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Posted by ブクログ
彼の叫びが木霊する。世界は明滅を繰り返す。
生きていることが地獄であると知ってしまうことはどれほど窮屈なことだろうか。社会だとか、貧困だとかで地獄なのではない。そんなものは彼が何よりも嫌ったものだ。生きて死ぬこと、このことを前にしては、そんなもの些末なことに過ぎない。どんなにことばの地獄で汚そうとしても、どんなにことばで新しいものを錬金しても、どこまで行ってもことばから離れられない、そして、それゆえにすべてのことが許されてしまっている。だから、地獄なのだ。もう、ひとにもまれて踏みにじられ、そうやって生活して生きるよりほかないのだ。人生は茶番ではない。
そんな彼の乾いた孤独を誰がわかってくれただろう。あのヴェルレーヌでさえ、結局は腑抜けた腰抜けだった。
筆を折ったのはもう語ることが何ひとつないと気づいてしまったからなのか。『酔いどれ船』で宇宙に飛び出したかと思っていたが、彼が飛び込んだのは実は深い深い土の中だった。その時彼は泣かなかったのだろうか。書くということから背を向けて歩き出す彼の姿が、強く見えて、でも悲しく見える。
Posted by ブクログ
こんなにも大きく豊かな広がりがあって、強く重く濃い作品をも、ひとは詩と呼ぶのだろうか。より適切な表現は何かないものだろうか・・・とランボーの詩に触れるたびに考えていた私にとって、この岩波書店の文庫は表紙からすばらしい。
「ヴェルレーヌが『非凡な心理的自伝』と評した散文詩」という(私にとっては)衝撃的&心底納得する事実や、その他ランボーに関する大まかな情報が、表紙を使って的確に紹介されているのである。
『非凡』であることは分かりきっていたけど、なるほど、『心理的自伝』とはさすがヴェルレーヌ氏。ものすごくしっくりくる表現である。
そして『非凡な心理的自伝』は、ランボーが、選び抜いた言葉をもっとも魅力的に組み合わせて、ランボーのみが持つ「地獄の季節」という世界を描き切ったものであるが、それを小林秀雄が用いる日本語で置き換えてあるからこそ、なおさら、私を惹きつけてやまない作品となっている。
天才と天才の相乗作用は、計り知れないものがある。
ランボーに強く惹かれているときは、原文を理解できない自分が残念に思えたりもするのだが、ランボー作・小林秀雄訳という形を読めるということには、大変な幸せを感じる。
といっても、どのみち理解できたとはいい難い。
もちろん原文のままでは話にならず、小林秀雄氏の力は先に述べたとおり、充分すぎるほど充分なのだが、それでも熱中して読んでいると理解できない、というより、理解する気にならない、という感覚に陥る。
おそらくランボーの言葉たちは、私の理性にはまったく働かず、感性や本能といった部分を直撃してくるのだろう。
Posted by ブクログ
ランボウの詩集ですね。
訳は、小林秀雄さん。
初版は1938年。復刻版です。
ランボウの代表作であり、最後の作品ですね。
散文詩が主です。
「錯乱 Ⅱ 」
夏、朝の四時、
愛の睡りはまださめぬ、
小立には、
祭の夜の臭いが立ちまよう。
向こうの、広い仕事場で、
エスペリードの陽をうけて、
もう『大工ら』は
肌着一枚で働いている。
苔むした『無人の境』に、黙りこくって、
勿体ぶった邸宅を、大工らは組んでいる、
街はやがてその上を、
偽の空で塗り潰そう。
ヴィナスよ、可愛い『職人ども』のために、
バビロンの王の家来たちのために、
暫くは心驕った『愛人たち』を、
離れて来てはくれまいか。
ああ、『殺人たちの女王様』、
大工の強い腕節が、真昼の海の水浴を、
心静かに待つようにと、
酒をはこんで来てくれまいか。
『出 発』
見飽きた。夢は、どんな風にでも在る。
持ち飽きた。開けても暮れても、いつみても、
街々の喧噪だ。
知り飽きた。差し押さえをくらった命。
ーーああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。
出発だ。新しい情と響きとへ。
「海 景」
銀(しろがね)と銅(あかがね)の車ーー
鋼と銀の船首がーー
泡を打ち、ーー
茨を根元から掘り起す。
曠野の潮流と
引潮の巨大な轍は、
ぐるぐる廻り、流れ去る、東の方へ、
森の列柱の方へ、ーー
波止場の幹材の方へ、
その角は光の旋風に衝突する。
周知のように、この作品はランボウの文学への絶縁状であり、若き天才の圧縮された文学的生涯のすべてが結晶されています。
小林秀雄さんの名訳で、堪能しました(=゚ω゚=)
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