【感想・ネタバレ】マイ・バック・ページのレビュー

あらすじ

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全共闘、ベトナム戦争、CCR、そして連合赤軍事件…。「政治の季節」のただなかで、悩み、翻弄されてゆく、ひとりの若きジャーナリスト。伝説の回想録待望の復刊。

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Posted by ブクログ

 記憶のかなたに消えていた60年代がセピアからフル・カラーになって甦ってくるような一冊。
 あとがきに綴られた <あの時代に青春を生きた人間が好きなのだ> という川本氏の真情は、あの時代をさまざまに生きた人たちへのオマージュでもあるのだろう。

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2017年02月17日

Posted by ブクログ

生まれる何年も前の話。
眉間に皺が寄りっぱなし。何だか鼻の奥がツンとする。
不思議な読後感。
悲しい、のとはちゃうな。なんやろ。
映画も観たいが、止めた方がええやろか。むう。

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2013年03月26日

Posted by ブクログ

映画化されているのは知っているが、映画はまだ見ていない。
小説を見つけて読んでみた。
この内容をバブル期の80年代半ばに発表した作者は、地に足が付いているなあと。
2012年の今改めて読んでも、普遍的な感情があると思う。迷いとか、エゴとか反発とか。良い作品だと思います。

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2012年02月26日

Posted by ブクログ

映画を先に見ていた。あの時代を知らない世代が原作に誠実に一つのストーリーとして映像にしたことがよくわかる。あの時代の熱、若者たちの思い、筆者の傷。もう一度映画見たくなった。

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2011年10月25日

Posted by ブクログ

私にとって全共闘、安保反対は歴史の中の出来事ですがその時代の空気を感じられるスピード感のある青春ストーリーとして興味深く読みました。アメリカのことに詳しい評論家、翻訳家として川本三郎さんのことは知っていましたがこんな過去があったとは驚きでした。

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2011年09月29日

Posted by ブクログ

ベトナム戦争反対運動・学生(全共闘)運動・安保条約反対運動・連合赤軍事件・・・・・デモ/バリケード/シュプレヒコール/ローリング・ストーンズ/CCRなどなど。

ここに描かれる1969年から1972年にかけた日本社会の出来事は、あまり一般的なことではなく、一部の人たちしかかかわっていない特殊なことだという意見がもしあるとしたら愚かなことです。

たとえ実際に行動を起こした人が数万人だったとしても、確実に時代の突きつけてきた問題に真正面から誠実に応えようと、中には命を賭して命を落とした人もいるわけですが、もし地域制・まわりの制約などさまざまな理由で実際の行動ができなかったとしても、心情的には同意して後ろの方から応援していたということこそが、同時代に生きていた人として、あるいは後年見知った遅れてきた者としてのそれぞれの真摯に生きる人間としての証であると思います。

あるいは、もし何か怠っていたことがあるとしたら、その部分が今になってツケとして大きく自分の身の回りに重くのしかかって来ているような気になるのは私だけでしょうか。

本書は元々1988年に河出書房新社から上梓されたものが今回の映画化を期に復刊されたというわけですが、当時、彼は映画と文学の評論を書いてちょうど25冊ほどになった時点で、不惑も過ぎたことでもあるし、ここらでひとつ、そもそも自分が物書きになった契機というか出発点になった、例のあのことを書き残しておかねばなるまい、などという感慨を込めて着手したに違いありません。

彼の書いたものは、映画論・文学論・作家論・旅行記などから、トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』や『夜の樹』などの翻訳まですべて読んでいますが、いつも自分を語るということがあまりありません。

そういう意味で、この本の中の出来事は、本人にとってのみならず私たち読者にとっても無視できない、文学と映画の新しい視点を持つ表現者として彼が登場するための、通過儀礼のような神聖な儀式だった気もします。

