永井紗耶子のレビュー一覧
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ネタバレ木挽町芝居小屋の裏手で起きた仇討ち。
雪の降る中、大柄な博徒が白装束の若衆と真剣勝負の決闘。
仇討ちの2年後に芝居小屋を訪れた武家が本懐を遂げた菊之助について尋ねてまわる。
芝居小屋を訪ねてきた菊之助に声をかけた、木戸芸者の一八。
菊之助に剣の稽古をつけた立紙の与三郎。
菊之助に素質をみていた女形のほたる。
菊之助と暮らして息子と重ねていた小道具師の夫婦。
元旗本の放蕩息子、戯作者の金治。
それぞれが見守っていた菊之助の姿とは。
また仇討ちの事情とは。
友達が面白かったというので、読んでみた。
河原乞食と蔑まれつつ、流行の最先端をもてはやされた立場の芝居小屋の人々。
吉原で生まれ育ったものの吉原では生きていけなくなったもの、道場で酷い裏切りに会い武士道に迷いがでた彼、災害から江戸へ出てきたものの孤児として食べるために生きた彼、一人息子を亡くして芝居の小道具に救われた夫婦、恵まれた環境から逃げた彼。
さまざまな過去が菊之助と出会って、菊之助を成長させていくような。菊之助に救われるような。
ほっこりとした読後。
途中でなんとなく先は読めちゃうんだけど。
Aチームのようなチームワークのかっこ良さが心に残る。
「上っ面の顔のかたちも、肩書きや生まれ育ちも、焼いてしまえば残らない。囚われるだけ辛い枷さ。それでも、骨になっても悔いのない生き様ってのが、あるのかもしれない。」 -
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『木挽町のあだ討ち』で魅了された永井紗耶子さんの長編。今作もまた、ゆかりの人々を訪ね歩く中でモザイク画のように亡き人物の真姿が浮き彫りになっていく構成が見事の一言。
物語の核となるのは、当代きっての異色の思想家・海保青陵と、その最後の弟子である16歳の弥兵衛。青陵の「遺灰は空に撒け」という遺言を抱き、江戸から川越、秩父、金沢、京へと辿る旅路である。
武士の本分が「主君への忠義」であった時代において、青陵という男は「己の理」にどこまでも忠順に生きた人だった。金勘定を「端ない」と蔑み、建前で取り繕う武家社会にあって、「お金がなければ生きていけない」という絶対的な真理を直視し、資本主義の概念すらまだない時代に「商いこそが世を変える」と喝破したその先見性と柔軟さ。加賀藩の法を「ツギハキだ」と一刀両断してみせる場面の痛快さには、心から痺れさせられた。
上を向いても下を見ても身動きの取れない武家社会の理不尽な閉塞感もしっかりと描かれる。そうした現実の壁を前に、「厳然」という文字を静かになぞった青陵。彼は変えられない時代の大きさに諦めを感じ、孤独を抱えながらも、目の前の若い弥兵衛に未来への種を蒔いたのだろう。
世間の枠組みから抜け出し、自分の頭で考え、自分の足で立つこと。「自由自在」という教えの本当の重みが、旅の終わりとともに胸に深く染み渡る。時代を超えて現代を生きる私たちの背中をも押してくれる、圧倒的な傑作。 -
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明治の東京を舞台に、霊が見える大学生の啓吾と、怪異を見たいけれど見えないお坊ちゃまの正周コンビが出遭う様々な事件を描く。
上野戦争で亡くなった役人が、今わの際に助けた少女と妻を探して欲しいと啓吾に頼む
祈る猫に宿ったのは、行方知れずとなった息子を探す花魁の霊
