川本三郎のレビュー一覧
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向田邦子が日航機の墜落事故でなくなったのが昭和56年(1981年)の夏のことなので、今年で27年目をむかえることになる。あれっ、そんな前のことだったっけ?と感じるのは、自分が歳をとった証拠なのだろう。この本の書き出しは、何年か前にはやった「Always 三丁目の夕日」という昭和30年代の東京を扱った映画の紹介であり、締めくくりは「昭和三十三年頃から変わり始めて、バブルですべてなくなってしまった何か大事なものを、向田さんはとても丹念に見続けていましたね」という久世光彦の本からの引用である。その時代の日本に生きた家族を主たる題材として、向田邦子は脚本を書き続けてきたわけで、そういうわけで「向田邦子と昭和の東京」という題名になっている。本の帯に、「現代は何を失ったのか」とある。筆者の川本三郎は、昭和の時代の東京が良くて、現在の東京は困ったものだ、みたいな価値判断を特にしていない。向田邦子自体も同じである。従って、これから書くことは、本書とは、ほとんど何も関係がない。「現代は何を失ったのか」という言葉は既に価値判断を含んでいると思う。失われたものは、大事なものであり、それが失われる前の昔は良い時代であり、それが失われた後の現在は不幸な時代だ、みたいなことだろうか。こういう言説は、新聞等でもよく見かける。東京、あるいは、日本の昭和時代(少なくとも僕が生きていた昭和時代)が悪い時代だったとは全く思わないし、その時代と現在ではやはり何かが違うことは確かなのだけれども、でも、昔は良くて今は駄目、みたいなお題目には反発を感じてしまう。そのお題目は、その間の人間の努力を(その努力が良い結果を生んだかどうかは全く別として)、否定して涼しい顔をしているような、高みから人間の努力を根拠もなく批判しているような、そのような感じを僕自身が受けるからだろうと思う。途中でも書いたけれども、でも、僕自身のこの感想は、本書とは全く関係のないことである。向田邦子は魅力的な作家だと思うし、川本三郎はさすがだし、この本はかなり面白い。
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永井荷風の日記『断腸亭日乗』をベースにたどる昭和史。後篇では日米開戦から昭和34年に死去するまでが書かれている。
麻布の偏奇館が空襲で焼け、中野に移るがここも空襲で焼け出され、兵庫県明石、さらに岡山に疎開。岡山で終戦を迎え、熱海、市川と移り住む。
ここらへんは空襲に次ぐ空襲なので読んでいても辛い。ただここまで当時の生活を小説ではなくノンフィクションとして書かれたものは読んだことがなく、焼け出された人たちがどうしていたか、疎開といっても簡単に家が見つからない、列車の切符が手に入らず移動手段にも困る、お金をもっていても食糧がないなど、なかなか興味深かった。
荷風が中心ではあるものの、『日乗』に出てくる事件や人の名前など、ほかの資料から詳しく調べているので、芋づる式に昭和の文芸史であったり、文化史になっているのがおもしろい。
たとえば、まったく知らなかった住友令嬢誘拐事件とか。『四畳半襖の下張』裁判で有吉佐和子が弁護側に立ち、作品を読んで「男の人ってこんなに努力なさるものかと思って可哀想」と発言しているのもさすがという感じ。
戦時下に音楽会を開催したり、荷風と一緒に逃げていたピアニスト宅孝二が、『白鍵と黒鍵の間』の南博の恩師であるという繋がりにびっくりしたり。(映画で佐野史郎が演じた宅見先生のモデルでしょうか)
かつての愛人だった関根歌が77歳になった荷風を市川に訪ねているのも微笑ましい。
1992年公開の『濹東綺譚』の主演が津川雅彦だったこともあり、予告編の印象で、永井荷風というのはエロいおじさんの小説というイメージがずっと強かったんですが、実際のところ原作の『濹東綺譚』には色っぽい描写はまったくないんですよね。娼宅にお茶飲みに来ているような感じ。
『つゆのあとさき』にしてもヒロインの女給よりも、銀座のカフェや女給の自宅である市ヶ谷、宿のある神楽坂、愛人の父親が住む世田谷代田あたりの風景がていねいに描かれていて、風景を描くことで時代の雰囲気や失われていくものをとらえようとしている気がしました。
