川本三郎のレビュー一覧

  • ザ・ロード ――アメリカ放浪記

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    ジャック・ロンドンの若きホーボー時代の日々が描かれた作品。

    食べ物もないし、列車に無賃乗車しては制動手から逃げてたり、捕まったりして、放浪罪で刑務所に入れられたり、物乞いしたりで命がけで大変な苦しい生活だったことが分かるけど、読んでいてかわいそうとか、悲しいみたいな気持ちにはならないのはジャック・ロンドンがタフで自由を謳歌しているのがある種、魅力的見えるからだと思う。

    本作の解説でもあるようにこの時のトール・テイル(ホラ話)がその日の糧を得るのに役立ったり、別のホーボーから認められたり、ジャック・ロンドンの作家としてのストーリーテリングの才に磨きがかかったことも見逃せないポイントだろう。

    ジャック・ロンドンを突き動かすバイタリティがアメリカ人のフロンティア・スピリットを象徴していたり、羨望の対象になりケルアックの「オン・ザ・ロード」に引継がれてゆく本作はアメリカ文学を理解する上でも重要でロードノベルの金字塔と言っても過言ではないのではないかと思えるくらい、侮れない一冊だった。

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    2026年07月11日
  • ザ・ロード ――アメリカ放浪記

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    野蛮なエネルギーがみなぎる19世紀末のアメリカを舞台にした自伝小説。
    無銭乗車で汽車の下に入り込んでアメリカを横断するとか、今の感覚からするとイカれてるとしか言いようがないのだが、この時代には大量にそういった放浪者(ホーボー)がいたというのが驚きだ。

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    2025年01月03日
  • ザ・ロード ――アメリカ放浪記

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    ジャック・ロンドンの実体験を基に綴られたホーボー体験記。
    空腹に耐え、極寒に震え、命の危険さえ顧みず、それでもよるべない放浪の暮らしを続ける人たち。
    そこにはあふれる自由がある。
    生きるも死ぬも自分次第という真の自由が。

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    2024年12月14日
  • ザ・ロード ――アメリカ放浪記

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    ジャック・ロンドンはつくづく読みやすい文章を書くなあと感心する。小説もバツグンに面白いけど、自伝エッセイも最高にワクワクした!
    若さとエネルギーがはち切れんばかりの自信に満ち溢れた筆者の言葉にどんどん惹き込まれる。わくわくする。自信満々でも全然鼻につかないのは、真っ直ぐな言葉だからか。嘘つきだし犯罪者だし、意地悪だし、道徳的に誉められない部分もあるんだけど、それもひっくるめて、めちゃくちゃ魅力的な人だったのだろう。悪いところにも衒いがないのだ。それゆえにどうしても惹かれてしまう。
    本人も大嘘つきだと称するくらいだから、この本のどこまでが本当の話かは分からない。でもそんなことはどうでもいい。嘘八百で人を魅了させることのできる想像力と頭の回転の速さがこの作家が名作家たる所以なのだろう。この人にならもっと騙されていたいとすら思ってしまう。

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    2024年05月16日
  • ひとり遊びぞ 我はまされる

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     表題の「る」が存続の助動詞だと気付いてから、なんとも味わいがました。
     老年になってから、こんなふうに一人で様々な場所を訪れ、また、読書し、味わえる。
     まだまだ自分など修行もエネルギーも足りない。

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    2023年05月01日
  • すごいトシヨリ散歩

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    池内紀と川本三郎の対談をまとめた本。
    旅、本、音楽、カフェなど、どのページを開いても興味深く、含蓄のある話が聞ける。

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    2022年06月03日
  • 映画のメリーゴーラウンド

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    「オマージュ」という言葉があります。名作
    映画への尊敬の念を込めて、少しだけそこで
    使われているシーンをなぞることです。

    それを「あっ、あのシーンの再現だ」と察知
    するのは、相当の映画への知識が必要とされ
    ますが、この本はその一助になります。

    「〇〇といえばこの映画であり、このシーン」
    でもそれは別の〇〇という映画のオマージュ
    なのだ。というように次々と連鎖しているの
    です。

    著者は「神は細部に宿る。とまでは言わない
    が、細部には小さいお地蔵さんくらいは棲ん
    でいると思う」と言います。

    そんなお地蔵さんを発見できる楽しい一冊で
    す。

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    2022年04月11日
  • すごいトシヨリ散歩

