小林秀雄のレビュー一覧
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小林秀雄 「 作家の顔 」 作家論〜批判あり、尊敬あり、友情あり、感傷ありの作家論。打ち消し文や 難解な言葉が多くて 読んでいて 疲れるが、たしかに 面白い。
作家の実生活から 思想や著作の主題を抽出して 作家論に展開している感じ。
面白くて 興味を持ったのは 菊池寛、林房雄、イプセン「ヘッダガブラー」、パスカル「パンセ」、チェーホフ、ニーチェ。
ランボオ、富永太郎、中原中也 の批評は 感傷的。興奮や哀しみの中で一気に書いた感じ
顔の意味(解説 江藤淳 )
*顔=心眼に映った精神の相貌
*他人=自分を映す鏡→作家の顔=小林秀雄自身の顔
正宗白鳥 との 思想と実生活 論争
*人間とは何 -
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ランボー 地獄の季節 。別訳本や解説本と一緒に読むと理解が深まる。詩人ランボーの反抗と挫折、生活、魂の告白と消耗、言葉の破壊と虚無と創造
地獄=キリスト教的な地獄。私とは一つの他者→イロニー=自己からもう一つの自己を生み出すこと→自己を批判し、笑い、突き放すこと
「私は美を膝の上に座らせた」〜錯乱Ⅱ末尾「今、美にお辞儀できる」とつながっている
*美=既成の詩→詩に関わる前は 毎日が饗宴
*美→苦々しい奴→醜い内実をつく→ランボーの真骨頂
*私は正義に対して武装した=キリスト世界への反抗
*親愛なる悪魔=ヴェルレーヌ?
悪い血=自分探しの旅に出てはいけない
*ゴール人=自分のルーツ→悪い血 -
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≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫で引用されている著作を探しているときにたまたま偶然手に取る。
詩集でした。うん詩集。
≪十六歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人≫というおもしろいアオリに惹かれて購入したら、これがとんだ間違いでした。
いえ、間違いと言いますか、なんというか、途中、何度生欠伸を噛み殺し船をこいだことか。
ランボオと彼のファンにぶん殴られそうだ。
しかしながらそれ、陰鬱なる叫びがだだもれてびくびくする。
なんというか、これは、若い感性があるうちでしか書けない作品のひとつだったのだ -
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ネタバレ昭和20年前後に書かれた文章なのだが、私にとってはもはや古文に近い感覚があるのはちょっとショックだった。しかも、タイトルのモーツァルトのところはいいとしても、西行、実朝、平家物語のあたりになると、本当の古文の引用が目白押しで、自分でも恐らく半分も内容を理解できてないと思われるまま、何とか最後までたどり着いたという感じである。(そんなこともあって、7月10日に「決断力」を読み終わってから、こんなに日数が過ぎてしまった。)
それにしても、内容は深い。「小林氏の批評美学の集大成」「批評という形式にひそむあらゆる可能性が、氏の肉声に触れて最高の楽音を発しながら響き合っていた」という解説もあるが -
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2011.01.17-
『地獄の季節』
苦しみを、怒りを、煮詰めて凝縮させて美しい結晶にまで高めた。
全身全霊で詩と向き合い、己の全てをかけて捨て去った。きっと彼は自分の思うとおりに生きたんだろう。そう信じたい。
地獄の夜
明らかに、俺たちはこの世にはいない。何の音も聞こえて来ない。俺の触感は消えた。ああ、俺の城館、俺のサックスと柳の林。夕を重ね、朝を重ね、夜は明けて、昼が来て、……ああ、俺は疲れた。
怒りのために俺の地獄が、驕りのために俺の地獄が、――さては愛撫の地獄が、俺には要ったのかも知れない。地獄の合奏。
疲れた果てはのたれ死だ。いよいよ墓場か、この身は蛆虫どもにくれてやる。 -
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小林秀雄『モオツァルト・無常という事』を読む。
これまで小林秀雄の著作にはほとんどなじみがなかったが、
新潮新書の『人生の鍛錬 小林秀雄の言葉』を折に触れ開く。
小林秀雄の著作・講演から選り抜かれた言葉を
ゆっくり味わいながら、宝の山に分け入ることになった。
「無常という事」は、
高校国語の教科書で読んで以来40年ぶりに読み直した。
自分の受け止め方が変わった部分変わらない部分があることを
面白く思った。
過不足ない言葉で思想をカタチにする明晰。
情におぼれず、かと言って
論理でがんじがらめになることのない自由。
文章のリズムが気持ちよく身体になじんでいく。
僕も自分自身を見失うことなく、 -
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和歌のくだりはごっつ眠いのでモオツァルトのみ評価。世間一般で知られている小林秀雄の評価から僕らの思い浮かべる人物像とはほど遠く感じる実際の秀雄像が、語り口からひしひしと感じられる気がします。CD等で聞いた印象を踏まえる限りサバサバした物言いの方なのだと思います。
導入はほどほどに、モオツァルトの評論は楽しいです。ちゃんと聞いていない方、もしくは聞いていても材料として提出された曲目が分からない方でも読み飛ばしてその世界観に触れる事が出来ます。もちろん、聞いている方が望ましいですが、ここから始め、深める道もあるでしょう。テーマがモオツァルトということですが、現在それに触れている一般の方を想像す