十二階に展示された貴族の娘の写真が笑うという。その写真には別の貴族の娘が囚われていて…。
啓吾が正周を出会うきっかけとなった、敬語にしか見えない糸
十年ぶりに見つかった貴族の娘は何か様子が変で…。
啓吾が霊や怪異を見て、そこから正周と共に調査をして事件を紐解くという構図。
少々上手く行きすぎな感はあるが、啓吾が新聞社でアルバイトをしているというのも調査の手助けとなっているし、啓吾の叔父が僧侶で正周の実家である連翹寺家と縁があるというのも様々な縁に繋がっているのでやりすぎ感じはない。
何より正周が気持ちの良いお坊ちゃまで、わがままというよりは天真爛漫な感じなので、霊は見えないけれど何か護られている感じがある…と思っていたら、正にその通りだった。
見えないけれど、勘が良く素直な正周にはいろいろ感じるものがあるようで、そこも事件の謎解きや決着に上手く絡んでいる。
全編通じて、禿の皐月、または凛の半生が見えてくる。正周とは違うタイプだが、彼女もまた護られている人だった。なのにその人生は正周とはまるで違う。
母の教えにより霊が見えることを隠してきた啓吾が、正周と出会ったことによって正周には隠さずにいられるようになり、正周もまた、ただの恵まれた人生だけではなかったことが分かった。
生まれも育ちも違う二人の関係性が良かった。よくある、お坊ちゃまに振り回される庶民という構図とも違っていて読んでいて心地よかった。
峯斎先生ともども、その後再会があるのかが気になる。
この終わり方は続編があるのかどうか。 -
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「自分を裏切らないで良かった」──彼らの生き方を見て、私は最後にそんなことを思った。
これは、江戸の芝居小屋の近くで若侍・伊納菊之助が果たしたあだ討ちを巡る物語である。その真相を確かめるため、ある侍が事件を目撃した関係者たちに次々と話を聞いていく。彼らの語りが重なり合うことで、あだ討ちの裏側に、それぞれの生き方が浮かび上がってくる。
最初は、関係者からあだ討ちについて話を聞くうちに、少しずつ真相が見えてくると思っていた。しかし、実際には一見関係のなさそうな彼らの身の上話から、事件の輪郭が徐々に浮かび上がってきた。
その一方で、彼らがなぜ菊之助をそこまで助けるのかという疑問は残った。ところが、最後の関係者の話を聞いたとき、衝撃が走ると同時に、それまでの話がすっと一本につながった。深く腑に落ちる瞬間だった。
振り返れば、あの身の上話には別の意味があったのではないか。人には譲れないものがあり、自分の物差しだけでは理解できない事情や思いもある。損得や世間の正しさだけでは決められないこともある。
それぞれが自分にとって大切なものを抱えながら、自らの道を選んでいた。その選択が、他の誰かの生き方にもつながっていたのではないか。私も彼らの姿を見て、自分が大切だと思うものまで否定しなくてもいいと感じた。
だから読み終えたとき、私はそう思ったのだ。 -
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霊が視える帝大生の啓吾と視えない心霊研究者の正周が
織りなす、明治後期の帝都怪異譚の連作集。
第一話 ロマン髑髏・・霊に憑かれ、掘り出してしまった髑髏。
その侍の霊の頼み事は妻と助けた女の子の行方を探すこと。
第二話 祈り猫・・・元・花魁の霊が憑いた祈り猫の頼み。
火事場から去った息子と共に逃げた少女の行方は如何に。
第三話 笑う写真・・・浅草・凌雲閣の写真展で写真が笑う?
そしてある令嬢が倒れる。撮影したのはあの少女なのか?