『荷風の昭和』を読むと、小説を書く前にまず舞台となる場所を何度も何度も歩いているので、荷風が描きたかったのはやはり風景なのではないかと思います。
以下、引用。
73
日記を書くに当っては荷風はまず手帳に鉛筆でメモを書き、次に万年筆でノートにメモから起した文章を書く。それに推敲を重ねて、最後に筆で和紙に記す。
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その堀口訳のサン・テクジュペリの本がなぜ再販されることになったのか。ある日、野田は、出版用紙の割当機関である日本出版会を通して「富永陸軍次官」という人物から、命を賭して戦っている青年パイロットのために何かよい航空文学を出版してもらえないかという依頼を受けた。
野田によれば富永陸軍次官の子息は、のちに特攻隊員になるが、その子息から自分達が読むに足る航空文学が欲しいといわれたのだという。
「特攻隊がいよいよ出陣したのは「戦ふ操縦士」もめでたく出版されてからまもなくの、十月二十五日のことであった」
93
「東京の都市生活の中心であったこの一帯を、敵機は特に狙って空爆したものと思われ、被害は相当なものである。銀座四丁目、尾張町の角の交叉点に大型爆弾が落ちて直径六七米の大穴をあけ、品川上野間の都電と地下鉄とを破壊してしまった」。
さらに「(注、尾張町交差点の)向角の服部時計店の大建築の後方から、松屋の向の教文館の間の一帯も烏有に帰している」
「有楽町の駅ではガード下のトンネルに駅長の指導で多数の乗客が避難したが、そこを襲った爆風のため、多数の死傷者を出したと言い、また朝日新聞の向側の泰明小学校では、三人の女教員が死んだと言う」。
102
「長垂坂」は、偏奇館の西、現在の六本木三丁目(当時の市兵衛町二丁目)にある坂。現在もある。最近まであった映画会社20世紀フォックスの試写室のすぐ近くで、フォックスに試写を見に行く時はよくここを歩いた。かなりの急坂。
109
横須賀線の鎌倉駅の西口駅前には、現在、ラングドン・ウォーナー博士というアメリカの学者に対する感謝の碑が建てられている。彼が古都を空襲しないように軍に強く訴え、その結果、鎌倉は空襲を免れたからだという。
128
ちなみに菊田一夫の戦後の国民的ドラマ「君の名は」で、ヒロインの氏家真知子が炎を逃れ逃れて数寄屋橋で後宮春樹に会うのは、この(五月)二十四日の空襲のあった日。二人は半年後の十一月二十四日の夜、また数寄屋橋で会うことを約束する。
168
この人(宅孝二)は、堺の何代も続く造り酒屋の子。戦後、東京藝術大学で教えていたが、五十歳の時に突然、クラシックからジャズ・ピアニストに転向したという変り種である。その教え子のジャズ・ピアニスト、南博は青春回想記『白鍵と黒鍵の間に』で師について書いている。
211
前田愛の『幻景の明治』によれば、「僕」は、明治の書生言葉という。幕末の志士たちが「君」と共に愛用したのが始まり。明治になって書生のあいだで広まった。
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戦後現れた「塵ッぽい焼跡の巷に立って拡声器で議員候補者の氏名を連呼する女でもなければ、雨の日に傘もささず映画館の戸口に列をつくって立つ女でもありません」。
「秋の女」
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青年が「今夜駅でランデブーするつもりだったんです」というところにも男女交際が自由になった戦後の明るさが反映されている。
「ランデブー」という言葉が懐しい。
戦後、昭和二十年代までの流行語だったようだ。
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『四畳半襖の下張』裁判
この時、特別弁護人の丸谷才一をはじめ、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、中村光夫、金井美恵子、石川淳、田村隆一、有吉佐和子が弁護側の証人として法廷に立った。
352
裁判の過程で弁護側の証人として法廷に立った有吉佐和子は、この作品を読んで「男の人って可哀想だという気持です」「こんなに努力なさるものかと思って」と卓見を述べている。
