【感想・ネタバレ】地獄の季節のレビュー

あらすじ

マラルメ、ヴェルレーヌとならぶフランス象徴派の詩人ランボオ。その文学への訣別の辞ともいうべき『地獄の季節』、言葉の錬金術の実験室といわれる『飾画』は、彼の特異の天禀を示した代表作である。鋭い叡知と感受性、強烈な野性と独創的な技巧を奔放に駆使したこの天才詩人は近代詩史上の明星として輝きつづけるであろう。

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Posted by ブクログ

人生のもっと早い時期に読むべきだったと悔やまれる一方、今からでも読んで本当に良かったとも思えます。
天才から吐き出される言葉。

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2021年05月30日

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彼の叫びが木霊する。世界は明滅を繰り返す。
生きていることが地獄であると知ってしまうことはどれほど窮屈なことだろうか。社会だとか、貧困だとかで地獄なのではない。そんなものは彼が何よりも嫌ったものだ。生きて死ぬこと、このことを前にしては、そんなもの些末なことに過ぎない。どんなにことばの地獄で汚そうとしても、どんなにことばで新しいものを錬金しても、どこまで行ってもことばから離れられない、そして、それゆえにすべてのことが許されてしまっている。だから、地獄なのだ。もう、ひとにもまれて踏みにじられ、そうやって生活して生きるよりほかないのだ。人生は茶番ではない。
そんな彼の乾いた孤独を誰がわかってくれただろう。あのヴェルレーヌでさえ、結局は腑抜けた腰抜けだった。
筆を折ったのはもう語ることが何ひとつないと気づいてしまったからなのか。『酔いどれ船』で宇宙に飛び出したかと思っていたが、彼が飛び込んだのは実は深い深い土の中だった。その時彼は泣かなかったのだろうか。書くということから背を向けて歩き出す彼の姿が、強く見えて、でも悲しく見える。

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2016年04月09日

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ネタバレ

詩集の題名は『 UNE SAISON EN ENFER 』で、直訳すると『地獄時代』になる。「普仏戦争・ランボーが熱狂的に応援した革命政府(パリ・コミューン)の崩壊・ヴェルレーヌとの地獄の旅」を体験したランボーの青春は確かに「地獄時代」かもしれない。ただ、フランス語の「SAISON」には英語と同じく「季節」という意味があり、「比喩」と見て『地獄の季節』という題名でも問題ないと思う。

ランボーは自筆原稿・本の多くを燃やし、小林秀雄が『飾画』と訳した『イリュミナシオン』はランボーが「燃やさずに残した詩を未完成のまま編集した詩集」だった。

このためランボーの詩のテキスト整理に時間がかかり、『地獄の季節』の「gargouilles (怪獣の形をした屋根の雨水落とし・屋根を流れる雨水を受けて、地上や下水道に導くための樋)」を「蛇口」と訳すなど、少し誤訳がある。しかし、これはランボーの責任であり、小林秀雄の不運だったと弁護しておく。

『イリュミナシオン』の原稿が最悪で、「二つの詩が一つの詩に見える・韻文詩が散文詩に見える」という代物だった。こうした悪条件の中で、ランボーの翻訳に取り組んだ小林秀雄の努力は評価すべきだと思う。

ちなみに「『Fairy』と『戦』は一つの詩だった」という説もあり、「ランボーのフランス語テキスト」がまた、変更される可能性もあり。

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2013年04月21日

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16でこれを書いた驚きもあるけど、16じゃなきゃ書けないというほうがしっくりくる。鮮烈と成熟の奇跡的な共存。
もうひとつ言わなければと思うのが、俺はやはりこの小林秀雄訳の岩波文庫版じゃなければ半減すると思ってる。

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2013年04月05日

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散文詩集「地獄の季節」「飾画(イリュミナシオン)」の
カップリング。
大学生のとき、通学電車の中で貪り読んだのを思い出す。

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2021年03月24日

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小林秀雄訳。現在進行形で苦戦中の本です。おそろしいことに、苦戦が終わる日は永遠に来ないかもしれません。ランボオは18歳でこれを書き、原稿のほとんどを自宅の暖炉で燃やした挙句、あっさりと詩そのものを捨てました。
言葉の錬金術。眩暈をも定着する狂気。

Elle est retrouvée.
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

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2011年11月21日

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ネタバレ

たかだか16,7歳の「ガキ」にこんな詩を書かれたら、もはやそんじょそこらの詩人はお手上げだろう。ヴェルレーヌをも魅了したランボオのこの一節は、ヌーベルヴァーグの旗手ゴダールの「気狂いピエロ」にも出てくるが、あまりにも強烈だ。

