川本三郎のレビュー一覧
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ネタバレ「日本でも革命が起きると信じていた。」と、青春時代に、デモ参加などの、当時の一般的な若者程度の市民運動をしていた私の母は言っていました。
この本から、そういう時代の雰囲気が伝わってきます。
しかし、当時から、地道に市民運動をしたい人たちは、過激派の人たちのことを、わざわざ事を揉めさせる、足を引っ張るような存在と感じていたようです。
本を読んでも、私には自衛官を殺害したKの動機がわかりません。
そして、この事件が、著者がジャーナリスト生命をかけてまで犯人であるKを秘匿しなくてはならないような、大義のある事件には思えないのです。(過激派の活動家が政府機関のスパイを行ったとか、政府の要人を殺害したとか言うならともかく・・・。)
でも、分かれ道で間違った選択をした人を、後から俯瞰で批判するのはたやすいですが、その渦中にいる人には、その時はそうするしかなかったのかもしれません。読後感は、ヒリヒリ痛いです。 -
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妻夫木&松ケンのW主演で話題のマイバックページ。
映画化に際し、河出書房からの原作がハードカバーで復刻され、即購入。
川本三郎は、キネマ旬報の読者ならご存知の、実にやさしい映画評論。僕は数年前まで映画評論家だと思っていたのだが、文章からは音楽や時代背景も含めた縦と横の描写がとても上手な知識人だなあと思っていて、なるほど、昔はとんがったジャーナリストで、こんな過去があったのかと納得した。
「旅先でビール」の肩の抜けた随筆も非常に親近感を覚え、文章を読んだだけで人柄が伝わってくる。
上司と殴り合いのけんかをしたり、陽の当らないところにまなざしを注ぐ視点だったり、感情的な自分と理性的な自分の狭間で揺れたり、雑誌の連載なので繰り返しのエピソードも登場するが、60年代後半から70年代前半の時代感が、学生から社会人に、それもジャーナリストという、きわめて難しい立場から時代と対峙しなければならない存在を通して実直に鋭く描かれる。そして圧倒的に文章力
が素晴らしい。逮捕前から釈放までのくだりは、きわめて私的な感情を中心に描かれるが、この臨場感はすごい。
これが、映像となるとどう表現されるのか?
人はそれぞれ、特に若いころは自分の仕事に付加価値を求める。失敗を含めた経験からしか学べないことが多いが、学んだことを還元したり後輩に伝えることがきわめて難しい。教わる構えのないものに物を教えるのは極めて困難である。学ぶ意思を持ち、必要性を感じた時には時すでに遅しのこともある。
人生は、他人との関わりという極めて社会的な要素と、自分の消したい過去を含めた個々の来歴の上に現在・未来を生きるという極めて私的な要素を同時に含む。人間の行動は、すべて自分の来歴という莫大なソースを礎として決定される。これが、心がコンピューター化できない最大の理由である。
あとがきで、川本さんは20代の自分と40代の自分(本を書いた頃)、60代の現在の自分は、すべて別人のようであると記しているが、別人のような自分が生きてきて、現在も生きているそのことが、まさに個の来歴なのだ。忘れて思い出せないことも来歴の一部なのであろう。
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今はやりの若手有名俳優では、果たして、60年代後半の時代背景が、うまく伝わるかどうか、期待できないので、原作を読むことにした。「連帯を求めて、孤立を恐れず、力尽くして挫けることを恐れないが、力尽くさずして、挫折することを拒否する」、「自己否定、日常性の否定」「実存をかけているか」,等等、未だ、二十歳前後の自分が、感じていたことが、そのまま、自分自身に、その言葉達は、襲いかかってくる。奥浩平(青春の墓標)、高野悦子(二十歳の原点)高橋和巳(邪宗門)、吉本隆明などを、読んでは、模擬試験の後で、京大生博昭君の死の知らせを聞いた翌年には、当時、何も出来なかった自分と、死んでいった同世代の若者との違いは、どこにあったのかを知ろうと必至に、遅ればせながら、参加した。入学後、米軍資金導入阻止、産学協同粉砕、学費値上げ反対、等、一連の団塊の世代は、全共闘運動へと、なだれ込んでいくことになる。