【感想・ネタバレ】人間の建設のレビュー

あらすじ

有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性……主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。

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Posted by ブクログ

読みやすかった。
小林さんの聞き上手っぷりに脱帽。
トルストイやベルクソンなど共通認識の次元が高いなと感じた。
しかもそれをひけらかさず、2人とも行間に埋め込む。
こんな会話がしたいと思った。
雑談の最高峰を見た気がした。

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2025年10月16日

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今の自分の知識量では拾いきれないと感じさせられてしまう本でした。言葉上は分かったような気がしているが全然理解できていないような感覚にとらわれてしまいました。ただその中でも今の自分にとって必要な言葉がピックアップできたのかと思います。定期的に読み直したい本です。前回は10年くらい前でした。

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2025年09月14日

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ネタバレ

知をいくら重ねても情緒からは逃れられないっていう話。

一つの事象を説明するのに、どの層まで掘り下げてその言葉が出てきているのかわからない為、二人の発言のどこまで理解出来て、出来ていないのか自分でもわからないけど、とりあえず最後まで面白く読めたし、良い言葉たちが沢山あった。




p. 146
林 愛情には理性が持てるが、理性には愛情は行使できない。

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2025年05月13日

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人は自然によって育てられる。人が人を育てることなどできない。人間の根本は、知性などではなく感情である。いくら知的に理解できても感情が納得しなければ人は納得しない。何が言いたいかというと、人が自分たちにとって必要なものは、知性でなく感情で納得できるかどうかで決まる。
これからの時代は、人間を理解しなければならない時代に来ている。いくら知的を重ねても意味がないことがわかってきた。なぜなら、人間にとって大切なのは感情だから。

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2025年05月03日

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とにかく2人の会話から頭の良さ、品性の高さが窺えて畏敬の念です。本当に文章として残してくれて、読ませてくれてありがとうございますという気持ちでいっぱいです。
まだまだ内容的に理解が追いつかないところがあるので何度も読み返したいです。そうしている間に2人の知性や品の高さが憑ればいいなと思います笑。

またこちらの話は小林秀雄全集から読んでいるのですが、全集では井伏鱒二の評論があり、これには本当に同意です。氏の魅力を忍耐強さという言葉で言語化、簡潔に表してくれてありがとうございます。

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2025年03月24日

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批評家の小林秀雄と、数学者の岡潔による、
まさに知の巨人といった2人の対談。

正直難しくてわからない数学の話しもありましたが、理系とか文系とかのベクトルを超越した地点での、高度な知性での対話は、圧倒的で、伝わってくるものがありました。

小林秀雄がベルクソンを評価している理由など、情緒的かつ逸脱を許さない人生観の情が伝わってきて、そういう感覚が岡潔との共通点だと思いました。

キリスト教の不信や資本主義の蔓延、または敗戦からの個人主義の導入によって、民衆の知力の低下を憂う、有意義な対話であると思います。



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2024年09月10日

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数学者と文章家の歴史的対談。
何かを究めた人たちは畑は違えど、物事に対する考え方、表現の方法が似通うものなのか。
喧嘩のようなやり取りになるかと思いきや、お互いをリスペクトする両者の考えの調和は小気味良い。
理解ができない事柄も多々あるが、再読を繰り返し、歳を重ねながら、理解を深めたいと感じる。
木健一郎氏の「情緒」を美しく耕すために
の締めが秀逸でこの本に相応しい。

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2024年08月22日

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ただのメモ

無明≒小我≒西洋的な自我
人は自己中心に知情意し, 感覚し, 行為するものであるが, 自己中心的な行為しようとする本能のことを無明という.
岡潔は無明をおさえれば, やっていることが面白くなってくるというが, これは無明を超えた真の自分の心, ユングでいう自己から俯瞰してみるということなのだろうか.

一番面白かったのは, 数学が抽象的になってしまったという話だった.
感情的に矛盾するとしか思えない二つの命題を共に仮定してもそれが矛盾しないという証明が出てしまったことにより, 知情意の知のみの領域へ入り込んでしまった. 矛盾するというのは情であり感情の満足であるが, これが納得しなければ本当にそうだと思えない. 感情抜きには情熱は生まれないものであり, 数学が学問として改めてどうあるべきか考える必要があると言う話だった.

