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なぜみずから屈し圧政を支えるのか。圧制は、支配される側の自発的な隷従によって永続する――支配・被支配構造の本質を喝破した古典的名著。シモーヌ・ヴェイユが本作と重ねて20世紀の全体主義について論じた小論を併録する。
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Posted by ブクログ
当時は教会が政治との結びつきが強く、政治扇動の書として誤解されることを防ぐため、友人のモンテーニュがラ・ボエシの死後も発表を躊躇したという書籍。 人は力や謀略により強制的に服従することはあっても、強制されずとも自ら進んで権威に服従するのは何故か。この自発的隷従のメカニズムついて様々な考察を示し、最...続きを読むも唾棄すべき悪徳として痛烈な批判を浴びせている。翻訳の絶妙さなのか、ラ・ボエシの批判的な文章が妙に強烈なのが印象的だった。 【一部引用】 彼らは強制されもせず、いかなる必要もないのに、圧政者に身を委ねた。私はこの民の歴史を読むと、きわめて大きな恨みの念を覚えずにはいられない。われながらまるで人間らしさを失って、それ以後彼らに訪れたかくも様々な災厄を喜びたい気持ちになるほどだ。 私は勇壮な人でも、高貴な生まれの人に語っているのでもない。ただ普通の常識ある人、さもなくばただ人間の顔を持つ人に対して語っている。こんなふうに生きるより悲惨なことがあるだろうか。自分では何も持たず、自分の幸福も自由も、身体も命も他人にゆだねるとは。 もう隷従はしないと決意せよ。逃れたいならば逃れたいと望むだけでよい。敵を突き飛ばせとか、振り落とせと言いたいわけではない。ただこれ以上支えずにおけばよい。 臆病と呼ばれるにも値せず、それにふさわしい卑しい名が見あたらない悪徳、自然がそんなものを作った覚えはないと言い、ことばが名づけるのを拒むような悪徳とは。
「日本の状況が他人事と思えなくなる」の帯がついていましたが、一人の圧政者に云々という下りは、北朝鮮を思い起こさせました(著者はモンテーニュと刎頸の交わりがあったとのことで、引用はギリシア・ローマが多いのですが)。 圧政者一人が4〜5人を追従者として周りにつけ、徐々にそれを広げて権力基盤を固めていく...続きを読むというのは、企業でも似たところありかとも思いました。 本文は80ページほどの短いものですが、最後の西谷修氏の解説が圧巻です。対米追随の日本の現状を分析し、これを権力基盤としている政党や追随者の話は、別に一冊書いて欲しいと思うほどの内容です。これを読むと、「日本の状況が他人事と思えなくなる」というのも頷けました。
モンテーニュの時代(1500年代)に圧政者とこれへの隷従が生じるのはなぜか、その構造は何かを論じたもの。うーん、自発的隷従か、確かにその構造 があるからこそ、圧政は可能となるように思われる。今の時代のsenseを読み解く鍵になるかもしれない。
自発的隷従論 ポエシ ちくま 公務員でありながら 客観性に飛んだ人間論を持った人によって 1500年代に書かれた稀有な本だ 人の本質には個としての自律心と 全体の一部としての依存心が共存しているのだろう そのどちらが表面化するかによって 生き様が変わるのだけれど 自主的参加による集いから 余剰生...続きを読む産物の到来による社会の肥大化で 個人が組織に飲み込まれて以来 主従関係が蔓延することになる そこで生み出されたのが 奴隷と戦争に支えられたギリシャにおける 民主主義モドキの貴族社会であり このボエジの本である つまり赤ん坊が親と環境に依存すると同時に 自由奔放に自己を表現するように 人間は本来冒険を愉しむ為に生まれてきた筈なのだ 主従という依存心に溺れるのは 生産物の奪い合いがもたらした物質文明の成せる業 お互いに競争原理の矛盾に気付き 信頼と切磋琢磨による調和を求めて精神性を取り戻そう
その刺激的な題名と、書かれた時代(16世紀末)とのギャップから受ける印象を全く裏切らない刺激的な内容は、その平易な訳と相俟って、強いメッセージ性を帯びたもので、一気に読み進むことが出来た。 又、本書の約半分を占める解題や解説は、その内容を読み下す助けの役割を十二分に果たしており、この手の重い本にし...続きを読むては極めてコンベンショナルな内容であった。 時代は全く異なるが、かつて大学で学んだ黒人文学の中で接した「リロイ・ジョーンズ (LeRoi Jones)」の詩に、極めて似た内容の詩があるのを思い出した。 『奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。(後略)』 中世の若き法官と1960年代の黒人文学の交錯は、私の中ではとても刺激的な出来事だった。