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2011年10月23日

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こんなにも大きく豊かな広がりがあって、強く重く濃い作品をも、ひとは詩と呼ぶのだろうか。より適切な表現は何かないものだろうか・・・とランボーの詩に触れるたびに考えていた私にとって、この岩波書店の文庫は表紙からすばらしい。

「ヴェルレーヌが『非凡な心理的自伝』と評した散文詩」という(私にとっては)衝撃的&心底納得する事実や、その他ランボーに関する大まかな情報が、表紙を使って的確に紹介されているのである。
『非凡』であることは分かりきっていたけど、なるほど、『心理的自伝』とはさすがヴェルレーヌ氏。ものすごくしっくりくる表現である。

そして『非凡な心理的自伝』は、ランボーが、選び抜いた言葉をもっとも魅力的に組み合わせて、ランボーのみが持つ「地獄の季節」という世界を描き切ったものであるが、それを小林秀雄が用いる日本語で置き換えてあるからこそ、なおさら、私を惹きつけてやまない作品となっている。

天才と天才の相乗作用は、計り知れないものがある。
ランボーに強く惹かれているときは、原文を理解できない自分が残念に思えたりもするのだが、ランボー作・小林秀雄訳という形を読めるということには、大変な幸せを感じる。

といっても、どのみち理解できたとはいい難い。
もちろん原文のままでは話にならず、小林秀雄氏の力は先に述べたとおり、充分すぎるほど充分なのだが、それでも熱中して読んでいると理解できない、というより、理解する気にならない、という感覚に陥る。

おそらくランボーの言葉たちは、私の理性にはまったく働かず、感性や本能といった部分を直撃してくるのだろう。

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2011年09月14日

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早熟の天才ランボー。10代のうちに早くも筆を置き、武器商人へと転身し多くの謎を残して逝ってしまった。
彼の代表作である本書は今も血が通っているようで生々しく多くの人を惹きつけます。
詩人の中でも著しく才能のあった人物です。

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2011年06月16日

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今の段階では全読していない。昔、教科書にのっていて忘れられなかった詩が入っているので買ってみた。訳者は違うが。
また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。

頷いた。

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2009年10月07日

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読んだのは小林秀雄版ではなかったけど、もうこれで投稿してしまおう。詩はかくあるべき、な強く美しい言葉の羅列。

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2025年07月08日

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藍色の海峡からオシアンの海にまで、葡萄酒色の空に薄くいろどられた薔薇色とオレンジ色の砂のうえに、幾筋もの水晶の大通りが高まり交叉すると、時を移さず年若く貧しい家族が住みついて、果物屋で命を保つ。豊かなものは何ひとつない。


詩集にはランボオの生い立ち、人生についての記載が沢山あり、解説者もランボオの人生と織り交ぜながら詩を解説しているのに最後のページで村上龍がランボオの人生とこの作品は全く関係ない。暇な日本人が作品と作者の生き方を重ねるというセンチメンタルな愚を犯すのが大好きなだけ。と書いてあって笑ってしまった、きっと深い意味はなくその通りなんだろうな。

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2025年06月29日

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ランボー 地獄の季節 。別訳本や解説本と一緒に読むと理解が深まる。詩人ランボーの反抗と挫折、生活、魂の告白と消耗、言葉の破壊と虚無と創造

地獄=キリスト教的な地獄。私とは一つの他者→イロニー=自己からもう一つの自己を生み出すこと→自己を批判し、笑い、突き放すこと

「私は美を膝の上に座らせた」〜錯乱Ⅱ末尾「今、美にお辞儀できる」とつながっている
*美=既成の詩→詩に関わる前は 毎日が饗宴
*美→苦々しい奴→醜い内実をつく→ランボーの真骨頂
*私は正義に対して武装した=キリスト世界への反抗
*親愛なる悪魔=ヴェルレーヌ?

悪い血=自分探しの旅に出てはいけない
*ゴール人=自分のルーツ→悪い血の第一確認
*白人的な生や存在を拒否→黒人、獣としての生きる力
*黒人=非キリスト教的な野生の人、理想的な黒人
*自然のままの光の黄金の花火となって生きる

地獄の夜=キリスト教との戦い
*地獄にいることが 恍惚であり、悪夢
*火の雫(しずく)=地獄の洗礼を意味→地獄の季節の核心的表現→火と水の結合概念
*俺は疲れた=魂の費消
*キリスト教の観念、道徳に対して 偽りの回心
*ゆえに我地獄にあり=自分の弱さに我慢ならない→地獄の苦しみ

錯乱Ⅰ
*語り手は 狂気の処女へ。狂気の処女=初期のランボーの魂(キリストを信じていた)
*二人の共同性の破綻→憎しみ合う

錯乱Ⅱ言葉の錬金術
*語り手は 地獄の夫へ。地獄の夫=現在のランボーの魂
*母音に色=異教徒の言葉(フランス語ではない)