もし川本三郎が、ここに描かれているいわゆる朝霞自衛官殺害事件(1971年の秋、東京から埼玉にまたがる陸上自衛隊内で、自衛官が新左翼過激派=赤衛隊を名乗るグループによって殺害されるという事件が起こり、彼は指名手配中の犯人と接触して取材を行い記事にしたが、その際あずかった証拠品を焼却してしまって、犯人逮捕後に彼も犯人蔵匿と証拠隠滅の罪で逮捕され朝日を懲戒免職される)に関与していなかったら、朝日新聞社を首になってもいなければ、ましてやそののち映画評論や文芸評論に手を染めることもなく、ただ優秀な新聞記者としてまっとうしていくだけだったはずですが、人の人生とはどこにまったく異質な世界への扉が突然現れるかわからないもので、彼はその禁断の扉を開けてしまったのです。

当時の70年代は、新左翼過激派にとって武力革命が最優先の課題として浮上した時期であり、そのための武器の調達は必須のことで、この事件もそもそもの目的はそのことだったはずです。

でも、悲しいかな真の武闘派を目ざして切磋琢磨したわけでもないので、たとえ最終的には武器を使用するとしても、普段はむやみと人を殺さず、一撃のもとに気絶させて戦力喪失させるという、穏健な(?)方法を会得もしない素人ゆえに、殺害してしまったのです。

そののち、武器なら選り取り見取りの銃火器が沖縄の米軍基地に五万とあるぞと喝破したのは、平岡正明だったか誰だったか忘れてしまいましたが、何にしても無計画な半ば衝動的な中途半端なアマチュアリズムに満ち満ちていて、この3年後の三菱重工爆破事件などむやみやたらと人を殺害するだけのテロが横行していき、せっかくの革命が理想と希望への途ではなくなり、ただの野蛮な行為と化していくことになるのです。

全体を通して、読後もし何かロマンティックなものを感じるとしたら、あなたはきっと本質的には現実主義者でもリアリストでもなく、過去もしくは青春時代に悔恨の情を抱いているまったく誠実な人だというあかしなのだと思います。

というのも、どんなに一見ノスタルジックにみえようとも、彼はこれをそういうふうには書いていなくて、ただ過去の自分と死者への鎮魂として書いたのだと断言できます。

それから、高校生の時に初めて、卓越した都市論・文学論の『都市の感受性』と、楽しい映画エッセイ『ダスティン・ホフマンは「タンタン」を読んでいた』を手にしたときから密かに思っていたことですが、川本三郎の容貌って村上春樹にそっくり、似ていると思いませんか?

もうひとつ。朝日新聞論説委員の外岡秀俊との対比。9歳違いで1976年に同じ東大法学部在学中に書いた小説『北帰行』で文藝賞を得たあと筆を断ち、朝日の記者になり紐育・倫敦の特派員を経て欧州総局長だった人と絡めて、報道と文学をめぐる断章(仮題)みたいなものを夢想しているのは私だけだと思いますが。

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2011年08月14日

Posted by ブクログ

最初はつらつらと60年代当時の著者の記者としての日常が綴られていくだけだったのだが、いつのまにか「ジャーナリズムとは」と考えさせられる展開になっていく。自分が3年間学んできたもの、それは実際自分がその場にいたらどうするか?という類のものではなかった。単なる学術である。いざこの本を読んでみて、自分が著者の立場だったらどうしたか?答えがでない。

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2011年06月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「日本でも革命が起きると信じていた。」と、青春時代に、デモ参加などの、当時の一般的な若者程度の市民運動をしていた私の母は言っていました。
この本から、そういう時代の雰囲気が伝わってきます。
しかし、当時から、地道に市民運動をしたい人たちは、過激派の人たちのことを、わざわざ事を揉めさせる、足を引っ張るような存在と感じていたようです。
本を読んでも、私には自衛官を殺害したKの動機がわかりません。
そして、この事件が、著者がジャーナリスト生命をかけてまで犯人であるKを秘匿しなくてはならないような、大義のある事件には思えないのです。(過激派の活動家が政府機関のスパイを行ったとか、政府の要人を殺害したとか言うならともかく・・・。)
でも、分かれ道で間違った選択をした人を、後から俯瞰で批判するのはたやすいですが、その渦中にいる人には、その時はそうするしかなかったのかもしれません。読後感は、ヒリヒリ痛いです。