理性(常識)は感情を元にして働く
直観とは感情の満足・不満足である

ベルグソン
ベルグソンの考えていた時間は僕たちが生きる時間
時間は心(感情)≒情緒の一種

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2023年12月30日

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読んでいて、心が落ち着いた。

情緒、詩人。
落ち着いて読めたのは、岡潔さんの言う詩的なところが、この対談にもあったからでしょうか。

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2023年09月03日

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数学は理論的に筋が通っていたとしても感情に訴えられなければ数学とはいえない。なるほどなぁ。。たしかに、数学という枠組みの中で論理が一貫していなければいけないという伝統?があるのは知っていたが、いわれてみればそれと同等くらいに「美しさ」も追求するのが数学だなと思う。そういう意味で数学は完璧で、数学者も完璧主義的なところがあるのかなと思った。

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2025年08月11日

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むっっっずーーーーーーー!笑
頭のいい人たちってこんな会話をするんだ、できるんだ。。。。すごい。。。
けど、理解できるようになるまで何回も読み直したいなと思いました。

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2025年05月22日

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天才同士の対話、と聞くと思わず尻込みしそうになるけれど、扱われているテーマはとても普遍的で、人間の学び、創造の根源について考えさせられる
数学・批評論だけに留まらず、芸術、特に絵画についての意見交換を楽しく読んだ

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2025年05月15日

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小林秀雄と岡潔の対談。
痺れるほどの知性。
ただ自分には正直半分も理解できたとは言い難い。
何かに突き抜けたひとたちというものは、あらゆることを見通せるものなのだろうか。

日本人は欧米の個人主義を真似るのをやめて、小我を捨てるべしという考え方は、奇しくも昭和史の中で半藤一利さんも似たようなことを仰っていた。
もっと研鑽を積んでから読み返したい。

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2025年04月06日

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批評家小林秀雄と数学者岡潔の対談。
今の感覚からするとうーん、と思う部分も多々あるが対談の端々から感じる知性の瑞々しさや柔らかさからはキラキラと光るものも多く感じる。
特に「情緒」≒「直感」の考え方はとても面白く感じた。

あと小林秀雄がどうしても岡潔とベルクソンを引き合わせたい感が面白かった。

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2024年12月04日

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「〔岡〕昔の(日本の)国家主義や軍国主義は、それ自体は、間違っていても教育としては自我を抑止していました。だから今の個人主義が間違っている。自己中心に考えるということを個人の尊厳だなどと教えないで、そこを直してほしい。
《中略》 神風の恐しさは見たものでなければわからない《中略》ものすごい死に方をしている。」(p.119)

「〔岡〕私は日本人の長所の一つは、《中略》神風のごとく死ねることだと思います。《中略》 あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎ止めることはできないとまで思うのです。」(p.139)

「〔小林〕特攻隊というと、批評家はたいへん観念的に批判しますね。悪い政治の犠牲者という公式を使って。特攻隊で飛び立つときの青年の心持になってみるという想像力は省略するのです。」(p.140)



批評家・小林秀雄と数学者・岡潔の対談。

話題が広範に渡り、無限の知の泉が2つ湧いているかの如く。
岡氏の専門である数学と物理学との関係、ベルクソンと時間概念に焦点を当てた哲学議論、ピカソやゴッホなどの絵画芸術 、ドストエフスキーとトルストイに関するキリスト教とロシア文学論、など。

哲学史や美術史から物理学の簡単な解説まであり、登場人物も多いので、手元に置いておくと、ちょっとした「大人の百科事典」のように使えそうだ。


その中で特に印象的だったものを、ここの冒頭に引用した。
戦後の個人主義とそれを基礎とした教育制度についての問題提議である。

個人主義の反対概念として、特攻のような「自己を捧げる」行動については、バーリンやラインホールド・ニーバーが主張した「(宗教道徳に基づく)自己犠牲の精神」と通ずるものがある。

また、「特攻ができる日本人でなければ、世界の滅亡を防ぐことはできない」という岡氏の言葉は、タルコフスキー監督の映画『ノスタルジア』を想起させた。
世界を救うために自らの命を擲つ2人の男性の物語だ。

近代思想のメインストリームである単純な個人主義礼賛・全体主義批判では、特攻とは若者の未来を奪う許されざる戦法と批判される。
現代の日本では、自分も含めて、そういうパターンがどこかに染みついているが、それは思考停止でもある。
それをずばり指摘した小林氏の、「悪い政治の犠牲者という公式を使って」と言う言葉は、あまりに核心をついている。

