安藤優一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
こちらで頻繁に引用されている井原西鶴の男色大鑑を先に購入しておりお薦めに上がってきたので読んでみた。
著者は江戸時代の間取りについての本など江戸文化全般をさまざまな角度からみた本を手掛けているようでべつに男色研究の専門家ではない。
歴史に沿った陰間茶屋の変遷など勉強になった。
春画がとても多い。春画の中に描かれた文章の訳が読めたらいいのにと思った。
江戸の人たちが今となっては考えられないくらい性に奔放で情熱的(歌舞伎役者に対する愛情表現がむちゃくちゃ過激だったり)なことに驚く。
面白かったのはキリスト教圏からやってきた宣教師などの、男色が当たり前に行われる日本社会に対する論評。
保守派の政治家が日本の伝統云々を盾に同性婚とか批判してるけど、あの人達の言う日本の伝統ってなんなんってなる。
この本でわかる江戸時代の開けっ広げな空気が日本から無くなってしまったのが残念。 -
Posted by ブクログ
渋沢栄一関連本として読んでみました。
本書では、一橋(徳川)慶喜を軸にして、渋沢栄一という車輪と勝海舟という車輪を左右にはめ、幕末から明治、大正にかけての日本の政治の歴史をたどっていきます。
第一章では栄一と慶喜の関係、第二章では海舟と慶喜の関係が書かれ、第三章で栄一と海舟が出会います。第四章で栄一も海舟も明治政府に出仕することになり、第五章では政府を去った二人がそれぞれの立場から政府を助けます。そして第六章で、慶喜の名誉ひいては徳川家の名誉の回復と、海舟の死、慶喜の死、栄一のその後が書かれます。
本書では、実業家としての栄一ではなく、慶喜に忠誠を尽くし続けた栄一の姿が印象的。先に読んだ『渋沢栄一 人間の礎』(童門冬二著)の栄一とはまた違った一面が見られて、興味深く読みました。また勝海舟の生涯もよくわかったし、幕末の政治史の流れもスムーズに理解できたし(彰義隊のリーダーが栄一の従兄弟である喜作改め成一郎だったとは知らなかった!)、そして何より、大政奉還後に日本史の舞台から降りた慶喜がどこでどうしていたのかを知ることができたことは、とても大きな収穫でした。
読み終わったとき、なんだかホッとして大きな感動に包まれました。慶喜と栄一と海舟の三人に、本当に大変だったね、ありがとう、お疲れさまでした、と伝えたいです。
著者については、本書を読んだのが初めてでよく知らなかったのですが、調べてみたら他にもたくさん日本史関連の著書があることを知りました。しかも、その中の一冊を持っていることが判明……。なんかすみません、あとでそちらも読みます、はい。
-
Posted by ブクログ
江戸時代の江戸の土地取引について調査し、まとめたもの。土地活用の実態についても詳しく述べられており、役立った。
「江戸は「武家地」が約7割」p5
「日本橋と神田が代表的な町人地」p7
「(明暦の大火)鎮火したのは出火から三日目で、江戸の6割が焼失した。焼死者も10万人を越えたとされる」p26
「江戸は荷物を置く場所が不足していた」p40
「表向きは賃借という形だが、事実上、幕府から拝領した土地を売却してしまった御家人も少なくなかった」p70
「(御家人 山本正恒)小高の小役人又は同朋坊主衆の如きは町屋敷を賜り、之を町人に貸付、自分は組屋敷等の地所を借り居住」p73
「(奥右筆組頭 大沢弥三郎)地価総額が8630両もの町人地を所有しており、年間の手取りが300両以上あった。大沢は自家の土蔵が傾くぐらいの金を溜め込んだという」p82
