【感想・ネタバレ】モオツァルト・無常という事のレビュー

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Posted by ブクログ 2023年12月29日

美麗な文章で綴られる芸術論ですが、アイロニーやユーモアもあり批評のレベルにとどまらないと思う。
豊かな歴史的観点からの考察もさすが。
「骨董」に関する氏の「骨董の世界が所謂「美術鑑賞」と異なるのは、品物を買ってから始まり、そこから品物が此方の生活に触れてくるのだ」との下り、サブスクとレコード購入の違...続きを読むいを日頃思う自分としては膝を打った。

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Posted by ブクログ 2023年05月08日

本文は、モーツァルト・美を求める心と題して、noteで投稿したものです。

 
 水曜日の朝、ぼくはモーツァルトのシンフォニー第40番第1楽章を聴いて、泣きそうになったのを思いだす。その日は、いつもより早く起きていたから丁度良いと思い、かけていた。
しかし、何故モーツァルトは、シンフォニーで何役にも...続きを読む転じたのか、語り部であり、聴者であり、忘れ河である。
彼は、自らの楽曲の中で自問自答を繰り返していたのか。
ふとそんなことを思い、狂った感覚が襲った。
しかし、ぼくは音楽に詳しい訳では無い。空き時間に未開の地に足を踏み入れんとする者である。
しかし、不思議だ。あの時に感じたものはいまでは、やはり偽りの鮮明の中に埋もれてしまっている。

 何故か小林さんのモオツァルトは読んでいなかった。それ熟読することは、高校生のぼくにはまだ早いのかと思っていたが、モーツァルトのあの躍動を凝縮したシンフォニーを聴いて心奪われた以上読んでみたくなった。
 Ⅰ   モーツァルト
 水曜日に聴いたシンフォニーは、無名のピアニストによる演奏だった。しかし、その後もモーツァルトのシンフォニーのことで頭は一杯で、頭の中で何度も繰り返し響いていた。
しかし、もう一度聴きたい。メニューインの演奏があったのでそれを聴いた。なるほどこうなるのか。ぼくは彼の演奏に惹かれてしまった。メニューインは小林さんのお気に入りのヴァイオリニストとのことで、彼の来日時に、愛情を持ってこう書いている。
 「第一日目の演奏を聴いて、何か感想を書くことを約したが、きつと感動してしまつて何も言ふ事がなくなるだらうと考へてゐた。その通りになつた。タルティニのトリルが鳴り出すと、私はもうすべての言葉を忘れて了つた。バッハだらうが、フランクだらうが、それはもうどうでもよい事であつた。魂を悪魔に渡してから音楽を聞くといふこともある。タルティニは嘘をついたのぢやあるまい。たゞ、私は夢の中で、はつきり覚めてゐた。そして名人の鳴らすストラディヴァリウスの共鳴盤を、ひたすら追つてゐた。あゝ、何んといふ音だ。私は、どんなに渇ゑてゐたかをはつきり知つた。
メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであらう。しかし、私は、あなたの様な天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解してゐる大人である。私はあなたに感謝する。」

『メニューヒンを聴いて』(1951年)

 しかし、クラシックは、元気が無いと聴く気が起きないという時期がぼくにもあった。長明の言うところの朝顔と露か。oasis、レディオヘッドあたりが、丁度良いという時期が。しかし、歩いているとメヌエットのG.minorが、ぼくを急がせ次第に足取りは速くなる。

 小林秀雄が、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけないと言った楽曲は、弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516である。
ぼくのアレグロに対する印象は、まるで、そっほを向いているように感じた。小林さんは、正確な足取りであるとおっしゃっていたが、ぼくが思うにそれは、ジャック・スパローのあの歩き方である。音がほんの少し響く地面をあの様に独りで歩いている。そして時折振り返る。多分何も見るものは無いし、見てもいない。衝動的に、そうしたに過ぎまい。 それ故、涙はついてこれない、涙ですら見えぬのだから。涙は彼の曲となる。彼の涙は、モオツァルトという忘れ河を経て、あのような明るい曲となる。涙はもはや、追いつけぬばかりではなく、何も覚えてなどいないのではあるまいか。その数滴の涙めいめいが人をヴァイオリンとを表す。モーツァルトの曲はいつも新鮮だとあるが、モーツァルトを思いだし耳を傾けると、何もかもを忘れた涙が、曲として生まれてくるからではあるまいか。しかし、これはモーツァルトに限ったことでは無く、全ての人もそうである。それが、孤独という人間存在の本質と小林さんは、書かれている。そうなると彼の楽曲はいよいよ深い。モオツァルトという人は、決して急いでいる訳では無い、ドン・ジョバンニを見ているとそんな気がしてくる。サリエリはドン・ジョバンニの上演を僅か6日で打ち切らせた。騎士長が、父レオポルトに見えたのだ。彼は父親の呪いがモーツァルトにかかっていると直感したのだ。しかし、モーツァルトにとっては果たして、レオポルトの呪いであったのか。呪いであり祝福であるかのようだどうやらサリエリは、次なる祝福を我が物にしたかったのだろう。

