君塚直隆のレビュー一覧
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7世紀頃七王国が形成され、マーシアのオファ王がイングランド初めての王となり、初の法典を作った。
9世紀からバイキング(イングランドではデーン人と呼ばれる)の侵略を受ける。ウェセックスの王アルフレッドはこれを撃退し大王と呼ばれる。アルフレッドの孫は初めてイングランド王と公式に呼ばれた。賢人会議を開催するようになる。その子エドガーはキリスト教に基づく戴冠式を初めて行った。
ウェセックス朝の無能な王に代わりデンマークのカヌートが王位を継承しデーン朝が成立するも、7年で終わる。
再びウェセックス系のエドワード証聖王が即位するが家臣団と合わず、後継者をノルマン公ギョームに指名。ギョームは征服王ウィリアム一世として即位する。ノルマン朝が成立。ウィリアム1世は賢人会議やイングランド法を尊重しつつ、諸侯の反乱は軍事的に制圧した。アングロ=ノルマン王国とも呼ばれる。
ノルマンディはフランス王の家臣であるが、フランス王はアングロ=ノルマン王国の増長を警戒し、以後、その継承問題に暗躍することとなる。
内乱の末アンジュー伯とウェセックス系の皇妃マティルダの子ヘンリ2世が即位。仏西部まで領土とする広大なアンジュー帝国が成立。その家紋からプランタジネット朝と呼ばれる。
リチャード獅子心王の弟ジョンは仏王フィリップ尊厳王に領地を奪われ腰抜け王と揶揄される。教皇からの破門、英語を解さないこと、臨時課税を乱発したことから諸侯の信頼を失い、マグナカルタに署名させられた。
次代のヘンリ3世は頃議会政治が定着、大陸遠征ではなくイングランド統治がメインとなる。仏に比べ英では議会の発達が早かった。これは王位継承問題と戦争の多さのせいである。仏王家は王位問題が起きず、裕福だったため議会の承認が要らなかった。
ヘンリ4世によりリチャード2世は廃位。プランタジネット朝は断絶しランカスター朝始まる。プランタジネット王家と血縁ではある。
百年戦争後、ヨーク家とランカスター家の薔薇戦争が起き、ヘンリ6世は処刑される。エドワード4世が即位し、ヨーク朝が成立。ランカスター分家のヘンリテューダーにより、リチャード3世が倒されテューダー朝が成立。薔薇戦争は終結する。
エリザベス1世は先代血まみれメアリによるカトリック復帰を破棄し国教会に回帰。陰惨なメアリより人気があった。ドレイクにスペイン船を海賊させ、アマルダでは無敵艦隊を破る。 -
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君塚直隆(きみづかなおたか)
1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『悪党たちの大英帝国』『立憲君主制の現在』(後者は2018年サントリー学芸賞受賞、ともに新潮選書)、『ヴィクトリア女王』『エリザベス女王』『物語 イギリスの歴史(上・下)』(以上、中公新書)、『肖像画で読み解く イギリス王室の物語』(光文社新書)、『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)、『女王陛下のブルーリボン』(中公文庫)、『女王陛下の外交戦略』(講談社)など多数。
確かにこの五大国のなかで頭ひとつ抜きんでていた存在はエジプトであろう。アマルナ文書が書かれた当時のエジプトは第一八王朝(紀元前一五七〇~前一二九三年)の時代であり、首都テーベ(現在のルクソール)には今も残る数々の巨大な建造物が築かれ、幾多の遠征でカナン(現在のヨルダン、イスラエル、パレスチナ)、ダマスカス(現在の南西シリア)、アムル(現在の北西シリアと北レバノン)といった地域まで属国に置いていた。
それでもエジプトは中東世界で「覇権( hegemony)」を握ろうなどとは思ってもいなかった。紀元前一四世紀当時の 兵站 学( logistics)をもってしては、そのようなことなど不可能だったのである。なにせお互いに二〇〇〇キロも離れた地域である。かなり速い行程で向かったとしても、エジプトからワシュカンニ(ミタンニの都)に到着するには一ヵ月以上はかかったし、さらに遠いヒッタイトやバビロニアともなれば一ヵ月半は要したのだ。