4.28,6.15,10.8,10.21,等、葉隠れを読んでは明日は、本当に、死ぬ覚悟が出来ているだろうか等と、友人の下宿や、喫茶店で、しゃべり、批判し、批判され、本を読み、議論し、思想と行動を、総括する胸に、棘さすことばかりの日々だった。書斎の本棚に、目をやれば、その時、読んだ本達が、あたかも、見返してくるようである。時代の先を読む力、見通す能力からか、その運動の先行きに、何の展望も、見いだせずに、安田講堂、よど号ハイジャック、連合赤軍リンチへと、一連の総括の間もなく、自壊しながら、あるものは、銀行へ、マスコミへ、広告業界へ、或いは、政治家へ、社会へ、又、あるものは、ドロップアウトして、みんな、社会の中へ、多少のずれはあったが、旅立っていった。並木座の映画館で、見た俳優の拳を丸めて、出て行くときの仕草を今も、どういうわけか、自然とやってします今の自分、長年の仕事のストレスから、少しづつ、解放される日々の今の初老の自分と、明日が来ることを、毎日、苦しく思っていた二十歳の頃の自分と、読後、改めて、ガラスで、負傷した手の平を見つめると、これからの人生、如何に、生きるべきか、60年代後半のあの時の自分が、改めて、問いかけてくるような気がしてならない。我が家の老犬は、それでも、幸せな様子で、目も、耳も、不自由になりながらも、こちらをじっと、眺めている。
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映画を鑑賞後に購入。
読みやすい文体なので、一日でサクサクと読める。
私はまだ齢26で全共闘時代にはかすりもしていない。
恥ずかしながら、さほどの知識もなく、ときどきテレビ等で流れる「あの時、時代は○○だった!」的な特番でしか、この時代の知識を持ち合わせていないし、そういったテレビで流れる映像は大体、浅間山荘事件だったりするので、「全共闘=暴力的」なイメージが脳に染みついている。
その意味で、この本は私の中での全共闘時代のイメージを覆している。
また、この本の素晴らしいのは、書かれたの1988年に書かれたのにも関わらず、全く古臭さを感じさせない点である。
本のあらすじは、全共闘時代を生きた一人の雑誌記者が、若者の思想的・暴力的活動にシンパシーを感じつつ、ジャーナリストとしての立場を守るために葛藤する、一つの青春物語である。
あとがきにもあるように、この話の中心には「組織の中の個人」という極めて普遍的な問題を扱っている。川本氏は全共闘にシンパシーを感じつつも、新聞社という「組織」に守られ、安全な立場から活動を見守ることしかできない自分に常に苛立ちを感じている一方、その組織を利用することで、自らのジャーナリズム業をやりやすいようにしている。
この手の問題は現在の私たちの社会にも十分通じる点がある。
会社という組織とそれに属する自分。組織に属することで得られる効用もあるが、それによって諦めなければならない個人としてのこだわりもある。
だから、この本を読んでいても全く古臭さは感じず、むしろ身につまされる思いであった。
余談ではあるが、映画版ではこの「組織の中の個人」という問題はかなり大胆にカットされ、代わりに犯人側の視点を大いに盛り込み、この時代の若者像を深めている。
山下敦弘による演出が抜群に冴えている一方で、どこか突き抜けた感じがしないのは、その問題をうやむやにしてしまったからかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレおや、と思った。何だかいつもの川本三郎と感じがちがう。文章も生硬で余裕が感じられない。それに、60年代をテーマに謳っているのに出てくる話が暗いことばかりじゃないか。死者についての話も多い。それに何より「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」記者としての個人的な感想がいかにも青臭い。いや、臭すぎる。いったい何を書きたいのだろう、と思いながら読み進めていった。
先に書いておくが、実はこの本1988年に河出書房新社から出版された同名の書物の復刻版である。その前年に雑誌「SWITCH」誌上に連載された文章を集めたものだ。当初は「60年代の様々なできごとをさらりと客観的に書くつもりだった」と、88年版のあとがきのなかで川本は書いている。しかし、第一章から川本の口調は滑らかではない。何やら60年代のことを思い出したくない様子なのだ。映画の中に引用されている三里塚闘争の映像を見たときのことを「いやだな、思い出したくないな」と書いている。
