ものを考えるということ、ほんとうに知を愛し、表現する存在を愛しているのだと思わずにはいられない。
驚き、考え、疑い、そして信じるということに出会う。そしてまた疑う。上手に質問するということは、答えを出すことではなく、その問い自体を問い続けること。生きること死ぬこと、そこから出発しなくて何を問うという
...続きを読むのか。信じることと疑うことはいつも表と裏の関係である。
歴史とは、よく思い出すこと、これは大森先生がことばの論理で考えた通り、記憶とはことばによるより他ない。歴史的な事実、考古学的な事実といった唯物的な論理を持ち出さなくてもよく思い出せることこそ歴史家の力だと
それが本居宣長であり、さまざまなひとの表現に出会い考えることことが彼のそうでしかないできない生きるということだったのだろうか。ひとに出会わずにはいられない、表現を感じ、考えること。それを信じ、また疑い歩き続けたところに批評というものがあったのだと思う。ソクラテスが何一つ書物を残さなかったこと、「悪法もまた法なり」と毒杯を仰いだこと、彼からすれば同じことだったのだと思う当時の暮らしや社会状況、確かにそういったものがあったのかもしれないが、そうでなくとも、「自分ってなんだ」「どうして生きていけばいいか」みたいな問いを彼は立てなかったに違いない。