小林秀雄のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
新潮文庫は、中身はいい本を出すのに、外濠というか脇というか、周辺部分が雑すぎるやろ。
まず帯文。
「すれ違いの雑談か、歴史に残る対話か。~」とあるが、表面的に見ても実際的に見てもすれ違い要素ゼロやろ。
不誠実じゃのう。
あと、背表紙の紹介文。なにが「主題は激しく転回する」だよ。ずっと同じことについて話してたろ。
茂木健一郎の文章も、間違ったことを書かないよう、理解できていないのを指摘されないよう、根っこで怯えてるのが透けてる。
こんな眠たい文章なら、ない方がましやろ。
二人の、経験に基づいた洞察及びそれらを互いに引き出し、相違点を超えて収束していく様は、対話の究極的な理想系のように映じた。
岡も小林も、世間から見れば「偏屈おじいちゃん」だろうが、それでも対話がこのようにうまく行ったのは根本で共通の価値観、日本人的性質を共有していたからだろう。
共有するとはこの場合、自分がその性質を持っていて、相手もその性質を持っていることを感じ取っているということだ。
人は会話する時、共通の関心事がないと窮する。
見ず知らずの人と一先ず天気の話をするのは、この理由によるだろう。
つまり二人は日本人的性質についてずっと話していたわけだ。
日本人的性質とは何か。
それは「もののあはれをしる」ということであるし、情緒を重んじるということである。
それは文学や美学に制限される理念ではなく、人間の本性を左右するものだ。
二人にはその実態が、人はどのようであるべきかが、直覚として見えていた。
この対話はそのことを確認するためにあったし、この直覚の輪郭を提示するためにあったと言えるだろう。
僕も、二人ほど明確に見えているとは言えないが、この対話を通して情緒性について幾らかの形を捉えられたような気がする。 -
Posted by ブクログ
大変愉しく面白い本だった。
ちょうどソーシャルワークの倫理綱領を勉強しているときに読んだ。
そのタイミングで読めたことも大変面白かった。
言語が違えども言っていることの本質を捉えながら、私たちは話すことができる。
なんとなく像は見える。目指すものは見える。設定ができる。ただそれを明確に捉えることはできない。それは像として設定することに意味があり、明確に指定することに意味がない。
人間は、非常に複雑で面白い。いや、この世の全ては非常に複雑で面白い。理想は掲げるものであり、理想を体現し創り出すことではない。ただ向かう方向を指す。
複雑で難解な問いがこんなに目の前にある。
難しければ難しいほど、面白い。それに挑むことは愉しいことである。それが理由で良いのかもしれない。だから私は「好き」なのかと。少し納得する理由をくれた。
-
Posted by ブクログ
あとがき(?)に茂木健一郎氏が書いておられた「声に出して読みたい対話」という表現に深く同意します。
思索のつながりが言葉となって浮かび上がり、それがお二人の対話という形で表されている、何とも贅沢な一冊でした。使われている言葉が体や情緒とつながっている感じがするのも、読みやすく感じる一因かもしれません。人間というものの成り立ちや日本人として自然とそうなってしまうことについてもわかりやすく表現されているように感じました。
今の時代を生きる上での生きづらさはどこにあるのか。日本で暮らす人たちがかつて大切にしてきたことと「今」の間にはどのような違いがあるのかを考察するためのヒントに満ちた対話集でした。 -
Posted by ブクログ
40年以上ぶりの再読。
熊野純彦を含め、近年の本居本に飽き足らず、小林に回帰。
二十代で初読したときには、何ひとつ理解できていなかったことを痛感した。
晩年の小林は、ここでも相変わらず、対象を語りながら自分自身を語ってしまうといういつものスタイルのように一見見える。しかし、よく読むとそうではない。
あの自信たっぷりに断定口調でものを言う小林が、逡巡に逡巡を重ね、思索に思索を重ねながら、少しずつ本居に肉迫しようとするその執拗さが読むものに深い感銘を与える。この上巻では、22章における宣長の歌論をめぐる小林の語り口は実にためらいがちだ。もっとも、宣長自身が自分の見解の説明に苦労しているわけだが。
この22章だけで、私は数回読み直した。
全篇を読み終えた後、またここに戻ってくるだろう。 -
Posted by ブクログ
ものを考えるということ、ほんとうに知を愛し、表現する存在を愛しているのだと思わずにはいられない。
驚き、考え、疑い、そして信じるということに出会う。そしてまた疑う。上手に質問するということは、答えを出すことではなく、その問い自体を問い続けること。生きること死ぬこと、そこから出発しなくて何を問うというのか。信じることと疑うことはいつも表と裏の関係である。