この対談の当時、両氏のように問題提議する賢人がいたことは、社会の財産であったと感じた。
「自己犠牲」というテーマは今後さらに掘り下げたい。



この本はたまたま飲みつつ読んだが、知的な肴のおかげで大変良い時間を過ごせた。
茂木健一郎は解説で、本書について、「声に出して読みたい対話」「音楽に似ている」と語っていたが、飲酒で程よく脱力した脳にすっと吸収するような読み方も悪くなかった。
そのような体験を提供してくれる読書は素晴らしい。
酒の肴になるような、知性溢れる本が他にも無いものか、と探してみたくなった。



蛇足であるが読書メモとして、
去年読んだ小林秀雄の『本居宣長』は「失敗作」という評判であることを読後に知ったのだが、本著で小林氏が『本居宣長』執筆のくだりから、
「この頃、仕事をしていて、とんでもない失敗をするかもしれないなと、いつでも思う」
と自ら予告しているのには思わず吹いた。
作家の永井龍男と小林秀雄が友人同士、ということも知り、洒落た2人にもほのぼのした。

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2024年11月15日

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ネタバレ

友人に勧められて。

小林
…誰でもめいめいがみんな自分の歴史をもっている。オギャアと生れてからの歴史は、どうしたって背負っているのです。伝統を否定しようと、民族を否定しようとかまわない。やっぱり記憶がよみがえるということがあるのです。記憶が勝手によみがえるのですからね、これはどうしようもないのです。これが私になんらかの感動を与えたりするということもまた、私の意志ではないのです、記憶がやるんです。記憶が幼時のなつかしさに連れていくのです。言葉が発生する原始状態は、誰の心のなかにも、どんな文明人の精神のなかにも持続している。そこに立ちかえることを、芭蕉は不易と読んだのではないかと思います。(p.133)
ベルクソンの「物質と記憶」にその後言及。

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2024年08月02日

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知や意思はいかに説明しても、情は納得しない。直観(感情の満足・不満足)なしに情熱は持てない。裏打ちのないのを抽象的という。しばらくはできても、足が大地をはなれて飛び上がっているようなもので、第二歩を出すことができない。

欧米人の指導層には小我をもって自己と考える欠点がある。日本人の長所の一つは神風のごとく死ねること。あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎとめることはできない。無明がはたらいているから、真の無差別智、つまり純粋直観がはたらかない。欧米人の特徴は目は見えないが、からだを使うことができる。目を閉じて、からだはむやみに動きまわっている。いつ谷底に落ちるかわからない。日本がすべきことはからだを動かさず、じっと坐りこんで、目を開いて何もしないこと。

奈良の博物館。正倉院。破れたきれの展示を丹念に長い間見た後に、外へ出てみると、どの松を見てもいい枝ぶりをしている。自然は何を見ても美しい。

自然科学の世界(例:相対性理論の時間・空間)は自然言語では説明できない。言葉にならない。数学言語が必要になる。

数学は印象でやるもので記憶はかえって邪魔になる。

おか・きよし 岡潔
『人間の建設』1965

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2024年04月28日

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二人の偉人が対談している。小林秀雄さんと岡清さん。国語と数学。
二人の思想、見ている世界を自分は残念ながら眺めることができていないので、会話についていけないところも多々あった。
岡潔さんの書籍は何冊か読んだことがあるが、小林秀雄さんの書籍はまだ読んだことがない。今度は、小林さんの書籍を手にしてみたい

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2024年01月18日

Posted by ブクログ

二度挫折して、三度目の正直で読み切りました。
150Pくらいの薄い本なのですが、体力使いました。

「難しい」とは何か?
「わからない」とは何か?
これらを考えさせられました。
世の中の事を大体わかった気でいましたが、全然そんなことはなかったですね。

この本は読んでいるうちに(100P超えたあたりから)癖になるところがあります。体力ある時にもう一度読み返したいと思います。

お二人(小林氏、岡氏)は文系と理系とで全く異なる世界で生きてきたのに、波長が合っている様子がうかがえます。とても不思議。
お二人の住んでいる世界感が同じだからなんだと思います。
反対に、私は「住む世界が違う」って、こういう事を言うんだなぁ、と感じました。

