哲学・宗教・心理 - 筑摩書房作品一覧

  • 読む聖書事典
    3.3
    天地創造、アダムとエバの楽園追放、モーセの十戒、イエスの誕生、最後の晩餐──聖書には有名なエピソードは多いが、その全容はあまり知られていない。本書では多くの人名、地名、用語をとりあげ、物語のつながりや深層がわかるように説く。豊富な図版とともに読めば、西洋・中東文化にいまも色濃く影を落とす歴史の背景が目に見えるように浮かんでくる。巻末には旧約・新約聖書の内容や成り立ちをはじめ、ユダヤ・キリスト教の基礎を押さえられる解説、年表、関連地図などを収録。用語事典としてはもちろん、読み物としても楽しい、聖書入門書の決定版。
  • 民衆という幻像 ──渡辺京二コレクション2 民衆論
    5.0
    冬の夜、結核療養所で聞こえた奇妙な泣き声。日中衰弱しきって運び込まれた母娘は、朝を待たずに逝った。それを知った著者は、娘の体をさする瀕死の母親のやせた腕を幻視する──「小さきものの実存と歴史のあいだに開いた深淵」、それは著者の原点にして終生のテーマとなった。近代市民社会と前近代が最深部で激突した水俣病闘争と患者を描く「現実と幻のはざま」、石牟礼道子を日本文学に初めて現れた性質の作家と位置付けた三つの論考、大連体験・結核体験に触れた自伝的文章など39編からは、歴史に埋もれた理不尽な死をめぐる著者の道程が一望できる。
  • 維新の夢 ──渡辺京二コレクション1 史論
    5.0
    『逝きし世の面影』の著者渡辺京二は、日本近代史の考察に、生活民の意識を対置し、一石を投じてきた思想家である。その眼差しは表層のジャーナリズムが消費する言説の対極にある。本巻には、西欧的な市民社会の論理では割り切ることのできない、大衆の生活意識にわだかまる「ナショナル」なものを追求した「ナショナリズムの暗底」、明治国家への最大の抵抗者としての西郷隆盛を常識的定説から救抜する「逆説としての明治十年戦争」、北一輝と日本近代の基本的逆説の関連を問う「北一輝問題」など、日本近代史を根底から捉え返すことを試みた論考を集成する。
  • 宗教に関心がなければいけないのか
    -
    二〇世紀後半から現代に至るまでの大事件には、多く宗教の影がある。そのため、世間はこぞって宗教への関心の必要性を説く。でも、本当にそうか? 人の関心には向き不向きがあるだろう。宗教は必要な人には必要だが、そうでない人は無理に知らなくてもかまわないのだ。宗教に関心を持ちきれなかった著者による知的宗教遍歴から、道徳、死の恐怖との向き合い方まで、「宗教にぴんと来ない人」のための、宗教入門でない宗教本!
  • 禅のこころ ――その詩と哲学
    -
    禅とは何だろうか。古来、仏の悟りの真髄をこころからこころへと伝えてきたため、その世界に参入するのはなかなか難しい。本書はこの難問に応える。禅の世界は、坐禅修行を通して真実の自己とは何かを究明し、同時に現実世界において平常心に生きる道であることを解き明かす。そこに開かれる、自然や他者との不二の境地は、まさに詩となり、味わいに富む言葉に結晶する。その禅的境涯にひそむ理路は、「言語」「時間」「身心」「行為」などの哲学的探究の展開ともなる。禅を、今を生きるための思想として、多くの人の身近なものとすべく意図された、他に類例のない入門書。
  • ことばの発達の謎を解く
    4.2
    単語も文法も知らない赤ちゃんが、なぜ母語を使いこなせるようになるのか。ことばの意味とは何か、思考の道具としてどのように身につけていくのか。子どもを対象にした実験の結果をひもとき、発達心理学・認知科学の視点から考えていく。
  • 神智学
    4.0
    「本書の中で、超感覚的世界の若干の部分を叙述するつもりである。感覚的世界だけを通用させようとする人は、この叙述を空疎な想像の産物と見做すだろう。しかし感覚界を越えてゆく道を求める人なら、もうひとつの世界を洞察することによってのみ、人間生活の価値と意味が見出せる、という本書の観点をただちに理解してくれるだろう。」(本書より)「秘教」の思想を、明晰な思考に導かれた新しい総合文化へと再編し、個人の自己実現と社会の進歩へとつながる可能性を提示した、シュタイナー四大主著の一冊。
  • いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
    4.4
    霊学研究の諸成果に関心を寄せる人々の中には、そのような人生の高次の謎を口にする者が一体どこからその知識を得たのか、という点に疑問をもたざるをえない人もいるであろう。本書はまず第一にこのような人のために役立ちたいと望んでいる。霊学は人生の高次の謎の本質に深く係わろうとする。この霊学からの発言の根底にある諸事実を吟味しようとする人は自力で超感覚的な認識を獲得しなければならない。本書はそのための道を記述しようとしている。四大主著の一冊。
  • 自由の哲学
    4.5
    「外なる世界と内なる世界、外なる法則性と内なる道徳性との間に横たわる深淵は、ただ自由な魂だけがこれに橋をかけることができる」(本書「あとがき」より)。刊行後100年以上経つ現在も、まばゆい光芒を放ち続ける、シュタイナー全業績の礎をなしている認識論哲学。社会の中で否応なしに生きざるを得ない個としての人間は、個人の究極の自由をどこに見出すことができるのか。また、思考の働きは人類に何をもたらすのか。シュタイナー四大主著の一冊。
  • 神秘学概論
    5.0
    本書は、シュタイナーの四大主著の一冊であり、その思想の根幹が綴られている。肉体、エーテル体、アストラル体、自我という人間存在のヒエラルキアを解明し、宇宙論、人間論の中で、めくるめくような宇宙史の壮大な展望の下にマクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)との関わりをあとづけ、進化の法則と意識の発達史、古代秘儀の本質、輪廻転生論、悪魔論、霊的認識の方法などを記し、過去と現在と未来についての常識をくつがえした前代未聞の神秘学大系が展開される。
  • プラグマティズム入門
    3.9
    十九世紀後半にパースが提唱し、ジェイムズが定義づけたプラグマティズムは、従来の西洋哲学の流れを大きく変えた。二〇世紀半ばにはクワインによって再生されたことで、今やアメリカ哲学の中心的存在となったその思想運動は、いかなる意味で革命的だったのか。プラグマティズム研究の日本における第一人者が、その本当の狙いと可能性を明らかにし、アメリカでの最新研究動向と「これからのプラグマティズム」を日本で初めて紹介。いま最も注目される哲学の全貌を明らかにする。
  • がちナショナリズム ――「愛国者」たちの不安の正体
    4.3
    二〇〇二年、著者は、『ぷちナショナリズム症候群』で、皇太子夫妻第一子誕生に熱狂する人々、ワールドカップ日韓大会にわく若者たち、などを観察し、「ニッポン、大好き」と言ってしまう日本人に対して、右傾化とファッショの萌芽なのか、と警鐘を鳴らした。一三年たった今、「愛国ごっこ」は「ごっこ」ではなくなり、あの時の心配はすべて現実に起きてしまった。安倍内閣から、ネトウヨ、ヘイトスピーチ、反知性主義、安保改正まで、現代日本の「愛国」の現状と行く末を改めて分析する。
  • 原始仏典
    4.3
    仏教経典を片端から読破するのはあまりに大変だが、重要な教えだけでも知りたい―本書は、そうした切実な希望にこたえるものである。なかでも、釈尊の教えをもっとも忠実に伝えるとされる、「スッタニパータ」「サンユッタニカーャ」「大パリニッバーナ経」など、原始仏教の経典の数々。それらを、多くの原典訳でも知られる仏教思想学の大家が、これ以上なく平明な注釈で解く。テレビ・ラジオ連続講義を中心に歴史的・体系的にまとめたシリーズから、『原始仏典1釈尊の生涯』『原始仏典2人生の指針』をあわせた一冊。
  • 心理学の名著30
    3.7
    人間の心への興味はつきることはない。それらに答える心理学はジャンルも多岐にわたるため、なにを読んで学べばよいか、迷う人も多い。そこで本書では、「生物としてのヒト」「個人的な人生を展望する存在としてのひと」「社会的な存在としての人」という三つの側面に着目して、それぞれの名著を一気に紹介する。加えて、それぞれの研究者の関わりが描いているため、心理学の展開も理解できる。古典から最新の理論までを網羅する入門書!