歴史とは、よく思い出すこと、これは大森先生がことばの論理で考えた通り、記憶とはことばによるより他ない。歴史的な事実、考古学的な事実といった唯物的な論理を持ち出さなくてもよく思い出せることこそ歴史家の力だと
それが本居宣長であり、さまざまなひとの表現に出会い考えることことが彼のそうでしかないできない生きるということだったのだろうか。ひとに出会わずにはいられない、表現を感じ、考えること。それを信じ、また疑い歩き続けたところに批評というものがあったのだと思う。ソクラテスが何一つ書物を残さなかったこと、「悪法もまた法なり」と毒杯を仰いだこと、彼からすれば同じことだったのだと思う当時の暮らしや社会状況、確かにそういったものがあったのかもしれないが、そうでなくとも、「自分ってなんだ」「どうして生きていけばいいか」みたいな問いを彼は立てなかったに違いない。 -
Posted by ブクログ
小林秀雄氏は、やはりとっつきにくい、何度も目を通すも、本書は流れがあってまだましであった。
文芸春秋に記載されたエッセイであるが、各項目は、流れをもっていて「考えるヒント」よりは、分かりやすかった。
気になったのは、次です。
・喧嘩という言葉は、大石内蔵助の使っている言葉で、たかが喧嘩に過ぎぬ。と彼は、「浅野内匠頭家来口上」で明言している。
・切腹という封建的処刑の方式は、今日の絞首刑より、それほど、野蛮なわけはなかった。内匠頭は首を討たれたのであって、腹をきったのではない。
・内匠頭の処分は、裁決に将軍綱吉が口をきいたが為に、喧嘩両成敗という当時の法の情k式を全く無視した異例の仕儀となった。
・赤穂浪士は感情の爆発というようなものではなく、確信された一思想の実践であった。それも、徒党の三分の二以上のものが、かつては、赤穂のような小藩にも関わらず、百石以上の知行取りであったという事は、当時の知識人教養人の選良によって行われたものといって過言ではない。
・堀部安兵衛 「武士が立たぬ」、「一分が立たぬ」という観念が、彼に取り憑いたのである。
・山鹿素行は、今日の言葉でいえば、本当に歴史というものを知りたいのなら、訓詁注釈の如き、補助概念に頼るなといったのだが、今日の歴史家は、生物学、心理学、社会学、等々の補助概念の多きに苦しんでいるのか、それとも、楽しんでいるのか。
・戦国時代が終わり、朱子学が家康の文教政策として固定してから、実は、思想上の戦国時代は始まったと言える。
・「見聞広く、事実に行わたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候」これは、荻生徂徠の言葉である
・物を重んずるという考えは、徂徠の学問の根本にあった。「大学」の「格物致知」の格物とは、元来物来るの意であり、知を致す条件をなすものが格物であると解した。
・本居宣長が、考えるという言葉を、どう弁じたかを言っておく。「物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる」
・「謀」とは人の為に謀る。人に就いて謀るというように、主として、営為、処置、術を指す言葉だ。
・「思」が精しくなり、委曲を尽くせば、「慮」となり、「慮」をもって事に処せば、かならず「謀」となる
・正しい学問は、「ただ物にゆく道」なのである。
・「考へる」とは、何かをむかえる行為であり、その何かが、「物」なのだ。徂徠が「物ハ教ノ条件ナリ」というときも、同じ事をいっているのである。
・一芸に通達したものは、自ら万事に就いて、その本質的なものを掴む
・大事なのは、彼の考え方の質であり、その集中の度合いである
・学問をする喜びが感じられないところに、学問に自律的価値があるかないかというような問題は無意味になるということには、もっと気がつかない
・蕃山は、官学の官吏登用手段としての学問の傾向を看破していたし、これに実際苦しみもした。そういう彼に官学で扱われている本が死物に映っていたことに間違いはない
・蕃山は、師はいないが、志の恩を思い喜ぶということはある、といった。
・知りやすいと見えるものが、実は知りがたく、行い易いと思えるものが、実は最も行い難い。
・論語集注によれば、天命とは天理の事だ。
・孔子の思想は、古文献に徴した限り、宗教でもなければ、哲学でもない。彼には、どんな学説も発明した形跡はない。
・自然に何か意味があるように、考えざるを得ないのは、私たちが、人生には、何か意味があると考えていればこそだ。
・日常「常識」という言葉はずいぶん、でたらめに使われている。