なかでも際立っていたのがエジプトが各国に贈る黄金であった。ナイル川上流域のスーダンやエチオピアには豊富な金鉱脈があり、「エジプトには黄金が 塵芥 と同じぐらい豊富にある」という 諺 まで当時の中東にはあったくらいである。エジプトから贈られる黄金は、周辺各国にとっても 垂涎 の的であった。
一二〇四年にコンスタンティノープルが十字軍(第四回)により陥落させられ、皇帝をはじめ貴顕もすべて各地に敗走した。その後、一二六一年にはコンスタンティノープルの奪回に成功を収めるものの、もはや「帝国」というにはほど遠い弱小勢力になっていた。東ローマにとどめを刺したのはモンゴルではなく、イスラームのオスマンであった。一四世紀半ばぐらいからすでにバルカン半島にも進出していたオスマン帝国は、一四五三年春に二〇万人の大軍でコンスタンティノープルに攻め込んできた。一万にも満たない防衛軍など敵ではなかった。五月にここに都も陥落した。 こうして古代から延々と続いてきた「帝国」が、ヨーロッパ大陸から姿を消した。それと同時に、このイスラームの新たなる「帝国」の脅威が、ヨーロッパに新しい「外交」を生み出していくことになるのである。
また前章で、東ローマ帝国からアッバース朝イスラーム帝国には、当代随一の数学者が「外交官」として派遣されたことがあったと紹介したが、一五世紀のヨーロッパはまさにルネサンスの世。北方ルネサンスを築いたブルゴーニュ公爵の宮廷からはヤン・ファン・アイク(一三九五頃~一四四一)が、神聖ローマ皇帝からイタリア諸国へはアルブレヒト・デューラー(一四七一~一五二八)が、といった具合に、当代随一の画家たちも外交官の役割を果たし、相手国の君主の肖像画などを描き残したりしている。
二〇二〇年一月、これより半年ほど前に即位したばかりの 徳 仁 天皇と雅子皇后が初めての国際親善の旅に出られることが発表された。行き先は「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」。すなわちイギリスである。お二人とも若き日に留学を経験された国でもあり、現代世界の「王室外交」において頂点に位置するエリザベス二世女王が迎えてくれるイギリスへのご訪問は、両陛下にとっても念願のひとつであったことだろう。
王子は母のヴィクトリア女王に次のような手紙を送っている。 「私の北京訪問はまったくの私的なものであるがゆえに、中国人たちも私の[宮廷への]来訪を拒絶したのだと思います。それとは正反対に、日本政府は私を最大級の礼儀と配慮で迎えてくれました」 それまでヴィクトリア女王が抱いていた日本のイメージは「遠くて野蛮な国( distant and wild country)」というものであった。特に幕末の一八六二(文久二)年に生じた、薩摩藩の 島津久光 の行列に騎乗のイギリス人らが遭遇し、 無礼 打ちにあった「生麦事件」の印象が強く残っていたようである。このとき女王は、大切な「臣民」を保護するため速やかに報復措置を執るよう、外相に指示を出していたほどである。それは薩英戦争へとつながる。
しかしそれからわずか七年後に、次男坊アルフレッドが日本の天皇や政府から大歓待を受け、帰国後の王子からもいろいろと聞くうちに、日本は決して野蛮ではなく「文明国」であると、女王は考えを改めるようになっていた。さらにその三年後、欧米列強から様々なものを吸収しようとイギリスを訪れた岩倉使節団(一八七一~七三年)ともウィンザー城で謁見し、彼らの知的な 風貌 から、女王は「日本」に好意を抱くようになっていた。 当時、「七つの海を支配する大英帝国」といわれたイギリスに最盛期を築いていた女王の「日本観」を大きく変えることに成功したとは、明治新政府の首脳らが奔走した「皇室外交」の 面目躍如 ともいうべきか。