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    お二人のどの話も興味深く、少しずつ味わって読んだ。こうしたかけがえのない友人を亡くした川本さんの心痛はいかばかりかと思う。また、晩年の池内さんの著作を巡る騒動は、これで寿命を縮められたとしたら悔しいとしか言いようがない。
    ローカル線に乗って小さい町を訪ねたり、喫茶店に入ってみたくなる。

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    2022年01月01日
  • すごいトシヨリ散歩

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    同世代、話の合う盟友の存在がどれだけ人生を豊かにすることか。ドイツ文学者と評論家の途切れることのない対談。

    4歳違いのお二人。紀行文好きの自分にとってレジェンドのお二人の夢のコラボ。残念ながら池内紀氏は亡くなってしまった。妻を亡くしさらに敬愛する先輩も亡くなり川本氏の絶望たるやいかに。

    映画、旅、読書。人生には1人の友があれば良い、という言葉の重みを感じる、気の合った二人の興味深い対談でした。

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    2021年12月20日
  • 君のいない食卓

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    妻に先立たれ一人人生の晩年を過ごす。食を通じて思い出される過去。

    「いまも、君を想う」に続くエッセイ集。ちょっとしたおつまみだったりありふれた食。それが時に過去を思い出させ一人涙に暮れることもある。

    妻を亡くし一人食材を持て余しながら自炊したり外食する孤独な姿。思い出すのは妻や昔の仲間の思い出。

    筆者の十八番の紀行も含めしんみりとした品のあるエッセイです。

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    2021年03月03日
  • 「男はつらいよ」を旅する(新潮選書)

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    映画「男はつらいよ」シリーズは全48作。日本全国津々浦々、舞台となった土地を訪れる旅。

    「男はつらいよ」に登場する街並み、SLやローカル線、現在は失われ風景、中には現在でも変わらぬ情景も。寅さんが訪れた北は北海道から南は奄美まで、訪れる。

    筆者は山田洋次のロケハンを絶賛している。日本の里山、ローカル線の駅など旅情あふれる風景。そして何十年も前の出来事でも地元の人々には映画のロケは重大な事件。「男はつらいよ」の舞台を旅しているというと、急に親切に案内してくれる。

    失われた日本に出会える紀行。

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    2020年12月06日
  • いまも、君を想う(新潮文庫)

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    7歳年下の愛妻を57歳で喪った夫、35年間の夫婦生活を振り返る追想記。

    妻は夫に先立たれると元気になるが、夫が妻に先立たれると大変。そんなイメージそのまま。たくましい妻、朝日新聞を解雇され評論家生活、ずっとそばで支えてきた妻。子もなく愛猫や旅行などの思い出。

    闘病生活も含め、涙なくして読めないエッセイ。

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    2020年11月30日
  • 向田邦子と昭和の東京

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    向田邦子さんに関する作品は、ご本人の著書はもとより関係本もかなり読んだつもりでしたが、未読の本がありました。これまた大好きな川本三郎さんの著作を見渡していて探し出した本、それが「向田邦子と昭和の東京」(2008.4)です。存命なら今年91歳の向田邦子さんの51年余の生涯を、丁寧にまとめ、語られた書です。序が「昭和の女学生」①「父母のいませし頃の懐かしい言葉」②「家族の記憶と食」③「向田家の父と昭和の父」④お嬢さん、実社会へ」⑤「家族の中の秘密と嘘」最終章が「向田邦子と東京の町」。

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    2020年07月26日
  • いまも、君を想う(新潮文庫)

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    ネタバレ

    3月に脳外科を回っていた時に患者様の奥さんが毎日入院中の旦那さんの元に面会にきて長年付き添ってきた関係だからできる温かみのあるやりとりを見て読みたくなった作品。

    愛する奥さんの死という自分の力では何ともすることのできない不条理な悲しみを乗り越えて奥さんとの出会いからわかれまでを書き綴っていて僕のように人生経験が浅い若造に対して今一度患者様との接し方と生きとし生けるものは皆無常観から逃れられないことを教えてくれました。

    また一つ川本さんから生きるヒントを得たので近々開かれる彼の講演会に参加してみたいなと思いました。

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    2013年04月08日
  • いまも、君を想う(新潮文庫)

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    35年間連れ添い、病により先立った妻への追想記。夫婦の楽しいエピソードを重ねることにより、残された夫の喪失感の大きさを際立たせている。エピソードがどれもユーモラスで楽しく、長く連れ添った夫婦の強い信頼感が印象的である。著者と年代的に近いので、身につまされる。この優れた追想記により、聡明で、明るく、美しい妻の肖像が、人々の記憶の中に、永遠に行き続けることになった。

