小林秀雄のレビュー一覧
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読んでみたいと思いながら、後回しにしていた小林秀雄。
没後40年にあたり、初めて手にした。
学生時代に中原中也を好んで読んでいた頃の印象で、小林秀雄を「中也と女性を奪い合った」というエピソードでのみ歴史に登場する人物、と長らく思っていたが、違った。
さて、本書『本居宣長』だが、そのスコープは、本居宣長が信じた「学ぶ力」「もののあはれ」「やまとごころ」にあると見える。
江戸初期の林羅山から始まる当時の官学=朱子学=漢学をメインストリーム或いは「実用」とするならば、宣長はそこへ「理想」というコンセプトを持って学を提案する。
儒教のような「海外の教え」を重宝がるばかりで、何故日本の心を学ばな -
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小林秀雄は、ちょっとわかりづらいというか、難しいと感じました。
何度も目をとおしたのですが、なかなか、頭にはいってこない。
書きおろしっぽくて、並びも、自由というか、話の一つ一つが、中で完結していて、連携が薄いと感じました。
気になったことは以下です。
・常識を守ることは難しいのである。文明がやたらに専門家を要求しているからだ。私たち常識人は、専門的知識に、おどかされ通して、気が弱くなっている。私のように、常識の健全性を、専門家に確かめてもうらうというような面白くない事にもなる。
・常識がなければ、私たちは一日も生きられない。だから、みんな常識は働かせているわけだ。併し、その常識の働きが利 -
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剣道で何回打ち込んでも軽く否され、鮮やかな一本を返される、そんな心境だ。この本を読んだのが3回目か4回目、正確には何度目か覚えていない。いつも、ドフトエスキーが新婚旅行で癲癇を起こしながら借金に追われて博打に狂う場面で「そうだそうだ、こんな酷い無茶苦茶な奴だったんだドフトエスキーは」と前に読んだことを思い出す。回を重ねる毎に彼の小説を書くことへの拘りと創作の経緯が伝わってくる。初めの頃は、何が何だかわからず、遠くて寒いロシアの活劇でも見させられているような気持ちになり、途中で読むのをやめた覚えがある。彼の人生の振幅の激しさと小林の難しい解説に自分の思考力と気持ちがついていけず否された、そして読
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印象に残ったこと
・歴史について
現在の学校教育では、何年に何が起きたかを暗記することで点数が得られる形式をとっていると思う。
私自身も歴史は暗記するものであるという認識があったが、小林秀雄が述べた「歴史とは上手に思い出すこと」という言葉に感銘を受けた。出来事を客観的に追っていくだけでなく、当事者の立場に立ち、彼らが感じたことや思ったことを自らのことのように想像することで、彼らの喜びや悲しみに共鳴することに趣があるのかと納得した。
これは過去の人物に対してだけでなく、実在の他人に対しても、同様に想像することが重要であると感じた。
また、クラシック音楽を嗜む身としては、音から作曲者のまざまざと -
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本書の奥付を見ると昭和48年3月発行、49年かかって読み終えた。それほど小林秀雄という山は険しいのだ。しかし、「Xへの手紙」は面白い。人間論、政治論、そして恋愛論、若き小林の生の声を聞くようだ。長谷川泰子との凄まじい恋愛がベースにあると仄聞するが、こんなところに表出している。「俺の考えによれば一般に女が自分を女だと思っている程、男は自分を男だとは思っていない。この事情は様々の形で現れるがあらゆる男女関係の核心に存する。惚れるというのは言わばこの世の人間の代りに男と女とがいるという事を了解する事だ。女は俺にただ男でいろと要求する、俺はこの要求にどきんとする。」
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初めて小林秀雄の著作を読み、勝手に想像していたより内容がとっつきやすいことに驚いた。少し調べると、彼の評論の姿勢・内容に対する批判を見たが、そう言いたくなるのも理解できると思った。一方で、そうだそうだ!と私がならないのは、読んでいて彼の文章に「友達らしさ」を感じてしまったからだと思う。
坂口安吾の「教祖の文学-小林秀雄論-」を青空文庫で読んだ。小林秀雄に対する批判は真っ当だなと思う笑
いくつか、そうだなと思ったところを抜粋する。
