作品一覧 2024/04/05更新 歎異抄 試し読み フォロー 日本人はなぜ無宗教なのか 試し読み フォロー 選択本願念仏集 法然の教え 試し読み フォロー 『往生要集』入門 ――人間の悲惨と絶望を超える道 試し読み フォロー 行動する仏教 ──法然・親鸞の教えを受けつぐ 試し読み フォロー 宗教の深層 ──聖なるものへの衝動 試し読み フォロー 宗教は国家を超えられるか ──近代日本の検証 試し読み フォロー 親鸞 試し読み フォロー 親鸞からの手紙 試し読み フォロー 親鸞・普遍への道 ──中世の真実 試し読み フォロー 『歎異抄』講義 試し読み フォロー 『歎異抄』入門 無宗教からひもとく 試し読み フォロー 人はなぜ宗教を必要とするのか 試し読み フォロー 仏教と日本人 試し読み フォロー 法然入門 試し読み フォロー 法然の衝撃 ──日本仏教のラディカル 試し読み フォロー 法然を読む 「選択本願念仏集」講義 試し読み フォロー 無宗教からの『歎異抄』読解 試し読み フォロー 無量寿経 試し読み フォロー 柳宗悦 ──美の菩薩 試し読み フォロー 唯信鈔文意 試し読み フォロー 1~21件目 / 21件<<<1・・・・・・・・・>>> 阿満利麿の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 とても勉強になり、とても面白かったです。 日本においての宗教や信仰について、私は知識不足であり、間違った考えをしていたように思います。 現日本で言う「伝統」は、意外と歴史が浅いのかも、という疑問も私の中では生まれたりもしました。 Posted by ブクログ 法然を読む 「選択本願念仏集」講義 阿満利麿 結論から言うと、浄土宗のみならず真宗の方も読んでほしい。法然上人がお念仏一つといわれたことの勢いと強さを『選択本願念仏集』から読むというか感じる本。 本の言葉そのままではないが、自分の言葉で書く。 法然上人は、大悲(衆生を救うという仏の慈悲)は必ずあるはずだ、それは今自分にも届いているはずだ、...続きを読むどうしても三学による仏法を求め続けられない自分にも届くはずなんだと「信じて」多くのお経を読んでいかれる。そして「彼の佛願に順ずるが故に」にたどり着かれる。 自分は、「信じる」話が好きではない。科学的ではないからだ。それはどうしても、その人が勝手に信じているだけではないかと思うのだ。それは自分が冷たい人間であり、どうしてもそういう考えだからどうしようもない。信じられたらどんなにいいか。 なのでこの本での法然上人のたどり着かれた答えは、箇条書きにしたら非常に納得がいかない者なのである。しかし、阿満氏の解説を一緒に読んでいくと、そんな気持ちが起こらないのだ。不思議だけれども。原文を読んで、法然上人の強い思いと力強さに呆然とするばかりなのだ。なんとすごい本だ。 歎異抄第二条で、親鸞聖人は唯円坊にこういう。 ”たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。” 自分はご本人たちに会ったことはない。でもこの本を通して法然上人の書かれたものに触れることで、今一度この第二条が鮮やかに思い起こされる。本当のことはわからない。でも、そういう心があるかもしれない。疑いいっぱいの自分の心にも流れてくる「信じる」心。 このお二人のことを一緒に思うことが大事であると改めて気がつかせられた。法然上人がいなかったら、親鸞聖人もお念仏に合わず、さらに今自分が浄土真宗の教えに触れることもないんだ。自分のような心持ちの人間でも感ずるものしかない本。是非たくさんの人に読んでもらいたい。すごい。 Posted by ブクログ 日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 卒業研究に向けてということで読みました。 さまざまな事例をもとにした考察がどれも興味深く、論文執筆における「視点」づくりに役立ちました。 特に、創唱宗教と自然宗教の区別は明快で、卒業研究でも大いに参照させていただきました。 修士論文を書く上でまた読む機会があるかもしれません。 Posted by ブクログ 選択本願念仏集 法然の教え 阿満利麿 日々、なかなかと得心いかず、法然とか読んでる 選択本願念仏集 末世の現代、教えは残っても修行は失われ、悟りはない しかし、その名を唱える全てを浄土に迎えるとの阿弥陀如来の本願を頼み、念仏しなさい 南無阿弥陀仏 現世そのものが悟り、だから今のままでいい、ライフイズビューティフル!っていう本覚思...続きを読む想による堕落のなか、念仏という最も簡単で、本願にかなった実践を、ちゃんと浄土思想の経典のなかから発見した、異端の男ホーネン!! しかし、来世の浄土を約束する念仏は、現世利益を追求する近世以降、失われる Posted by ブクログ 選択本願念仏集 法然の教え 阿満利麿 法然が、浄土三部経と中国僧・善導にひたすら依拠して、専修念仏の正当性をくりかえし説いている。それだけに現代語訳最末尾の訳注[訳者ノート]にある、「中国では、念仏は禅と兼用されるのが普通であり、善導のごとき、念仏一行を選択するということは大方の賛同を得ることができなかったようである。朝鮮においても事情...続きを読むは同じである。」というコメントが痛烈だ。しかしそれでも法然が専修念仏にこだわった事情は、巻末の訳者解説にわかりやすく述べられており納得がいく。本書は、全体に簡にして要を得たつくりの良書といえる。 Posted by ブクログ 阿満利麿のレビューをもっと見る