・常識という言葉は、もともと日本語ではないのです。英語のコモン・センスという言葉を訳したものです。
・デカルトの方法とは、実際に試みなければ意味がない。この点が大事なのである。学問の方法上の開眼とは、原理的には驚くほど単純なものであった。
・私たちが常識という言葉を作った以前、これに相当するどういう言葉をつかっていたのだろう。それは、「中庸」という言葉だったろうと思う。
目次
忠臣蔵Ⅰ
忠臣蔵Ⅱ
学問
徂徠
弁名
考えるという事
ヒューマニズム
還暦
天という言葉
哲学
天命を知るとは
歴史
常識について
ISBN:9784167107024
出版社:文藝春秋
判型:文庫
ページ数:208ページ
定価:400円(本体)
発行年月日:1975年06月25日第1刷
発行年月日:2003年03月15日第21刷 -
Posted by ブクログ
本文は、モーツァルト・美を求める心と題して、noteで投稿したものです。
水曜日の朝、ぼくはモーツァルトのシンフォニー第40番第1楽章を聴いて、泣きそうになったのを思いだす。その日は、いつもより早く起きていたから丁度良いと思い、かけていた。
しかし、何故モーツァルトは、シンフォニーで何役にも転じたのか、語り部であり、聴者であり、忘れ河である。
彼は、自らの楽曲の中で自問自答を繰り返していたのか。
ふとそんなことを思い、狂った感覚が襲った。
しかし、ぼくは音楽に詳しい訳では無い。空き時間に未開の地に足を踏み入れんとする者である。
しかし、不思議だ。あの時に感じたものはいまでは、やはり偽りの鮮明の中に埋もれてしまっている。
何故か小林さんのモオツァルトは読んでいなかった。それ熟読することは、高校生のぼくにはまだ早いのかと思っていたが、モーツァルトのあの躍動を凝縮したシンフォニーを聴いて心奪われた以上読んでみたくなった。
Ⅰ モーツァルト
水曜日に聴いたシンフォニーは、無名のピアニストによる演奏だった。しかし、その後もモーツァルトのシンフォニーのことで頭は一杯で、頭の中で何度も繰り返し響いていた。
しかし、もう一度聴きたい。メニューインの演奏があったのでそれを聴いた。なるほどこうなるのか。ぼくは彼の演奏に惹かれてしまった。メニューインは小林さんのお気に入りのヴァイオリニストとのことで、彼の来日時に、愛情を持ってこう書いている。
「第一日目の演奏を聴いて、何か感想を書くことを約したが、きつと感動してしまつて何も言ふ事がなくなるだらうと考へてゐた。その通りになつた。タルティニのトリルが鳴り出すと、私はもうすべての言葉を忘れて了つた。バッハだらうが、フランクだらうが、それはもうどうでもよい事であつた。魂を悪魔に渡してから音楽を聞くといふこともある。タルティニは嘘をついたのぢやあるまい。たゞ、私は夢の中で、はつきり覚めてゐた。そして名人の鳴らすストラディヴァリウスの共鳴盤を、ひたすら追つてゐた。あゝ、何んといふ音だ。私は、どんなに渇ゑてゐたかをはつきり知つた。
メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであらう。しかし、私は、あなたの様な天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解してゐる大人である。私はあなたに感謝する。」
『メニューヒンを聴いて』(1951年)
しかし、クラシックは、元気が無いと聴く気が起きないという時期がぼくにもあった。長明の言うところの朝顔と露か。oasis、レディオヘッドあたりが、丁度良いという時期が。しかし、歩いているとメヌエットのG.minorが、ぼくを急がせ次第に足取りは速くなる。
小林秀雄が、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけないと言った楽曲は、弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516である。
ぼくのアレグロに対する印象は、まるで、そっほを向いているように感じた。小林さんは、正確な足取りであるとおっしゃっていたが、ぼくが思うにそれは、ジャック・スパローのあの歩き方である。音がほんの少し響く地面をあの様に独りで歩いている。そして時折振り返る。多分何も見るものは無いし、見てもいない。衝動的に、そうしたに過ぎまい。 それ故、涙はついてこれない、涙ですら見えぬのだから。涙は彼の曲となる。彼の涙は、モオツァルトという忘れ河を経て、あのような明るい曲となる。涙はもはや、追いつけぬばかりではなく、何も覚えてなどいないのではあるまいか。その数滴の涙めいめいが人をヴァイオリンとを表す。