の銘にしたいくらいだが…私が全く実行できていないorz
【上田秋成「雨月物語」新訳:円城塔】
人の執着、無念により、死んだ後にも祟り神、鬼に変化して恨み言を語る。
僧に出会って成仏できるか、恨みの相手を取り殺してどこかへ消えるか…
最初に読んだのは高校生くらい??(もちろん現代語訳)だったと思うのですが、日本の古典としてかなりお気に入りだった。
さらに当時流行った桃尻語訳シリーズかなにかで「作者の上田秋成は、わがままで嫉妬深くて困った男」みたいに紹介されていて、それがさらに雨月物語を興味深く感じていた。
雨月物語では性の直接的描写はないので、高校生当時はそのまま読んでいましたが、
その後大人になってからは「戦場ど真ん中の村に妻を残し都に登る男」なんて、妻が無事なはずなかろう、わかって捨ててるだろうと思うし(実際に溝口健二監督が映画化したものでは、妻は敵兵たちに…、という場面がある)、
「少年に執着する僧」「義兄弟の契りを結び命懸けで約束を果たす男たち」ってやっぱりそういうことじゃないか!と思うし、
文章の裏から浮かぶような性描写があるんですね。
円城塔の作品を読んだことはないのですが、現代語訳版では、怪奇も変化も特別なことではなくごく自然にさらっと記載されています。
もう少し情念を感じさせる文章でも良かったかなあと思う。
【山東京伝「通言総籬(つうしんそうまがき)」新訳:いとうせいこう】
話の筋としては、吉原で遊びに興じて生きたいと思うお坊ちゃまの”えん次郎”が、自宅で準備をして吉原の遊女に会いに行くまで、ということですが、
タイコモチの”北里喜乃介(きたりきのすけ)”や、医者坊主の身なりはしているが実はヤブ医者のタイコモチ”わる井しあん”たちとの軽口やり取りを通して、吉原の名物紹介というガイドブック的側面、そして作者山東京伝の作品宣伝という側面を持っているらしい。
訳者のいとうせいこうは、本文も軽口の応酬を書きつつ訳注を付けまくり楽しく訳している感じです。
なにしろ訳注では「山東先生、この場面筆が乗ってます!」「現代だと○○みたいなもの」な訳者ノリノリ(笑)
この読み物自体全く知らず…
ガイドブックっぽいが、蔦屋重三郎がバックについての本当に宣伝本ということらしい。
まあそういう本のスタイルを確立させて行った過程というような読み物、と言うようなものだろうか。
【為永春水「春色梅児誉美」新訳:島本理生】
吉原でそこそこ名の通じる店の唐琴屋に関わる人たちの人間恋愛模様。
番頭に追い出された元若旦那丹次郎、丹次郎の愛人の芸者米八、丹次郎の婚約者お長、花魁此花、此花の御贔屓藤兵衛、髪結いの小梅のお由…達の間で繰り広げられる恋愛騒動。
「春色…」は全く知らず、島田さんも初めて読んだ(そもそもこの名前、男性?女性?と思いながら読んだが、女性っぽいな)
現代っぽい感覚で訳されていて、米八の口調など「○○じゃん」「さんきゅ」などと思いっきり現代風。
話しの進み方も、章ごとに登場人物の一人称で語られていて、江戸時代にこんな書かれ方したのか??と思ったら現代語訳に際しての改変らしい、洒落た感じがでてた。
しかし行動や口調が思いっきり現代恋愛ものであり、
人の営みは何百年たっても変わらない、江戸時代も今の私たちも同じだと解釈するものなのか、
現代語訳に当たって特に現代の人に感性を合わせた訳し方にしたのか。
私は現代恋愛ものは読みたくないので、途中で「江戸時代の文学を読むつもりが、思いっきり現代ものではないか!!」とちょっと焦ったわ。
色々拗れるのでラストは悲恋か?心中しちゃうか?とこれまた焦ったが大団円だった。
しかも「○○は実は上流武家の隠し子!」とかのビックリ情報明かされまくり(笑)
江戸文学ではこういう「実は○○!」というのが流行っていたらしい。 -
Posted by ブクログ
元ネタのアイアムアヒーローを読んだことも観たこともないのですが、好きな作家さんが多かったので手に取ったら個人的にはあたりのアンソロジー。
朝井リョウくんの話もさみしい青春、恋愛小説ですき。いじめっ子と人気者と一匹狼的なこのカースト。
藤野可織さんの話も久しぶりに読んだけどよかったな。やっぱりさみしい。仲間内って難しい。
最高だったのは佐藤友哉、島本理生夫婦の合作。こんな豪華な作品が辞めるなんて…!!! よかった、かなりよかった。引きこもりと心に傷を負ったシスターの話でよかった
全部にもちろんゾンビのような感染症の元ネタの設定が絡んでいるのですが話を知らなくても面白かったです -
Posted by ブクログ
口の中で転がしたくなるような「一千一秒の日々」というタイトル。
一千一秒。
約16分。
電話するには短く、キスするには長い。
ずっと続くような響きなのに、その実短い。
重すぎず軽すぎず、適切な温度できゅっと凝縮された恋愛連作短編集でした。
私は連作短編小説が大好きだ、と気づいたのはここ数年の話。
本作も次は誰の視点で物語が語られるんだろうとわくわくしながら読みました。
欲を言えば、一紗の物語も読みたかった。次は彼女かな、とドキドキしながら読んでいたのに、読み終えてしまって残念。
というのも、彼女と針谷の二人が好きだから。
冷静に考えるとおかしな関係なんだけど、なんだかんだで互いを信用しきってるところが素敵ですよね。
針谷の「うるさい。プリンを見てると、この柔らかさに癒されるんだよ」という名言に、私が癒されました。
一紗が惚れるのもわかるなーと思うけど、別の誰の視点から見ると彼は体の大きなさえない男性で。相性というか、恋っていうのはおもしろいですね。
そしてこの短編集が印象的なのは、いちばん始めの章が恋の終わりを描いていること。
恋の終わりから物語は始まり、うまくいく恋もあれば、はじまることすらない恋もあって、でもどれも大切で愛おしい日々で、物語の流れが美しい1冊でもありました。
表紙もかわいくて、だいすき。