安藤優一郎のレビュー一覧
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明治維新後、城の存亡を賭けた知られざる攻防戦・・・
先般の熊本地震で損壊した熊本城を泣きながら見つめる熊本の人たちのように、現代の人たちは自分の地元の城を誇らしい気持ちで見上げている。
幕末から明治にかけての城って、城主にとって、藩士にとって、藩民にとって、どんな存在だったんだろうか?
その「思い」が知りたかったのだが、史実や思惑は丁寧に書かれていたのだけれど、本当に知りたかった部分が知れなかったのは残念。
・「城址公園」が多いのは、明治政府が西洋列国へ西洋化のアピールのために公園を沢山作ろうとしたため
・名古屋城は空襲で燃えてしまった後、国宝ではなくなっているのでは??(当時の話のみをし -
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Posted by ブクログ
窮民救済として効果的な制度は天明の大飢饉で
打ちこわしが政変を呼び「御救米制度」が誕生
飢饉や大地震・感染症蔓延時に弱者を対象に支
給される
その基準は
①70才以上独り者で自立困難者
②孤児
③長患い
その後拡大していく
④家族も対象
⑤その日稼ぎとなり以下のとおり実施
1802年288,441人(インフル)
1803年 41,020人(麻疹)
1821年296,987人(インフル)
1831年278,353人(米価高騰)
1832年306,038人(インフル)
1833年318,420人
319,359人(米価高騰)
1834年333,827人(米価高騰)
1836年350,35 -
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徳川幕府は15代将軍・250年以上も続きました。武力で日本を統一した徳川家ですが、時代が経過するにつれて、資金繰りが苦しくなってきたようです。
中学や高校の頃、江戸時代の後半にもなると、金の含有量を減らした価値の低い貨幣を発行したと習って、これは良くないことだと思っていましたが、現代の政府も「量的緩和」と称して同じことをやっているのではないでしょうか。
更に貨幣価値を戻した政策は素晴らしいと当時は思っていましたが、言い換えれば貨幣流通量を減らして緊縮財政をして景気を悪い方向へ持っていたことになったことも今になって理解できてきました。江戸時代も中盤以降になると資金繰りは色々と苦労していた様子 -
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ネタバレ幕末から明治にかけての徳川慶喜、勝海舟、渋沢栄一、3人の動きやそれぞれの考えがまとめられた一冊。その時々のそれぞれに対する心情までもよく書かれている。
ただ、サブタイトルに(栄一と回収の)「二人の暗闘」とあり、また海舟の死をもって「栄一と海舟との水面下での戦いも終わった」と書かれており、あたかも二人の間で論戦があったかのような記述があるが、実際は、明治も進んだ頃に、まだ慶喜が静岡に引っ込んだままなのは、海舟のせいだと思い込んで、海舟に一方的に不満を持っていただけのようである。私はサブタイトルから、福沢諭吉と海舟の間にあったようなやりとりが、この二人の間にもあったのかと期待して読み進めたが、どう