モーツァルトの曲はいつも新鮮だとあるが、モーツァルトを思いだし耳を傾けると、何もかもを忘れた涙が、曲として生まれてくるからではあるまいか。しかし、これはモーツァルトに限ったことでは無く、全ての人もそうである。それが、孤独という人間存在の本質と小林さんは、書かれている。そうなると彼の楽曲はいよいよ深い。モオツァルトという人は、決して急いでいる訳では無い、ドン・ジョバンニを見ているとそんな気がしてくる。サリエリはドン・ジョバンニの上演を僅か6日で打ち切らせた。騎士長が、父レオポルトに見えたのだ。彼は父親の呪いがモーツァルトにかかっていると直感したのだ。しかし、モーツァルトにとっては果たして、レオポルトの呪いであったのか。呪いであり祝福であるかのようだどうやらサリエリは、次なる祝福を我が物にしたかったのだろう。
小林さんが交響曲第39番 変ホ長調 K. 543第4楽章は、まるで明け方の雲のようだとおっしゃっていたが、捕らえた小鳥をかごの中で、野生のままにしておくが如く、この表現には感動した。余すことのない自然と生み出されたそれが、この第4楽章から伝わってくる。ハイドンのシンフォニーの繊細さとは違う、カーテンの匂いのするようなものでなく、冷たい川の水のようなものをモーツァルトからは感じる。ブルーノ・ワルターの指揮は、本当に素晴らしい。
Ⅱ 批評の神様の音楽会
小林秀雄は、文学青年でもあり音楽青年でもあった。彼の父親の職業柄また、父親の短命ともあり、しかし、海外製の蓄音機が小林秀雄の音楽への造詣を深めるに至るきっかけとなった。
こうして思えば、無常という事は、小林秀雄の傍に、いつも音楽があったという事の象徴だとも言える。彼も宣長は、ブラームスで書いてます。といっていた。
第一部までモーツァルトについて触れてきた、この第二部では、美を求める心を小林さんの音楽との関係について触れながら進めていく。
私は、美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりとした美しさの経験が根本だ、と考えている…。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。 美を求める心より
美しいものは、既にそこにある。我々は、めいめいの目で耳でそれを見出さなくてはならない。勿論、人それぞれである。無常という事は、多分、モーツァルトに最も影響されていると思う。これも、ぼくの考えであり、そうでなくても構わない。これは、こう言う歴史でこう言う価値があり云々とは、それほど重要ではない。その先が重要なのである。現代に於いては、これが欠落しているとしか思えぬ。
音楽や芸術それだけではなく、自然それが、人間の創造性のダイナミクスの源であるという事は、多分、何となく分かる人も多いだろう。 梅の花だって、木に咲いているものだけが美しいのではない、散ってもなお美しい、勿論、そのようなクオリアは、人によって明らかに違ってくるもの。かつての王侯貴族達が、アートを欲していたのは、まさに一種形式的なものから自らを解毒しようとしていたのではあるまいか。
1982年12月28日小林さんは、病床についていた。同年春から音楽を聴くことは無くなった。聴く気力も体力も無いのである。しかしその日、1階のテレビから、あのメニューインの演奏が放映されている。小林さんは、夫人と共に最後まで聴いていたという。宮沢賢治に、眼にて云ふという詩がある。
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
苦しいさはあったはずである。しかし、多分、彼の人生で最も何とも言えないものに包まれた一時であったことだろう。その約2ヶ月後、小林さんは、息を引き取った。
美を求める心とは、即ち、人の心也。
人間が生きる原動力となる。茂木健一郎さんが小林さんは、エピファニーの人だとおっしゃっていたが、このエピファニーというものを我々は、大切にしなくてはならない。本質は必ずしも美しいとは、限らない。美は思うほど美しいものではない。だからといって美しくないわけではない。一枚の木葉も地面におちていれば、隠すものは、そうあるまい。しかし、一と度手に取り、月にかぶせてみよ。
我々は、創造の萌芽の芽吹く世界に怠惰しているに過ぎない。そんなものは、場違いではあるまいか。現代人が最も癪に障る。それは必ずしも考え抜いたからというものでは無くともそうであるものではないあるまいか。
モーツァルト、これで良かったのか?
答えてくれても良いじゃないか。
答えてくれそうにないな。
ぼくはまた、忘れ河の水を飲むのか。
しかし、君は人間だな。ぼくは完全に忘れることは出来ない。思い出せもしない。
悲しさは疾走する。涙は追いつけない。
然れど涙は忘れ河を通り、永遠に回帰する。