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    2012年11月11日
  • 荷風の昭和 前篇―関東大震災から日米開戦まで―(新潮選書)

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    カフェの日本史から女給が気になり、女給を主人公にした永井荷風の『つゆのあとさき』を読んでみたところ、そこに書かれた昭和初期の銀座をはじめ、市ヶ谷、神楽坂など東京の描写が良かったので、ガイド本的にこちらを読んでみました。
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    荷風の日記『断腸亭日乗』と彼の作品をベースにたどる昭和史。
    今年の小林秀雄賞を受賞。
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    前篇だけで500ページを超えてるので読み終えるのに時間がかかりましたが、めちゃくちゃおもしろいです。
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    たとえば、私も気になった『つゆのあとさき』で主人公・君江が数寄屋橋の朝日新聞社にあがるアドバルーンを見上げる場面。
    アドバルーンが広告に使われるようになったのが大正時代で、朝日新聞社の建物が建てられたのが震災後の昭和二年。震災後に復興したモダン都市東京の風景だったことがよくわかります。
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    君江が住んでいる市ヶ谷本村町、銀座のカフェ、ここらへんも現在の地名や変遷が解説されていて、『つゆのあとさき』に書かれていた「市ヶ谷停車場」は外濠線という市電の駅だったことを知ったり。
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    荷風は実家が裕福だったこともあり、慶應の教授をちょっとしていた以外は定職を持たず、生活のために作家をしているわけでもないんですね。
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    9時頃に起きて、床のなかでショコラを飲み、クロワッサンを食べ、昨夜の読み残しの詩集を読む。隅田川あたりを散策し、銀座や神楽坂でビフテキを食べる。なんという高等遊民生活。
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    『日乗』に書かれた荒川放水路の散策が詳しく載っており、Googleマップで荷風の足取りを確認しながら読むと、当時の風景が再現されて、これもすごくおもしろい。隅田川あたりは一度歩いてみたいです。
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    荷風の中学の同級生だった外交官・佐分利氏が富士屋ホテルでピストル自殺した事件など、富士屋ホテルの洋館に泊まったことがあるんですけど、どの部屋だったんだろう。
    左利きなのに右手にピストルを持ってるとか、遺書がなかったことから松本清張がこの自殺説に疑問をもってるのもおもしろい。
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    荷風は女性とまともに恋愛をする気がなく、芸者、私娼、女給と、その時々でビジネスライクに付き合ってきたのかと思っていたんですが、川本さんの解説によると、むしろ女性らしさ、そのものを愛し続けた人であったようにも思えます。
    といっても、『日乗』の有名らしい「つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし」という女性リストには笑ってしまうんですが。16名の名前が書かれていて「此他臨時のもの挙ぐるに遑あらず」。
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    昭和100年といいますが、100年で東京の風景はまったく変わったようでもあり、じつはあまり変わっていないようでもあり。
    私も荷風のように東京を歩いて、消えていった昭和の面影を探してみたいです。
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    以下、引用。

    3
    ニ〇一四年にノーベル文学賞を受賞したフランスの作家パトリック・モディアノは受賞講演で「偉大な作家たちの何人かはひとつの都市と結びついています」としてバルザックとパリ、ディケンズとロンドン、ドストエフスキーとサンクトペテルブルグ、そして荷風と東京を挙げた。

    19
    関東大震災によって、自分を育んでくれた「江戸文化の名残」も「明治の文化」も消滅してしまった、その深い悲しみを謳っている。荷風の昭和は、震災による喪失感から始まっている。

    21
    巨大なビル(泉ガーデンタワー)の片隅に「偏奇館跡」(ニ〇〇ニ年、港区教育委員会)の小さな碑が建てられているのが、かろうじての救い。

    34
    荷風は数寄屋橋から鍛冶橋へ出る。数寄屋橋も鍛冶橋も、戦後、埋立てられてしまう外濠に架かっていた。現在、橋はとうにないが、交差点にその名が残っている。

    37
    神楽坂は明治になって繁華を見せるようになったが、とくに震災で大きな被害を受けなかったために震災後、隆盛した。

    46
    その伸びゆく銀座を牽引していったのがデパート。
    松坂屋がまず大正十三年に銀座に進出したのを皮切りに、大正十四年に松屋、昭和五年に三越、と大手デパートが次々に銀座に開店、近代的なデパートの出現は東京の人間の生活意識を大きく変えてゆくことになる。