 小林さんが交響曲第39番 変ホ長調 K. 543第4楽章は、まるで明け方の雲のようだとおっしゃっていたが、捕らえた小鳥をかごの中で、野生のままにしておくが如く、この表現には感動した。余すことのない自然と生み出されたそれが、この第4楽章から伝わってくる。ハイドンのシンフォニーの繊細さとは違う、カーテンの匂いのするようなものでなく、冷たい川の水のようなものをモーツァルトからは感じる。ブルーノ・ワルターの指揮は、本当に素晴らしい。

 Ⅱ 批評の神様の音楽会
 小林秀雄は、文学青年でもあり音楽青年でもあった。彼の父親の職業柄また、父親の短命ともあり、しかし、海外製の蓄音機が小林秀雄の音楽への造詣を深めるに至るきっかけとなった。
こうして思えば、無常という事は、小林秀雄の傍に、いつも音楽があったという事の象徴だとも言える。彼も宣長は、ブラームスで書いてます。といっていた。
 第一部までモーツァルトについて触れてきた、この第二部では、美を求める心を小林さんの音楽との関係について触れながら進めていく。
私は、美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりとした美しさの経験が根本だ、と考えている…。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。 美を求める心より   
 美しいものは、既にそこにある。我々は、めいめいの目で耳でそれを見出さなくてはならない。勿論、人それぞれである。無常という事は、多分、モーツァルトに最も影響されていると思う。これも、ぼくの考えであり、そうでなくても構わない。これは、こう言う歴史でこう言う価値があり云々とは、それほど重要ではない。その先が重要なのである。現代に於いては、これが欠落しているとしか思えぬ。

 音楽や芸術それだけではなく、自然それが、人間の創造性のダイナミクスの源であるという事は、多分、何となく分かる人も多いだろう。 梅の花だって、木に咲いているものだけが美しいのではない、散ってもなお美しい、勿論、そのようなクオリアは、人によって明らかに違ってくるもの。かつての王侯貴族達が、アートを欲していたのは、まさに一種形式的なものから自らを解毒しようとしていたのではあるまいか。
 
 1982年12月28日小林さんは、病床についていた。同年春から音楽を聴くことは無くなった。聴く気力も体力も無いのである。しかしその日、1階のテレビから、あのメニューインの演奏が放映されている。小林さんは、夫人と共に最後まで聴いていたという。宮沢賢治に、眼にて云ふという詩がある。
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
苦しいさはあったはずである。しかし、多分、彼の人生で最も何とも言えないものに包まれた一時であったことだろう。その約2ヶ月後、小林さんは、息を引き取った。
 美を求める心とは、即ち、人の心也。
人間が生きる原動力となる。茂木健一郎さんが小林さんは、エピファニーの人だとおっしゃっていたが、このエピファニーというものを我々は、大切にしなくてはならない。本質は必ずしも美しいとは、限らない。美は思うほど美しいものではない。だからといって美しくないわけではない。一枚の木葉も地面におちていれば、隠すものは、そうあるまい。しかし、一と度手に取り、月にかぶせてみよ。
我々は、創造の萌芽の芽吹く世界に怠惰しているに過ぎない。そんなものは、場違いではあるまいか。現代人が最も癪に障る。それは必ずしも考え抜いたからというものでは無くともそうであるものではないあるまいか。

 モーツァルト、これで良かったのか?
答えてくれても良いじゃないか。
答えてくれそうにないな。
ぼくはまた、忘れ河の水を飲むのか。
しかし、君は人間だな。ぼくは完全に忘れることは出来ない。思い出せもしない。