「最初は試作(エチュード)だった〜沈黙を、夜を書いた」
*かき出す術のないものも書いた=言い表せるものの限界を越えようとした

「私は 魔法の詭弁を 言葉の幻覚によって説明した」
*詩人の物語が詩人の挫折の物語へ反転
*言葉自体が幻覚を起こす→言葉が勝手に動き狂う
*一番高い塔の歌=狂い始めた言葉たち

「永遠」という詩
*永遠=太陽に溶け込んだ海→火と水の結合概念
*空無の詩

「私は架空のオペラになった」
*多声的演劇構造
*架空のオペラ=意義の小さい仕事
*道徳とは 脳髄の衰弱である→見栄を切っている

「私は虹の橋に呪われていた」
*虹=旧約聖書の神との契約→それにより 地獄に堕ちた
*幸福の詩

不可能、閃光、朝 は 地獄の夜から 朝へ。最後の別れへ

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2018年12月21日

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彗星の如く登場した詩人ランボオの詩集。「地獄の季節」と「飾画」が併録されている。詩集というよりは独白に近い文章が綴られている。ランボオについては無知であるため詳しくは分かりかねるが、灰色の青春を送った孤独な青年の独白という感じだろうか。難解な語句が出てくるが、それを抜いても心を貫く一文があるだろう。その一文がどれなのかは人それぞれであると思いたい。

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2017年07月26日

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 ≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫で引用されている著作を探しているときにたまたま偶然手に取る。

 詩集でした。うん詩集。
 ≪十六歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人≫というおもしろいアオリに惹かれて購入したら、これがとんだ間違いでした。
 いえ、間違いと言いますか、なんというか、途中、何度生欠伸を噛み殺し船をこいだことか。
 ランボオと彼のファンにぶん殴られそうだ。
 しかしながらそれ、陰鬱なる叫びがだだもれてびくびくする。
 なんというか、これは、若い感性があるうちでしか書けない作品のひとつだったのだろうと穿ち過ぎかもしれないけれどそう感じられるような吐露で、嗚呼、若いうちからこんな吐露をしていたらすべてが青く見えるだろうなあと。

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2013年10月18日

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小林秀雄氏を通したランボオ
詩の受け止め方が下手なのですが、熱いものが伝わってくる。
夭折した人間のエキスがぎゅーっと詰まっている感じ。

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2013年05月16日

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いろんな翻訳家のものがありますが、やはり小林秀雄のが、サイコウ。

16歳で詩を書き始め、19歳で筆を折る、何と小憎らしい詩人でしょう。

でも、やっぱりスゴイなあ 。

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2013年01月18日

Posted by ブクログ

まるで、走馬灯の中に佇んでいるような感覚だ。その激しい流れの中で、様々な感情、情景、景色が躍っている。それは、一種の夢の世界か。いや、いってみればそれは狂乱だ。しかも、決してそれに惑わされている様子はない。幽かに見える芯は、とても閑静としている。その源はなんだろうか。激しい感受性の暴発の中で、静かに時間の中を泳いでいる、もう一人のランボーが居るようでならない。それは、静かにニヒルな微笑みを浮かべ、言葉を紡ぎ続けている。

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2013年03月04日

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ひたすら凄いとしか言いようがないんだけど。

翻訳家の小林秀雄も凄い。
何たるボキャブラリー。

そもそも文学なんて 学生が読むものなんだから、何でも厨二病で片付けるのはどうかと思うよ。

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2011年05月05日

Posted by ブクログ

2011.01.17-

『地獄の季節』
苦しみを、怒りを、煮詰めて凝縮させて美しい結晶にまで高めた。
全身全霊で詩と向き合い、己の全てをかけて捨て去った。きっと彼は自分の思うとおりに生きたんだろう。そう信じたい。

地獄の夜
 明らかに、俺たちはこの世にはいない。何の音も聞こえて来ない。俺の触感は消えた。ああ、俺の城館、俺のサックスと柳の林。夕を重ね、朝を重ね、夜は明けて、昼が来て、……ああ、俺は疲れた。
 怒りのために俺の地獄が、驕りのために俺の地獄が、――さては愛撫の地獄が、俺には要ったのかも知れない。地獄の合奏。
 疲れた果てはのたれ死だ。いよいよ墓場か、この身は蛆虫どもにくれてやる。ああ、思ってもやりきれない。悪魔め、貴様も道化者だ、いろいろな妖力で、この俺が蕩かしたいとは。よし、俺は要求する、戟叉(げきさ)の一撃、火の雫、いいとも、結構だ。
 ああ、また、生活へよじて行くのか、俺たちの醜さに眼を据えるのか。この毒、この口づけ、重ね重ねも呪わしい。この身の弱さと、この世の辛さ。ああ神様、お情けだ。この身を匿い給え、俺にはどうにも扱えない。――俺は隠されている、しかも隠されていない。
 火は亡者を捲いて立ち直る。