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2013年06月11日

Posted by ブクログ

激動の60年代末から70年代をジャーナリストとして、駆け抜けた著者の回顧録の本著。

映画を観てから、原作を読みました。

近年60~70年代を総括する本が多々出版されていると思うが、これはジャーナリストとしてどうあるべきかという葛藤を含めて、どう全共闘と向き合ったのかと赤裸裸に綴られている。

の他にも、カルチャーに強い著者だけにあって。映画、音楽などについても触れられているため、その時代の空気感が感じられ易くなっていた。

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2012年07月29日

Posted by ブクログ

原作を読んで改めて映画版は、ノンフィクション、原作あり、ということとは独立して、良い作品だと思った。

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2012年02月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

社会情勢、警察、会社、仕事、ジャーナリズム。
どこまでが正義。どこまでが守秘義務。どこまでが有罪。

深谷市、熊谷市の市長、市議、元市議候補、深谷市お抱えの産官学グループ、NPOから度々嫌がらせを受ける私としては、脳がパニックを起こして倒れそうになるほど、考えさせられた。

やや自己憐憫的な描写は少々気になるので星は4つ。

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2012年01月18日

Posted by ブクログ

映画を見たので原作も読みました。川本三郎さんのエッセイは昔から大好きだったのですが、まさか映画になるとは。結末が映画とは少し違います。私は映画のほうが好きです。60年代のもやもやした雰囲気と焦燥感が伝わってきました。

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2011年11月24日

Posted by ブクログ

妻夫木&松ケンのW主演で話題のマイバックページ。
映画化に際し、河出書房からの原作がハードカバーで復刻され、即購入。
 川本三郎は、キネマ旬報の読者ならご存知の、実にやさしい映画評論。僕は数年前まで映画評論家だと思っていたのだが、文章からは音楽や時代背景も含めた縦と横の描写がとても上手な知識人だなあと思っていて、なるほど、昔はとんがったジャーナリストで、こんな過去があったのかと納得した。

 「旅先でビール」の肩の抜けた随筆も非常に親近感を覚え、文章を読んだだけで人柄が伝わってくる。

 上司と殴り合いのけんかをしたり、陽の当らないところにまなざしを注ぐ視点だったり、感情的な自分と理性的な自分の狭間で揺れたり、雑誌の連載なので繰り返しのエピソードも登場するが、60年代後半から70年代前半の時代感が、学生から社会人に、それもジャーナリストという、きわめて難しい立場から時代と対峙しなければならない存在を通して実直に鋭く描かれる。そして圧倒的に文章力
が素晴らしい。逮捕前から釈放までのくだりは、きわめて私的な感情を中心に描かれるが、この臨場感はすごい。

 これが、映像となるとどう表現されるのか?

 人はそれぞれ、特に若いころは自分の仕事に付加価値を求める。失敗を含めた経験からしか学べないことが多いが、学んだことを還元したり後輩に伝えることがきわめて難しい。教わる構えのないものに物を教えるのは極めて困難である。学ぶ意思を持ち、必要性を感じた時には時すでに遅しのこともある。
 
 人生は、他人との関わりという極めて社会的な要素と、自分の消したい過去を含めた個々の来歴の上に現在・未来を生きるという極めて私的な要素を同時に含む。人間の行動は、すべて自分の来歴という莫大なソースを礎として決定される。これが、心がコンピューター化できない最大の理由である。

 あとがきで、川本さんは20代の自分と40代の自分(本を書いた頃)、60代の現在の自分は、すべて別人のようであると記しているが、別人のような自分が生きてきて、現在も生きているそのことが、まさに個の来歴なのだ。忘れて思い出せないことも来歴の一部なのであろう。
 