 悲しさは疾走する。涙は追いつけない。
然れど涙は忘れ河を通り、永遠に回帰する。





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Posted by ブクログ 2012年10月29日

「近代評論の神様」と呼ばれる筆者の戦中〜戦後にかけての評論集。
天才の息吹を確実に感じる怒涛の文章。
高校の現代文の先生が猛烈に薦めてたのにも納得。
この一冊によって評論という行為に無限の可能性を切り拓いてくれた功績は大きい。
ただ『西行』・『実朝』・『平家物語』などの所謂中世日本史ものはある程度突...続きを読むっ込んだ背景知識が無いと難解か。
個人的に特に好きなのは『蘇我馬子の墓』と『偶像崇拝』。

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Posted by ブクログ 2011年08月08日

久しぶりに再読したけど、やっぱりわかんないとこがある。
言いたいことが何となくわかりはするけど、こんな狭いスコープではないんだろうなといつも思う。
徒然草、に至っては未だにわかりません。

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Posted by ブクログ 2011年10月02日

10年くらい前に読んだけれど、鮮烈な印象は鈍らない。
「アイネ・クライネ・ナハトムジークなら聴いたことがある」くらいにしかモーツァルトに興味がなくても、じゅうぶん感動できる。モーツァルトの音楽が天国的だと言われる理由に納得したことがあるならば、涙することができる。
江藤淳の解説も必見。

★★★★★...続きを読むの皆さんのレビューを拝見していたら、なんだか更に感動がこみ上げてきました。皆さんにありがとうと言いたい!

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Posted by ブクログ 2010年02月14日

高校の教科書で「無常という事」と出会い、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という言葉に深く打たれた。
座右の銘にしたいけれど、そこまでよく意味が飲み込めていない。
無常ということを体感してみたいと思う。

小林先生は全般的に、読んでなにかすごいことがわかったような気分になる。それを説明しろと...続きを読むいわれるとできないんだけど。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

美しい文章という定義付けは難しいだろう。
たとえばノーベル文学賞に輝くアーネスト・ヘミングウェイの骨太ながらも。危いまでに繊細な心の陰影をのぞかせる文脈とか、妖しく美しくあることが、まるで運命づけられたようにしなやかに律動する川端康成の筆のすさびなどは、その最右翼と目してもよいだろう。

この本の表...続きを読む題にあるモオツァルトとは、あの18世紀に登場した天才的作曲家のことである。僕はミロス・フォアマンの映画でしか知らないが、この小林の書き残した評伝には間違いなくあの映画で描かれた天才が息づいている。それよりも並々ならぬ著者の洞察力と、その見識の水準のとてつもない高さに、ただただ脱帽するしかないという面持ちにさせられるのだ。
あとがきを見ると著者は太平洋戦争の賛同者であったらしい、この小論が書かれたのが昭和二十一年
なにかにとりつかれた如く、この西洋の悪魔的魅力を持った天才児について、愛していたというよりは
土砂降りの雨中、裏切られた親友を殴るような勢いで書き連ねていくのだ。あたかも、それは彼の魂を悪魔と引き換えにやり遂げたといった風情なのだ。
全編読み終えると、まったくシンフォニーについて知らなくても、この文が長い時間をかけ刻苦の末に創造し完成た賜物であるのではなかろうかと感じる。
読み返すと、今度はモオツァルトが歌劇にて指揮する姿を想像し18世紀の世界に誘ってくれるのだ。そう、この不世出の天才音楽家と邂逅するような錯覚におちいるのだ。
全編美しい旋律を奏でるが如く、耳の心地よい、
これは掛け値なしに、日本の生んだ昭和の英知によるたぐい稀な美しい文だと思えるのだ。
思い出したが、開高健のエッセイでモオツァルトが過度のスカトロジーであったということをきいたことがある。さすがにこの評伝ではそのことには触れていない。
このことを、モオツァルトに関する遺存する膨大な資料を原文で読み下した小林秀雄が知らなかいわけはなかっただろう。これは蛇足でした。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

「無常という事」が高校の国語の教科書に載っていて、
読んだその時の感動ったら・・・。
家に帰って父に「この文章すごくいいよ!」って
自慢したら、父の本棚に小林秀雄の全集がありました。
文学に興味がなかったあの頃は気がつかなかった・・・。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

