あらすじ
〈持続化給付金〉は、わずか12日間で給付完了! 江戸時代にも、日本は感染症(天然痘・麻疹・インフルエンザ・コレラ)に苦しめられた。とりわけ、人口100万超の「過密都市」江戸は被害を最も受けやすかったが、都市崩壊のような事態には至らなかった。時の幕府が、医療政策と社会福祉政策に力を入れたからである。徳川吉宗、松平定信らは感染拡大にどう対処したのか? 当時の〈持続化給付金〉の財源と給付対象は? ワクチンはどのように普及したのか? 現代に通底するトピックを織り交ぜながら、江戸の町がいかにして危機を脱したかを解き明かす。
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Posted by ブクログ
江戸時代にも様々な感染症に苦しめられ、特に人口の多かった江戸は被害を受けやすかった。また疫病だけでなく飢饉、火事、地震にも見舞われるなどありながら、都市崩壊にならなかった理由を解き明かす。
授業で飢饉などがあったのは知っていたがどのように切り抜けてきたかは知らずいたのでいい勉強になった。
貧困層のために給付金のための役所を作っていたなど江戸幕府は色々工夫をしていたのだなと驚きもあり。
Posted by ブクログ
江戸は天領の中でも特殊だったんだ。当然か。救援金を与えることで暴動を防ぐシステムは今でも続いてるなあ。この辺から来ているのか。コレラ対策の話、天然痘対策の話は言われてみれば。
Posted by ブクログ
窮民救済として効果的な制度は天明の大飢饉で
打ちこわしが政変を呼び「御救米制度」が誕生
飢饉や大地震・感染症蔓延時に弱者を対象に支
給される
その基準は
①70才以上独り者で自立困難者
②孤児
③長患い
その後拡大していく
④家族も対象
⑤その日稼ぎとなり以下のとおり実施
1802年288,441人(インフル)
1803年 41,020人(麻疹)
1821年296,987人(インフル)
1831年278,353人(米価高騰)
1832年306,038人(インフル)
1833年318,420人
319,359人(米価高騰)
1834年333,827人(米価高騰)
1836年350,355人
409,164人(米価高騰)
1837年、年貢米から御救米(大塩平八郎の乱)
1851年381,740人(米価高騰・インフル)
1854年381,200人(安政の大地震)
1858年523,076人(コレラ)
このエイドは運用が重要で、制度があるのにも
関わらず慶応期に打ちこわしがある
程度を甘く見て範囲と給付水準を下げたため
しかも米価高騰の理由は長州征伐・・・政府の
失政後の対応が拙かった(´・ω・`)