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Posted by ブクログ
神奈川県立外語短期大学准教授(イギリス政治外交史)の君塚直隆によるヴィクトリア女王の評伝
【構成】
第Ⅰ章 「暗黒時代」の女王即位
第Ⅱ章 戦う女王への変貌
第Ⅲ章 アルバートの死と王室の危機
第Ⅳ章 女王から「女帝」へ
第Ⅴ章 二大政党の確執と女王の憂鬱
第Ⅵ章 大英帝国の女王として
連合王国が海洋支配の拠点を広げ、大英帝国へと成長する「パクス・ブリタニカ」の19世紀はまさにヴィクトリア女王(生没1819-1901、在位1837-1901)の時代であった。ジョージ3世の四男の娘という王位継承からは程遠かったはずの少女が、次第に継承順位を上げて18歳の若さで玉座に座ることになった。この「長い19世紀」の大半を、妻として母として女王として君臨した彼女の生涯を追うのが本書である。
前半は王位継承から夫君アルバートとの結婚、そして死別までの話でハノーファー朝とザクセン、ベルギー、プロイセン等の他の大陸王室との血縁関係などがちりばめられており、宮廷の内側の話が中心である。
しかし、アルバートの死の前後から、内政・外交への関与を強めていく。女王は治世の初期においてはパーマストンのような強硬的な外交姿勢に否定的な立場をとっていたが、二大政党による議会政治が機能し始め、グラッドストン率いる自由党の党勢が強まると首相・外相と正面衝突してでも「大英帝国」の外交政策を推し進めようとするほど強い態度で臨むようになり、治世の後半期にはドイツの帝国宰相ビスマルクとともにヨーロッパの国際関係の最重要プレーヤーにまでになっていた。
本書は英国Foreign Officeなどの公文書はもちろん、ヴィクトリア女王、アルバート公の私文書も縦横に駆使しながら、ピール、パーマストン、ダービ、ディズレイリ、グラッドストン、ソールズベリなど政党政治確立期の名高い政治家たちと女王の関係を明らかにするとともに、激変する19世紀後半のヨーロッパ情勢にあって長期的にその舞台にのぼり続けた唯一人の外交家であるヴィクトリア女王の外交姿勢を通して、イギリス外交史を語るものである。
文章も読みやすく、十分楽しめる内容である。
Posted by ブクログ
幾多の植民地を擁し、”太陽のの沈まない帝国”と呼ばれた大英帝国。
その時代を経験した人は、様々な問題を抱えながらも、未来を信じる事が出来た良い時代であったと回想する事が多い。
その繁栄の絶頂にあったイギリスの統治者であったのが、ヴィクトリア女王である。
ヴィクトリア女王は、その生涯にわたって日記をつけていたそうだが、本書では、その日記からの抜粋が効果的に挿入され、その時々の女王の生の気持ちが知る事が出来て興味深かった。
18歳で即位してから国内、海外との難しい局面に立ち向かい次第に強く成長していく女王の姿が、当時の様々な情勢を分かりやすく説明しつつ描写されており、非常に良くできた好感が持てる本だと思う。
(その時々のイギリス首相とヴィクトリア女王の関係なども分かりやすく書かれており、とても参考になった)
Posted by ブクログ
君臨すれども統治せず。存在を許されたからか、まだ必要だと請われたからか。絶対の遥高みから引きずり下ろされた君主の役割とは何だったのか。ヴィクトリア女王の生涯を軸に、渦中のヨーロッパ情勢を概観する。
女王が即位した1837年から1901年のイギリスは、立憲君主制に始まり産業革命、自由民主主義、アイルランド飢饉、英領インド帝国の成立、アヘン戦争、義和団事件と国内外を問わない動乱の中にあったが、この大英帝国の拡張期にあって、女王は全く普通の人間だった。
右派と左派の政権の狭間で首相の任命に頭を悩まし、婿入り旦那に先立たれた悲しみから公務を長く放棄し、うだつの上がらない息子の扱いに困り公務から遠ざけ、思い通りにならない他国元首へのイラつきを外相にぶつける。
この時女王にできた仕事とは、勲章の授与、血縁外交、政権の支持、慰問・閲兵、各種式典など。それは国の趨勢を決める実行力の行使ではなく、せいぜいが他者の行動を促す程度の影響力であった。
しかし、弱腰外交に憤懣し、帝国拡張に歓喜し、敵国の戦争に一喜一憂するその姿は、大英帝国は女王の所有物ではなかったとしても、確かに女王は国と一体であった。
イギリスが、いや、大英帝国が最も躍進し、最も嫌われていた時代。その行動の責任が女王一人にに問われることはないが、女王もまた、国の一員であることには変わりない。
女王の人生の禍福は糾える縄の如しであったが、史上の人物の、いや、すべての人の、いや、国の善悪もまた、糾える縄の如し。歴史から学ぼうとするならば、両面を見ることを忘れてはならない。
Posted by ブクログ
大英帝国の黄金時代を象徴する女帝であるヴィクトリア。彼女は、18歳で女王に即位し、81歳で没するまで、実に63年にわたって、イギリスの君主に君臨し、のみならず実質的な統治者であり続けた。女王が特に辣腕をふるったのは、外交である。
戴冠当時のヨーロッパ世界は、ドイツ連邦内でオーストリアの地位が低下し、ウイーン体制そのものが危機に瀕していた。フランス、ロシアは、自国の領土拡大を虎視眈々と狙い、プロイセンは大国へ脱皮する機会を伺っていた。外交交渉は、常に自国の領土拡大を掛けた綱引きの場であった。
そんな中に18歳で放り込まれた女王は、はじめ政府の外交強硬策を批判する立場を取っていたが、いつしか植民地政策を強行に推し進める「戦う女王」に変貌することとなる。
80歳を超えてもなお精力的に公務をこなし続けたヴィクトリア女王の『人生を掛けた戦い』は、一読に値する。
Posted by ブクログ
以前から興味を持っていた人物。
大英帝国の栄光の時代に君主であった女性。
単なる象徴的存在だったのかと思ったらトンでもない、まさしく政治に大きく関与し、舵取りをした女性だと知った。
1901年の20世紀の幕開けの年に81歳で亡くなるまで、64年もの間英国女王であり続け、いまだにこの記録は破られていない。
世界が王政から共和制に変わる過渡期の時代に、古いと片付けるのは簡単だが、王政の良さは確実に存在し、それを見直すのは意味のあることだと思う。
彼女の場合、多くの子供や親戚がヨーロッパ各地に広がっており、「血縁を外交に使う」という手が使えたのが最大のメリット。
現代は政府の外務省が一手に外交を引き受けるが、こういう裏の手が使えることは外交の幅をとても広くしてくれる。
残念ながら、今はこういう手は使えない。
彼女が英国の外交に精力的に係わったというのは、間違いなく英国にとってプラスに働いただろう。
さらに自国のみの象徴ではなく、世界に広がった帝国の象徴として、女王という存在はとても統一するのに重要だった。
さて、今の我が国において、国の柱となる父親あるいは母親の存在はあるだろうか?
やはり天皇はその役割を果たせる唯一の人物だろう。
露骨に利用するのはマズイ。
逆に象徴だけにしておくのはモッタイナイ。
だからといって、天皇が政治に口出しするのもアブナイ。
だけれども、明治維新があれだけ成功したのは、明治天皇の存在抜きには考えられない。
次から次に交代する首相の顔を思い出しながら、この国に優れたリーダーが出現しない悲劇を思う。
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