本書でもたびたび触れているとおり、「外交」とは「対等」のもの同士の間でしか成り立たないものである。一六~一七世紀にはユーラシア大陸の巨大帝国の前に、「野蛮人」のヨーロッパ諸国が外交関係を持つことはできなかったが、いまや立場が逆転し、ヨーロッパ列強が「野蛮なアジア」の国々を支配下に置き、また「不平等」条約を押しつける番となっていた。日本が欧米に「文明国」と認められるためには、外交儀礼はもちろんだが、それ以外にも近代的機構・法・制度も必要だったのである。この間に鹿鳴館は閉鎖され、華族会館へと姿を変えるようになっていた(一八九〇年)。
さらに世界における日本の立場を強めたのが、日露戦争(一九〇四~五年)であった。当初は世界最強の陸軍大国ロシアに日本がかなうはずなどないと誰もが予想していたのだが、陸海軍ともに善戦し、日本が一定の勝利をつかんだ。それと同時に、イギリスとの間に第二次日英同盟が結ばれ(一九〇五年八月)、その年の一二月に東京常駐のイギリス公使館は「大使館」に昇格された。同様にロンドン駐在の日本公使も大使へと格上げされた。
これに先立つ第一次日英同盟締結時(一九〇二年一月)には、同盟の適用範囲は東アジアに限られており、日本にとってはその権益の一〇〇% だったかもしれないが、世界中に領土を有する大英帝国にとってそれは数% の権益に関わるものでしかなかった。それが、第二次の日英同盟では日本は東南アジアやインドに救援に駆けつけるという内容まで盛り込まれるようになっていたのである。それまでイギリスにとって「 格下 のパートナー」にすぎなかった日本は、ここに「 対等の パートナー」となったのである。
特に長期の海外留学の経験を有する徳仁天皇と、「帰国子女」でもあった雅子皇后とは、外国語能力については定評がある。二〇一九年にお二人が即位後に初めて国賓として迎えたアメリカのドナルド・トランプ大統領(在任二〇一七~二一年)夫妻が来日した際には、通訳を介さなくてもかなり深い内容のお話をなさるなどしている。
そしてお二人は天皇・皇后になられる前から、国際的な活躍を果たしてきている。雅子妃はもともとが「職業外交官」であり、これはもちろん歴代皇后のなかでは初めてのことである。
藤氏との打ち合わせの段階から現代の王室外交について書くにあたり、やはりその代表的な存在ともいうべきイギリスのエリザベス女王については一章を設けたいと考えてはいたが、著者にはすでに女王の生涯を描いた評伝もあるので、それとは異なる視点から書いていきたいと思うようになった。そこで「人類にとって外交とはそもそも王様同士の付き合いから始まったものではないか」との視点に立ち、今から三五〇〇年ほど前の古代中東世界から話を説き起こすという無謀な物語になってしまった。 しかし本書が、古代から現代にまで至る「王室外交」の持つ意味についてだけではなく、「外交」そのものの特質についても、その一端でも読者にお伝えできていれば望外の幸せである。 -
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利他という言葉をよく耳にするようになったのはコロナが始まった頃だったか…行き詰った資本主義を打開するキーワードとして語られているのか、閉塞感のある時代の生きにくさを乗り越える思想として語られているのか、使われている理由は様々だと思いますが、99%クラブに表出しているような富の偏在をつくった新自由主義のエンジン、利己主義に対する違和感として多用されているように思われます。ただ21世紀になって利他主義が突然出てきた訳ではなく、その源流のひとつにノブレス・オブリージュがあったことを、さらにはその水源に古代ギリシャ、ローマ、中国における「徳」という価値に立脚する政治があったことを、そしてそれを支える社会階層としての貴族をフューチャーするユニークな史観です。貴族の興亡による世界史、知っている話も深い話に変わっていきます。そういえばコロナで延期されたオリンピックも今ではすっかり利権の塊イメージですが、クーベルタン男爵の想いは大いなるボランティアによる大会でした。そこにはヨーロッパの貴族たちのコミュニティが大きく関与していたと聞きます。西欧の貴族社会の流れを細かく紐解きながら、しかしこの本を成立させている著者の問題意識は最終章の『現代日本に必要な「貴族」とは?』に濃縮されている思います。ノブレス・オブリージュからナショナル・オブリージュへ。ここに来て、利他主義、ケアの思想、ESG、SDG's、ソーシャルテーマ、公共性、…などの世界の模索の意味に繋がってくると感じました。なにかこれからの社会を論ずる時の重要な補助線を得たような気になりました。