当時川本は、ジャーナリストにあこがれて朝日新聞に入社したばかり。それなのに、新米社員にはつまらない仕事しか回ってこなかった。ベトナム戦争に取材に行っている先輩をしり目に、自分は安全地帯にいて第三者的な立場で意見を述べているばかりという事態に焦れていたのだろう。「センス・オブ・ギルティ」や「ベトナムから遠く離れて」といった章のタイトルにもそれは表れている。
それにもう一つ、川本は「週刊朝日」に配属されていたが、当時勢いのあったのは圧倒的に「朝日ジャーナル」の方だった。あの雑誌をくるっと巻いて小脇にはさんだり上着のポケットに指したりするのが流行りのスタイルになっていたくらいだ。三里塚闘争にしても「朝日ジャーナル」の方は支援の姿勢を明らかにしていたが、「週刊朝日」の方は旗幟鮮明ではなかった。同じ社内にあって、新左翼シンパの自分が「週刊朝日」の方にいることが悔しかったようだ。
しかし、上層部の判断で「朝日ジャーナル」のスタッフが配置転換され、その後を他の部局から入ってきた者が担うことになった。若い川本もその一人だったが、前メンバーからは第二組合的な扱いを受け、冷ややかな目で見られていたらしい。頼りになるメンバーも限られ、どうしたら「朝日ジャーナル」を続けていけるのかという不安の中で事件は起きた。
アメリカン・ニューシネマやウッドストックといった話題もあるのに、どうして暗い話ばかりと感じていたが、それには深い理由があった。「ニュース・ソースの秘匿」。今でもジャーナリズムのモラルの一つとしてよく取り沙汰される話題だ。「赤衛隊」という名前を記憶している人も少なくなっただろう。自衛隊朝霞基地で警備中の自衛官が刺され死亡するという事件があったが、なんと川本は、犯行以前に、その犯人に単独インタビューをしていたのだ。
それだけならまだしも、犯行後に証拠品である警衛腕章をもらい受けてもいる。インタビューに同行した社会部記者は警察に情報を流すべきだという。川本がそれに反対したのは、ジャーナリストのモラルを守るためであった。この事件を単なる殺人事件とする社会部記者に対し、思想犯だとする川本の論理は完全に食いちがう。その結果、逮捕され拘留。取り調べに対し完全否認するも犯人の方はぺらぺらと自分のことをしゃべっているらしく、このまま否認を続ければ「殺人教唆」の罪まで被る危険性が出てきた。
結果的には、事実を述べたことで「証憑湮滅」だけで起訴され執行猶予つきで釈放されるが、朝日は馘首。ジャーナリストのモラルに違反した自分を川本は許せなかった。以後、政治を語ることは自分に禁じてきたという。88年版が出たとき、丸谷才一が「比類なき青春の書」、「どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆゑ文学的」と評したのはさすが。72年に起きた事件を語るのに15年かかったのだなあ、と読み終えて思った。改装版が出ることになったのは映画化されることが決まったからだ。
暗い話ばかりと書いたが、後に高田渡と武蔵野タンポポ団のメンバーとなる青年(シバ)の下宿でフォークソングを一緒に歌ったり、阿佐ヶ谷の「ぽえむ」で永島慎二の隣でコーヒーを飲んでいたりと、懐かしい名前も登場する。後知恵ともいえようが、川本三郎の資質はむしろそちらの方に向いていたのではないだろうか。貧しい者や弱い者に優しく、声高にものを言うことのない筆者の書く物を愛読してきたが、こういう時代があって今の筆者があるのだなあという思いを強くした。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
敗戦から昭和三十年代にかけて、急速な経済成長の中で失われた様ざまな習慣、やさしく奥深い言葉の数々、変わりゆく家族のかたち、東京の町並…それらをいとおしみ、表現し、そして体現し続けた向田邦子。
様変わりした現代において、今なお高い人気を誇る作品群をひもとき、早世の天才作家が大切に守り続けたものとは何かをつづる。
[ 目次 ]
序章 昭和の女学生
第1章 父母のいませし頃の懐かしい言葉
第2章 家族の記憶と食
第3章 「向田家の父」と「昭和の父」
第4章 お嬢さん、実社会へ
第5章 家族のなかの秘密と嘘
最終章 向田邦子と東京の町
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