  • ほんとうの法華経
    4.1
    仏教最高の教典といわれる「法華経」。だが、その真意はあまり理解されていない。なぜなら鳩摩羅什による漢訳を、日本語に重訳したものが読まれてきたからだ。そこで登場したのが、植木雅俊による画期的なサンスクリット原典からの翻訳。その訳業で、仏教のほんとうの教えが明らかにされた。日本を代表する宗教社会学者・橋爪大三郎との対話の中で、ブッダ本来の教えとは何か、法華経の正しい読み方とはいかなるものかが次々と解き明かされる。全く新しい、最高の仏教入門書!
  • 科学哲学への招待
    4.3
    古代・中世のアリストテレス的自然観を克服し、信仰や迷信から独立することで17世紀に近代「科学」は誕生した。しかしパラダイム転換はくり返され、20世紀には科学技術に伴うリスクも叫ばれるようになる。科学哲学の第一人者がこうした決定的な転換点に光をあてながら、知の歴史のダイナミズムへと誘う。科学神話が揺らぐ今だからこそもう一度深く掘り下げる、入門書の決定版。
  • 観念論の教室
    4.0
    私が手に持っている花は存在する。私はそう思っている。だが、その花は、私が見たり触れたりするのとはかかわりなく、存在していると言えるのだろうか――物の、それ自体としての存在を否定し、私たちに知覚される限りにおいてのみ存在すると説く「観念論」。繰り返し提出されるこの考えに、なぜ人間は深くとらわれるのか。本書は、元祖・観念論者ジョージ・バークリの思想を論じ、観念論には「明るい観念論」と「暗い観念論」の二種類が存在すると説く。「存在するのは自分の心だけ」という独我論的発想とは真逆の、もう一つの魅力ある側面をたどる。
  • 方丈記
    3.9
    日本古典文学中屈指の名文『方丈記』。著者鴨長明が見聞し体験した、大火、大風、遷都、飢饉、大地震などが迫真の描写で記録され、その天災、人災、有為転変から逃がれられない人間の苦悩、世の無常が語られる。やがて長明は俗界から離れ、方丈の庵での閑居生活に入りその生活を楽しむ。しかし、本当の心の安らぎは得ることができず、深く自己の内面を凝視し、人はいかに生きるべきかを省察する。本書は、この永遠の古典を、混迷する時代に生きる現代人ゆえに共鳴できる作品ととらえ、『方丈記』研究第一人者による新校訂原文とわかりやすい現代語訳、理解を深める評言によって構成した決定版。
  • 増補 靖国史観 ――日本思想を読みなおす
    3.5
    靖国神社の思想的根拠は、神道というよりも儒教にある! 本書は靖国神社創設の経緯をひもときながら、文明開化で儒教が果たした役割に光をあて、明治維新の独善性を暴きだす。気鋭の歴史学者が「日本」の近代史観に一石を投じる檄文。「国体」「英霊」「維新」の三章に、文庫化に際して新章「大義」を増補。
  • 鎌倉仏教
    4.0
    法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍―彼らを開祖として鎌倉時代に相次いで勃興した新たな宗教運動は、日本思想史上の頂点をなすと広くみなされている。「鎌倉(新)仏教」と呼ばれるこの潮流は、民衆を救済対象に据えたという点において、とりわけ高く評価されてきた。だが、新仏教の意義は、はたしてこの民衆的性格に言い尽くされるのか? 本書では、旧仏教との異同を深く掘り下げて考察することで、鎌倉仏教の宗教的特質の核心をあざやかに浮き彫りにする。思想家である前につねに実践の人であった偉大な宗教者たちの苦悩と思索の足跡をたどり、中世仏教の生きた姿をとらえた好著。
  • レヴィナスを読む ――〈異常な日常〉の思想
    -
    世界大戦・革命・ユダヤ人虐殺という危機的状態を経験した現代人の運命と向き合い、他者について、責任について、独自の思想を紡ぎだした現代フランスの思想家エマニュエル・レヴィナス。本書は、“20世紀の証人”とも称されるその思想の核心を、レヴィナス研究の第一人者である著者が紹介しながら、フッサール、ハイデガー、スピノザ、サルトルら他の思想家とも比較。慢性的な疲労とストレスに満ち、出口とてない現代という異常な時代にあって、「隣人」という難題を抱えて生きるための、新たな倫理を探る。
  • 物と心
    5.0
    著者は現象の背後に実在を想定する二元論の仮構を否定する。そして自らが見て触れて感じている現実世界にどっしりと足をつけ、それを超越しているかのごときものをどう捉えたらよいのか問い進めてゆく。独自の哲学「立ち現われ一元論」のエッセンスが詰まった、大森哲学の神髄ともいえる名著。
  • 相対主義の極北
    4.2
    すべては相対的で、唯一絶対の真理や正しさはない――この相対主義の「論理」を相対主義自身にも適用し、極限まで追いかける。その最果ての地で、どのような風景が目撃されるのか? 本書では、ルイス・キャロルのパラドクス、マクタガートによる時間の非実在性の証明、デイヴィドソンの概念枠批判、クオリア問題等を素材に、「相対化」の問題を哲学する。相対主義を純化し蒸発させることを通して、「私たち」の絶対性を浮き彫りにすると同時に、その「私たち」も到達しえない“他なるもの”の姿を鮮やかに描き出す。ダイナミックな哲学の思考運動が体感できる名著。
  • 旧約聖書の誕生
    5.0
