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荷風の精神を支えた大量の蔵書と共に、偏奇館は空襲で焼け落ちた。戦後、老文士は戦災のトラウマに悩まされ、奇人として有名になる。しかし尚も権威を嫌い、新憲法を嗤い、ストリップを楽しんで、市井の男女の情愛を描き続けた。著者自ら「これを書きあげたらいつ死んでもいい」と筆を振るった荷風論にして昭和論の金字塔!
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Posted by ブクログ
永井荷風の日記『断腸亭日乗』をベースにたどる昭和史。後篇では日米開戦から昭和34年に死去するまでが書かれている。 麻布の偏奇館が空襲で焼け、中野に移るがここも空襲で焼け出され、兵庫県明石、さらに岡山に疎開。岡山で終戦を迎え、熱海、市川と移り住む。 ここらへんは空襲に次ぐ空襲なので読んでいても辛い。...続きを読むただここまで当時の生活を小説ではなくノンフィクションとして書かれたものは読んだことがなく、焼け出された人たちがどうしていたか、疎開といっても簡単に家が見つからない、列車の切符が手に入らず移動手段にも困る、お金をもっていても食糧がないなど、なかなか興味深かった。 荷風が中心ではあるものの、『日乗』に出てくる事件や人の名前など、ほかの資料から詳しく調べているので、芋づる式に昭和の文芸史であったり、文化史になっているのがおもしろい。 たとえば、まったく知らなかった住友令嬢誘拐事件とか。『四畳半襖の下張』裁判で有吉佐和子が弁護側に立ち、作品を読んで「男の人ってこんなに努力なさるものかと思って可哀想」と発言しているのもさすがという感じ。 戦時下に音楽会を開催したり、荷風と一緒に逃げていたピアニスト宅孝二が、『白鍵と黒鍵の間』の南博の恩師であるという繋がりにびっくりしたり。(映画で佐野史郎が演じた宅見先生のモデルでしょうか) かつての愛人だった関根歌が77歳になった荷風を市川に訪ねているのも微笑ましい。 1992年公開の『濹東綺譚』の主演が津川雅彦だったこともあり、予告編の印象で、永井荷風というのはエロいおじさんの小説というイメージがずっと強かったんですが、実際のところ原作の『濹東綺譚』には色っぽい描写はまったくないんですよね。娼宅にお茶飲みに来ているような感じ。 『つゆのあとさき』にしてもヒロインの女給よりも、銀座のカフェや女給の自宅である市ヶ谷、宿のある神楽坂、愛人の父親が住む世田谷代田あたりの風景がていねいに描かれていて、風景を描くことで時代の雰囲気や失われていくものをとらえようとしている気がしました。 『荷風の昭和』を読むと、小説を書く前にまず舞台となる場所を何度も何度も歩いているので、荷風が描きたかったのはやはり風景なのではないかと思います。 以下、引用。 73 日記を書くに当っては荷風はまず手帳に鉛筆でメモを書き、次に万年筆でノートにメモから起した文章を書く。それに推敲を重ねて、最後に筆で和紙に記す。 76 その堀口訳のサン・テクジュペリの本がなぜ再販されることになったのか。ある日、野田は、出版用紙の割当機関である日本出版会を通して「富永陸軍次官」という人物から、命を賭して戦っている青年パイロットのために何かよい航空文学を出版してもらえないかという依頼を受けた。 野田によれば富永陸軍次官の子息は、のちに特攻隊員になるが、その子息から自分達が読むに足る航空文学が欲しいといわれたのだという。 「特攻隊がいよいよ出陣したのは「戦ふ操縦士」もめでたく出版されてからまもなくの、十月二十五日のことであった」 93 「東京の都市生活の中心であったこの一帯を、敵機は特に狙って空爆したものと思われ、被害は相当なものである。銀座四丁目、尾張町の角の交叉点に大型爆弾が落ちて直径六七米の大穴をあけ、品川上野間の都電と地下鉄とを破壊してしまった」。 さらに「(注、尾張町交差点の)向角の服部時計店の大建築の後方から、松屋の向の教文館の間の一帯も烏有に帰している」 「有楽町の駅ではガード下のトンネルに駅長の指導で多数の乗客が避難したが、そこを襲った爆風のため、多数の死傷者を出したと言い、また朝日新聞の向側の泰明小学校では、三人の女教員が死んだと言う」。 102 「長垂坂」は、偏奇館の西、現在の六本木三丁目(当時の市兵衛町二丁目)にある坂。現在もある。最近まであった映画会社20世紀フォックスの試写室のすぐ近くで、フォックスに試写を見に行く時はよくここを歩いた。かなりの急坂。 109 横須賀線の鎌倉駅の西口駅前には、現在、ラングドン・ウォーナー博士というアメリカの学者に対する感謝の碑が建てられている。彼が古都を空襲しないように軍に強く訴え、その結果、鎌倉は空襲を免れたからだという。 128 ちなみに菊田一夫の戦後の国民的ドラマ「君の名は」で、ヒロインの氏家真知子が炎を逃れ逃れて数寄屋橋で後宮春樹に会うのは、この(五月)二十四日の空襲のあった日。二人は半年後の十一月二十四日の夜、また数寄屋橋で会うことを約束する。 168 この人(宅孝二)は、堺の何代も続く造り酒屋の子。戦後、東京藝術大学で教えていたが、五十歳の時に突然、クラシックからジャズ・ピアニストに転向したという変り種である。その教え子のジャズ・ピアニスト、南博は青春回想記『白鍵と黒鍵の間に』で師について書いている。 211 前田愛の『幻景の明治』によれば、「僕」は、明治の書生言葉という。幕末の志士たちが「君」と共に愛用したのが始まり。明治になって書生のあいだで広まった。 246 戦後現れた「塵ッぽい焼跡の巷に立って拡声器で議員候補者の氏名を連呼する女でもなければ、雨の日に傘もささず映画館の戸口に列をつくって立つ女でもありません」。 「秋の女」 334 青年が「今夜駅でランデブーするつもりだったんです」というところにも男女交際が自由になった戦後の明るさが反映されている。 「ランデブー」という言葉が懐しい。 戦後、昭和二十年代までの流行語だったようだ。 349 『四畳半襖の下張』裁判 この時、特別弁護人の丸谷才一をはじめ、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、中村光夫、金井美恵子、石川淳、田村隆一、有吉佐和子が弁護側の証人として法廷に立った。 352 裁判の過程で弁護側の証人として法廷に立った有吉佐和子は、この作品を読んで「男の人って可哀想だという気持です」「こんなに努力なさるものかと思って」と卓見を述べている。 511 「猟奇」という言葉は、大正時代に佐藤春夫が探偵小説の魅力として「キューリオスティ・ハンティング」を「猟奇耽異」と訳してから使われだした言葉で、昭和になると、異常な性の快楽といった意味で使われるようになった。 549 主人公のにんじんを演じたロベール・リナンは戦時中、レジスタンスに参加、ドイツ軍の捕虜となり射殺された。また父親ルピック氏を演じたアリ・ボールもレジスタンスに関わり、逮捕されたときの拷問がもとで死去している。
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