まず、二人の会話に登場する共通言語について行けないのです。
結構得意ジャンルと思っていた文学・美術の話が登場しますが、ついて行けない。
例えていうなら、富士山の麓から頂上にいる二人の会話を聞いている感じ。自分の文化教養度の低さを感じました。

例えば、文中にトルストイ・ドフトエスキー・ピカソ、と言った名だたる巨匠の作品が登場します。
彼らが創った作品がどんなものか、ざっくりとした知識はあります。
しかし、彼ら(小林氏、岡氏)のように時代背景や作者の思いまでくみ取り、作者がどんな状況下にいて、何を訴えたくてその作品を創ったのか。作者についてとことん調べ、作品と作者を紐づけたうえで一つの作品として見ているんです。そのうえで、「これは好き」「これは嫌い」と判断している。
物事を深堀りするっていうのはこういう事なんだな、と勉強になりました。
(私は作品単体としか見てないよ。。。「薄っぺらいな、自分」と思っていたけど、そういう事なんだと思う)

文学に至っては、実際に読んでいるか、も会話の肝となります。

”「白痴」のムイシキン公爵とか…”
普段、こんな話しますか?笑
この会話について行くためには、「白痴」を読んでムイシキン公爵がどんな人物なのか、ストーリーで彼はどういう役目なのか、本を読んでいることが必要なのです。
普段から何を見てどう感じているのか。
対象物が私とは全く違う。笑(住む世界が違うって、ここの違いだと思う)
「わからない」って純粋に思ったのですが、そりゃそうなのです。読んでいないのですから。
この本を読んで、久しぶりに「わからない」って感覚を抱きました。
同じ日本語を話しているのに、知識がない故に理解できない。共通言語について行けないって、こういう事を言いたいのです。

”わかるということはわからないなと思うことだと思いますね”(抜粋)

ものすごく考えさせられる言葉です。
こちらの書籍は「わからないな」だらけでした。。。
私も「わかる」に一歩近づけたということでしょうか。

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2023年12月21日

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タイトルがなんだか凄い話なのかなと、おもっていたものの、読み始めると、対談ものでした。なんというかジャンルの違う凄い二人の対談だけれど、結構共通するところの話があり、究極、人間として学ぶベースの部分の情緒のところが大事ということなのかと。情緒の言葉の意味というか範囲というかそれがどういうことなのか、といった二人の話からの考えることがいっぱいあり、いつでもどこからでも繰り返し読めて、考えることができる本となっているのかなと。旅のお伴にしたい。

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2023年11月05日

Posted by ブクログ

読後、すごい話を隣で聞いてしまった...という気持ちになる。
「面白い絵は見ていると疲れる、良い絵は人を疲れさせない」という話がとてもよかった。

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2023年08月23日

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2010年版だが、昭和40年に掲載されているが、今も色褪せない。

ただ、なにぶん難しい。

これもまた時間を置いてから再読したい。

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2025年05月26日

Posted by ブクログ

薄い本ではありますが、一度読んだだけでは理解できません。とても深い本だと思います。何度も繰り返し読む価値のある本のような気がします。
年齢によっても感じ方は異なるでしょう。
ドストエフスキーやトルストイと言ったロシアの小説家の名前が出てきましたが、まだ私は読んだことはありません。罪と罰や白痴にチャレンジしてみようと思います。
私の故郷、三重出身の本居宣長や芭蕉の話も出てきました。この2人に関する私自身の無知さにも忸怩たる思いです。少しは勉強したいと思う読後感です。

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2024年07月26日

Posted by ブクログ

面白いが、文理の碩学泰斗が対談していることに価値があるのであってその内容に価値があるかは疑問である。
世の中の中年男性が2人と同じくらい理性的でかつ低俗でないならば、きっと同じような会話をするのだと思う。
もちろんここから何らかのインスピレーションを引き出すこともありうるのだろうけど、一読した限りではそれは難しかった。

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2024年07月15日

Posted by ブクログ

数学界の天才と評論界の天才による対談。
解説にもある通り、内容は雑談であり、テーマは多岐にわたる。
二人の対話は非常に高度かつ知的で、すんなりと理解するのは難しかった。そんな私でも、知情意に関する数学論文の話は、相手を理詰めで追い詰める昨今の風潮に対して1つの気づきとなった。