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2011年11月14日

Posted by ブクログ

今はやりの若手有名俳優では、果たして、60年代後半の時代背景が、うまく伝わるかどうか、期待できないので、原作を読むことにした。「連帯を求めて、孤立を恐れず、力尽くして挫けることを恐れないが、力尽くさずして、挫折することを拒否する」、「自己否定、日常性の否定」「実存をかけているか」,等等、未だ、二十歳前後の自分が、感じていたことが、そのまま、自分自身に、その言葉達は、襲いかかってくる。奥浩平(青春の墓標)、高野悦子(二十歳の原点)高橋和巳(邪宗門)、吉本隆明などを、読んでは、模擬試験の後で、京大生博昭君の死の知らせを聞いた翌年には、当時、何も出来なかった自分と、死んでいった同世代の若者との違いは、どこにあったのかを知ろうと必至に、遅ればせながら、参加した。入学後、米軍資金導入阻止、産学協同粉砕、学費値上げ反対、等、一連の団塊の世代は、全共闘運動へと、なだれ込んでいくことになる。4.28,6.15,10.8,10.21,等、葉隠れを読んでは明日は、本当に、死ぬ覚悟が出来ているだろうか等と、友人の下宿や、喫茶店で、しゃべり、批判し、批判され、本を読み、議論し、思想と行動を、総括する胸に、棘さすことばかりの日々だった。書斎の本棚に、目をやれば、その時、読んだ本達が、あたかも、見返してくるようである。時代の先を読む力、見通す能力からか、その運動の先行きに、何の展望も、見いだせずに、安田講堂、よど号ハイジャック、連合赤軍リンチへと、一連の総括の間もなく、自壊しながら、あるものは、銀行へ、マスコミへ、広告業界へ、或いは、政治家へ、社会へ、又、あるものは、ドロップアウトして、みんな、社会の中へ、多少のずれはあったが、旅立っていった。並木座の映画館で、見た俳優の拳を丸めて、出て行くときの仕草を今も、どういうわけか、自然とやってします今の自分、長年の仕事のストレスから、少しづつ、解放される日々の今の初老の自分と、明日が来ることを、毎日、苦しく思っていた二十歳の頃の自分と、読後、改めて、ガラスで、負傷した手の平を見つめると、これからの人生、如何に、生きるべきか、60年代後半のあの時の自分が、改めて、問いかけてくるような気がしてならない。我が家の老犬は、それでも、幸せな様子で、目も、耳も、不自由になりながらも、こちらをじっと、眺めている。

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2011年11月26日

Posted by ブクログ

ジャーナリストを志していた青年が、
その取材対象に、垣根を越えてこころをゆるしてしまう、
そのきっかけがあまりにさりげなく、せつなく、
そして映画や音楽、カルチャーを愛するその青年の、彼なりの指針にどうしても感情移入してしまう。
映画でもその場面が印象に残った。
どんな人間か信じるにあたって、
CCRや真夜中のカーボーイ、そして宮沢賢治がどうしても心の裾をひっぱったこと。
活字で残る事件は壮絶だけど、その最中にいた人間は、
私となんの変わりもないのだとそう思うと震えがとまらない。

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2011年11月06日

Posted by ブクログ

学生運動華やかなりし時代の空気が感じられます。村上春樹の『ノルウェイの森』に感じた死のにおいを、この本にも感じました。
それは1967年10月8日に起きた一人の学生の死、通称10・8(ジュッパチ)ショックを経験した人たちが共有する「死」のにおいなのかもしれません。
生きることを深く考えたいときに読み返そうと思います。

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2011年09月22日

Posted by ブクログ

60年代という未知の世界が記録された本。映画とはまた違った感慨があった。事件の記録と、当事者の記憶。50年後に今を振り返ったら著者の気持ちがわかるだろうか?