「享保6年(1721)に町奉行所は町人の人口調査を実施し、50万1394人という数字を得た。武家の人口は同じく50万人ぐらいと推定されており、この時期、江戸は百万都市に成長する」p96
「裏店借たちが住んだ集合住宅の長屋は、俗に「九尺二間の裏長屋」と称される。間口が九尺(約2.7m)奥行が二間(約3.6m)で、その広さは六畳ほどとなる。六畳のうち土間が一畳半で、残りの四畳半が板の間だった。板の間には畳が敷かれる場合もあった。こうした長屋はプレハブ住宅のような画一化された簡素な造りだったが、それには理由がある。江戸は火災が多発する都市だった。建屋は絶えず焼失のリスクにさらされていたことから、建築費をかけても無駄となる可能性が高い。そこで建設費を安く抑えるため、簡素な建物となった」p98
「(三井財閥)三井家は伊勢松坂の出身だが、延宝元年(1673)に江戸へ進出。江戸の町人地の一等地を購入して商売の拠点とした。当初、呉服街の本町(中央区日本橋本町)で呉服屋を開店したが、後に隣町の駿河町(中央区日本橋室町)に移転する。次いで現在の銀行にあたる両替商もはじめ、江戸を代表する豪商へ成長していく」p116
「(市島謙吉)旧幕時代には諸藩から江戸に参勤交代したために、八百八町の繁栄は現出したのだが、今やそれら諸藩は、領地へ退出して、東京は空虚となり、非常に荒廃して、帝都の前途もどうかと危ぶまれるばかりであった。これゆえ、土地などは、ほとんど無価値同様であった」p193
「政府は、丸の内を払い下げ、その売却費を兵舎の建設費にあてるとともに、払い下げを受けた者に跡地を整備させようと目論む。だが問題は、誰に買い取らせて、丸の内を市街地として整備させるかであった。できるだけ高く買わせたうえに、自力で跡地を整備させようという虫の良い計画であるから、その思惑通りに進むかは極めて不透明であった。政府は渋沢栄一をはじめ有力な財界人に交渉するが、当然ながら難航する。やむなく入札となったが、政府の希望価格には、ほど遠い額だった。政府も極度の財政難で、兵舎の建設費が捻出できないという事情もあった。窮した時の大蔵大臣 松方正義は、三菱を率いる岩崎や之助に対し、政府の言い値での買取を求める。相場の二倍から三倍だったという」p196
「(福沢諭吉が三田の土地を東京府から購入)正味1万4000坪、土地は高燥にして平面、海に面して前に遮るものなし、空気清く眺望佳なり、義塾一の資産にして、今これを売ろうとしたらば、むかしお払い下げの原価五百何十円は、百倍でない千倍になりましょう。義塾の欲張り、時節を待って千倍にも二千倍にもしてやろうと、若い塾員たちはりきんでいます」p205 -
Posted by ブクログ
江戸時代の江戸の土地事情と不動産取引の、知られざる実態とは。
第一章 巨大都市・江戸の土地事情・・・天下普請~明暦の大火の影響
第二章 武士の不動産商法・・・拝領地・町人地・農地の違いと取引
第三章 町人・農民の不動産ビジネス・・・豪商・豪農も江戸に土地
第四章 幕府の土地を私有地にする裏技・・・要は事前工作と金
第五章 東京の誕生・・・黒船来航と戊辰戦争の混乱~地租改正へ
参考文献有り。現在地の情報有り。
江戸の町は時代が進行する中で人口が急増し、
拝領地が限られる中で、武家のみならず、豪商や豪農も、
様々な理由で江戸の土地や周辺の土地を求めました。
そんな江戸に、不動産関連業があったこと、借地や借家の事情、
居住形態、名主等の行政システム、橋や火除地の管理等が丁寧に
説明されています。
土地を得るために必要なのは、人間関係と人脈、そして金!