    旧約聖書はユダヤ教・キリスト教の正典であり、また、その宗教的権威を離れても広く人類の文化のなかで大きな影響を与えてきた。しかし、その中身はそれぞれが矛盾し錯綜したテキストの集合であり、多くの現代人にとっては通読することすら困難だというのが現実だろう。本書は、旧約聖書をその歴史的状況の中に置き直し、「創世紀」「出エジプト記」「ヨブ記」「雅歌」…等々の文書が成立した時代とそれらが背負っていた思想的課題からの解読を試みる。各文書の個性から、なぜ旧約聖書というまとまりのある書物が成立し権威を持ったのかまで、イチからよくわかる旧約入門の決定版。
  • 無学問のすすめ ――自分の頭で考える思想入門
    3.0
    「学問」って、そんなに必要? やるとバカになるんじゃないの? 原発事故が起こって発言をし始めた知識人はみんな興奮しているだけじゃないの? 本書は、吉本隆明、福沢諭吉、小林秀雄、江藤淳、池上彰、養老孟司、内田樹、三島由紀夫、アーレントなど、さまざまな知識人の著作を俎上に載せ、誰もが薄々気づきながら言えなかったことに切り込んでいく。学問は使っても、使わなくてもいい。自分の身体の声を聞き、自分の頭で考える「素人」たれ! 「学問」から「無学問」へ。いま読まれるべき、新しい思想がここにある。
  • 自発的隷従論
    4.3
    なぜみずから屈し圧政を支えるのか。圧制は、支配される側の自発的な隷従によって永続する――支配・被支配構造の本質を喝破した古典的名著。シモーヌ・ヴェイユが本作と重ねて20世紀の全体主義について論じた小論を併録する。
  • 朱子学と陽明学
    4.2
    儒学は、中華帝国の正統思想として2000年の長きにわたり君臨してきた。その儒教史上に燦然とかがやく二つの学派がある。南宋の朱子によって体系化され、やがて明・清および朝鮮で体制教学となった朱子学であり、それを明の王陽明が批判的に継承し展開した陽明学だ。日本を含む東アジアの思想文化に決定的影響を及ぼしたこれらの流派は、はたして何を唱えたのだろうか。朱子学・陽明学が誕生した時代背景とその問題意識に焦点をあてることで、通俗的理解とは大きく異なる実像が見えてくる。両教説の異同を明快に説き、壮大な思想体系の全体をあざやかに一望する、入門書の決定版!
  • 哲学入門
    3.9
    神は死んだ(ニーチェもね)。いまや世界のありようを解明するのは科学である。万物は詰まるところ素粒子のダンスにすぎないのだ。こうした世界観のもとでは、哲学が得意げに語ってきたものたちが、そもそも本当に存在するのかさえ疑わしい。「ことばの意味とは何か」「私たちは自由意志をもつのか」「道徳は可能か」、そして「人生に意味はあるのか」…すべての哲学問題は、根底から問い直される必要がある!科学が明らかにした世界像のただなかで人間とは何かを探究する、最もラディカルにして普遍的な入門書。他に類を見ない傑作です。
  • 知性の正しい導き方
    3.5
    名誉革命後の混乱と喧噪のなかで、人間の自由と自主独立について徹底的に思考し、新たな論理学に基づいた知性のあり方を探究したロック。彼は、知性は誰にでも平等に備わっており、訓練や努力を重ねることで改善できるはずだ、と言う。近代の代表的思想家が伝授する、自分の頭で考えるための実践的メソッド。
  • 軍国日本と『孫子』
    4.5
    今日も日本人に愛読される『孫子』。しかし、この中国古典と近代日本には秘められた関係がある。日本の軍国化が進むにつれ、『孫子』は精神的・実践的支柱となっていったのだ。各種軍令には『孫子』と共通する点があるとされ、実戦的『孫子』解説までが登場する。しかし実際の日本は、『孫子』が最も下策だとする長期消耗戦に突入していく時代、『孫子』はどのように読まれたのか。昭和天皇は敗因をどう分析したか。日本はなぜ戦争を始め、また敗れたのか。『孫子』の兵法を手がかりに考える。
  • 〈自分らしさ〉って何だろう ――自分と向き合う心理学
    4.3
    思春期になると誰しも“自分らしさ”の問題に頭を悩ませる。答えを見出しにくい現代において、どうすれば自分らしく生きていけるのか。心理学者が自分自身と向き合うためのヒントを説く。
  • 1995年
    3.6
    1995年とは地下鉄サリン事件、阪神・淡路大震災という二大事件の起きた年だ。またウィンドウズ95の発売などでインターネット元年と呼ばれ、“失われた20年”と呼ばれる経済停滞が始まり、戦後初の社会党政権の時代でもある。戦後50年にあたる1995年は、ここから現代が始まった「戦後史の転機」といわれている。この1995年に、何が終わり、何が始まったのか。その全貌を解く衝撃の現代史!
  • キリスト教の真実 ─―西洋近代をもたらした宗教思想
    3.5
    キリスト教は、出現した当時のギリシャ世界において、既存の宗教の枠を超える「型やぶり」な思想であった。ユダヤ教から派生した「突然変異」ともいえるキリスト教が、ギリシャ思想の精髄を吸収しながら古代ローマ世界に浸透し、やがて近代ヨーロッパを覚醒させる。本書では、教義に内在する普遍主義の歴史的連続性を読み解き、修道院がその伝承を担った中世の世界をさぐる。近代主義者たちはキリスト教の歴史事実を意図的に否定するが、その歪曲がなぜ必要だったのかを考える。キリスト教という合わせ鏡をとおして、現代世界の底流にある設計思想を解明する探究の書。
  • 神社ってどんなところ?
    3.7
    七五三や初詣でで神社を訪れる人は多いでしょう。日本に約八万社あると言われる神社ですが、訪れた神社の由来を知っている人は少ないのではないでしょうか。身近にある神社についてもう少し深く知ってみませんか?