小難しい日本語なのに、何故か心地よい。
日本人でよかったと、時たま心に刻みたくなるような一節があちらこちらと転がっていて大好き。かっこいい。むしろバイブル。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

西行についての本を片っ端から読もうと決めて、手に取った本。
『西行』だけを読むつもりが、すっかり読みふけってしまいました。
受験生の時は鬼門だった小林秀雄が、かくも心に沁みるものかと、驚きのあまり泣けてくるほど。
絶品の日本語だと思います。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

この人の著作にはまらない人というのは僕は尊敬します。この人に心底批判的になってみたいです。 ぼくにはできません。 それくらい、僕は彼の不確かな日本語の論評が大好きです が

この頭でっかちの巨人は「音楽」を理解していたとはとうてい思えません。 音楽批評にはほころびがありませんが、だめです。  音楽を...続きを読むほんとうに理解する脳を、彼は封印していたとしか思えません。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

天才の孤独に肉薄する小林秀雄の闘争心に圧倒された。教科書が教えてくれた最大の財産。何度文章を書き写したかわからない。

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Posted by ブクログ 2022年07月16日

初めて小林秀雄の著作を読み、勝手に想像していたより内容がとっつきやすいことに驚いた。少し調べると、彼の評論の姿勢・内容に対する批判を見たが、そう言いたくなるのも理解できると思った。一方で、そうだそうだ!と私がならないのは、読んでいて彼の文章に「友達らしさ」を感じてしまったからだと思う。

坂口安吾の...続きを読む「教祖の文学-小林秀雄論-」を青空文庫で読んだ。小林秀雄に対する批判は真っ当だなと思う笑

いくつか、そうだなと思ったところを抜粋する。
・私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。....美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない、といふ表現は、人は多いが人は少いとは違つて、これはこれで意味に即してもゐるのだけれども、然し小林に曖昧さを弄ぶ性癖があり、気のきいた表現に自ら思ひこんで取り澄してゐる態度が根柢にある
・あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまつたから...小林秀雄も教祖になつた
・人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。だから小林はその魂の根本に於いて、文学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である
・彼はもう文学を鑑賞し詩人を解するだけだ。歴史の必然とか人間の必然といふ自分勝手な角度によつて、彼はもう文学や詩人と争ひ、格闘することがないのである。争ふとか格闘するといふことは、自分を偶然の方へ賭けることだから、彼はもう偶然などは俺にはいらないといふ悟りをひらいてゐるのだ
・思想や意見によつて動かされるといふことのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見てゐやしない。つまり小林の必然といふ化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たといふ月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいふそんな月が一体そんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文学だなんて、バカも休み休み言ひたまへ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当つてゐるのだとは阿呆らしい
・文学は生きることだよ。見ることではないのだ。生きるといふことは必ずしも行ふといふことでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉ぢこもつてゐてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚づつはぎとつて行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌ひだすのでなければダメだ。生きる人間を締めだした文学などがあるものではない
・人間孤独の相などとは、きまりきつたこと、当りまへすぎる事、そんなものは屁でもない。そんなものこそ特別意識する必要はない。さうにきまりきつてゐるのだから。仮面をぬぎ裸になつた近代が毒に当てられて罰が当つてゐるのではなく、人間孤独の相などといふものをほじくりだして深刻めかしてゐる小林秀雄の方が毒にあてられ罰が当つてゐるのだ。自分といふ人間は他にかけがへのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いつぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものゝ肖像によつて間に合はせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない
・文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目は常にたゞ自分が生きるといふことだけだ。良く見える目、そして良く人間が見え、見えすぎたといふ兼好法師はどんな人間を見たといふのだ。自分といふ人間が見えなければ、人間がどんなに見えすぎたつて何も見てゐやしないのだ。自分の人生への理想と悲願と努力といふものが見えなければ
・人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなつてしまふのだから。自分一人だけがさうなんだから。銘々がさういふ自分を背負つてゐるのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ

抜粋という量ではないが、どれもこれも私に刺さった。そうだな、そうだよな、と思いながら、やはり一方で小林秀雄に対する共感は消えない。坂口安吾の考えも心の底から賛同するが、私にはこれは生まれ持った性質の違いであって、どこまでも平行線で続くもの、同じ人間だからと同じ到達点に至らないところだと感じている。(これは全く持って私の感想なのだけれど)
坂口安吾のような人を私はとても好きだし、そういう言葉に救われることもあるのだけど、そのようになれるかというと別で、生来の考え方・捉え方は小林秀雄的な曖昧さに近い。

