世間で悪所と呼ばれる芝居小屋のある木挽町。そこで起きた仇討ちは衝撃的だった。
雪の降る夜。見事に仇討ちを成し遂げたのは美しく凛々しい美少年。討たれたのはかつて少年剣士の家に仕えていた下男にして現在は博徒に身を貶している巨体の男。
衆人環視の中、父の仇を討つという本懐を鮮やかに遂げた美少年に、
...続きを読む江戸の人たちは惜しみない称賛を贈ったが……。
その木挽町の仇討ちを見届けた人たちの証言から事件の真相を紐解いていくヒューマンミステリー。
第169回 直木三十五賞 及び 第36回 山本周五郎賞受賞作品。
◇
その夜、木戸芸者の一八は芝居茶屋の座敷に呼ばれていた。一八の前には酒徳利の乗った仕出膳も置かれている。
一八を呼んだのは18歳の若侍で、2年前に木挽町で起きた仇討ちの顛末を聴きたいとのことだった。
仇討ちを遂げた美少年の縁者だという若侍を前にして、一八は朗々と語りだした。
睦月晦日の雪の夜のこと。
芝居小屋の森田座の裏通りに立つ娘らしき振袖姿。その唐傘で顔が隠れた華奢な人影を見て堂々たる体躯をした強面の男が近寄っていく。
その男はとかく悪い噂が絶えない無頼の博徒で、下卑た笑いを浮かべながら傘の下の振袖に手を伸ばそうとした。その瞬間だった。
唐傘とともに身に纏った振袖をひらりと投げ捨てたのは、なんと齢まだ15ほどの白皙の美少年である。博徒を睨みつけるや、伊納清左衛門が一子菊之助と名乗ったその美少年は……。
語り終え酒で喉を潤す一八に、次はそなたの来し方を聞かせて欲しいと若侍が言う。一介の木戸芸者の半生なんてと戸惑いつつも赤児の頃からのことを語り出す一八の話に、若侍は真剣に聞き入っていた。
(第一幕「芝居茶屋の場」)全六幕。
* * * * *
主要舞台は芝居小屋「森田座」。仇持ちの若侍(元服前)が芝居小屋に関わりを持つことに何か仕掛けがあるのだろうとは思いましたが、こういう因縁が用意されているとは驚きでした。
仇討ちの顛末を聴き取りにきた若侍は加瀬総一郎という名で、見事に仇を討った菊之助の義兄に当たります。
総一郎は木戸芸者の一八を皮切りにして、立師 、衣装係、小道具職人、筋書作家と、仇討ちを見届けた森田座の関係者1人ずつに話を聴いて回り、終幕で菊之助に真相を尋ねるという展開になっています。
いわば狂言回しとして登場する総一郎の聴き取りによって事件の証人たちの為人を知っていくのですが、それらがすべて壮大な伏線であったことには終幕まで気づけませんでした。
「芝居」というものは何のためにあるのか。その本質的なところに始まり、真の仇討ちのための役者が揃ったことで衝撃の一発逆転劇に向けた「徒討ち」が活き活きと描かれます。
そして、この大どんでん返しとも言える展開は、時代小説らしい人情話であるとともに作品を上質のミステリーたらしめているのでした。
まさに小説らしい小説、ミステリーらしいミステリーを味わえました。1年の最後を飾るにふさわしい読書になりました。