  • ユダヤ教 キリスト教 イスラーム ――一神教の連環を解く
    3.4
    ユダヤ教もキリスト教もイスラームも「たったひとりの神」を持つ宗教である。もとをたどれば同じひとりの神だった。それが「それぞれの神」になったとき、地球の表面が変わった。宗教史のうえでは突発的・変則的であった一神教が、なぜ諸宗教をしのぐまでに発展し、世界の底流となりえたのか――。出発点であるユダヤ教と、そこから枝分かれしたキリスト教とイスラームを視野に入れ、より大きな広がりのなかで一神教の特質を把握する。「聖戦」「不寛容」「平等」「福祉」「契約」などの題材にふれながら、歴史に決定的な影響を与えた三宗教の連環を解き、一神教の光と闇にせまる比較宗教学の入門書。
  • クレオール主義
    4.7
    「クレオール主義」とは、なによりもまず、言語・民族・国家にたいする自明の帰属関係を解除し、それによって、自分という主体のなかに四つの方位、一日のあらゆる時間、四季、砂漠と密林と海とをひとしくよびこむこと――。混血の理念を実践し、複数の言葉を選択し、意志的な移民となることによってたちあらわれる冒険的ヴィジョンが、ここに精緻に描写される。「わたし」を世界に住まわせる新たな流儀を探りながら、思考の可能性を限りなく押し広げた、しなやかなる文化の混血主義宣言。一大センセーションを巻きおこした本編に、その後の思考の軌跡たる補遺を付した大幅増補版。
  • 入門 犯罪心理学
    4.3
    近年、犯罪心理学は目覚ましい発展を遂げた。無批判に信奉されてきた精神分析的をはじめ実証性を欠いた方法が淘汰され、過去の犯罪心理学と訣別した。科学的な方法論を適用し、ビッグデータにもとづくメタ分析を行い、認知行動療法等の知見を援用することによって、犯罪の防止や抑制に大きな効果を発揮する。本書は、これまで日本にはほとんど紹介されてこなかった「新しい犯罪心理学」の到達点を総覧する。東京拘置所や国連薬物犯罪事務所などで様々な犯罪者と濃密に関わった経験ももつ著者が、殺人、窃盗、薬物犯罪、性犯罪などが生じるメカニズムを解説し、犯罪者のこころの深奥にせまる。
  • 思考実験
    3.5
    議論をより深めるために用いられる思考実験。哲学における古典的な問題から、SF小説の一場面のようなものまで、その射程はとてつもなく長い。だから、哲学的に思考する経験がない人にでも、考える手がかりとなるだろう。本書では、自己、他者、倫理、社会といった四つの分野にわけて、読者の頭を悩ませる思考実験をセレクトした。また、「現代」というこの世界を感じ取れる読み物としてもいける。
  • エクスタシーの神学 ――キリスト教神秘主義の扉をひらく
    3.0
    キリスト教には合理主義と神秘主義の二つの極がある。二千年におよぶキリスト教の歴史は、さながら理性と感性のはざまを揺れ動く振り子のようであった。この構図は近代以降も変わらない。宗教改革以後、むしろ振り子の振幅はますます大きくなった。イエズス会による布教活動、神秘主義の興隆、悪魔憑き、魔女狩りなど、熱狂的な信仰が西欧近代の宗教的エネルギーを吸収した。本書では、キリスト教における神秘主義の思想を、「エクスタシー」という視点から読み解いていく。ギリシア時代に水源をもち、ヨーロッパ思想の伏流水であるカトリック神秘神学を俯瞰し、キリスト教の本質に肉薄する危険な書。
  • 反〈絆〉論
    4.0
    東日本大震災後、絶対的価値となった〈絆〉という一文字。テレビは「優しさ」を声高に称揚するようになり、列島中がその大号令に流されて、権威を当然のものとして受け入れてしまったかに見える。だが、そこには暴力が潜んでいないだろうか。陰影のある、他の「繊細な精神」を圧殺する強制力がはたらいているのではないだろうか。哲学にしかできない領域から、〈絆〉からの自由、さらに〈絆〉への自由の、可能性を問いただす。
  • 高齢者うつ病 ――定年後に潜む落とし穴
    4.0
    定年になり仕事を失い、無気力になってしまう。妻を亡くして孤独になり喪失感に悩む。体が思うように動かなくなりひきこもりがちになる。六〇歳を過ぎてからこういった事態に直面し、うつ病を発症させる人が増えている。しかもその初期症状は頭痛だったり、身体の不調だったり、めまいだったり、一見してうつ病とはわかりにくい、本書ではそういった高齢者のうつ病発症のきっかけ、原因、特徴をエピソードを交えながら解説する。また、大病院を偏重する日本医療において高齢者はどのように扱われるか、その先に見える問題点まで掘り下げていく。
  • 古代インドの思想 ――自然・文明・宗教
    3.8
    最大の民主主義国家であり、多様な民族・言語・宗教の坩堝であるインドをまとめる価値観とは何か。緻密な哲学思想や洗練された文学理論など、高度に発達した「知の体系」は、いかに生まれたか。厳しくも豊かな自然環境がインド人に与えた影響とは。外の世界から多くを受け入れながら矛盾なく深化・発展させることで、独自の文化や思想を生み出し、世界中に波及させてきた。ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教……。すべてを包み込むモザイク国家「インド」の源流を古代世界に探る。
  • 日本思想全史
    3.6
    この国の人々は選択的に外の思想を受け入れつつ、あるべき人間とは何かという問いを立ててきた。ではその根底にあるものは何だろうか。思想史を俯瞰してそれを探るには、日本の内と外の両側から眺める視点が必要である。そしてそのような内と外の意識こそ、古代からこの国で綿々と受け継がれてきたものだ。神話時代から現在までの各時代の思想に、外部的視点からの解釈を押し通すのではなく、内在的視点をもって丹念に光を当てる。一人の思想家による、初めての本格通史。
  • 群衆――モンスターの誕生
    3.8
    群衆とは何か。近代資本主義の誕生とともに、歴史と社会の表舞台に主役として登場してきた群衆。二十世紀のナチズムもスターリニズムも群衆社会がつくりだした全体主義の脅威であったことは記憶にあたらしい。一体われわれは、激流のような群衆化傾向に対して抵抗できるのだろうか。ポー、ボードレールやニーチェ、メアリー・シェリーらの群衆への驚き、カネッティやモスコヴィッシの群衆分析、トクヴィルの民主主義論、ルボン、タルド、フロイトらの心理学的考察など、さまざまな視点からその怪物的性格を明らかにし、現代人の存在のあり方を根源から鋭く問う群衆社会批判。
  • フェミニズム入門
    3.7
    男性の、男性による、男性のための思想体系がいかに虚構と欺瞞にみちているか。フェミニズムの問題提起によってなんとあっけなく揺さぶられるものにすぎないか。近代主義から近代批判、イリガライやクリステヴァなどのポスト・モダンに至るまでのフェミニズム思想の破壊力の変遷をたどりつつ、さらにリプロダクション、性暴力、国家と性など最も現代的なテーマに果敢に挑戦する。現代の生と性の意味を問いなおす女と男のための痛快なフェミニズム思想入門。
  • 道徳を問いなおす ――リベラリズムと教育のゆくえ
    3.9
    「人に親切にしろ」「故郷を愛せよ」「社会のマナーは守ろう」。学校の道徳の時間に教えられてきたのは、このような徳育でしかなく、こういった言葉はもう十分、聞き飽きた。では、いまの時代・社会にフィットした道徳とは何か?また、それをどのようにして、子どもたちに教えたらよいのか?本書では、様々な倫理学の知見を掘り下げながら、哲学的にその本質に迫っていく。ひとりでは生き延びることができない時代に、他者と共に生きるための道徳が求められる。
  • イスラームと世界史
    4.5
    世界は新たな対立と緊張に直面している。中東和平や中央アジアの動向は今後どのような展開をみせるのだろうか? 世界史への登場以来、先進的な文化を誇ってきたイスラームは、けっして異質で非寛容な文明などではない。世界史と日本史をつなぐ歴史的な視点を軸に、21世紀の国際政治を世界史的視点から問う。
