哲学者入不二基義氏のデビュー作でありながら入手困難の状態が続いていた幻の名作が、ちくま学芸文庫に殿堂入りして帰ってきた。春秋社版を読み損ねていたわれわれファンにとっては待望の文庫化である。
「あらゆる真理は相対的である」という相対主義の考え方を、相対主義自身に適用するとどうなるか。相対主義もまた相
...続きを読む対的にのみ真であるということになってしまい、自己論駁に陥るのではないか。
ここで「枠組み」という概念が重要になってくる。「Sは枠組みXにおいては真であり、枠組みYにおいては偽である」という主張が成り立つためには、枠組みXでも枠組みYでもない、両者を俯瞰する枠組みZが必要であろう。しかしその枠組みZが絶対的であるということは相対主義に反する。一方で枠組みZもまた相対的であるとするならば、落差は反復され枠組みは完結しない。
かくして相対化の徹底によって枠組みは無限に更新され蒸発する。だがそのような枠組みを超越した観点が一つだけ残る。それは「私たち」である。いかなる枠組みもそれが枠組みとして認知される以上は、それを認知する「私たち」がいなければならない。枠組みの外延を国境線に例えるならば、「私たち」の外延は無限に後退する地平線になぞらえることができる。
そのような「私たち」にも、しかし外部が存在する可能性を入不二は指摘する。それはもはや地平線から離れた宇宙のような最果ての地、「ない」よりもっと「ない」こと、「私たち」の未出現(BEFORE WE ACCEPT)である。――無をあくまでも存在の否定形としてとらえた自由論者サルトルが、外部によって形成される「われわれ」を主張したのに対し、無限に拡張する「私たち」を提唱する入不二が、その後運命論を語り始めることになるのは興味深い。
次著『時間は実在するか』(講談社現代新書)と並んで、日本哲学界の独創的古典として残るべき名著である。読者を選ぶメタフィジカルな哲学書ではあるが決して難解ではなく、読破に自信のない読者には野矢茂樹氏による素晴らしい解説からまず読むことをお薦めしたい。