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2011年08月02日

Posted by ブクログ

内閣府参与だった松本健一さんと仙石副官房長官、川本さんは東大の同期と聞いた。あの時代への痛みを最も背負っているのは誰だろう。もちろん菅総理には何も残っているものはないだろうが。

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2011年07月27日

Posted by ブクログ

映画を鑑賞後に購入。
読みやすい文体なので、一日でサクサクと読める。

私はまだ齢26で全共闘時代にはかすりもしていない。
恥ずかしながら、さほどの知識もなく、ときどきテレビ等で流れる「あの時、時代は○○だった!」的な特番でしか、この時代の知識を持ち合わせていないし、そういったテレビで流れる映像は大体、浅間山荘事件だったりするので、「全共闘=暴力的」なイメージが脳に染みついている。
その意味で、この本は私の中での全共闘時代のイメージを覆している。


また、この本の素晴らしいのは、書かれたの1988年に書かれたのにも関わらず、全く古臭さを感じさせない点である。

本のあらすじは、全共闘時代を生きた一人の雑誌記者が、若者の思想的・暴力的活動にシンパシーを感じつつ、ジャーナリストとしての立場を守るために葛藤する、一つの青春物語である。

あとがきにもあるように、この話の中心には「組織の中の個人」という極めて普遍的な問題を扱っている。川本氏は全共闘にシンパシーを感じつつも、新聞社という「組織」に守られ、安全な立場から活動を見守ることしかできない自分に常に苛立ちを感じている一方、その組織を利用することで、自らのジャーナリズム業をやりやすいようにしている。

この手の問題は現在の私たちの社会にも十分通じる点がある。
会社という組織とそれに属する自分。組織に属することで得られる効用もあるが、それによって諦めなければならない個人としてのこだわりもある。

だから、この本を読んでいても全く古臭さは感じず、むしろ身につまされる思いであった。


余談ではあるが、映画版ではこの「組織の中の個人」という問題はかなり大胆にカットされ、代わりに犯人側の視点を大いに盛り込み、この時代の若者像を深めている。
山下敦弘による演出が抜群に冴えている一方で、どこか突き抜けた感じがしないのは、その問題をうやむやにしてしまったからかもしれない。

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2011年06月30日

Posted by ブクログ

全共闘運動の全盛期から衰退期と重なる時代の出来事を当時新人の記者だった著者が回想したもの。
全共闘運動の結末上、話はどうしても感傷的な挫折の物語にならざるを得ない。
しかしそこには自分達が社会とどう関わっていくかという真摯な問いがあった。

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2011年06月18日

Posted by ブクログ

自分が生まれる前のことだし、安保とか全共闘とかよく知らないしなんか怖い感じがして読み始めるのにはちょっと勇気がいった。でも、読み始めたらそれはまったくの杞憂だった。書かれていることはたしかにその時代のことなんだけど、まったく古臭くない。全編に流れるスピード感、登場人物たちの気持ちの動きの鮮明さ、なによりもいまの時代にはないひとがひととして悩みながらも深く生きていくさま、街が街として、大人が大人として、機能している感じにとても憧れる。

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2011年06月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

おや、と思った。何だかいつもの川本三郎と感じがちがう。文章も生硬で余裕が感じられない。それに、60年代をテーマに謳っているのに出てくる話が暗いことばかりじゃないか。死者についての話も多い。それに何より「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」記者としての個人的な感想がいかにも青臭い。いや、臭すぎる。いったい何を書きたいのだろう、と思いながら読み進めていった。

先に書いておくが、実はこの本1988年に河出書房新社から出版された同名の書物の復刻版である。その前年に雑誌「SWITCH」誌上に連載された文章を集めたものだ。当初は「60年代の様々なできごとをさらりと客観的に書くつもりだった」と、88年版のあとがきのなかで川本は書いている。しかし、第一章から川本の口調は滑らかではない。何やら60年代のことを思い出したくない様子なのだ。映画の中に引用されている三里塚闘争の映像を見たときのことを「いやだな、思い出したくないな」と書いている。

当時川本は、ジャーナリストにあこがれて朝日新聞に入社したばかり。それなのに、新米社員にはつまらない仕事しか回ってこなかった。ベトナム戦争に取材に行っている先輩をしり目に、自分は安全地帯にいて第三者的な立場で意見を述べているばかりという事態に焦れていたのだろう。「センス・オブ・ギルティ」や「ベトナムから遠く離れて」といった章のタイトルにもそれは表れている。