  • 日本人の神はどこにいるか
    4.0
    文明の衝突が叫ばれる今、宗教はふたたび世界の歴史を動かしつつある。排他的な一神教と寛容な多神教という常識は果たして正しいのか。イスラームやキリスト教、仏教など世界宗教の実態を探りながら、すべての神を取りこんで、矛盾なく共存させてしまう特異な日本人の神を問いなおし、普遍的な神の学をめざす。
  • 弔い 死に臨むこころ
    -
    東京下谷にある小さな寺の境内には、コメディアンたこ八郎をはじめ、恋多き詩人諏訪優、反骨の歌人坪野哲久、幻想文学の巨星と謳われた中井英夫ら、交遊を結び酒を酌み交わした人々が眠っている。彼らとの出会いと自らの半生をふりかえりつつ、死者への哀悼をこめて、弔いの作法とそのこころの大切さを説く。
  • 法然入門
    3.4
    この世を生きる意味はどこにあるのか。私たちは、人生の「意味」を求め「物語」を必要とする存在である。とはいえ現実は、不条理と不安に満ちた人生の大海を漂いながら、答えのないままに、そのときどきの欲望に引きずられて生きてゆくしかない私。法然は、そうした自己愛、愚かさ、無知にこそ人間の本質があると認め、まさに「極悪最下」の者こそ救われる物語を用意した。悪人が善人になる必要はない、ただ生まれつきのままに、ありのままに念仏せよ―日本史上最大の衝撃を仏教界にもたらした易にして奥深い思想を、やわらかに解きほぐす入門書。
  • ギリシア哲学入門
    3.3
    幸福は二つの次元から成立する。一つは、生きるための基本的物財の確保、言論、集会、行動その他の自由、そして、諸権利の平等の実現である。これを可能にしうる社会構造がデモクラシーであり、それは古代ギリシア人の創造に始まり、現代においても、歴史を動かしている起動力である。他は、心の安らぎであり、それは、偶然と運命に翻弄される人間が、存在の根源に帰ることにより、達せられる。現代が直面している問題を、ギリシア哲学が切り開いた視野から考える。
  • 若者と現代宗教 ――失われた座標軸
    3.4
    「宗教ブーム」といわれてひさしいが、それは真実ではない。宗教を「アブナイ」ものとして忌避する無知な警戒心と、摩訶不思議な世界へのやまれぬ好奇心が、同時に強まっているのが現状なのだ。伝統と歴史の価値が失われていく現代、われわれをとりまく精神世界のフレームワークは、どのように変わっていくのか。オウム真理教やインターネット上のバーチャル宗教など、新興宗教が自由競争を繰りひろげて混迷する、宗教の最前線と未来を見据える。
  • カントの読み方
    3.0
    カントは日本でも有名な哲学者だが、同時にその難しさについても広く知られている。けれどもそれは翻訳のためばかりではなく、カント自身が論じている事柄そのものが難しいのだから、叙述もまた難しくならざるを得ない。では、どうすれば、日本語でより正確に理解できるようになるのだろうか。ここでは『純粋理性批判』を例に、これまで統覚、超越・覚知、予料、範疇などと訳されてきたキーワードを分かりやすい言葉に置き換えるなど、さまざまな工夫を試み、長年カントに親しんできた著者が、初心者でも近づける方法を提案する。
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか
    3.6
    一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。別れ言葉にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。
  • サバイバル! ――人はズルなしで生きられるのか
    3.8
    日本海から上高地へ。200kmの山塊を、たった独りで縦断する。持参する食糧は米と調味料だけ。岩魚を釣り、山菜を採り、蛇やカエルを喰らう。焚き火で調理し、月の下で眠り、死を隣りに感じながら、山や溪谷を越えてゆく―。生きることを命がけで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?その洞察に、読者は現代が失った直接性を発見するだろう。“私”の、“私”による、“私”のための悦びを取り戻す、回復の書。驚異の山岳ノンフィクション。
  • 宗祖ゾロアスター
    3.0
    ゾロアスターは謎に満ちた宗祖である。生まれた時も場所もいまだ定かではなく、人びとは想像を重ねて宗祖のイメージをつくりあげてきた。ある人は魔術師といい、ある人は最高の占星術者といい、またシャマン的な幻視者であるともいう。ヘロドトスによって伝説が記録され、プラトンからニーチェに至る哲学者を魅了したゾロアスターとは誰か。その教えは、どのようなものだったのだろうか。
  • 輸入学問の功罪 ――この翻訳わかりますか?
    4.3
    難解な思想・哲学書の翻訳に手を出して、とても理解できないと感じ、己の無知を恥じ入る。読者をそのように仕向ける背後には、日本の近代化における深刻な問題が控えているのである。カント、ヘーゲル、マルクスの翻訳の系譜とそこに反映された制度的拘束をあぶり出し、日本の学問と翻訳の可能性を問う。
  • 日本語の哲学へ
    3.9
    「日本語の哲学」を目指すとは、いったいどんなことなのか。―少なくともそれは、古代ギリシャに始まった西洋の哲学をただ日本語で受容する、ということではないはずである。かつて和辻哲郎が挑んだその課題は、いま、もっとも挑戦しがいのあるテーマとして研究者を待ちかまえている。ここに展開するのは、パルメニデス、デカルト、ハイデッガーといった哲学者たちと、「日本語」をもって切りむすぶ、知的バトルの数々である。これまでに類を見ない知的冒険の姿がここにある。
  • 「こころ」の出家 ――中高年の心の危機に
    -
    経済不況による停滞感、そこから生じる社会不安が、中高年の価値観を根底から揺るがせている。かつての経済的繁栄を支えた中高年は、「時代の転換期」と「人生の転換期」という二つの節目を同時に迎え、逃れようのない不透明感と逼塞感を感じつつ、深刻な「心の危機」に直面している。大きな変革の潮流のなかで、“癒し”“スローライフ”“ヒーリング”などのキーワードが溢れる現在、真に「豊かな時間」とはなにかを問い直し、充足した「生」を取り戻すための座標軸を探る。
  • 生と権力の哲学
    4.3
    権力とは「見えない」かたちで動き、われわれを「殺す」よりも「生かす」ものとして働く不気味なシステムなのだ。知の巨人・フーコーの思想を中心に、ドゥルーズ、アガンベン、ネグリらの問題意識とその論理を読み解きながら、グローバル化し、収容所化する現代世界の中で、「ポジティヴ」に戦い続ける希望を提示する。
  • 病いの哲学
    3.3
    末期の状態にある人は死ぬほかないーー。死の哲学はそう考える。これに抗し、死へ向かう病人の生を肯定し擁護すること。本書はプラトン、パスカル、デリダ、フーコーといった、肉体的な生存の次元を肯定し擁護する哲学の系譜を取り出し、死の哲学から病いの哲学への転換を企てる、比類なき書である。
  • 満たされない自己愛 ――現代人の心理と対人葛藤
    4.0
    人は誰でも、自分を価値ある人間だと信じたい。人からも認められたい。しかし自己評価と他者評価は、しばしばズレる。そのとき自尊心は踏みにじられ、アイデンティティは深く傷つく。「自己愛」は、われわれに共通する心の性向である。他人から正当に評価されないことに対する恐怖と嫌悪、そこに生まれる葛藤こそが、現代人の人間関係を特徴づけるもっとも重要なテーマなのではないか。本書では、「満たされない自己愛」をキーワードに、自己にとらわれがちな現代人が直面する対人葛藤の深層に迫る。
  • 正義を疑え!
