上巻に続く下巻。
「物学び」「やまとごころ」「もののあはれ」をキーワードとして、形式的な当時の学問世界や、中国から輸入された儒学への傾倒を批判。
師匠である賀茂真淵や、同時代の学者である上田秋成との論争についても触れられている。
ひとえに自分自身の経験不足からであるが、古事記や書紀(宣長は『日本
...続きを読む書紀』という言い方を嫌う)にある神話世界が非常に重要であるということが、どうしてもはっきりとした納得性を持ってこない。
「文字」を持たなかった時代に人々によって「口伝」として語り継がれた神話こそ重く見るべき物語、というのは何となく理解できる。
しかしそれでもやはり文字の力は覆せない、と若輩者は思ってしまう。
また、ものごとをそのまま感じる「自然主義」よりも、科学や現実と言った「理屈」に偏るのは、いつの時代も変わらない課題のようだが、現代は特にそうだと思う。
その中で、ありのままを見て信じることは難しいことだと感じた。
一神教と多神教、日本と西洋における自然主義の違い、言葉と文字、信じる力など、色々頭に去来する読書体験であった。
小林秀雄の書き方が、私にはいただけない。
「そう言っていいと思う」、「そう考えるしかない」など、自分自身を無理やり納得させているような語尾。
押しも押されもせぬ歴史的な批評家に何を言えるものでもないが、残念ながら今の自分の年齢にはまだ感じとれぬものがあるようであった。