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2007年の単行本を文庫化。19世紀のヴィクトリア女王からエリザベス女王までの君主に仕えた秘書官の話。文庫化にあたっては、現・チャールズ国王の戴冠式のTV解説を行った筆者だけに、あとがきにて「今」を追記。君主に対しては中正公平に意見を述べ、政府との仲介にもあたった秘書官の動きを通して、自然と近現代の英国政治史が学べるお得な本。文章も読みやすく、別の視点から見た歴史書としても秀逸。
初版当時、英国連邦(コモンウェルス)には、14か国に25億人もおり、世界人口の30%を占めていたとあり、英国の君主の大変さがよくわかる(エリザベス女王の日課も書かれているが、自分にはとても無理)。とは言いつつ、「王冠をかけた恋」やダイアナ妃、チャールズ現国王の恋バナや、君主と首相の相性からくるゴタゴタ話など、「所詮、人間ですよね」と思わせる逸話も豊富。
日本には、こうした秘書官はおらず、侍従(長)が中心となって動いているらしく、日英のそうした違いなどもわかってお薦めの一冊。 -
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著名人の多い英国史の中から七人の悪党を選んだオムニバスストーリー。
悪党とはワルではなく、出身階級に関わらず主流派ではなくアウトサイダーだった人達を指す。アウトサイダーだけに、毀誉褒貶が激しい人々で、ヘンリー八世、クロムウェル、ウィリアム3世、ジョージ3世、パーマストン、ロイド・ジョージ、チャーチルが本書の対象。
筆者は、それぞれの悪党についての毀誉褒貶を冒頭に掲げ、その人物の生い立ちや活躍を著述し、最後に些細な悪事はあっても大英帝国の歴史に大きく貢献した事績を簡潔にまとめて章を終える。ロイド・ジョージとチャーチルのように章と章の間の繋ぎもよく、オムニバスなるも完全独立ではなく連続性がある。
それぞれの悪党の事績は、以下の通り。
【ヘンリー八世】
× 処刑癖、浪費癖、多数の妻
◯ バチカンからの独立、教会の摂取による財政健全化と宗教影響力の排除、アイルランド・ウェールズへの帝国拡大、議会との協調
【クロムウェル】
× 王殺し、護国卿としての強権統治
◯ アイルランドの合邦、スコットランドへの征服、プロテスタント外交による新世界でのスペイン領確保(世界戦略を持ったイギリス史上最初の政府byクリストファー・ヒル)
【ウィリアム3世】
× 外国人王(オランダ人)、関心は大陸、淡白で人を信頼しない性格(一般受けしない)
◯ 勢力均衡論によるルイ14世の封じ込め、議会政治の制度化(立憲君主制度化)、イングランド銀行の創設と国債による戦費調達システムの完成
【ジョージ3世】
× アメリカにおける圧政者、議会政治の軽視、外交的孤立によるアメリカ喪失、発狂
◯ ハノーバー王家として初の愛国者、発狂による摂政制度の下での立憲制の発展
【パーマストン】
× ポピュリスト?、極悪非道の砲艦外交、王権軽視
◯ 会議外交による平和の慣行の確立(ヨーロッパ協調)、1848年の革命の封じ込め、イギリスには永遠の同盟国もなければ、永遠の敵大国もない。イギリスの利益こそが永遠であって、不滅なのだ(1848.3.1)、英帝国のアジアにおける拡大、奴隷貿易廃止、世論の有効活用
【ロイド・ジョージ】
× 王権軽視、無知で無責任で中身がない(ケインズ)、栄典売買、アイルランド問題の処理
◯ 人民の王者(労働問題、福祉、富裕層への増税、貴族院の権限縮小)、メディアを使った世論操作、第一次大戦の指導者として総力戦体制を維持、英国初の挙国一致内閣
【チャーチル】
× 傲慢、貴族主義、向こうみず、人種差別的、政党を行き来した節操なし、ガリポリ作戦失敗、首相前はこれといった功績なし
◯ 30年代における英海空軍の強化によるバトルオブブリテンへの貢献、英国を奮い立たせた(ハリファックスなら独の軍門に降っていたか?)