    4.2
    「正義」とはいったいなんだろう?「秤」と「剣」に象徴される正義概念は、今日、都合の良い解釈によって混乱をきわめている。「均等性」の一義的解釈から生じる「悪しき平等主義」や、あるいは「力」で相手をねじ伏せようとする「他者批判の正義」など、巷に溢れる正義概念に対する誤解や曲解を一刀両断し、己の不完全性に目を向ける「まっとうな正義」を説く。目からウロコの「正義論」入門。
  • 12歳からの現代思想
    3.5
    「現代思想」と聞くと、どうしても「ムズカシそう」というイメージを浮かべがちだ。けれども、差し出されているメッセージ自体はけっして難解なものではない。性、環境、心、コミュニケーション、民主主義…、その問題群は私たちのすぐそばにあることばかり。著者はその一つ一つをやさしく解きほぐしながら、新たなものの見方や発想へのきっかけをつくろうとする。この時代を生きるすべての人に届けたい入門書。
  • ヨーロッパ思想を読み解く ――何が近代科学を生んだか
    4.5
    なぜヨーロッパにのみ、近代科学を生み出す思想が発達したのだろうか。それは「この世」の向こう側を探る哲学的思考が、ヨーロッパにのみ発展したからなのだ。人間の感覚器官で接することのできる事物の背後(=向こう側)に、西洋人は何を見出してきたのだろうか。バークリ、カント、フッサール、ハイデガー、ニーチェ、デリダらが繰り広げてきた知的格闘をめぐって、生徒との10の問答でその論点を明らかにし、解説を加える。独自の視点と思索による、思想史再構築の試み。
  • 50歳からの知的生活術
    3.4
    人生80年時代、定年後の人生もとても長い。それを満足できるものにするためには、有効な勉強法を身につけて「知的生活」を充実させることが重要である。本書は、「自分が勉強したいと思えるテーマの見つけ方」、「本をより深く、きちんと読むためのコツ」、「新聞・雑誌・テレビの上手な活用法」など、実際に使える、一生ものの勉強法を多数紹介。さらに最終章では、勉強した成果を本にし、出版するための方法を伝授する。
  • 思想なんかいらない生活
    3.7
    「思想」というものは、私たちの生活に必要なのだろうか?あるいは、思想や哲学が、今のこの状況下の私たちに、果たして有効な何かを示唆してくれるのだろうか?本書では、日本の各方面で活躍中の知識人を片っ端から取り上げて、彼らの思考・表現活動が、いったいどれだけの意味をもち、一般読者大衆にどれだけの影響を与えているのかを考え、「ふつうに暮らすふつうの人びと」の立場から「思想・哲学」を問いなおす。
  • 「ただ一人」生きる思想 ――ヨーロッパ思想の源流から
    4.3
    「個で生きる」というと、すぐにヨーロッパ近代の個人主義が連想される。しかし、そもそも「個人主義」という考えは、どんな発想のもとに作り上げられてきたのだろうか。本書では、ヨーロッパ個人主義の源流を、古代ギリシアと、キリスト教、そして、中世スコラ哲学の内に再発見し、その思想の底にあるものを洗い出すことによって、そこから現代日本人が、この不安な社会の中で生きていくためのヒントを探り出す。「孤立」を恐れることなく、また、そこに逃げ込むこともなく、しかも、「ただ一人でも生きられる精神」の可能性を問う一冊。
  • 立ち直るための心理療法
    4.0
    うつ病、心身症、神経症などの「心の病気」から立ち直るにはどんな方法があるのか。「トラウマ」のせいにしても問題は解決しない。どのようなストレスを受けても、人間にはそれに抵抗する力があり、その力を伸ばすこともできる、という点に注目するほうが解決への近道。現場を知り尽くした著者が、心理療法のさまざまな実践例、精神科医やカウンセラーの上手な使い方を紹介する。
  • 真理の哲学
    3.5
    なぜわれわれは一面的な見方を絶対的なものと思いこんでしまうのか? この病いを癒すためにもっとも有効なのが、ニーチェにはじまる二〇世紀の哲学にほかならない。ニーチェ、フッサール、メルロ=ポンティ、そしてフーコーを軸に、さらに分析哲学の真理観までを紹介。現代哲学の、そして、われわれが生きることの入門書。
  • 『新約聖書』の「たとえ」を解く
    4.0
    『新約聖書』の中で、イエスはさまざまな「たとえ」を通して、人々に働きかける。しかし、なぜ「たとえ」を使うのか?それらの「たとえ」にはどのようなメッセージが込められているのか?「隣人愛」や「善行」、そして「人間の平等」などの問題について、「福音書書記者」たちの立場や思惑も考えあわせながら、史的イエスの真意をさぐり、『聖書』の複雑で豊かな世界を案内する。
  • 世界をよくする現代思想入門
    3.9
    難解で役に立たないと思われがちな「現代思想」。しかし、それらの思想が、どんな「目的」を持って、どういう「道筋」や「思考の技術」を使って展開されているのか、を見ることによって、「難解さ」は解消し、「役に立たない」という批判は誤解にすぎないことがわかるでしょう。本書では、「現代思想」によって、「幸福」や「よさ」を追求するための技術を解説し、それが日々の生活の中で使えるようになることを目指します。繰り返して参照するのにも便利な「ブックガイド」「キーワード解説」付き。
  • 自力と他力
    4.0
    俗にいう「他力本願」、人まかせの考え方とは正反対の思想が真の「他力」である。人に頼ることはできない、そして、自分の限界もはっきり見えた、そんな絶望のどん底を自覚した時に、人は「他力」の感覚に出会うのだ。二つは相反するものではなく、他力とは自力を呼びさまし育ててくれるもの、「自力の母」なのである。「仏教のこころ」の核心をつづり、今日を生き抜く指針を示した一冊。
  • 宗教都市と前衛都市 ――隠された日本 大阪・京都
    4.0
    五木寛之が日本史の深層に潜むテーマを探訪するシリーズ「隠された日本」の第3弾。現在、大阪城が建てられている場所には、かつて蓮如が建立した石山本願寺があった。大阪の底に流れる信仰心の側面を探る第一部。また、国際色豊かなエネルギーを取り込み、時々の権力者としたたかに付き合ってきた京都に前衛都市の姿を見る第二弾。現代にも息づく西の都の歴史に触れる。
  • 隠れ念仏と隠し念仏 ――隠された日本 九州・東北
    3.0
    五木寛之が日本史の深層に潜むテーマを探訪するシリーズ「隠された日本」の第2弾。九州には、かつて一向宗が禁じられ、300年もの間の強烈な弾圧に耐えて守り続けた信仰、「隠れ念仏」の歴史がある。それに対して東北には、信仰を表に出さず秘密結社のように守り続け、「隠す」ことで結束した信仰「隠し念仏」がある。為政者の歴史ではなく、庶民の「こころの歴史」に焦点を当て、知られざる日本人の熱い信仰をあぶり出す。