世の中はそのように曖昧に存在すると思っているし、言語化できないニュアンスを小林秀雄と共有していると私は感じてしまった。論理的に云々ではなく、直感でそう感じたというところが大きい。必ずしもすべての評論に納得するわけでもなく、小林秀雄先生万歳!となるほど心の底から納得しているわけでもないんだけど、なんとなく君の言いたいことはわかるよと思いながら読んでいたというのが近いかな。急に絵や音楽を思い出したり、自分の心がこういう風に動いたと書きまとめることを自分もやるからだろう。

特に好きだったのは「西行」の「いかにすべきか我心」が問題であった、という評論。
西行も、小林秀雄も、そして私もあまりにも自分の心を過剰に捉えているのかもしれないが、どうしてかそういう風になって生きているので、それを認識し変えようとしながらもどうしてもそうなる心というのを持て余しているのだ。
高校生の時に「行方無く月に心の澄み澄みて果ては如何にか為らんとすらむ」という一首に出会った時の衝撃を、小さいころからの自分と同じ状態を詠った歌人への同朋意識を、私はいまだに持ち続けている。

モオツァルトがかなしいか、いや全てがかなしいのである。

そういう心は浮世を離れてしまうので、坂口安吾的な人からの叱咤はいつも私を引き戻してくれるのだ。
もう少し小林秀雄を読みつつ、坂口安吾も読みたくなってきた。

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購入済み

2021年04月20日

小林秀雄の集大成というべき作品だと思います。毎回批評の切り口が斬新で、読者に新たな気づきをもたらしてくれます。難しい内容もありますが、教養として知っておくべき知識が盛り込まれているので、人生観を豊かにしてくれる作品でもあると思います。

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Posted by ブクログ 2020年08月06日

小林秀雄の文章を読んでいると心地が良いのだが、内容が良いものと悪いものがある。

近代批評の確立者と言われたり、評論をダメにしたとか言われたりするが、個性のある文章を書いたに過ぎないと思う。
大した内容でもないのに、引き込まれてしまう時があるし、全く面白くないのもある。
情報が多いと言われている現代...続きを読むに、もし小林秀雄がいたらどういう文章を書くのかなと思ってしまう。

・「モオツァルト」
モオツァルトの伝記を2つに集約している。

モオツァルトは歌劇作者よりシンフォニー作者としての方が立っている。

・「当麻」
(有名な一節)
美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。

・「西行」
西行は、歌の世界に、人間孤独の観念を新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。
(西行は和歌が素晴らしく、しかも長命のため多作)

・「実朝」
(鎌倉幕府第3代将軍でこちらも和歌が素晴らかったというのは初めて知った。)

・「徒然草」
吉田兼好は文章の達人であり、空前絶後であると、(とにかく褒めている。)

・「無常という事」
(著者の心に残った次の文章についての批評。)
「或云、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、
夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。
其心を人にしひ問はれて云、生死無常の有様を思うに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給えと申すなり。云々」

・「平家物語」
「盛衰記」と比べると格段の違い。
(「平家物語」の冒頭の神がかり的な素晴らしさ。)

・「蘇我馬子の墓」
石舞台は蘇我馬子の墓
竹内宿禰、大和朝廷、
愚管抄、日本最初の史論書
聖徳太子「経疏」
要約の出来ぬ美しさの大和三山

・「鉄斎Ⅰ」
富岡鉄斎 南画家 天保7年~大正13年
川端康成の処
鉄斎 酒を呑み、琴を弾きながら何処かへ行ってしまった人である。
気質 文人画家

「八十七歳の時に描かれた山水図を、部屋に掛けて毎日眺めているが、
日本の南画家で此処まで行った人は一人もないと思わざるを得ない。
文人画家気質は愚か、凡そ努力しないでも人間が抱き得る様な気質は、もう一つも現れていない。鍛錬に鍛錬を重ねて創り出した形容を絶したある純一な性格を象徴する自然だけある。」