それにもう一つ、川本は「週刊朝日」に配属されていたが、当時勢いのあったのは圧倒的に「朝日ジャーナル」の方だった。あの雑誌をくるっと巻いて小脇にはさんだり上着のポケットに指したりするのが流行りのスタイルになっていたくらいだ。三里塚闘争にしても「朝日ジャーナル」の方は支援の姿勢を明らかにしていたが、「週刊朝日」の方は旗幟鮮明ではなかった。同じ社内にあって、新左翼シンパの自分が「週刊朝日」の方にいることが悔しかったようだ。

しかし、上層部の判断で「朝日ジャーナル」のスタッフが配置転換され、その後を他の部局から入ってきた者が担うことになった。若い川本もその一人だったが、前メンバーからは第二組合的な扱いを受け、冷ややかな目で見られていたらしい。頼りになるメンバーも限られ、どうしたら「朝日ジャーナル」を続けていけるのかという不安の中で事件は起きた。

アメリカン・ニューシネマやウッドストックといった話題もあるのに、どうして暗い話ばかりと感じていたが、それには深い理由があった。「ニュース・ソースの秘匿」。今でもジャーナリズムのモラルの一つとしてよく取り沙汰される話題だ。「赤衛隊」という名前を記憶している人も少なくなっただろう。自衛隊朝霞基地で警備中の自衛官が刺され死亡するという事件があったが、なんと川本は、犯行以前に、その犯人に単独インタビューをしていたのだ。

それだけならまだしも、犯行後に証拠品である警衛腕章をもらい受けてもいる。インタビューに同行した社会部記者は警察に情報を流すべきだという。川本がそれに反対したのは、ジャーナリストのモラルを守るためであった。この事件を単なる殺人事件とする社会部記者に対し、思想犯だとする川本の論理は完全に食いちがう。その結果、逮捕され拘留。取り調べに対し完全否認するも犯人の方はぺらぺらと自分のことをしゃべっているらしく、このまま否認を続ければ「殺人教唆」の罪まで被る危険性が出てきた。

結果的には、事実を述べたことで「証憑湮滅」だけで起訴され執行猶予つきで釈放されるが、朝日は馘首。ジャーナリストのモラルに違反した自分を川本は許せなかった。以後、政治を語ることは自分に禁じてきたという。88年版が出たとき、丸谷才一が「比類なき青春の書」、「どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆゑ文学的」と評したのはさすが。72年に起きた事件を語るのに15年かかったのだなあ、と読み終えて思った。改装版が出ることになったのは映画化されることが決まったからだ。

暗い話ばかりと書いたが、後に高田渡と武蔵野タンポポ団のメンバーとなる青年(シバ)の下宿でフォークソングを一緒に歌ったり、阿佐ヶ谷の「ぽえむ」で永島慎二の隣でコーヒーを飲んでいたりと、懐かしい名前も登場する。後知恵ともいえようが、川本三郎の資質はむしろそちらの方に向いていたのではないだろうか。貧しい者や弱い者に優しく、声高にものを言うことのない筆者の書く物を愛読してきたが、こういう時代があって今の筆者があるのだなあという思いを強くした。

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2011年08月24日

Posted by ブクログ

22年前に一度世に出て忘れ去られていた本だが、ある映画人の目に止まり映画化されることになり、陽の目を見た復刻版だ。初めにお断りしておくけれど、この本は万人向けではない気がする。ある年代以上の人にとっては、何がしかの苦い思いと共にその時代の記憶を甦らせるメモワールだけれど、、、それにしても60年代の安保闘争から全共闘による大学紛争、そして連合赤軍による浅間山荘事件に至るまでの間というのは、実にドラマチックな時代だったと思う。どのシーンを取っても、何とか映像化してみたいという気持ちが分かる。

