小林秀雄のレビュー一覧
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高校生の頃買った本.小林秀雄は教科書にものっていたし,大学入試でも定番だったから,読もうとしたのだろう.その当時の私には読めなかっただろうと思うが.
さて,長い年月を経て「モオツァルト」「徒然草」「無常という事」「骨董」「真贋」を読む.
さすがに「モオツァルト」はいいたい事はよくわかる.しかしなんとも音楽の聞こえてこない評論.音楽そのものではなく音楽から引き起こされる文学的な感興を文章にしたような感じ.むしろ小林秀雄の興味は音楽そのものよりも,モオツァルトという人間にあるといった方がよいかも.
また,読みながら始終,もっとわかりやすい表現があるだろ,とか思ってしまう.つねに伝えたい内容に -
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小林秀雄の「本居宣長」、やっと上下巻を読み終える。とは云っても、新潮文庫のこの下巻のうち、付録としてついていた「補記Ⅰ」、「補記Ⅱ」はパスした上でのことだが・・・・。なんせ少し古文体を読むのに疲れてしまったというのが理由。情けないね。
さて、この「本居宣長」、小林秀雄が11年半をかけて書いた、まさに畢生の大作と云っていいのだろう。若い時分に宣長の「古事記伝」を読んだ感動をずっと暖め、30年後にこうした成果で結実したということのよう。古事記や万葉集はもちろんのこと、契沖、賀茂真淵、荻生徂徠、中江藤樹、上田秋成ら古学者の古典、書き物にはほとんど眼を通した上での執筆というから、その膨大な裾野 -
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批評家、文筆家として有名な小林秀雄と、
歴史に名を残す数学者・岡潔の対談本です。
昭和40年(1965年)のものだということです。
冒頭から、ピカソやアインシュタインを引き合いに出しながら
話は進んでいきます。
「無明」をちゃんと分かっている方が良いんだという流れになります。
無明って、僕は「救いのない」ことなのだろうと読んでいたのですが、
言葉の意味を間違えていたようで、パソコンの広辞苑を開くと、
「一切の迷妄・煩悩ぼんのうの根源。三惑の一つ。」などと書かれていたりする。
となると、話は全然違ってくる。
自分の愚かしさを知っておいた方が良いというような意味にとらえられますね、
彼らの、とく -
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批評って元々よくわからないんだけど、ますますわからない。
突き放したような書きぶりだと思ったら、急に個人的な印象の話になる。そうかと思えばまた一般論に戻る。
そういう、立ち位置やテーマとの距離感が次々と変わっていくようでどんなスタンスで読み進めていいのかわからない。そんな書きぶりに振り回されているううちになんだかわからないまま終わってしまった。
正直、小林秀雄がどれだけすごいのかわからなかった。これだけ評価されているのだから間違いなく何かがあって、それを読み取れなかったんだろうな、とは思うんだけど。もっと知ってもっと考えないといかん、てことだろうか。 -
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最後の、「ソヴェットの旅」が一番面白かった。講演だからか。そのひとつ前の「ネヴァ川」と重なるところもあるのに、全然分かりやすいもん。のろのろと、具体的言えば3ヶ月かけて読んだようなので、前の方はどんなだったか忘れてしまった。でも、つまらなくはないし、なるほどと思ったこともあっただろうけど、全体的に面白いかと言うとそれほどでもない。ついこないだ、文学部の先輩が旅先にこの本を持っていってよかったとTwitterに書いてたが、読む人が読めば、ということか。あと、「考えるヒント」の部分よりも、それぞれがせいぜい3ペイジくらいの「四季」の部分のほうが印象に残ったかな。「人形」とか。解説は江藤淳。
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模倣は独創の母である。唯一人のほんたうの母親である。二人を引離して了つたのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会へようか。僕は他人の歌を模倣する。他人の歌は僕の肉声の上に乗る他はあるまい。してみれば、僕が他人の歌を上手に模倣すればするほど、僕は僕自身の掛けがへのない歌を模倣するに至る。これは日常社会のあらゆる日常行為の、何の変哲もない原則である。だが、今日の芸術の世界では、かういふ言葉も逆説めいて聞える程、独創といふ観念を化物染みたものにして了つた。(小林秀雄 『モオツァルト』)
模倣でない独創は無い、と言っている。
小林秀雄だけでなく、この類の物言