    55
    荷風文学の特色のひとつは、たおやかさ、女性らしさにある。女性文化への憧憬にある。荷風が芸者やカフェの女給、私娼を好んで描いたのは、好色だからというよりも、彼女たちが持つたおやかさ、優しさ、肉体の美しさ、かぐわしさを愛したからに他ならない。その女性らしさは、猛々しく、武張った男性文化の対極にあるものだった。

    64
    随筆「葛飾土産」(昭和二十ニ年)では、コスモスが東京の人間に称美されるようになったのは大正の改元のころ、ダリヤはそれより前と書いている。

    明治二十五年(一八九ニ)創業の東京六本木にあるゴトウフローリストで、バラやカーネーションなどの洋花を取り扱うようになったのは大正八年頃のこと。

    65
    大正八年一月一日、「九時頃目覚めて床の内にて一碗のシヨコラを啜り、一片のクロワサンを食し、昨夜読残の疑雨集を読む」。『疑雨集』は明末の詩人、王次回の詩集。それを床のなかで「シヨコラ」を飲み、「クロワサン」を食べながら読む。フランス時代に知った彼らの朝の習慣に倣っている。ハイカラである。

    115
    神楽坂の田原屋は、震災で焼けなかった神楽坂のなかでも有名な高級洋食店。
    荷風は一人で「白ブドウ酒」を傾けながら「分厚いビフテキ」を食べていた。食べ終ると、テーブルに五十銭銀貨をボーイのチップとして残し、立去った。ダンディだ。

    122
    『日乗』昭和十一年一月三十日。
    つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし。
    此他臨時のもの挙ぐるに遑あらず

    128
    本田和子『女学生の系譜 彩色される明治』(青土社、一九九〇年)によれば、この女性言葉は「よくってよ」「だわ」から取って「テヨダワことば」と呼ばれ、明治の女学生が流行らせて、やがてそれが広く使われるようになったという。

    131
    女優について注を付けると、日本では、江戸時代に女性が舞台に立つことが禁じられていたので、女優は存在しなかった。
    明治になって、ようやく女が舞台に立てるようになった。

    144
    昭和二年に、荷風が銀座のカフェ、タイガーの女給お久(古田ひさ)と関係し、ために多額の金を要求されたトラブルを思い出させる。

    146
    広津和郎『女給』
    銀座のカフェの女給を主人公にした小説

    185
    野口孝一『銀座カフェー興亡史』

    文学作品のなかに登場した、カフェで働く女性の早い例に、谷崎潤一郎『痴人の愛』(大正十三年ー十四年)ナオミこと、河合奈緒美がいる。

    189
    昭和四年に中央公論社から出版された今和次郎編『新版大東京案内』によれば、当時、東京にはカフェは六千百八十七軒、女給は一万三千八百四十九人いたという。東京市の人口が二百三十万人ほどの時代である。

    192
    単身者は、荷風がそうだったように家庭の外で食事をする機会が増える。現代の日本で外食産業が隆盛なのは、全世帯の三分の一が単身者になっていることと無縁ではない。

    単身者は家の外で遊ぶ機会が多いから、劇場や映画館など遊興の場が増える。都市とは、家庭の機能が次々に外化されてゆく場である。都市と家庭は反比例する。日本の都市に喫茶店が多いのも、喫茶店が家における居間や書斎、あるいは応接間の役割を果しているからだろう。

    都市は単身者が作る。

    198
    気球は明治時代に軍隊によって偵察用に使われるようになった。それが次第に広告、宣伝に転用されるようになった。
    当初は「広告気球」と言っていたが、昭和になって「アドバルーン」と呼ばれるようになった。advertisement (広告)のadとballoon (気球)を付けた和製英語である。

    199
    朝日新聞社の建物は、震災後の昭和二年に建てられた。窓から見える泰明小学校は昭和四年に建てられた、いわゆる震災復興小学校。数寄屋橋も同年に新しく架け替えられた。

    201
    荷風は随筆『日和下駄』のなかで、「私は四谷見附を出てから迂曲した外濠の堤の、丁度その曲角になっている本村町の坂上に立って、次第に地勢の低くなり行くにつれ、目のとどくかぎり市ヶ谷から牛込を経て遠く小石川の高台を望む景色をば東京中でのもっとも美しい景色のなかなか数えている」と、本村町の坂上から神楽坂、小石川方面を眺める風景を絶讃している。