511
「猟奇」という言葉は、大正時代に佐藤春夫が探偵小説の魅力として「キューリオスティ・ハンティング」を「猟奇耽異」と訳してから使われだした言葉で、昭和になると、異常な性の快楽といった意味で使われるようになった。
549
主人公のにんじんを演じたロベール・リナンは戦時中、レジスタンスに参加、ドイツ軍の捕虜となり射殺された。また父親ルピック氏を演じたアリ・ボールもレジスタンスに関わり、逮捕されたときの拷問がもとで死去している。
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・ジャック・ロンドン「ザ・ロード アメリカ放浪記」(ちくま文庫)を読んだ。私はジャック・ロンドンを「野性の呼び声」と「白い牙」 でしか知らない。日本で有名な作品である。動物文学作家だと思つてゐた。しかしさうではないらしい。海外文学に対する無知である。作家といふもの、そんな単純なものではない。 ジャック・ロンドンは40年の生涯の「20年間に53冊の著書と200以上の短編小説を発表した。」(Wiki)さうである。結構な量である。この「ザ・ロード」もその1つ、かなり読まれたらしい。「ホーボーとしての経験が書かれたこの本は、その冒険物語があまりに魅力にあふれていたので、当時、彼の真似をしてホーボーになろうと家出する少年達が増えた。」(川本三郎「訳者解説」269頁)さうである。当然、ホーボーのことは書いてくれるなとも言はれた(同前)といふ。このホーボー、「決して社会的落伍者ではない。むしろ中世の吟遊詩人たちのような自由な放浪者という面が強い。」(266頁)とか、「移動性を重んじるアメリカ社会から生まれたひとつの文化英雄である。 決して社会から見捨てられた哀れな浮浪者ではない。」(267頁)と訳者は書いてゐる。「たとえ貧しくとも、社旗的束縛から解放されて自由気ままに生きることが出来るアメリ カン・ヒーローである。あの山高帽にだぶだぶスボンというチャップリンの放浪者のイメー ジが云々」(同前)とくると、 チャップリンもまたそんなヒーローの1人であつたらしいと気づく。ホーボーはそれほど魅力的な存在であり、ロンドンはそれを更に魅力的に描いたのであつた。
・どれほど魅力的か、これは目次を見ればよく分かる。本書は全9章、「貨車のすきまに」「食卓の幸運」「鞭打ちの光景」「刑務所の生活」「作業所の囚人達」「最高の放浪者」「ロードキッドの社会学」「二千人の放浪者の行進」「デカの追跡」からなる。これからすると本当に「文化英雄」とか「ア メリカン・ヒーロー」とか言へるのかと思つてしまふ。「最高」や「社会学」「行進」を読んでも、他は当然として、魅力的ではあつても、私にはそこに英雄やヒーローがゐるとは思へない。Wikiには、「アメリ カで19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代、働きながら方々を渡り歩いた渡り鳥労働者のこと。ホームレスのサブカルチャーの一員。 」(「ホーボー」の項)とあるが、ホーボーは基本的に、訳者の言の如く、「社旗的束縛から解放されて自由気ままに生きる」者達であつたらしい。アメリカでは「旅すること、移動することは生活の一部になっている。」(266頁)のだが、 「一カ所に定住することを大事にする農耕民族の日本人」(同前)にはそれは理解し難いのかもしれない。それでも、現在の人間は、ホーボー生活は実に大変ではないかと思ふ。最後に「写真資料」(279頁〜)がある。いかにスピードが遅いとはいへ、貨車の下にもぐつたり、屋根の上を歩いたり、連結器上に登るなどといふのは危険である。私からすれば、命の危険を顧みずにするだけの価値があつたかどうか、甚だ疑問である。肉体的な危機以外にも危険は多い。「デカの追跡」には警官に浮浪者として追ひまくられるホーボーが描かれてゐる。自由気ままに生きる代償なのであらう。定住民に放浪者は目障りである。定住民たる私はそんな代償を払つてまでする生き方ではないと思ふ。ただ、それをかうも魅力的に描いた作者の筆の冴えは見事である。ヒーローかどうかはともかく、束縛の多い人間からすれば、そんな生活も良いと思はせる魅力があつた。 本書は一時期の米国の若者風俗素描であつた。 -