・私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。....美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない、といふ表現は、人は多 -
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小林秀雄 「 モオツァルト 無常という事 」 表題のほか、中世文学、日本美術、骨董に通じる美意識を捉えた随筆。美意識を 耳で捉えている印象を受ける。逆説的な表現も とても面白い
表題の「モオツァルト」はモーツァルトの愚劣な生活と完璧な芸術の不調和に目付けした名随筆。肖像画と実生活からモーツァルト像にアプローチする方法も斬新
「モーツァルト」で 語られた「美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって〜普通一般に考えられているより遥かに美しくもなく愉快でもない」が、他の随筆の美意識にも つながっているように思う
「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」について、モー -
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小林秀雄 「 ドストエフスキイの生活 」 人物評価的な略伝のカテゴリーに入ると思う
著者のドストエフスキー像は逆説的な表現が多い
*人間は作品の原因なのでない〜むしろ、人間は作品の結果なのである
*事件は彼にふりかかったのでなく、彼の運命が事件を希望したのである
キーワードは、生活、病者の光学、パウロの回心
「本居宣長」など他の作品とは方法論が異なるように思う
生活者は 労働(芸術)のために生きている人とのこと。小林秀雄は、労働を奪われたら生きていけない人を生活者と呼び、ドストエフスキーを生活者とみている
病者の光学とは、死から復活した人間として対象を捉えること。小林秀雄 -
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小林秀雄という名前は聞いたことがあったが、初めて読んでみた。
生の経験や対話を重視する言葉がいくつも出てくる。
科学を否定するように聞こえる言葉もあるが、科学という一つの物差しで測れない人とのつながりや生きる意味など、そういうものにまで科学を取り入れようとする(また測れないから無用だとする)風潮を否定するように感じられた。
で、科学的な手続きによらないひらめきのようなものも人間には確かにある。
何年に何が起こって、その証拠がこれで…という考古学も必要だが、歴史上の人物の思想や信念に身を委ねるうちに、自分の思いや信じることに気づくこともできる、まるで鏡に写したように。
そういう、自分というものを -
購入済み
小林秀雄の集大成というべき作品だと思います。毎回批評の切り口が斬新で、読者に新たな気づきをもたらしてくれます。難しい内容もありますが、教養として知っておくべき知識が盛り込まれているので、人生観を豊かにしてくれる作品でもあると思います。
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全集の方に載っていた菊池寛先生についてや中原中也等重複するものもあつたが、改めて彼の見た作家たちの姿に触れてみる。
作家の生活と作品の乖離や矛盾についてはよくよく取り上げられるし、作品と個人的な出来事はよくよく結び付けられて論じられる。そして、時に生活が作品を規定するかのやうに、あたかもその人間の個人的な出来事を知れば作品がわかるかのやうに振舞はれる。
作品は作家の顔だ。人間を見つめるとき、顔を見ないで接することなどできやうか。意地汚い人間は顔に意地汚さがにじむ。聡明さはそのことば、表情に現れる。生活と作品がそも矛盾するものなのか。そもそも矛盾のない生活などありうるのか。それぞれがその矛盾に折 -
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小林秀雄の文章を読んでいると心地が良いのだが、内容が良いものと悪いものがある。
近代批評の確立者と言われたり、評論をダメにしたとか言われたりするが、個性のある文章を書いたに過ぎないと思う。
大した内容でもないのに、引き込まれてしまう時があるし、全く面白くないのもある。
情報が多いと言われている現代に、もし小林秀雄がいたらどういう文章を書くのかなと思ってしまう。
・「モオツァルト」
モオツァルトの伝記を2つに集約している。
モオツァルトは歌劇作者よりシンフォニー作者としての方が立っている。
・「当麻」
(有名な一節)
美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。
・「西行」