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大英帝国を築いてきた「七人の悪党」として取り上げられているのは、ヘンリ八世、クロムウェル、ウィリアム三世、ジョージ三世、パーマストン子爵、デイヴィッド・ロイド=ジョージ、ウィンストン・チャーチルの七人である。
本書の「はしがき」でも「おわりに」でも述べられているが、英国では評伝(伝記)が重んじられ、今でも街中の書店には必ず伝記コーナーに多くのスペースが割かれている(評者が在外研究で英国に滞在したのはもう17年も前の話だが、そのとき書店で一番印象的だったのもそのことであった)。それはマルクス主義史学やフランスの社会史、あるいは最近流行のグローバル・ヒストリーとも違う、「歴史を動かすのはあくまでも人間とその決断であるという史観が比較的強く残っている」(p.6)からだと著者は指摘する。どの歴史観が正しいとか間違っているとかいう話は置いておいても、確かに人物が生き生きと描かれている歴史は読んでいてワクワクする。本書もまた七人の「悪党」を通じて、五〇〇年の歴史の面白さに読者を誘ってくれる。
取り上げられた一人ひとりのエピソードが面白いことは言うまでもないが、単にトリビアな知識を紹介するだけではなく、社会全体の歴史の動きの中で結局どのような位置付けがなされるのかという著者ならではの評価も興味深い。たとえば、不人気な「外国人王」としてのウィリアム三世は、オランダでは地方ごとにバラバラだった公債発行のシステムをイングランドに集権的に導入し、「財政=軍事国家」の基礎を築いたと評価される(pp.126-8)。またケインズにこっぴどく批判されているロイド=ジョージも、第二次世界大戦後の「社会福祉国家イギリス」の原点となる政策をおこなった(p.242)、などなど。
蛇足だが、各人物を主人公とした映画やテレビドラマなども端々に紹介されていて、参考になった。見落としでなければ、ロイド=ジョージの章だけ映画やテレビ・ドラマが紹介されていなかったように思うが……。 -
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[バランス、バランス、バランス]多くの人を惹きつけるイギリスの歴史を、「王権と議会」という概念をキーワードに読み解いていく作品。なぜイギリスで議会制度が発展したのか、なぜイギリスは世界の海を統べる大国になったのかといった疑問に答えるための糧を与えてくれる一冊でもあります。著者は、オックスフォード大学にも留学され、イギリス政治外交史を専門とする君塚直隆。
ときに複雑に見えてしまうイギリスの歴史を、極めてわかりやすく俯瞰してくれているため、大まかな全体像を頭に入れたい人にとっては打ってつけの概説書です。参考文献や映画一覧も充実しているため、本著を頼りとしながらイギリスに関しての知識や見方を深めていくことができるかと。
〜「王権と議会」に基礎を置いたイギリス政治のあり方が未来永劫続くかどうかはわからない。しかしこれまでの一〇〇〇年以上にわたる歴史のなかで、エリザベス2世の言葉にもあるように、この二つが時には協力し、時には敵対しながら、この国を支えてきたのは紛れもない事実である。〜
君塚氏の絶妙な距離感を伴うイギリス愛が感じられるのも☆5つ
(注:本レビューは上下巻を通してのものです。) -
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ネタバレナポレオン戦争のときには、「戦争」はプロの軍人同士が遠い戦場で行うものと相場が決まっていた。しかし今や隣のおじさん、向こうのお兄さん、そして自らの父や夫や息子たちが、戦場で機関銃や毒ガスの餌食にされたていたのである。
著者は中野京子の『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』に触発されて書いたとのことだが、こちらは歴史寄りの視点から書かれており、私にとっては『名画で~』よりも興味を持った。びっくりしたのは、今でも王室の方々の肖像画が描かれているということ。しかも、エリザベス2世とチャールズ皇太子がやや元気のない姿で描かれている肖像画まである(これはダイアナ妃が亡くなった直後だったから)。写真ではないのだから、表情なんて好感が持てるように変えて描けばいいのに…リアリティあふれるところに、画家の腕が光る。まだご健在のエリザベス女王だが、「歴史」として過去の血縁から改めて振り返ると、連綿と続くイギリス王室に思わず鳥肌が立ってしまった。折からの不景気で今年のクリスマスパーティーもなくなってしまい、王室存続の危機がささやかれる中、一連のダイアナ事件で支持をなくしているチャールズの治世にどのような変化があるのか、今後も目が離せない。1日で読んでしまった。本当に面白い本だった。 -
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本書は「王権と議会」を中心に据えた通史であり、下巻では清教徒革命以後を扱う。社会経済文化といった点では「イギリス史10講」や「イギリス近現代史講義」といった新書の方が詳しく、面白い。そういう意味で物語系の著作の中では、教科書的とも言える。つまり読みやすい。
しかし、淡白ではない。「王権と議会」故に王族と政治家の個人的関係については詳細である。帝国の落日も面白い。また、各首相の思想の方向性やその当時の議会対立などが分かり易く議会政治の深化やあり方を考える上で示唆に富む一冊である。
首相官邸強化の道を辿る昨今、彼の国の歴史に学ぶことは多い。そして、文人チャーチルや読書家アトリーといった知識人宰相を生み出したイギリス議会政治を羨ましく思うとともに、若槻礼次郎を輩出したかつての帝国議会を懐かしみつつ、学者に侮蔑の言葉を投げかける現在の政治の貧困を悲しむのである。とはいえ彼の国でも暴力的な言論が幅を利かせつつあるようだが。