火除地までも私有地にしてしまうしたたかさは、驚きでした。
しかし、江戸は東京に・・・武家が江戸を離れ、戊辰戦争へ。
その影響の人口減少と荒廃、拝領地は官有地へ。
そして地租改正・・・すべての土地が取引可能になり、東京の発展へ。
意外と知らない江戸の土地事情がわかって、面白かったです。 -
Posted by ブクログ
内容ですが、
まえがき
第1章 徳川家の大リストラ
第2章 激動の幕末を見た御家人
第3章 静岡藩の消滅
第4章 西南戦争と江戸っ子気質
第5章 江戸ブームの到来
あとがき
となっています。
我々が習う近代史は、勝者の薩摩・長州藩側の立場からの視点である。
欧米列国の脅威から日本という国を守るという観点から言えば、徳川幕府も様々な取り組みを行ってきたのであるが、如何せん戊辰の役で敗者となり、明治維新を迎えてしまった。
近代日本に限らず、敗者の立場に立った視点は古今東西の歴史に共通するのではあるが、この本は、敗者として生きなければならなかった徳川家幕臣がどのように生き続け、何を感じ、明治という時代をどう見ていたかを明らかにしたものである。
現代に生きる人間、また将来の日本人のためにも、しっかり徳川側からの歴史的事実も知っておかなければならにことだと私は思います。 -
Posted by ブクログ
日本にある30の名城を取り上げ、その城にまつわる歴史的事実を紹介しています。
城は、時代が異なっていても、権力者・為政者の拠点であり、中心地でした。その城がなぜこの地に築かれたのかを知ることは、その土地そのものを知ることでもあるし、日本史に与えた影響も大きいものです。そういう視点で見ると、ただ城を見るだけではない、違った見方ができると思っています。
<目次>
五稜郭―なぜ幕府は日本最初の西洋式城郭を築いたのか
胆沢城―なぜ坂上田村麻呂は胆沢城を築いたのか
多賀城―なぜ朝廷は多賀城を東北支配の拠点としたのか
会津若松城―なぜ会津藩は一カ月もの籠城戦を戦い抜けたのか
江戸城―築城当初は天守が二つあった
世田谷城―なぜ吉良家は世田谷に城を築いたのか
小田原城―なぜ小田原評定の舞台となったのか
川越城―なぜ太田道潅は川越城を築いたのか
宇都宮城―なぜ釣天井事件が起きたのか
水戸城―なぜ水戸藩主は水戸城に住まなかったのか
浜松城ーなぜ出世城と呼ばれたのか
上田城ーなぜ家康は上田城を築いたのか
金沢城ーなぜ寺院の跡地に金沢城が築かれたのか
清州城・名古屋城ーなぜ信長の死後に清州城で会議が開かれたのか
岐阜城ーなぜ江戸時代に入ると廃城となったのか
大津城ーなぜ関ヶ原合戦の勝敗に影響を与えたのか
二条城ーなぜ徳川家は後水尾天皇を二条城に迎えたのか
大坂城ーなぜ大塩平八郎は大坂城下で挙兵したのか
千早城ーなぜ楠木正成は千早城に籠もったのか
姫路城ーなぜ城主の交代が頻繁だったのか
赤穂城ーなぜ大石内蔵助は赤穂城を開城したのか
備中松山城ーなぜ秀吉は水攻めを行ったのか
広島城ーなぜ日清戦争の時に大本営が置かれたのか
津和野城ーなぜ明治に入ってから津和野城下が描かれたのか
松山城ーなぜ正岡子規は松山城を俳句に詠んだのか
高知城ーなぜ山内一豊は高知城を築いたのか
名護屋城ーなぜ秀吉は名護屋城を朝鮮出兵の前線基地としたのか
原城ーなぜ島原の乱でキリシタンが籠もったのか
熊本城ーなぜ西南戦争では籠城に成功したのか
首里城ーなぜ本土の城と構造が違うのか -
Posted by ブクログ
勝てば官軍
あとがきにありますが、勝者は勝つべくして勝ったというストーリーに歴史をねじ曲げてしまう。
勝者に都合の良いように叙述された歴史。
歴史の歪曲である。
こうして、勝者側が自己の正当性を後世に伝えるために編纂した歴史書や歴史教科書では、敗者側の言い分は抹殺され、敗者は歴史の表舞台から強制退場させられていく。
そうした歴史の裏側に光を照らすことができたならば、本書の狙いは果たせたことになるだろう。
ということです。
薩摩・長州・徳川・朝廷などなど。
幕末の政争に関わった人々は重要な時点時点で、先の見えないことに不安を感じながら、種々文書を残したのです。
その文書を読み解くことにより、勝者・敗者のこころの動き、情勢の動きを冷静に見てみる。
より客観的に史実を観察する、とっても重要な態度だと思います。
江戸っ子に人気のなかった維新政府と戦った西郷が江戸っ子に異常な人気を博した一瞬。
西郷さんの人気の秘密が・・・