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ネタバレこういう本は苦手だけれど、川本三郎さんということで読んでみた。
ここ数年、色んなことで友を亡くした私にとって、一番心に残ったのは
「通夜の席の酒も嫌だった」から始まるところで「…酒が入るうちに場所柄もわきまえずに笑い声が起きたりする。
喪主の方は客への礼儀として「故人はにぎやかなのが好きでしたから」と酒をすすめるら、それをしたくなかった。
家内がやつれ、そして静かに息を引き取っていった姿が目に焼きついている人間には「故人はにぎやかなのが好きでしたから」と決まり文句を言う気にはどうしてもなれなかった」
と言うところだ。
ある意味、流行病で、ここ数年家族葬が多い。
実はこれが一番理想なのかもしれないと、最近よく思うのだ。
そして「大事な人間が次々に去ってゆく。年齢的に仕方がない」
この「仕方がない」という、黙って受け入れると言う行為は、人を大きなものにするとも思う。そしてこの悲しみは決して癒えることはない。
しかし日常は、残酷にも普通に何も変わっていないように過ぎていく。
「歳をとるって言うのは残酷だ」と私が子供の頃、父がふと呟いたその言葉は、ずっと心の言葉の引き出しにあって、自分がそのくらいの歳になると、実感としてどーんと重みを増す。
よく、歳取ると子供にかえるのよと言われることもあるが、私は昔から違うと思っていた。それは確信へと変わる。子供にかえるのではなく、たくさんを知り得た人が、それを残酷なまでに静かに受け入れて時を過ごしていくと言う、人とは共感できない個人のものを積み抱えていっている経過だと思う。 -
Posted by ブクログ
・・・『男はつらいよ』が好きだというのは、実は評論家として勇気がいる。『あんな、なまぬるい映画のどこがいい』と批評する評論家がいまだに多いから。
いっときは「隠れ寅さんファン」と自嘲していたが、年齢を重ねるにつれ「カミングアウト」出来るようになった・・・
これを読んで、評論家とは粋がっている職業いうか、映画ファンとは別次元の異人種だなと思う。
シリーズ第5作の「望郷編」(1970年)あたりから寅さんが本格的に地方へ旅をするようになり、以後「ロードムービー」の色彩が俄然強くなってくる。
そして山田洋次監督は後世に残して置きたいような日本の風景、特に廃れてしまいそうなローカル鉄道が走っている懐かしい機関車や田園風景、昔ながらの古風な瓦屋根の並ぶ家々、亡びゆく古い小さな町・村を映画の中に撮りいれていく。
それが今では、失われたノスタルジーになり、新しさを求めないで、古いものを撮っているが故に、このシリーズが長く残り、時の風化に耐えている源になっている。
本著では北海道から沖縄まで、寅さんの辿った場所を尋ね歩くのだが、山田監督はかなりの鉄道オタクであり、今は廃線・廃駅になったような場所までこまめに撮影場所として選んでいる。そして鉄道ファンでもある著者もこまめにその足跡を辿って行く。
ただ48作全作品のロケ地を日本中隈なく見て回り、またそれに関連した山田洋次監督の他の映画の解説も入れるということで、最初は感心しながら読んで行くのだが、その内、盛りだくさんの美食を積み上げられて無理やり食べているような、いわば食傷気味に陥り、読むのも疲れてくる。
寅さんのような48作も続いた作品の足跡を全てを隈なく辿る手法は、もう少しバラける等のやり方を考えた方が良いのではないかと思う。
少々疲れました。 -
Posted by ブクログ
淡々と奥さんとの日々、そしてお別れのときが綴られている。微笑ましく、うらやましく夫婦の姿を思い浮かべて、こうやって夫婦って作り上げられていくものなんだなあとうれしく思った。
決して、古風な奥さんではなかったけれど、川本さんをそっと支え、引っ張ってゆく姿は、私にはまったくないもので、なんだかとても憧れる。子どもがいない夫婦だからか、恋愛要素の強い2人のようにも感じられて素敵なんだ。
まだまだ先だと思って、想像すらしたことのないだんなさんとの別れを想像してみて、そわそわと落ち着かなくなる。もっと優しくしておけばよかった、なんて思わないよう、日々生きて行けたらいいな。だけど、それでもきっと最後はそう思ってしまうんだろうな。