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2011年07月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて:安田浩一」という本を読んで、今は在特会のような組織があるけど、その本に出てくるような60年代や全共闘というものが何なのか、どうして若者が死んだり闘争しなければならなかったのかを知るきっかけの一つとして、読んでみた。

概要を理解するには適していない本だったけど、「川本三郎」という人を通じて当時の一面を知ることはできた。

あとがきP212の「ミーイズムではなくウィーイズムの時代だった。誰もが他者のことを考えようとした。~」なんだなーと…

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2013年02月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

内容紹介
ベトナム戦争、全共闘運動、そして連合赤軍事件……。騒乱の60年代末、若きジャーナリストとして著者が体験した、青春の蹉跌を描く伝説の回想録、待望の復刊。2011年、妻夫木 聡&松山 ケンイチ出演で映画化
内容(「BOOK」データベースより)
全共闘、ベトナム戦争、CCR、そして連合赤軍事件…。「政治の季節」のただなかで、悩み、翻弄されてゆく、ひとりの若きジャーナリスト。伝説の回想録待望の復刊。

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2012年03月21日

Posted by ブクログ

全共闘の時代、ジャーナリストとしてのモラルと市民の義務の中で揺れる筆者。

映画が期待外れだったので、原作は途中で挫折するかと思いきや、ページをめくるたびにどんどん引き込まれていった。

やっぱ映画を見るなら原作を読む前だね。

全共闘時代に流行したフォークソングやアメリカン・ニューシネマが紹介されるので、当時の文化を知るのにも好都合。
(2012.1.14)

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2012年01月23日

Posted by ブクログ

 兄は、職業上のモラルが重要なことはわかるが、今度の事件の場合、その政治グループは、君がジャーナリストのモラルを持ち出してでも守らなければならないことをしているのか、自分にはただの殺人事件にしか見えないが、といった。
 それから兄は、私の顔を見てゆっくりといった。「だって君、人がひとり死んでいるんだよ。何の罪もない人間が殺されたんだよ」
(略)兄は最後に「あの事件はなんだかとてもいやな事件だ。信条の違いはあっても、安田講堂事件やベトナム反戦運動、三里塚の農民たちの空港建設反対は、いやな感じはしない。しかしあの事件はなんだかいやな気分がする」といった。(p178-p179)

この兄の言葉は、映画では巧みに違う脚本に書き換えられているが、重要な言葉であった。

私は今年の6月、山下監督の「マイ・バック・ページ」という映画を見て、最初は川本三郎をモデルとする妻夫木が全共闘運動に全面的に寄り添っており、それを映画でも追認しているというふうに捉え、反発した。しかしながら、今は違うと思う。

映画はこの本の中にある一つのエピソード、高校生モデルの保倉幸恵との本の少しの「触れ合い」を大幅に膨らませたものになっていた。その視点は、その保倉に「あの事件はなんだかいやな気分がする」と語らせたことで、明確である。私は映画の「視点」を支持する。

そしてこの本の中にあるように、
「わたしはきちんと泣ける男の人が好き」(p41)
と、保倉に言わせている。
これが見事に効いていた。
映画では、「きちんと」かどうかは観客に委ねられているが、妻夫木は最後に男泣きをするのである。
今年100本以上映画を見たが、邦画のベストワンはこの映画になると思う。

一方、本を読んでわかったことは、川本三郎は結局この朝霞自衛官殺害事件だけは「間違った方向」であったことは認めているが、全共闘事件全般は、ぜんぜん間違っていないと思っているということだった。

69年から70年にかけて日本の反体制運動は次第に過激になっていった。爆弾闘争も始まっていた。70年の3月には赤軍派による日航機よど号ハイジャック事件がおこっていた。今にして思うと、こういう過激な行動への傾斜は"世界のあらゆるところで戦争が起きているというのに自分たちだけが安全地帯に居て平和に暮らしているのには耐えられない"という、うしろめたさに衝き上げられた焦燥感が生んだものではなかっただろうか。"彼等は生きるか死ぬかの危機に直面している。それなのに自分は平和の中に居る"。この負い目を断ち切るには自ら過激な行動にタイピングするしかない……。(p106-p107)