モンテーニュがその才能を賞賛していたラ・ボエシの本を読む。なんか時代的に意外なタイトル。 色んな時代の色んな党派がこの小論を基にアジテートしてきたというのも頷ける、汎用性が高い内容。自分だったら、今の職場に当てはめて読んだ。 議論の出発点の、自由は人間の本性が求めるものということの根拠として、人間が...続きを読む同じ形をしていて、能力に差があるのは、互いに助け合うためであり、隷従状態はその対極にあるということを挙げている。これをさらっと前提にしているの、良いな。
自発的に隷従とは?という疑念にかられその内容について知りたく購入。 人類には本性が2パターンあり、本来の自由であること、そして習慣的に自由から自発的隷従であること、と述べられており納得がいった。人類史を振り返ると教皇や王、独裁者等多くの圧政者が必ず存在する。圧政者はその下につく民衆が自発的に隷従する...続きを読むことで成立し、単独では成立しない。つまり民衆が圧政者を生み出しているのに他ならないというのは、現代社会でも言えると感じた。
ルールやシステムを再検証する際の視点、フィルターとして有用であると思う。忘れがちな、或いはスルーしがちな観点であることは確かだと思う。が、同時に、この視点で点検されるべきものは、中共であるとか北朝とか、各省庁の事務次官以下であるとか、閉鎖的な地方議会の首長以下であるとか。その問題点を色濃くあぶり出す...続きを読むのに役立つだろう。しかし、際限なく適応できる危うさがあり、あくまでもひとつの有用な観点という感じ。
主君が複数いてもなにも良いことはない。 たった一人のものでも主君という称号を得た途端に、その権力は耐え難く、理を外れたものになるのだから、ましてや複数者による支配など良きものであるはずがない。 しかしオデュッセウスはここに付け加えた。 頭でも王でもたった一人が望ましい。 冷静に考えれば一人の...続きを読む君主に服従するのは不幸の極み。彼らの権限でいつでも悪人に変われる。 権力者は何人であるべきか=組織分割サイズの問題 隷従者は強制されているだけではなく、一者の名に幾分か惑わされ魅了されて軛の下に首を垂れている。 自発的隷従は特にそこに君主への敬意を伴っていない場合の責任転嫁として用いられている。君主制のタイプはあと2つはある。実際に敬意が伴っている師弟タイプ。そして敬意がなくなったときに革命に変わるポテンシャルタイプ。これが民主制に移行する。 自発的隷従の原因は習慣。 過去の事柄を回想することによって来るべき時代の事柄を判断し、現在の事柄を検証する。もともと優れた頭を持ち、学問と知識で磨きあげた。 圧制者の元では行動や言論はおろか思想の自由も完全に奪われる。その場では上記の人もバラバラになってしまっている。自由が失われると勇敢さも失われる。卑屈で無気力に。 圧制者の詐術 ー自己演出 ー宗教心の利用 ほとんどの圧政者はたいてい彼らの最も気にいった連中によって殺された。この連中は圧政の性質をよくわきまえていて圧制者の好意など当てにできないと考え、その力に警戒心を抱いた。 圧制者には友愛はない。善人同士、互いの尊敬によってしかうまれない。ある人がある人の確かな友となるのは相手の公正さを認めることによって。保証するのはその人の自然の善良さ、信念、誠実さ。彼らは友愛を与え合うのでなく互いに恐れあっている。友人同士でなく共謀者。 友愛は片足を引きずるのを好まず常に左右の均衡を保つ。 これに対して圧制者のお気に入りたちは決して主君を信頼しない。連中は耐え忍んでいる悪への不満を圧政者でなく自分の直接の支配者にぶつける。
さすがに古典という感じを受けた。わかりやすい言葉だが読み方はおそらく難しく、読み手にとって都合のいいフレーズだけをつまみ食いされることも多いだろう。それだけでもパワーを持つというのが、古典の力か。
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自発的隷従論
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エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ
西谷修
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