小林秀雄のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
全集の方に載っていた菊池寛先生についてや中原中也等重複するものもあつたが、改めて彼の見た作家たちの姿に触れてみる。
作家の生活と作品の乖離や矛盾についてはよくよく取り上げられるし、作品と個人的な出来事はよくよく結び付けられて論じられる。そして、時に生活が作品を規定するかのやうに、あたかもその人間の個人的な出来事を知れば作品がわかるかのやうに振舞はれる。
作品は作家の顔だ。人間を見つめるとき、顔を見ないで接することなどできやうか。意地汚い人間は顔に意地汚さがにじむ。聡明さはそのことば、表情に現れる。生活と作品がそも矛盾するものなのか。そもそも矛盾のない生活などありうるのか。それぞれがその矛盾に折り合いをつけ、世の中との接点を見出すそれこそが、人間のさくひんではなからうか。
そこを矛盾をないやうに隠さうとしても必ず顔ににじみ出る。それが現れないやうな作品だとするなら、そんな作品は読む価値がない。頭で拵えられた実体のない空虚な言葉だと思ふ。
小林秀雄がそのご縁の中で出会ひ、関わつてきた人間たちにもそれぞれの生きた時間、血肉、痛み、苦しみ、喜びも悲しみ、みんな宿つてゐる。彼はさうしたものたちをただただ拾ひ上げ、抱き留めてゐたいのだと感じられる。ひとが残す唯一の無二の、魂に触れるそんな作品、ひとびとを求めてやまないのだ。それが彼の顔であり、評論といふ彼の作品だ。 -
Posted by ブクログ
小林秀雄の文章を読んでいると心地が良いのだが、内容が良いものと悪いものがある。
近代批評の確立者と言われたり、評論をダメにしたとか言われたりするが、個性のある文章を書いたに過ぎないと思う。
大した内容でもないのに、引き込まれてしまう時があるし、全く面白くないのもある。
情報が多いと言われている現代に、もし小林秀雄がいたらどういう文章を書くのかなと思ってしまう。
・「モオツァルト」
モオツァルトの伝記を2つに集約している。
モオツァルトは歌劇作者よりシンフォニー作者としての方が立っている。
・「当麻」
(有名な一節)
美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。
・「西行」
西行は、歌の世界に、人間孤独の観念を新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。
(西行は和歌が素晴らしく、しかも長命のため多作)
・「実朝」
(鎌倉幕府第3代将軍でこちらも和歌が素晴らかったというのは初めて知った。)
・「徒然草」
吉田兼好は文章の達人であり、空前絶後であると、(とにかく褒めている。)
・「無常という事」
(著者の心に残った次の文章についての批評。)
「或云、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、
夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。
其心を人にしひ問はれて云、生死無常の有様を思うに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給えと申すなり。云々」
・「平家物語」
「盛衰記」と比べると格段の違い。
(「平家物語」の冒頭の神がかり的な素晴らしさ。)
・「蘇我馬子の墓」
石舞台は蘇我馬子の墓
竹内宿禰、大和朝廷、
愚管抄、日本最初の史論書
聖徳太子「経疏」
要約の出来ぬ美しさの大和三山
・「鉄斎Ⅰ」
富岡鉄斎 南画家 天保7年~大正13年
川端康成の処
鉄斎 酒を呑み、琴を弾きながら何処かへ行ってしまった人である。
気質 文人画家
「八十七歳の時に描かれた山水図を、部屋に掛けて毎日眺めているが、