「万巻の書を読み千里の道を行かずんば画祖となるべからず。」
董其昌の戒律を脇目もふらず遵奉したひとである。

・「鉄斎Ⅱ」
八十九まで元気旺盛にした仕事大器晩成という朦朧たる概念を実演しているようなもの、当人も志は画にないと言っているのだから致し方がない。
琳派
鉄斎は非常な読書家であった。併し、若し彼に画道という芸当がなかったなら、彼の雑然たる知識は、その表現の端緒を掴み得ず、雲散霧消したのではあるまいか。

・「鉄斎Ⅲ」
贋作と富岡鉄斎

・「光悦と宗達」
光悦について
岡崎政宗が有名な刀剣である政宗の由来となった人物。本阿弥光悦は偉大な芸術家。宗達は生国も死地もわからず伝説中の人物。

己れを失わずに他人と協力する幸福、和して同じない友情の幸福、そんな事を考える。

幸福は、己れを主張しようともしないし、他人を挑発しようともしない。

・「雪舟」
「慧可断臂図」の絵の元になったのは中国人の顔輝

百尺竿頭
「百尺竿頭に一歩を進むべし」
(極地に達したあと、さらになお向上の工夫せよ)

・「偶像崇拝」
高野山の赤不動を見てがっかり
・「骨董」
・「真贋」

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Posted by ブクログ 2017年01月11日

小林秀雄 「 モオツァルト 無常という事 」 表題のほか、中世文学、日本美術、骨董に通じる美意識を捉えた随筆。美意識を 耳で捉えている印象を受ける。逆説的な表現も とても面白い


表題の「モオツァルト」はモーツァルトの愚劣な生活と完璧な芸術の不調和に目付けした名随筆。肖像画と実生活からモーツァルト...続きを読む像にアプローチする方法も斬新


「モーツァルト」で 語られた「美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって〜普通一般に考えられているより遥かに美しくもなく愉快でもない」が、他の随筆の美意識にも つながっているように思う


「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」について、モーツァルトの音楽に 疾走感はあると思うが「かなしさ」とは何か。レクイエム、ミサ、オペラなど作品の悲しさ? モーツァルトの天才ゆえの孤独の悲しさ?掲載時(昭和21年の敗戦直後)における聞き手の悲しさ?



著者らしい逆説的な名言の数々
天賦の才というモーツァルトの重荷
「才能があるおかげで仕事が楽なのは凡才に限る〜凡才が容易と見る処に〜天才は難問を見る〜強い精神は容易な事を嫌う」

「努力は困難や障がいの発明による自己改変の長い道だ。いつも与えられた困難だけを、どうにか切り抜けて来た苦労人は、発育不全な自己を持っている」

モーツァルト作品
*世間の愚劣な要求に応じ、あわただしい心労のうちに成ったもの。制作とはその場その場の取引であり〜熟慮専念する時間はなかった
*即興は彼の命〜外部からの不意打ちに対する決意の目覚め〜彼のこの世に処する覚悟
*モーツァルトは何も狙いはしなかった〜モーツァルトは目的地を定めない。歩き方が目的地を作り出した〜他人の歌を上手に模倣するほど、自身のかけがえのない歌を模倣するに至る

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Posted by ブクログ 2014年01月08日

批評というのは小説と同様、創作行為に他ならない。ただし小説では時に作者は物語の陰に隠れられるのに対して、批評において言葉は作者そのものであり、語るべき対象ですら自身を写す鏡という違いがある。だからこそ知性と意思によって磨き上げられた評論は、抜き身の刀と向き合う様なスリリングな興奮が味わえる。近代人の...続きを読む権化たる小林秀雄の語り口は個人的であると同時に社会性を帯びており、戦後最初に発表したモーツァルト論は彼による敗戦後論とも受け取れる。そう、彼の語るモーツァルトと同じく、小林秀雄もまた歩き方の達人であったのだ。

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Posted by ブクログ 2013年01月27日

「評論の神様」小林秀雄の評論8編を収録。有名な『無常といふこと』は短く平易な文章で書かれているため、受験生にもオススメ。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年08月24日

 昭和20年前後に書かれた文章なのだが、私にとってはもはや古文に近い感覚があるのはちょっとショックだった。しかも、タイトルのモーツァルトのところはいいとしても、西行、実朝、平家物語のあたりになると、本当の古文の引用が目白押しで、自分でも恐らく半分も内容を理解できてないと思われるまま、何とか最後までた...続きを読むどり着いたという感じである。(そんなこともあって、7月10日に「決断力」を読み終わってから、こんなに日数が過ぎてしまった。)