    202
    野口富士男は回想記『私のなかの東京』で、戦前、飯田橋から外濠に沿って市ヶ谷、四谷を走り、四谷から芝のほうへ出る外濠線という市電があったことを記している。
    「つゆのあとさき」でも荷風は、この市電に触れている。「本村町の電車停車場はいつか通過ぎて、高力松が枝を伸している阪の下まで来た。市ヶ谷駅の停車場と八幡前の交番との灯が見える」。

    207
    カフェの女給が女優になる。他方では、映画女優がカフェを開く。
    野口孝一『銀座カフェー興亡史』

    219
    これは渋谷でのことだが、大正十四年、東京生まれの評論家、森本哲郎は回想記『ぼくの東京夢華録』(新潮社、一九九五年)のなかで、小学生の頃、母親に連れられて、東横百貨店に行った時の楽しい思い出を書いている。まず屋上に行く。「その屋上から、色とりどりのアドバルーンが空に揺れているのを見たときの気分は、まさしく夢見心地だった」。屋上にはブランコやジャングルジムがあり、ちょっとした遊園地になっている。

    222
    あんみつは昭和のはじめに生まれたのだから。銀座の甘味処「若松」(創業明治二十七年、ニ〇ニ三年十二月三十日をもって閉店)の二代目主人、森半次郎が考え出した。

    257
    「朝日新聞」によれば、佐分利氏は中国から帰国中で、箱根の富士山ホテルに前夜投宿、翌朝(二十九日朝)、ベッドの上にてピストルで頭部を撃ち、こと切れていたのをホテルの従業員が発見した。

    334
    「マネキン」は現在でいうファッション・モデル。フランス語のモデルを意味する「マヌカン」に由来するが、「マヌカン」では、「客を招かない」になってしまうので、「招き猫」にかけて「マネキン」と造語された。

    341
    一九二六年に発表されたアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』には、イギリスの小さな村で、医者の仲間が集まって麻雀を楽しむ場面がある。

    429
    「彼氏」は昭和初期に徳川夢声が「彼女」に対して使ったのが最初という。

    481
    地下鉄の浅草駅には、とんがり帽子のような塔が名物となった地下鉄ビルが昭和四年に完成。
    設計は南海鉄道のビルなどを作り「ターミナル建築の権威」といわれた久野節。鉄道の駅とデパートが一体化するターミナルビルは大阪の阪急ビルが最初だが、東武はこれを参考にした。発着駅を二階にしたのが特色で、ビルを出た電車は大きくカーヴをしながらそのままの高さで隅田川を渡る。この鉄橋は川の景観を眺められるようにトラスを車両の窓より低くしてある。

    508
    当日のプログラムで永井路子さんは明かしている。この歴史小説家は、実は、美貌のオペラ歌手、永井智子の実の娘だったのである(父親は、永井智子の最初の夫、来島清徳)。

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    2025年11月06日
  • 成瀬巳喜男 映画の面影

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    偶然とある映画館で成瀬巳喜男監督特集を開催していたので試しに観てみたらハマってしまい、時間の許す限り何本も観たのがきっかけ。なんの予備知識もなかったのだけれど、撮影内容や演出に類似性があることに気づき、もっと知りたくなって取り急ぎ手にしたのがこの本。難しい評論よりも、こちらから読むほうが頭に入りやすいかも。

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    2025年07月28日
  • 「男はつらいよ」を旅する(新潮選書)

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    ネタバレ

    場所を横串にした視点が良い。
    柴又は下町ではなく本来は田舎だという認識が改めて明記されているのも良かった。

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    2024年07月30日
  • ひとり遊びぞ 我はまされる

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    雑誌「東京人」連載のエッセイ「東京つれづれ日誌」。2018年から2021年まで。コロナ禍で外出もままならぬ日々を思い出す。

    本書でも何度も言及されているが、池内紀氏が亡くなったいま、これだけのクオリティの高い紀行文を書ける作家は唯一だろう。

    関東近郊や都内など、永井荷風ほか作家の足跡を辿る小旅行。

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    2023年11月26日
  • いまも、君を想う(新潮文庫)

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    単行本刊行時以来、13年ぶりに再読。
    映画「赤ひげ」の二木てるみの井戸の底に向かって叫ぶシーンの引用で、泣けてしまった。

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    2023年11月05日