「飾画」
大洪水後
『大洪水』の記憶もようやく落着いた頃、
一匹の兎が、岩おうぎとゆらめくつりがね草との中に足を停め、蜘蛛の網を透かして、虹の橋にお祈りをあげた。

少年時
Being Beauteous
酩酊の午前

断章
網を鐘塔から鐘塔へ、花飾りを窓から窓へ、金の鎖を星から星へと張り渡し、俺は踊る。


道徳も言葉もとうとう、ほんの単純な表現に還元されてしまった。自分を識ろうとする要求を持たぬ、この幾百万の人々は、すべて一列一体、教育を、職業を、老齢を曳いていく。

街々
鐘楼の群れは、人々の想いを歌い、骨で築いた城からは、聞いたこともない楽の音が洩れる。

ランボオは金属や宝石が好き。

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2014年10月15日

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現代文、古文ともに、国語の授業の成績だけは良かった学生時代。が、詩だけは、全く分かりませんでした。
ほんの数冊、詩集や詩について書かれたものを読んでみましたが、やっぱりよく分かりません。その時は分かった気になるけど、何を理解したつもりになったのかすら、すぐに忘れてしまいます。
そんな私でも、ランボオのAube(黎明、または夜明け)を、美しいと感じ、最終行にたどり着くまでの21列を、1段ずつ降りながら、ゆっくりとその世界に浸るのでした。

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2010年12月21日

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時々、突然読む本。
まあそれはそれは酷く才能に溢れた中2病。これとカラマーゾフって、なんとなく同じイメージが湧くんだけどなんでだろう。


これを通勤時間に読むと、得も言われぬ気恥ずかしさを体感できますので皆さん是非。

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2010年12月07日

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ランボオは120年前くらいにこんなこと言ってる。”ところで暮らせるものだけは、決して手に入るまい、僕は静かに生きも静かに死にもしまい、これほど確かな事はありますまい。””要するに、回教徒が言う「世の定め」だ。これが人生です。人生は茶番ではない。”言い切ったね。問題ない。そのとおり。そっから。人って歩き出す。カッコいい。

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2011年09月15日

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3.8/5.0

反逆的、反抗的で、自由な言葉遣いと豊潤なイメージを想起させるフレーズが印象的だった。
小林秀雄訳によるカチッとした文体もカッコよく感じた。

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2025年06月02日

Posted by ブクログ

ふと古書店で気になって手に取ってしまいましたが、
仕事やプライベートで忙しい時に外国の、しかも詩を読もうとしちゃいけない……。

こういったものは心と時間に余裕のある時にゆったりとした気持ちで読むものだ、と実感いたしました。

またいつかゆっくりと読んでみよう。。

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2019年09月22日

Posted by ブクログ

早く亡くなった人かと思ってたら、50年近く生きてる。
有名な詩の部分は、なにか、目を留める文章だと思う。これを訳した小林さんの力もあると思う。
前半の「地獄の季節」は面白く感じたけど、後半の「飾画」は分からなかった。
沢山の仕事を転々としているっぽい。
映画を発見したので、そちらを見て、どの時にどの詩を書いたのか、見てみたい。

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2017年11月24日

Posted by ブクログ

人情的なもの感傷的なもの或は形而上学的なものそういうものが織り成す雰囲気さなぞに一顧も與へていない。と訳者の小林秀雄は言う。それがゆえ、逆に、詩そのものよりもランボウ個人の思考へと興味が移ってしまうのか。とにかく自分の無知を露呈された。

ランボウはこれを19歳で書き上げた。こんな19歳が今も世界中にいると思うと恐ろしい。翻訳は専門の人のほうがいいのではないか。小林秀雄の訳には作家としての欲が見え隠れする。

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2012年12月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 ランボーの代表作。



 夜明け、より引用/

「俺は彼女の途轍もなく大きな肉体を、仄かに感じた。夜明けと子供とは、木立の下に落ちた。
 目を覚ませ、もう真昼だ。」

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2012年04月07日

Posted by ブクログ

正直前半はそんなに面白いとは思わず。しかしこれが書かれたのは筆者が若干十代のときのはず…『悪の華』ほど毒吐きではないものの、その分若さによる激烈さに溢れてます…

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2010年04月29日

Posted by ブクログ

インテリチックで美の感性にあふれている
悪徳まみれを装いすぎてる感もある
マッチョイズムにたいしてある種の恐れと憧れを抱いているかもしれない

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2009年10月07日

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