日本の南画家で此処まで行った人は一人もないと思わざるを得ない。
文人画家気質は愚か、凡そ努力しないでも人間が抱き得る様な気質は、もう一つも現れていない。鍛錬に鍛錬を重ねて創り出した形容を絶したある純一な性格を象徴する自然だけある。」
「万巻の書を読み千里の道を行かずんば画祖となるべからず。」
董其昌の戒律を脇目もふらず遵奉したひとである。
・「鉄斎Ⅱ」
八十九まで元気旺盛にした仕事大器晩成という朦朧たる概念を実演しているようなもの、当人も志は画にないと言っているのだから致し方がない。
琳派
鉄斎は非常な読書家であった。併し、若し彼に画道という芸当がなかったなら、彼の雑然たる知識は、その表現の端緒を掴み得ず、雲散霧消したのではあるまいか。
・「鉄斎Ⅲ」
贋作と富岡鉄斎
・「光悦と宗達」
光悦について
岡崎政宗が有名な刀剣である政宗の由来となった人物。本阿弥光悦は偉大な芸術家。宗達は生国も死地もわからず伝説中の人物。
己れを失わずに他人と協力する幸福、和して同じない友情の幸福、そんな事を考える。
幸福は、己れを主張しようともしないし、他人を挑発しようともしない。
・「雪舟」
「慧可断臂図」の絵の元になったのは中国人の顔輝
百尺竿頭
「百尺竿頭に一歩を進むべし」
(極地に達したあと、さらになお向上の工夫せよ)
・「偶像崇拝」
高野山の赤不動を見てがっかり
・「骨董」
・「真贋」 -
Posted by ブクログ
ランボー 地獄の季節 。別訳本や解説本と一緒に読むと理解が深まる。詩人ランボーの反抗と挫折、生活、魂の告白と消耗、言葉の破壊と虚無と創造
地獄=キリスト教的な地獄。私とは一つの他者→イロニー=自己からもう一つの自己を生み出すこと→自己を批判し、笑い、突き放すこと
「私は美を膝の上に座らせた」〜錯乱Ⅱ末尾「今、美にお辞儀できる」とつながっている
*美=既成の詩→詩に関わる前は 毎日が饗宴
*美→苦々しい奴→醜い内実をつく→ランボーの真骨頂
*私は正義に対して武装した=キリスト世界への反抗
*親愛なる悪魔=ヴェルレーヌ?
悪い血=自分探しの旅に出てはいけない
*ゴール人=自分のルーツ→悪い血の第一確認
*白人的な生や存在を拒否→黒人、獣としての生きる力
*黒人=非キリスト教的な野生の人、理想的な黒人
*自然のままの光の黄金の花火となって生きる
地獄の夜=キリスト教との戦い
*地獄にいることが 恍惚であり、悪夢
*火の雫(しずく)=地獄の洗礼を意味→地獄の季節の核心的表現→火と水の結合概念
*俺は疲れた=魂の費消
*キリスト教の観念、道徳に対して 偽りの回心
*ゆえに我地獄にあり=自分の弱さに我慢ならない→地獄の苦しみ
錯乱Ⅰ
*語り手は 狂気の処女へ。狂気の処女=初期のランボーの魂(キリストを信じていた)
*二人の共同性の破綻→憎しみ合う
錯乱Ⅱ言葉の錬金術
*語り手は 地獄の夫へ。地獄の夫=現在のランボーの魂
*母音に色=異教徒の言葉(フランス語ではない)
「最初は試作(エチュード)だった〜沈黙を、夜を書いた」
*かき出す術のないものも書いた=言い表せるものの限界を越えようとした
「私は 魔法の詭弁を 言葉の幻覚によって説明した」
*詩人の物語が詩人の挫折の物語へ反転
*言葉自体が幻覚を起こす→言葉が勝手に動き狂う
*一番高い塔の歌=狂い始めた言葉たち
「永遠」という詩
*永遠=太陽に溶け込んだ海→火と水の結合概念
*空無の詩
「私は架空のオペラになった」
*多声的演劇構造
*架空のオペラ=意義の小さい仕事
*道徳とは 脳髄の衰弱である→見栄を切っている
「私は虹の橋に呪われていた」
*虹=旧約聖書の神との契約→それにより 地獄に堕ちた
*幸福の詩
不可能、閃光、朝 は 地獄の夜から 朝へ。最後の別れへ -
Posted by ブクログ
≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫で引用されている著作を探しているときにたまたま偶然手に取る。
詩集でした。うん詩集。
≪十六歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人≫というおもしろいアオリに惹かれて購入したら、これがとんだ間違いでした。
いえ、間違いと言いますか、なんというか、途中、何度生欠伸を噛み殺し船をこいだことか。
ランボオと彼のファンにぶん殴られそうだ。
しかしながらそれ、陰鬱なる叫びがだだもれてびくびくする。
なんというか、これは、若い感性があるうちでしか書けない作品のひとつだったのだろうと穿ち過ぎかもしれないけれどそう感じられるような吐露で、嗚呼、若いうちからこんな吐露をしていたらすべてが青く見えるだろうなあと。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ昭和20年前後に書かれた文章なのだが、私にとってはもはや古文に近い感覚があるのはちょっとショックだった。しかも、タイトルのモーツァルトのところはいいとしても、西行、実朝、平家物語のあたりになると、本当の古文の引用が目白押しで、自分でも恐らく半分も内容を理解できてないと思われるまま、何とか最後までたどり着いたという感じである。(そんなこともあって、7月10日に「決断力」を読み終わってから、こんなに日数が過ぎてしまった。)
それにしても、内容は深い。「小林氏の批評美学の集大成」「批評という形式にひそむあらゆる可能性が、氏の肉声に触れて最高の楽音を発しながら響き合っていた」という解説もあるが、音楽から歴史から絵や骨董品まで、その守備範囲の広さには脱帽である。私は単にモーツァルトを読みたかっただけなのだが、ちょっと得をした気分である。 -
Posted by ブクログ
2011.01.17-
『地獄の季節』
苦しみを、怒りを、煮詰めて凝縮させて美しい結晶にまで高めた。
全身全霊で詩と向き合い、己の全てをかけて捨て去った。きっと彼は自分の思うとおりに生きたんだろう。そう信じたい。
地獄の夜
明らかに、俺たちはこの世にはいない。何の音も聞こえて来ない。俺の触感は消えた。ああ、俺の城館、俺のサックスと柳の林。夕を重ね、朝を重ね、夜は明けて、昼が来て、……ああ、俺は疲れた。
怒りのために俺の地獄が、驕りのために俺の地獄が、――さては愛撫の地獄が、俺には要ったのかも知れない。地獄の合奏。
疲れた果てはのたれ死だ。いよいよ墓場か、この身は蛆虫どもにくれてやる。ああ、思ってもやりきれない。悪魔め、貴様も道化者だ、いろいろな妖力で、この俺が蕩かしたいとは。よし、俺は要求する、戟叉(げきさ)の一撃、火の雫、いいとも、結構だ。
ああ、また、生活へよじて行くのか、俺たちの醜さに眼を据えるのか。この毒、この口づけ、重ね重ねも呪わしい。この身の弱さと、この世の辛さ。ああ神様、お情けだ。この身を匿い給え、俺にはどうにも扱えない。――俺は隠されている、しかも隠されていない。
火は亡者を捲いて立ち直る。
「飾画」
大洪水後
『大洪水』の記憶もようやく落着いた頃、
一匹の兎が、岩おうぎとゆらめくつりがね草との中に足を停め、蜘蛛の網を透かして、虹の橋にお祈りをあげた。
少年時
Being Beauteous
酩酊の午前
断章
網を鐘塔から鐘塔へ、花飾りを窓から窓へ、金の鎖を星から星へと張り渡し、俺は踊る。
街
道徳も言葉もとうとう、ほんの単純な表現に還元されてしまった。自分を識ろうとする要求を持たぬ、この幾百万の人々は、すべて一列一体、教育を、職業を、老齢を曳いていく。
街々
鐘楼の群れは、人々の想いを歌い、骨で築いた城からは、聞いたこともない楽の音が洩れる。
ランボオは金属や宝石が好き。