 それにしても、内容は深い。「小林氏の批評美学の集大成」「批評という形式にひそむあらゆる可能性が、氏の肉声に触れて最高の楽音を発しながら響き合っていた」という解説もあるが、音楽から歴史から絵や骨董品まで、その守備範囲の広さには脱帽である。私は単にモーツァルトを読みたかっただけなのだが、ちょっと得をした気分である。

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Posted by ブクログ 2011年11月20日

本書に収められた16の評論・エセー・雑文の、配列順序が宜しいのは、編集者の手腕でしょうか。 
とくに「鉄斎」から最後の「真贋」までは、読み進めるにつれてくだけた話が増え、笑いすら誘う。
冒頭の「モオツァルト」は難解といえばそうであるが、筆者の言わんとするところは良く伝わっていると思う。

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Posted by ブクログ 2010年06月08日

「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。」様々なことに対して意見を寄せている著者。興味ある題目が多いのだか文章が難しいのでなかなか理解できない自分が悲しい。

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Posted by ブクログ 2010年05月30日

小林秀雄『モオツァルト・無常という事』を読む。
これまで小林秀雄の著作にはほとんどなじみがなかったが、
新潮新書の『人生の鍛錬 小林秀雄の言葉』を折に触れ開く。
小林秀雄の著作・講演から選り抜かれた言葉を
ゆっくり味わいながら、宝の山に分け入ることになった。

「無常という事」は、
高校国語の教科書...続きを読むで読んで以来40年ぶりに読み直した。
自分の受け止め方が変わった部分変わらない部分があることを
面白く思った。

過不足ない言葉で思想をカタチにする明晰。
情におぼれず、かと言って
論理でがんじがらめになることのない自由。
文章のリズムが気持ちよく身体になじんでいく。
僕も自分自身を見失うことなく、
小林秀雄との対話を自分の速度で続けていきたい。

台風11号が関東に近づき、
日本も自公政権から民主党主導政権に交替することになった。
こんなときこそ浮ついた言葉に惑わされず、
政治家たちの仕事ぶりをきっちり見ていきたい。

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Posted by ブクログ 2010年04月28日

和歌のくだりはごっつ眠いのでモオツァルトのみ評価。世間一般で知られている小林秀雄の評価から僕らの思い浮かべる人物像とはほど遠く感じる実際の秀雄像が、語り口からひしひしと感じられる気がします。CD等で聞いた印象を踏まえる限りサバサバした物言いの方なのだと思います。

導入はほどほどに、モオツァルトの...続きを読む評論は楽しいです。ちゃんと聞いていない方、もしくは聞いていても材料として提出された曲目が分からない方でも読み飛ばしてその世界観に触れる事が出来ます。もちろん、聞いている方が望ましいですが、ここから始め、深める道もあるでしょう。テーマがモオツァルトということですが、現在それに触れている一般の方を想像する限り学生かクラッシックを学ばれている方ぐらいしか想像出来ません。そんなあまり一般的でないテーマでありながら、読む進めるうちに実際に彼の短調のメロディラインを聞きながら読みたい、と思えるのは筆力からなのか、それとも絡みつく様な話力からなのか。

それにしても、対比として出されるスタンダールやワーグナーの天才性ですが、そこにも一悶着ありそうな扱い方でその辺でも、もしかしたら短編でも 書いていそうな勢いで、テーマにも構築する材料にも愛情が感じられ心地良く、また好奇心を掻き立てる内容でした。

あまり触れませんが残りの和歌が7割を占め、そちらも素晴らしく、西行や実朝の分析も面白いです。引用が豊富で一般的な高校の古典レベルでは、少しハードルが高く予備知識なしでは厳しいかと思います。

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Posted by ブクログ 2011年01月24日

収録作:モオツァルト、当麻、徒然草、無常という事、西行、実朝、平家物語、蘇我馬子の墓、鉄斎、光悦と宗達、雪舟、偶像崇拝、骨董、真贋

小林秀雄の好きだったものを並べましたよ、みたいな。要するに好きでもないものについて語るべきじゃないのである。とこれを読んで思ったのである。

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Posted by ブクログ 2020年01月10日

基礎知識がないと読み進めるのが辛いかも。頑張って読むと、その後の読書で感じ方が変わってくる気がした。
文字や知識からではなく直観で理解する、というと今の時代ではトンデモ論のように聞こえるかもしれないが、訓練され研ぎ澄まされた感覚ではそういう事が起こり得る。羽生善治さんの「大局観」とも通じる感覚だろう...続きを読む

