国民文化研究会のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ものを考えるということ、ほんとうに知を愛し、表現する存在を愛しているのだと思わずにはいられない。
驚き、考え、疑い、そして信じるということに出会う。そしてまた疑う。上手に質問するということは、答えを出すことではなく、その問い自体を問い続けること。生きること死ぬこと、そこから出発しなくて何を問うというのか。信じることと疑うことはいつも表と裏の関係である。
歴史とは、よく思い出すこと、これは大森先生がことばの論理で考えた通り、記憶とはことばによるより他ない。歴史的な事実、考古学的な事実といった唯物的な論理を持ち出さなくてもよく思い出せることこそ歴史家の力だと
それが本居宣長であり、さまざまなひとの表現に出会い考えることことが彼のそうでしかないできない生きるということだったのだろうか。ひとに出会わずにはいられない、表現を感じ、考えること。それを信じ、また疑い歩き続けたところに批評というものがあったのだと思う。ソクラテスが何一つ書物を残さなかったこと、「悪法もまた法なり」と毒杯を仰いだこと、彼からすれば同じことだったのだと思う当時の暮らしや社会状況、確かにそういったものがあったのかもしれないが、そうでなくとも、「自分ってなんだ」「どうして生きていけばいいか」みたいな問いを彼は立てなかったに違いない。 -
Posted by ブクログ
文筆家としての自覚と矜持を貫いた小林秀雄は、講演や対談の場での自らの話し言葉を文字にするときは、必ず速記原稿に目を通し、書き言葉に調えることを必須としていたとのこと。
今回のこの本は、小林氏の著作権継承者である白洲明子氏の検分と容認を得てようやく刊行されたものなのです。
そのような経緯があるのですが、収録された学生たちの質問と小林氏の応答は、他に類の見ない小林氏の「会話教育」と「質問教育」の実態を、現代に、ひいては後世に伝えるべく、国民文化研究会と新潮社に残された音声を新たに文字化されたものなのです。
内容ですが、
講義 文学の雑感
講義 信ずることと知ること
講義 「現代思想につおて」後の学生との対話
講義 「常識について」後の学生との対話
講義 「文学の雑感」後の学生との対話
講義 「信ずることと考えること」後の学生との対話
講義 「感想——本居宣長をめぐって——」
後の学生との対話
信ずることと知ること
小林秀雄先生と学生たち 國武忠彦
問うことと答えること 池田雅延
日本人が先祖から伝えてきたことの価値観の重要性、所謂「科学」への懐疑、いわんや「唯物史観」への嫌悪、小林秀雄さんの真髄を垣間見させていただきました。 -
Posted by ブクログ
もし、自分がこの場にいたら、きっとお腹の調子がおかしくなったり、呼吸が変なことになってしまっただろうな。という空気感さえ伝わってくる。
「現代思想について」
「常識について」
「文学の雑感」
「信ずることと知ること」
の講義後に行われた対話集。
印象に残ったのは、科学と心理の話。
科学とは物と物の関係性を解明することだが、それは人がどう良く生きるか、心とはどのような性質を持っているかということとは無関係である。
本居宣長と「もののあはれ」の話。
それから、質問の仕方について。
これは『人間の建設』でもそうだが、良い質問をするよう求める。
学生の幾つかの質問には、遠慮なくぶった切っているものもある(笑)
抽象的であるとか、本質をまず捉え違っているとか。。。
批評について。
まさか、褒めることという帰結に結びつくとは。
「調べて、古えに関する知識を得たのではない。古えの口ぶり、手ぶりがまざまざと目に見えるようになった、そこまで行った人なのです。……なぜなら、諸君の現在の心の中にあるのだから、歴史をよく知るという事は、諸君が自分自身をよく知るということと全く同じことなのです。」
「だから、考えるということは、自分が身を以て
相手と交わるということです。宣長の言によると、考えるとはつきあうという意味です。ある対象を向うに離して、こちらで観察するという意味ではありません。考えるということは、対象と私とが、ある親密な関係へ入り込むということなのです。」 -
Posted by ブクログ
印象に残ったこと
・歴史について
現在の学校教育では、何年に何が起きたかを暗記することで点数が得られる形式をとっていると思う。
私自身も歴史は暗記するものであるという認識があったが、小林秀雄が述べた「歴史とは上手に思い出すこと」という言葉に感銘を受けた。出来事を客観的に追っていくだけでなく、当事者の立場に立ち、彼らが感じたことや思ったことを自らのことのように想像することで、彼らの喜びや悲しみに共鳴することに趣があるのかと納得した。
これは過去の人物に対してだけでなく、実在の他人に対しても、同様に想像することが重要であると感じた。
また、クラシック音楽を嗜む身としては、音から作曲者のまざまざとした人間像までを想像できるよう取り組もうと思った。
・科学について
私は学生時代に物理をやり、一般的かつ論理的に考えることこそが正義だという固定観念に縛られていた。
そのため、根拠のない超常現象や迷信の類には全くの無関心であった。
しかし、個々人が実際に経験した具体的実体験にも目を向けることが重要であることを学んだ。
なぜなら、科学はある単位系の中で、客観的な事実を扱っているだけである、つまりは狭い定義の中で現実の事象を記述しているに過ぎないということだ。
限定的なものさしだけで世界を見て、わかった気でいることは恥ずかしいことだなと思った。
どんなに信じられなくても、根拠が見当たらないとしても、各々が経験した事実としてまずは受け取ろうと思った。
・近現代の教育について
「先生が隠した答えを見つけさせるのが現在の教育」、深く共感した。
現実を生き抜く上で問いを見つけることの重要さと難しさは、社会人になり強く実感している。
うまく問うことを心に留め、自問自答や対話を大切にし、現実と向き合っていきたい。
-
Posted by ブクログ
小林秀雄という名前は聞いたことがあったが、初めて読んでみた。
生の経験や対話を重視する言葉がいくつも出てくる。
科学を否定するように聞こえる言葉もあるが、科学という一つの物差しで測れない人とのつながりや生きる意味など、そういうものにまで科学を取り入れようとする(また測れないから無用だとする)風潮を否定するように感じられた。
で、科学的な手続きによらないひらめきのようなものも人間には確かにある。
何年に何が起こって、その証拠がこれで…という考古学も必要だが、歴史上の人物の思想や信念に身を委ねるうちに、自分の思いや信じることに気づくこともできる、まるで鏡に写したように。
そういう、自分というものを自分の手応えで築いていく力強さを感じた。
ただ急いで付け加えると、自分一人で考えた自分本位なものではなく、徹底的に古典にあたり、人との交わりから自分を研ぎ澄ます、対話によって作り上げるものなのだ。
良い質問が作れればもう答えは必要ではない、
上手な質問とは、自分にとって切実なことを尋ねたものである、
答えばかりを探し求める風潮に対し、質問が大事だと小林秀雄が言い切っている。
いい質問を、自分なりに作り、対話をしたい、そう思った。