こういうふうに一連の事件を曖昧に「擁護」している。「過激な行動」を「焦燥感」という「個人の問題」に摩り替えているところが、特徴である。

川本三郎は朝霞事件で自らの証拠隠滅の罪を認めた直後に起きた浅間山荘事件については、「事件のことを話すのもいやだった。自分の事件のことも、連合赤軍のこともすべて忘れてしまいたかった」と思考停止の状態になっていることを告白している。おそらくこの本を書くまで15年ずっと思考停止だったのだろう。

だからその15年後に、全学連議長の山本義隆や京都の滝田修を評価しているのである。

私は79年に大学に入った。いわば、10年遅れた世代、しらけ世代全盛のときに人生で最も重要な選択を迫られた世代である。だからこそ、私は彼らに詰め寄る「資格」があると思っている。

あなたたちが「全共闘運動とはなんだったのか」真に「総括」しなかったから、(もちろん力不足だったことは否定しないが)私はついに「活動家」になることができなかった。活動をするにはほとんど孤立無援に陥った。「あなたたち」とは誰か。その責任の「一端」は全共闘にだけではなく、そのシンパとして周辺に居た川本三郎たち、あなたたちの未だにこのようなことを言っているところにもあるのだ、と。

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2011年12月06日

Posted by ブクログ

記者の気持ちはわかる、同じ立場なら間違いなく私も足を掬われただろう。けれどやっぱ軽率だったと思う。人を信用し過ぎ。興奮状態だったんだろうな。私も同じタイプの人間だから冷静な判断をしないと…と自戒でいっぱいです。日常生活で犯罪に染まることはないけども。

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2011年08月07日

Posted by ブクログ

ノンフィクションの読み物としては興味深かったが、引き込まれるような文章力は感じなかった。自分は団塊の世代の子供世代だが、60年代のことは「団塊の世代が語らない青春時代」として、直接関係者や肉親などから聞くことがないので、各事件が繋がらない年表にはなっても、包括的なイメージは持てなかった。

その「語らない理由」、「命を懸けた青春」、「無言で働く父親たち」をなんとなく理解できた気がした。

いい時代なんかじゃなかった。死があり無数の敗北があった。だが、かけがえのない“われらの時代”だった。だれもが他者のことを考えようとした。ベトナム反戦は真剣だったが、平和で安全な地域にいることの後ろめたさが拭えず過激な衝動に身を投じた人達がいた。時に同志であったはずのその人達は、人を傷付け、犯罪者となっていった。

大きな正義と矛盾のなかで恵まれた環境にいることが、自分と他人を傷付ける原因になっていた。

そんな世代が自分たちを産み、育てたとはじめて実感した。

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2011年07月08日

Posted by ブクログ

実は「マイ・バック・ページ」は妻夫木聡&松山ケンイチ出演でちょうど映画化されている。
映画も先日観てみたのだが、この原作本の幾つかの章をエピソードとして散りばめながらストーリーを展開。
そして映画の幹となるのは、「逮捕まで」という章になっている。

全体を通しての「どんより感」・・・これは60年代には仕方の無いことか。
川本三郎氏は「週刊朝日」の記者であるが、映画では「週刊東都」という設定になっている。
この時代のジャーナリストというのは、ホントに命かけて果敢に取り組んでいたのだろうな・・。
原作本自体は、ドラマティックという感じでなく、川本氏の全くの回想録。
そして回想録だからこそ、話せる本当の事実がある。

「実は大変なことがたくさんあった。あんなことがあって、結局オレはこうなったんだ」
端的に言えば、こんな感じの本である。←強引にまとめすぎ。

原作本を先に読んでいる人は、「あの本をこういう形でまとめたのか」と思うだろう。
しかし映画を観た後に、原作本を読んでも・・おそらくあまり感動は無いだろうね。
(川本氏の本がつまらないということでは、決してありません。)

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2011年07月02日

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