川本三郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
・ジャック・ロンドン「ザ・ロード アメリカ放浪記」(ちくま文庫)を読んだ。私はジャック・ロンドンを「野性の呼び声」と「白い牙」 でしか知らない。日本で有名な作品である。動物文学作家だと思つてゐた。しかしさうではないらしい。海外文学に対する無知である。作家といふもの、そんな単純なものではない。 ジャック・ロンドンは40年の生涯の「20年間に53冊の著書と200以上の短編小説を発表した。」(Wiki)さうである。結構な量である。この「ザ・ロード」もその1つ、かなり読まれたらしい。「ホーボーとしての経験が書かれたこの本は、その冒険物語があまりに魅力にあふれていたので、当時、彼の真似をしてホーボーになろうと家出する少年達が増えた。」(川本三郎「訳者解説」269頁)さうである。当然、ホーボーのことは書いてくれるなとも言はれた(同前)といふ。このホーボー、「決して社会的落伍者ではない。むしろ中世の吟遊詩人たちのような自由な放浪者という面が強い。」(266頁)とか、「移動性を重んじるアメリカ社会から生まれたひとつの文化英雄である。 決して社会から見捨てられた哀れな浮浪者ではない。」(267頁)と訳者は書いてゐる。「たとえ貧しくとも、社旗的束縛から解放されて自由気ままに生きることが出来るアメリ カン・ヒーローである。あの山高帽にだぶだぶスボンというチャップリンの放浪者のイメー ジが云々」(同前)とくると、 チャップリンもまたそんなヒーローの1人であつたらしいと気づく。ホーボーはそれほど魅力的な存在であり、ロンドンはそれを更に魅力的に描いたのであつた。
・どれほど魅力的か、これは目次を見ればよく分かる。本書は全9章、「貨車のすきまに」「食卓の幸運」「鞭打ちの光景」「刑務所の生活」「作業所の囚人達」「最高の放浪者」「ロードキッドの社会学」「二千人の放浪者の行進」「デカの追跡」からなる。これからすると本当に「文化英雄」とか「ア メリカン・ヒーロー」とか言へるのかと思つてしまふ。「最高」や「社会学」「行進」を読んでも、他は当然として、魅力的ではあつても、私にはそこに英雄やヒーローがゐるとは思へない。Wikiには、「アメリ カで19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代、働きながら方々を渡り歩いた渡り鳥労働者のこと。ホームレスのサブカルチャーの一員。 」(「ホーボー」の項)とあるが、ホーボーは基本的に、訳者の言の如く、「社旗的束縛から解放されて自由気ままに生きる」者達であつたらしい。アメリカでは「旅すること、移動することは生活の一部になっている。」(266頁)のだが、 「一カ所に定住することを大事にする農耕民族の日本人」(同前)にはそれは理解し難いのかもしれない。それでも、現在の人間は、ホーボー生活は実に大変ではないかと思ふ。最後に「写真資料」(279頁〜)がある。いかにスピードが遅いとはいへ、貨車の下にもぐつたり、屋根の上を歩いたり、連結器上に登るなどといふのは危険である。私からすれば、命の危険を顧みずにするだけの価値があつたかどうか、甚だ疑問である。肉体的な危機以外にも危険は多い。「デカの追跡」には警官に浮浪者として追ひまくられるホーボーが描かれてゐる。自由気ままに生きる代償なのであらう。定住民に放浪者は目障りである。定住民たる私はそんな代償を払つてまでする生き方ではないと思ふ。ただ、それをかうも魅力的に描いた作者の筆の冴えは見事である。ヒーローかどうかはともかく、束縛の多い人間からすれば、そんな生活も良いと思はせる魅力があつた。 本書は一時期の米国の若者風俗素描であつた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこういう本は苦手だけれど、川本三郎さんということで読んでみた。
ここ数年、色んなことで友を亡くした私にとって、一番心に残ったのは