  • 下から目線で読む『孫子』
    3.0
    歴史上、数々の支配者たちに熟読されてきた兵法書の古典『孫子』。人間心理への深い洞察をもとに必勝の理を説いた同書を、視点をひっくり返して読んでみたら、何が見えてくるのか。自明とされた「勝ち」というものが、にわかに揺らぎ始めるかもしれない。『孫子』のなかから、これぞという言葉を選び、八方破れの無手勝流でもって解釈しながら、その真意を探る。
  • ホスピス ――いのちと癒しの倫理学
    2.7
    患者本人と周りの者に、より人間的なふれあいがあれば、おだやかな心で死を迎えられる。残された最期の充実した日々には「生きがい」と「死にがい」も感じられる。そういう「有終の死」を可能にする「生命倫理」とは何か。国内外のホスピス活動の動向を精力的に探りながら、いのちと癒しに関わる今日的な問題を考える。
  • キレる女 懲りない男 ──男と女の脳科学
    4.0
    些細なひと言に突然キレる。昔のことを蒸し返す。とりとめなく関係ない話をする。思い込みが激しい。根拠なしに「絶対これがいい」と断言する。まったく女は厄介だ。確かに女性脳は厄介だが、それゆえに潜在能を秘め、扱い方を間違わなければ、強い味方になって奇跡をも起こす(間違えれば敵になる!)。本書では、男女脳の違いをつぶさに解きながら、わかりあうための処方箋を示す。職場の人材活用に使え、恋愛指南になり、夫婦の老後の備えともなる究極の男女脳取扱説明書。
  • 無縁所の中世
    3.0
    中世において、朝廷・幕府以上の存在感を持っていた寺社=境内都市=無縁所。そこには、「世を仕損なった」人たちが、移民となって流れ込んできた。なぜ人は、有縁の世から逃れ、無縁世界で一時の命を繋ぎ再起を賭けようとしたのか。また、無縁世界が有縁世界に対抗しえたのは、どんな思想、どんな実力によるものなのか。網野善彦や民俗学の知見を批判的に乗り越えつつ、たしかな史料で日本中世を描く。
  • 社会思想史を学ぶ
    3.7
    九〇年代以降、明日への不透明感は増す一方であり、人びとの抱く閉塞感も高まるばかりだ。社会思想史を学ぶとは、まさに、過去の思想との対話を通じて現代世界を眺める座標軸を獲得することにほかならない。近代啓蒙からポストモダンまで、重要思想の核心をクリアに一望する入門書決定版。
  • 空海の思想
    3.3
    7世紀に勃興したイスラームの東進に抗してインド仏教は大きく変化する。マントラ(真言)を中心に据え、それを唱える身体的修行によって精神の在り様の根本的転換を図ろうとする新しい仏教が姿を現す。それは「密教」と呼ばれ、7世紀中頃から8世紀初めに中国に伝播する。その仏教の激動期に空海は生まれ、新しい教えを求めて入唐する。そこで空海は何を得たのだろうか。空海が遺した言葉に向き合うことによって、中世的「弘法大師」信仰を解体し、空海の言葉に込められた「いのちの思想」に迫る。
  • 入門 老荘思想
    3.6
    2009年1月、ほぼ完本の『老子』竹簡群が、北京大学に運び込まれた。これは、墳墓から盗掘され香港の骨董店を経由して海外に流出するところを、大学関係者が買い取り、寄贈したものである。諸子百家の中にあっても、儒家等とは大きく異なる主張を唱えたとされる道家であるが、その評価は果たして正しいのだろうか? 新資料を踏まえて、『老子』『荘子』の言葉をじっくり読み解くことで、その謎に包まれた思想がいま解き明かされる。さらに、後年の中国思想家や仏教への影響、江戸期の日本やその他ヨーロッパ諸国での受容にも目をむける。
  • 不安を生きる
    -
    私たちの社会には今、漠然とした不安が広がっている。将来の変化を見通せず、未来への希望が持てない。会社もアテにできず、心底頼れる人も見当たらない。そんな思いを抱く人が増えている。こうした事態は、都市化が進展し、かつて私たちを支えていたムラ的な共同体が衰弱してしまったことと無縁ではない。しかし、便利な生活を手に入れ、自由を享受する私たちは、もう後戻りすることはできない。不安とどう向き合い、どう生きればいいのか。この問いを多角的に追究した本書は、現代社会を生きる私たちにとって示唆に富む一冊である。
  • 保守思想のための39章
    3.7
    バブル崩壊と冷戦の終焉から十年すぎた。しかし今なお、経済の立て直しから有事への対処などに至るまで、依然として議論だけが続いている。しかも、その空疎な対立と不毛な論争の蔭で、学級崩壊、官民を問わない不正行為の続出、各種犯罪の増加など、日常の社会そのものは緩慢な自死の過程をたどりつつある。そして、資本主義の挫折と帝国主義の再来、それが世界の大状況となっている。この危機に、私たちはどう臨めばよいのだろうか。単なる郷愁やかたくなな復古ではなく、美徳と良識にもとづいて公共空間を再建するため保守思想の真髄をさぐる。
  • 仏教の身体感覚
    3.0
    仏教は、呪術性と身体性を強めることによって、人々を救済する宗教となった。たとえば、坐禅。あるいは、念仏。こうした呼吸法をともなう身体感覚をつうじて、仏の教えははじめて深々と腑に落ちる。宗教とは信仰の世界の話であり、論理の積み重ねだけで語ることはできない。仏教は、老病死に向き合う高齢者にどう応えられるのか。生きることに虚しさをおぼえる人々に、どう語りかけることができるのか。現代から、あらためて問う。身体感覚から読み解く仏教史2500年。
  • 現代語訳 福澤諭吉幕末・維新論集
    4.0
    福澤諭吉の著した数多くの評論の中から、幕末・維新期の社会の様子を鋭く観察し画期的な提言が冴える四編を厳選して平易な現代語訳とした傑作選。旧幕臣の勝海舟・榎本武揚を筆で斬り、賊軍の首魁として散った西郷隆盛を弁護する。過去の封建社会・身分制の実情を浮き彫りにし、官尊民卑の風潮に痛烈な批判を浴びせ、民に用意された無限の可能性を力説する―新しい時代にふさわしい鮮やかな筆致で「この国のかたち」を大きく描き直す過程において何が必要か、我々に大きな示唆を与えてくれる。
  • 現代文明論講義 ――ニヒリズムをめぐる京大生との対話
    4.1
    「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ民主主義はうまくいかないのか」―現代の社会の抱えるさまざまな難問について、京大生に問いかけ、語り合う。若い学生たちの意外な本音から、戦後日本、さらには現代文明の混迷が浮かび上がってくる。旧来の思想―戦後民主主義や功利主義、リベラリズム、リバタリアニズムでは解決しきれない問題をいかに考えるべきか。アポリアの深層にあるニヒリズムという病を見据え、それを乗り越えるべく、日本思想のもつ可能性を再考する。
