Posted by ブクログ
2021年01月23日
全集の方に載っていた菊池寛先生についてや中原中也等重複するものもあつたが、改めて彼の見た作家たちの姿に触れてみる。
作家の生活と作品の乖離や矛盾についてはよくよく取り上げられるし、作品と個人的な出来事はよくよく結び付けられて論じられる。そして、時に生活が作品を規定するかのやうに、あたかもその人間の個...続きを読む人的な出来事を知れば作品がわかるかのやうに振舞はれる。
作品は作家の顔だ。人間を見つめるとき、顔を見ないで接することなどできやうか。意地汚い人間は顔に意地汚さがにじむ。聡明さはそのことば、表情に現れる。生活と作品がそも矛盾するものなのか。そもそも矛盾のない生活などありうるのか。それぞれがその矛盾に折り合いをつけ、世の中との接点を見出すそれこそが、人間のさくひんではなからうか。
そこを矛盾をないやうに隠さうとしても必ず顔ににじみ出る。それが現れないやうな作品だとするなら、そんな作品は読む価値がない。頭で拵えられた実体のない空虚な言葉だと思ふ。
小林秀雄がそのご縁の中で出会ひ、関わつてきた人間たちにもそれぞれの生きた時間、血肉、痛み、苦しみ、喜びも悲しみ、みんな宿つてゐる。彼はさうしたものたちをただただ拾ひ上げ、抱き留めてゐたいのだと感じられる。ひとが残す唯一の無二の、魂に触れるそんな作品、ひとびとを求めてやまないのだ。それが彼の顔であり、評論といふ彼の作品だ。