都市が、夢に侵食されていく――。『バレエ・メカニック』は、そんな予感とともに幕を開ける。
造形家・木根原の娘、理沙は九年前の事故で昏睡状態にある。ある日、東京全体が幻覚に襲われ、現実と夢の境界が崩壊を始めた。巨大な蜘蛛が街を徘徊し、存在し得ない津波が押し寄せ、電子機器は暴走し、モーツァルトの調べが鳴り響く。理沙の主治医であり、異性装の外科医である龍神は、この都市そのものが彼女の脳と化し、壮大な「夢」を見ているのではないかと推測する。本作は、その都市が見る夢の謎をめぐる物語だ。
この作品でまず圧倒されるのは、第一章の筆致だ。シュルレアリスムを小説で描いたらどうなるか、という問いに見事な答えを提示している。元ネタとなった実験映画が物語性を廃し、映像の運動や美そのものを追求したのに対し、本作の描写は決して物語を拒絶しない。緻密な筆致と映像的なリズムが立体的に立ち現れ、夢が現実に侵食してくるような美しい違和感と浮遊感を生み出す。それらは非日常でありながら現実と地続きの、映画のような迫力と美しさを湛えている。そして、それら全てに意味が与えられていく様に、物語としての必然を禁じえない。
津原泰水の文体は、「硬質で流麗」「詩的で濃密」と評されることが多い。まさしく、一つひとつの言葉は写実的で淡々としていながら、連なると流れるようなリズムが生まれ、適度な違和感や引っかかりさえもが読者を深く引き込む力となっている。
物語の核には「喪失」と「執着」という普遍的なテーマが横たわる。主治医であり語り手でもある龍神は、異性装の外科医という特異な設定と複雑な内面を抱え、全三章を通じて印象を変えながら物語を導く存在だ。最初は距離のあった彼の視点に、章を重ねるごとに読者は自身を重ねる瞬間を覚えるだろう。この作品を深く理解するには、彼の眼差しをたどることが最もふさわしい。また、造形家の木根原も強烈な印象を残す。第一章で見せる破天荒さと繊細さが、第二章以降の物語を力強く駆動していく。彼が抱く娘への思いは、第二章の龍神や第三章の人物たちの心情とも深く共鳴する。人は何かを喪失し、それを埋めようと執着する――この通底する普遍的テーマが作品全体で幾度も変奏され、哀愁と人間味を与えている。
本作の中で特に心に残ったのは、「都市が脳の代わりを果たす」「都市=生命」という壮大な発想だ。現代において、都市は一つの意識に統合されつつあるのかもしれない。情報と人が東京へ一極集中し、社会が成熟から衰退へと向かう中で、都市は膨大な情報と物に覆われ、そこに生きる人々の生活や記憶をも飲み込んでいく。都市の複雑さが脳のそれと絡み合い、新たな段階へ進化していく。だからこそ、都市と幻想が混じり合うこの物語には、非現実の中に確かなリアリティが宿っている。
理沙という「意識の不在」は、物語を動かすマクガフィンとしての役割を担っている。その存在そのものよりも、むしろ非存在であることに意味があるかのようだ。章ごと、登場人物ごとに彼女の存在の捉え方が変化する、その流動性に驚かされる。都市が見る夢が本作の核心であるならば、理沙の意識もまた、それと等しく結びついているのだろう。
津波や巨大な蜘蛛、ネオンテトラといった異様な光景は、今敏監督による筒井康隆『パプリカ』の映像化を彷彿とさせる。だが、津原泰水の筆致は、夢の表層だけでなく、その背後にある感情や記憶の文脈を重層的に描き出す。現実離れした奇妙な現象が、未来的かつ幻想的でありながら、同時に人間的な「非現実」として立ち現れるのだ。第二章以降、その夢は物語全体の鍵となり、登場人物たちの行動や物語の展開に多大な影響を及ぼしていく。
そして、この物語の読書体験を特徴づけているのが、章ごとに変化する文体や視点である。特に第一章の二人称は、最初は戸惑いを覚えるかもしれないが、次第にその独特のリズムに引き込まれていく。これは単なるレトリックではなく、物語の構造に根差した強い必然性を持つ、巧みな伏線とさえ言える。視点や人称の揺らぎは、読者の自己認識や没入感を巧みに操り、物語の渦へと巻き込む装置として機能している。翻弄されるままに身を委ねる読書体験が、むしろ心地よかった。
『バレエ・メカニック』は幻想文学、SF、ミステリ、サイバーパンクなど、多様なジャンルの要素を内包している。一見すると各要素のバランスを欠いているように映るかもしれないが、全体を貫くテーマが、それらを強固に結びつけている。ジャンルを超えて響き合う普遍性や、登場人物たちの個々の思いの交錯こそが、この作品の抗いがたい魅力だ。また、「父娘の愛」「喪失感」「アイデンティティの揺らぎ」といった人間的なドラマが、作品にさらなる深みを与えている。SFや幻想文学に振り切ることもできたはずだが、このフレームに収まらない想像力の爆発が、むしろジャンルを超えた完成形に至ったのだと思う。
「夢」と「現実」の境界が曖昧になる様は、僕自身の現実認識をも強く揺さぶった。僕たちが「現実」と呼ぶものは、もしかしたらどこにも実体はなく、ただ溢れ出した夢同士が織りなす複雑な構造体なのかもしれない。物語をメタフィクションとして捉え直す営みは、人間の心を外部から観察する試みにも似ている。この作品は僕の思考、嗜好、試行そのものに深く共鳴し、これまで漠然と考えてきたことを結晶化させてくれた一冊だと感じる。今後の思索や探求をさらに加速させてくれる、過去と未来をつなぐ特別な作品となった。
夢とは意識が形作るものであり、時に自他の境界を越え、都市とさえ干渉し合う。それこそが、都市や人間の意識の本質なのかもしれない。本作を読み終えたのは数年前だが、それからずっと「自分の存在の輪郭はどこまで続いているのか」という問いが、静かに胸の内に残り続けている。
失われた大切なものを埋めようともがく心は、誰の裡にもあるだろう。もし意識と夢と都市が溶け合う世界があるとしたら、自分は何を目にし、都市は何を語るのだろうか。それはあまりにも魅惑的で、同時に少し怖い想像だ。