第四話 桐箱の糸・・・5年前の啓吾と正周の出会いの話。
桐箱の金色の糸が繋ぐ縁。視える者と祓える者の因縁。
第五話 生きていた令嬢・・・7歳で行方知らずとなった令嬢が
突然現れた。まさか、あの少女?やりきれない悲劇。
終 めぐる糸・・・事件の後日の啓吾と正周の会話。
「何となく、あの人とはまた会う気がします」
縁の糸は、めぐる。
江戸は遠くなりにけりな感のある明治時代後期ではあるが、
かつての時代の残滓が所々で見受けられる。
更に、文明開化以後の東京の姿。新しい身分に貧富の差、
廃仏毀釈後の影響、新聞社や写真館、そして学制。
帝大生の二人。霊が視える啓吾と視えない子爵家の正周。
巻き込まれる怪異譚にはミステリーとファンタジー、
そして人情物が混在している。
序盤からの数話は、あっけないほど分かり易い内容だったが、
実はフラグが隠されている。終盤に至る展開でそれらが
露わになり、なんかウザいボンボンの正周の良い人ぶりが
出てきて祓う能力まで示される妙。
また、新聞社の上条、寿照尼と占部峯斎などの個性的な
人物たちが登場し、物語を引き締め、複雑な様相が発現する。
要所に登場する皐月。彼女の正体がわからぬままの終焉は
消化不良なので、続編が出ることを期待します。
めぐる糸の縁が彼女にも繋がっていますように。 -
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永井さんの作品では『木挽町のあだ討ち』『青青といく』の流れで本作を手に取った。いずれの作品も、宝暦年間から文化・文政、天保を経て弘化年間にいたる、江戸中期の約100年の時期が舞台になっている。
とりわけ本作には、大河ドラマ『べらぼう』でも強烈な存在感を残した老中・松平定信が登場する。とはいっても、幕閣の第一線からは外れ、「風月翁」と名乗ってお忍び旅をしている途中。
寛政の改革を成し遂げたことに一点の曇りもなくふんぞり返っている風情の元老中に対して、今は煙草を商う「きらん屋」の主をしている、主人公の戯作者“栗杖亭鬼卵”が話して聞かせる昔語り。
その中には、円山応挙・上田秋成・海保青陵、それに蔦谷重三郎の名も登場し、当時の文化人たちが寛政の改革のもとでも圧政に屈せず、いかに人々に生きる喜びを感じさせるエンタメを作り続けていたのかが、ひしひしと伝わってくる。
ついにはさすがの“定信”も、“鬼卵”に対して心を開いて自分の人生を振り返ることになるのだが…。「これは絶対に正しい」と断言してしまうときほど、実はその陰で苦しめられている人がいたのかもしれない、ということに気付く“定信”。現代を生きる自分にも問われているように気がしてきた。
それにしても、江戸時代に“栗杖亭鬼卵”という、こんな自由人がいたなんて知らなかった。永井さんの掘り起こす歴史小説にこれからも注目したい。 -
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アマプラでこの小説を映画化した作品が登場したのを機に、読んでみました。
時代物が苦手な私としては、いきなり文章から入っても理解できんだろう、ということで、今回は映像を見たあとで小説を読みました。
両方見てみて、まず思ったこと。
かなり小説を忠実に映像化している!
小説では、6人の視点から「木挽町のあだ討ち」が語られていきます。
ただし、加瀬総一郎(映画では柄本佑の役)自身の視点はありません。
登場人物たちが、目の前にいる総一郎に「あだ討ち」について語っていく、という構成になっています。
個人的に、一つの事件を複数の人物がそれぞれの角度から語る文章構成が好きなので、これはツボに入りました。
しかも、6人中5人は「あだ討ち」にそれぞれの役割を持って関わっています。
そのうち1人は、実際にあだ討ちをする本人である菊之助。
さらに面白いのが、彼らは単に「あだ討ち」について語るだけではないところです。
なぜ、そのあだ討ちに協力しようと思ったのか。
そこに至るまでにどんな人生を歩んできたのか。
それぞれが、自らの生い立ちまで語っていきます。
一見すると「あだ討ち」の話なのですが、その裏で一人一人の人物にもしっかりとスポットが当たっている。
主人公は菊之助だけではない。
「木挽町のあだ討ち」を創った人たち全員が、この物語の主人公なのだと思わせてくれる構成でした。
一方、映像版では、加瀬総一郎が5人の人物を渡り歩きながら、「木挽町のあだ討ち」について情報を集めていきます。
一人ずつ話を聞き、少しずつ集まっていく情報。
それらをつなぎ合わせた先に見えてくる謎。
そして、その謎が導く真実。
痺れます。
今回は映像→小説の順で楽しみましたが、苦手ジャンルだとわかっている作品なら、この読み方もアリかもしれません。
時代物は、名前や立場、時代背景を追うだけで頭がいっぱいになりがちなのですが、先に映像を見ておくと、登場人物の顔や物語の舞台がすでに頭の中にある。
その分、文章そのものに集中できるんですよね。
苦手なジャンルこそ、映像に助けてもらってから原作を読む。
そんな読書の仕方も悪くないな、と思いました。