  • 日曜日に読む『荘子』
    4.0
    日曜日、著者は酒のお供にと『荘子』を取り出した。超俗的で、世人を煙に巻くような文章を読みながら、「わからない」ことの醍醐味にどっぷり浸かってゆく。雲をつかむような話ばかりだけれど、固くなっていた頭がほぐれ、おおらかな気持ちになれるのはどうしてだろう。一風変わった角度から荘子の思想に触れる「こんにゃく談義」のはじまりである。
  • 哲学の道場
    3.8
    哲学は無害なもの、品行方正なもの、そして立派なものとして語られることが多い。けれども、それはあらゆるものへの根源的な懐疑から出発するという点で病気に近いものであり、凶暴で、危険で、しばしば反社会的でさえある。では、なぜ人は宗教ではなく、哲学を必要とするのか。日本語で哲学するとは、具体的にはどういうことなのだろうか。死の不条理への問いから出発した著者が、哲学の神髄を体験に沿って解き明かす。
  • 歴史の中の『新約聖書』
    4.2
    『新約聖書』は、キリスト教の流れの中で最も重要視されてきた書物である。しかし、この中に収められた文書を読むと、相互に対立するようなことが書かれている。この事態を理解するには、新約聖書がどのようにまとめられたのか、それぞれの文書はどのような立場から書かれたのかを考える必要がある。また、新約聖書の核にあるイエスの意義と、そのイエスが前提としていたユダヤ教の流れについて知っておくことも必要だ。歴史的状況を丁寧におさえながら読む、「新約聖書入門」。
  • 人間はなぜ非人間的になれるのか
    3.3
    「人間」とは、自由で平等な近代社会を作るための発明品だった。そして、それは理性的で主体性をもつ個人のはずだった。ところが、巨大化し機械化する都市の孤独のなかで、この人間たちは気づかされる。「理性と主体性のある「私」なんて嘘だったんだ!」このときから「人間」は「非人間的」な存在へと急速に劇的に変貌していった。「自由な個人」から「全体主義的な群衆」へ、「理性的な主体」から「無意識に操られる客体」へ。何がどうして起こったのか。壮大なスケールで描きだす「非人間」化の歴史。
  • 自分の頭で考える倫理 ――カント・ヘーゲル・ニーチェ
    4.0
    迷惑をかけなければ援助交際はしていい?―YESかNOか、あなたの答えはどっち。自分がよければ何やっても勝手じゃないかと考えるのか、いや、そんな自由は許されないと考えるのか。さらに、自由が一つだけでないとしたら、ホントの自由とは何か?カント、ヘーゲル、ニーチェの思考のエッセンスを手がかりに、不倫や援助交際から民主主義信仰や正義論・国家論まで、困難な時代の生き方を考えるための新しい倫理学入門。
  • 哲学がはじまるとき ――思考は何/どこに向かうのか
    4.0
    哲学とは、「考えること」以外の何ものでもない。あなたが、世界に対して、「どうして?」という問いを発したとき、すでにそれははじまってしまっているのだ。答えの答え、根拠の根拠、意味の意味、ふだんの生活の中で、あるいは科学の営みの中で、「打ち切り」になっている問いをどこまでも徹底して考え抜いたとき、世界が、存在が、時間が、真理が、そして「私」が、あらたに驚きの相のもとに現れてくるだろう。「入門」ではない「哲学そのもの」へと直接導く案内書。
  • 人はなぜ宗教を必要とするのか
    3.6
    宗教なんてインチキだ、騙されるのは弱い人間だからだ―「無宗教」を標榜する日本人は、たいていそう考える。しかし、そんな「無宗教」者も、「本当の生き方」を真剣に模索しはじめたとき、また、人の死など身にあまる不条理を納得したいと願ったとき、無宗教ではいられなくなってくるのではないだろうか。宗教に対する誤解にひとつずつ答え、そもそも宗教とはどういうものなのかを説き、「無宗教」から「信仰」へと踏みだす道すじを平易に語っていく一冊。
  • 決められない! ――優柔不断の病理
    3.5
    先行き不透明な現代社会で、何かを「決める」行為は、人にストレスを与える。一つを決めることは、他を捨てることだからだ。その不安が人を迷わせ、迷えばさらに不安が増す。どうしたらこの悪循環を断ち切れるのか? 「決められなさ」の背後に潜む病理を解きほぐし、迷いや不安との対峙の仕方、決断力の育み方を探る。
  • 「野性」の哲学 ――生きぬく力を取り戻す
    -
    現代人は人工空間に生きている。身体感覚が極端に希薄な社会では、凶悪犯罪や自殺が日常化し、魂の拠りどころも見えにくい。こんな時代だからこそ「野性」のエネルギーを解放し、根源的な生命力を取り戻さなければならない。信長の決断力、龍馬の行動力、松下幸之助の直観力等を手掛かりに喪われた「野性」の回復を訴える。
  • 独学の精神
    3.7
    なぜ私たちはかくも「無教養」になったのか。本書は、現代の日本人が見失った「独学の精神」をめぐる思索である。「ほんとうに大事なことは何ひとつ教えることなどできない」「学ぶことは身ひとつで生きる自分が学ぶというあり方でしかなされえない」―単純で大切な事実について、根っこから考え抜く。
  • 無宗教からの『歎異抄』読解
    4.0
    日本人は「無宗教」を自認しがちだが、信仰を得ることで精神的に豊かな暮らしを営む人びとも少なくない。真の宗教心とはどんな生き方をひらくものだろうか? 日本人に親しまれてきた宗教書『歎異抄』を、無宗教者の視点から読み解き、自由自在の精神をつかむ過程を明らかにし、「宗教とはなにか」に答える。
  • 前衛仏教論 ――〈いのち〉の宗教への復活
    -
    仏教といえば、「葬式」「法事」「お墓」など、死者のイメージがつきまとう。あるいは意味不明のお経、丸もうけする坊主…およそ普通の日常とは縁がなさそうだ。しかし、仏教は本来、宇宙に遍満するあらゆる〈いのち〉を慈しむ。私たちを生き難くするあらゆる束縛から解き放ち、のびのびと今を楽しむ自由な自分を取り戻す道であるのだ。本書は、二十年の長きにわたり仏道修行を積んだ後、海外で比較宗教学を修めた破天荒な宗教学者が、閉塞した日本仏教への大胆な提言を交え、その思想としてのおおらかさを再発見する試み。
  • 非戦の哲学
    4.0
    同時多発テロを契機に、アメリカ主導の「世界戦争」が始まった。帝国化するアメリカの要請に唯々諾々としたがって、日本は自衛隊を海外に派遣し、国是である平和憲法は空洞化しつつある。国連や国際法が無力化しつつある中で、日本はどのような道を選ぶべきなのか。「文明衝突戦争」の時代における日本の平和主義を再構築し、地球的平和への寄与を提唱する。

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