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Posted by ブクログ 2016年11月20日

批評といえば、この人。
なのだが、分からない。全く分からない。
参った。素晴らしいことを伝えているんだと思うが、分からん。
いつかわかる日が来ることを願う。

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Posted by ブクログ 2014年03月12日

高校生の頃買った本.小林秀雄は教科書にものっていたし,大学入試でも定番だったから,読もうとしたのだろう.その当時の私には読めなかっただろうと思うが.

さて,長い年月を経て「モオツァルト」「徒然草」「無常という事」「骨董」「真贋」を読む.

さすがに「モオツァルト」はいいたい事はよくわかる.しかしな...続きを読むんとも音楽の聞こえてこない評論.音楽そのものではなく音楽から引き起こされる文学的な感興を文章にしたような感じ.むしろ小林秀雄の興味は音楽そのものよりも,モオツァルトという人間にあるといった方がよいかも.

また,読みながら始終,もっとわかりやすい表現があるだろ,とか思ってしまう.つねに伝えたい内容に対して,文章が過剰なように私には思える.こういうのを知的でカッコいいと思う人もいるんだろうが.

「無常という事」は残念ながら私には初めの古文の意味が完全にはわからない.全体の意味も正直なところはっきりわかったとは言いがたい.こういうのが大学入試に出るとホントに困る.

「骨董」「真贋」はエッセイ.わたしにはちょっとペダンティックにすぎ,まったく楽しめなかった.

読み残したものたちは,古典,日本美術の教養のない私にはちょっと近寄りがたい.

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Posted by ブクログ 2010年07月09日

批評って元々よくわからないんだけど、ますますわからない。
突き放したような書きぶりだと思ったら、急に個人的な印象の話になる。そうかと思えばまた一般論に戻る。
そういう、立ち位置やテーマとの距離感が次々と変わっていくようでどんなスタンスで読み進めていいのかわからない。そんな書きぶりに振り回されているう...続きを読むうちになんだかわからないまま終わってしまった。

正直、小林秀雄がどれだけすごいのかわからなかった。これだけ評価されているのだから間違いなく何かがあって、それを読み取れなかったんだろうな、とは思うんだけど。もっと知ってもっと考えないといかん、てことだろうか。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日


考えるヒントの小林秀雄。
色々と勉強になった。
特に Mozart = tristesse これにはとても賛成できる。
天才っていうのは常にどこか様子がおかしかったりするものです。
そして常に見えない悲しみの中にいます。

時々飽きてくるところもあったけど、その他の「当麻」、「徒然草」、「無常とい...続きを読むう事」、「西行」、「実朝」、「平家物語」、「蘇我馬子の墓」もよかったよ。
沢山勉強しないと書けないよね、こういうのは。

作者がちょっとだけ麻生太郎に似てると思うのは私だけですか?

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

模倣は独創の母である。唯一人のほんたうの母親である。二人を引離して了つたのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会へようか。僕は他人の歌を模倣する。他人の歌は僕の肉声の上に乗る他はあるまい。してみれば、僕が他人の歌を上手に模倣すればするほど、僕は僕自身の掛けがへ...続きを読むのない歌を模倣するに至る。これは日常社会のあらゆる日常行為の、何の変哲もない原則である。だが、今日の芸術の世界では、かういふ言葉も逆説めいて聞える程、独創といふ観念を化物染みたものにして了つた。(小林秀雄 『モオツァルト』)


模倣でない独創は無い、と言っている。
小林秀雄だけでなく、この類の物言いは少し探せば幾らでも見つかる。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

正直なところ、あまりよくわかりませんでした(全体的に)。よくわかる人はいらっしゃるのでしょうか?でも、「モオツァルト」は読めば読むほどわかる部分が出てきて、ちょっと楽しかったです。「無常という事」も最後の最後で「なるほど」と思いました。でも、最終的な感想としては「よくわからなかった」になります。不思...続きを読む議です。私にはまだ早すぎたのかもしれません。死ぬまでに理解できるかも疑問ですが。

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