「通夜の席の酒も嫌だった」から始まるところで「…酒が入るうちに場所柄もわきまえずに笑い声が起きたりする。
喪主の方は客への礼儀として「故人はにぎやかなのが好きでしたから」と酒をすすめるら、それをしたくなかった。
家内がやつれ、そして静かに息を引き取っていった姿が目に焼きついている人間には「故人はにぎやかなのが好きでしたから」と決まり文句を言う気にはどうしてもなれなかった」
と言うところだ。
ある意味、流行病で、ここ数年家族葬が多い。
実はこれが一番理想なのかもしれないと、最近よく思うのだ。
そして「大事な人間が次々に去ってゆく。年齢的に仕方がない」
この「仕方がない」という、黙って受け入れると言う行為は、人を大きなものにするとも思う。そしてこの悲しみは決して癒えることはない。
しかし日常は、残酷にも普通に何も変わっていないように過ぎていく。
「歳をとるって言うのは残酷だ」と私が子供の頃、父がふと呟いたその言葉は、ずっと心の言葉の引き出しにあって、自分がそのくらいの歳になると、実感としてどーんと重みを増す。
よく、歳取ると子供にかえるのよと言われることもあるが、私は昔から違うと思っていた。それは確信へと変わる。子供にかえるのではなく、たくさんを知り得た人が、それを残酷なまでに静かに受け入れて時を過ごしていくと言う、人とは共感できない個人のものを積み抱えていっている経過だと思う。 -
Posted by ブクログ
・・・『男はつらいよ』が好きだというのは、実は評論家として勇気がいる。『あんな、なまぬるい映画のどこがいい』と批評する評論家がいまだに多いから。
いっときは「隠れ寅さんファン」と自嘲していたが、年齢を重ねるにつれ「カミングアウト」出来るようになった・・・
これを読んで、評論家とは粋がっている職業いうか、映画ファンとは別次元の異人種だなと思う。
シリーズ第5作の「望郷編」(1970年)あたりから寅さんが本格的に地方へ旅をするようになり、以後「ロードムービー」の色彩が俄然強くなってくる。
そして山田洋次監督は後世に残して置きたいような日本の風景、特に廃れてしまいそうなローカル鉄道が走っている懐かしい機関車や田園風景、昔ながらの古風な瓦屋根の並ぶ家々、亡びゆく古い小さな町・村を映画の中に撮りいれていく。
それが今では、失われたノスタルジーになり、新しさを求めないで、古いものを撮っているが故に、このシリーズが長く残り、時の風化に耐えている源になっている。
本著では北海道から沖縄まで、寅さんの辿った場所を尋ね歩くのだが、山田監督はかなりの鉄道オタクであり、今は廃線・廃駅になったような場所までこまめに撮影場所として選んでいる。そして鉄道ファンでもある著者もこまめにその足跡を辿って行く。
ただ48作全作品のロケ地を日本中隈なく見て回り、またそれに関連した山田洋次監督の他の映画の解説も入れるということで、最初は感心しながら読んで行くのだが、その内、盛りだくさんの美食を積み上げられて無理やり食べているような、いわば食傷気味に陥り、読むのも疲れてくる。
寅さんのような48作も続いた作品の足跡を全てを隈なく辿る手法は、もう少しバラける等のやり方を考えた方が良いのではないかと思う。
少々疲れました。 -
Posted by ブクログ
淡々と奥さんとの日々、そしてお別れのときが綴られている。微笑ましく、うらやましく夫婦の姿を思い浮かべて、こうやって夫婦って作り上げられていくものなんだなあとうれしく思った。
決して、古風な奥さんではなかったけれど、川本さんをそっと支え、引っ張ってゆく姿は、私にはまったくないもので、なんだかとても憧れる。子どもがいない夫婦だからか、恋愛要素の強い2人のようにも感じられて素敵なんだ。
まだまだ先だと思って、想像すらしたことのないだんなさんとの別れを想像してみて、そわそわと落ち着かなくなる。もっと優しくしておけばよかった、なんて思わないよう、日々生きて行けたらいいな。だけど、それでもきっと最後はそう思ってしまうんだろうな。