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2024年06月24日

Posted by ブクログ

悔しいけれど、今の私の知力では1割しか理解できなかった。

やはり、良い議論をするにはほとんど同じレベルの頭脳が必要だと思う。
これから先もっと沢山の素敵な人たちと対話するために、言語を覚えるような気持ちで教養を身につけていきたい。

30歳になってもう一度この本を読んだ時、5割は理解できるように。

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2024年04月25日

Posted by ブクログ

普段使ってない脳みそを使って読んだ感じ、まさに筋トレというか脳トレ…!教育分野に関しても言及されていて、とくに素読教育の是非はわたしも賛成。初等教育の時点では子供たちはスポンジのように知識をスイスイ吸収していくので、九九だけと言わず、国語分野でも素読を入れるのは良いかもしれない。ちなみに教育に携わる者の給料が薄給なのはこの時代からだったのか…

p.115
小林 言葉と言うものを、主人はそれくらい信用していると言う、そのことなのです。言葉の組み合わせとか、発明とか、そういうことで新しい言葉の世界をまた作り出している。それがある新しい意味を持つことが価値ですね。それと同じように、数学者は、数というものが、言葉では無いのですか。詩人が言葉に対するような態度で数と言うものを持っているわけですね。

岡 言葉が五十音に基づいてあるとすれば、それに相当するものが数ですね。それから作られたものが言葉ですね。

小林 新しい数を作っていくわけですね。

岡 数というものがあるから、数字の言葉というものが作れるわけですね。

《読みたい本》
小林秀雄 ドストエフスキイの生活、本居宣長
プラトンの本
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟、罪と罰、白痴

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2024年04月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

うーん難しい。普段使わない脳みその筋肉が頑張っている音がした。数学者の文章って普段読まないから思考回路が違くて面白かった。あと唐突にはじまる形式なのも、面白い。

最後の解説で、茂木健一郎が「声に出して読みたい」と書いてあったが、そんな暇ないんだが!?と思う。茂木さんとの格の違いを見せつけられる。

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数学は、発見の前に必ず行き詰まる。

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2024年03月03日

Posted by ブクログ

言葉を選ばずに書けば「最近の若いもんは…」の精神が通底していて、読んでる間中説教されているような感じでした笑。
といっても、当時からの最高位の知識人2人の語ることなので、とても一般人の理解に及ぶところも無く。。。
「情緒として納得できない」ということでアインシュタインの理論に与しない態度については、なんとなく目から鱗でした。頭のいい人の考えたことは無条件に受け入れるべきだ、もしくは受け入れられた態度をとるべきという先入観が一つ外されたような気がします。

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2023年09月28日

Posted by ブクログ

批評家、文筆家として有名な小林秀雄と、
歴史に名を残す数学者・岡潔の対談本です。
昭和40年(1965年)のものだということです。

冒頭から、ピカソやアインシュタインを引き合いに出しながら
話は進んでいきます。
「無明」をちゃんと分かっている方が良いんだという流れになります。
無明って、僕は「救いのない」ことなのだろうと読んでいたのですが、
言葉の意味を間違えていたようで、パソコンの広辞苑を開くと、
「一切の迷妄・煩悩ぼんのうの根源。三惑の一つ。」などと書かれていたりする。
となると、話は全然違ってくる。
自分の愚かしさを知っておいた方が良いというような意味にとらえられますね、
彼らの、とくに岡さんの主張は。

そういったところから、
今度は「情緒」とか「情」とか呼ぶもののことについて
話は進んでいきます。
面白いですよね、文士の小林さんと数学者の岡さんの話がまじわるところというのが、
そういう部分になるんですよ。つまり「心」ですね。
分野は違えど、心というものに対する考え方は似通っていて、
そして、互いに自身の人生の中で心を磨いてきていた。
そして、その「心」関する考察や、彼らの心のあり方っていうのは、
十全に現代に通じるのです。
古いとか新しいとかではない、不易(真理)がここにあるのかもしれない。

とかなんとか、なかなか感想が書きにくい本ではあります。
なにせ、難しいです。
ただ、解説に茂木健一郎さんが書いているように、
読んでいると、自分の頭が良くなるような感じもしますね。
クリアになることもあるし、ヴィジョンが開けるところもある。

じっくりと思索したい人、思索が好きな人には
おすすめの本です。

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2025年06月17日

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