君塚直隆のレビュー一覧
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ネタバレ【236冊目】「王座と王笏などという古代からの飾り物なんかやめにして、共和制にすべきである」という、有名な小説家H.G.ウェルズの引用から始まる本書。英国を中心に、現代でも存続している立憲君主制の国々を概観し、なぜ現代でも立憲君主制が生き残っているのかを筆者なりに解釈する。この年のサントリー学芸賞受賞作品。
筆者は英国(王室)史の研究者であることから、英国での君主制の成立・変遷の解説に本書の大半が割かれている。その際に重要な視座が「英国の歴史において、『王権』と『議会』、そして19世紀に登場する『国民』との間で、統治をめぐる権力と、その正統性の根拠となる源泉が、どのように移行していくかに注意」することとされている。
君主制と聞くと「絶対王政」をイメージする人も多いだろうが、絶対王政ですら「王権神授説」という正統性の根拠を必要とした。王は、ただ王であるというだけで王たり得るわけではない、という視座が必要だということを筆者は述べているのである。
そして、君主制の存立を正当化する根拠として、カール・レーベンシュタインの「君主制」で記された感情的な理由づけと理性的な理由づけを紹介する(本書112頁)。
◆感情的な理由づけ:(1)宗教的要素(2)国父説(3)正統性
◆理性的な理由づけ:(1)中立的権力としての君主制(2)国家の象徴的具現化としての君主制
筆者はこれを理論的な枠組みとして、欧州やアジアの現代の君主制も概観していく。
その他にアジアの君主制を分析する際の視座として、インドの政治学者スリーラム・チャウリアの5つの要素をあげている(本書218頁)。
(1)君主が軍隊からの忠誠を維持できている
(2)君主が宗教を基盤としたカリスマ性の頂点にある
(3)左派(反王政派)を押さえ込めるだけの強力な政治的中道派の存在
(4)国内の経済発展が見られる
(5)海外にその国の君主制を必要不可欠と考える強力な同盟者(国)がいる
その他にぼくの印象に残ったのは、君主は道徳的な存在であることを国民から期待されており、その期待に沿えなくなったときに国民からの支持を失って君主制は危機に陥るということである。イギリスでは、ダイアナ妃をめぐる一連の騒動が王室に危機をもたらした。
また、王室を持つことの実際的な効能として、政治家や大統領、外交官には持ち得ない「継続性」が強調されていたところにも説得力を感じた。
最後に我が国の天皇制を維持するための提言を筆者はいくつか行っている。女性天皇・女系天皇をめぐる皇室典範改正についての議論について僕自身の意見をここに書くことは控える。
ところで、筆者の「開かれた皇室」に疑問を投げかける姿勢には両手を挙げて賛成。英国の王室を見て強く実感するのは、現代の皇室はもっともっと「開かれ」ることができると思う。皇室グッズもカレンダーぐらいしかないし、宮内庁はインスタのアカウントすら持ってない。「君主制は高みに留まっていなければいなければならないときもあるのです。もし民衆のところに降りて行かれたら、神秘も影響力も失うことになるでしょう」(96頁)という主張にも一理あると思う。しかし、日本の皇室にはまだまだオープンになれる余地があるし、そうしなければ国民からの支持を維持するのは困難だと思う。まして、あの平成天皇の後の御世で国民の支持を維持するのは至難の業だろう。
「コモン・センス」を著したトマス・ペインは、王朝を築いた初代の王など「行動力のあるギャングの親分にすぎない」と喝破した。僕自身、同じようなことを考えた時期はある。しかし、国民からの支持を獲得し、歴史と正当性を帯びた立憲君主制には、たとえギャングの親分から出発したとしても、現代においてはそれを遥かに超える存在の重みがあるように思えるのである。 -
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本書は、21世紀の今日ではもはや「時代遅れ」と見なされることも多い、国王や女王が君臨する君主制という制度を、いまだに続けている国々の歴史と現状を検討して、「立憲君主制」が民主主義の欠点を補完するメカニズムを解き明かし、現代の日本の天皇制への示唆について考察している。特に、著者の専門とも関わって、イギリスの立憲君主制の形成過程及びその意義について丁寧に繙かれている。
本書は、我が国の象徴天皇制の行方をはじめ、現代の(立憲)君主制について考える上で必読といえる良書であると感じた。特に、共和制にはない立憲君主制の良さとして、連続性及び継続性があるということを再認識した。 -
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幾多の植民地を擁し、”太陽のの沈まない帝国”と呼ばれた大英帝国。
その時代を経験した人は、様々な問題を抱えながらも、未来を信じる事が出来た良い時代であったと回想する事が多い。
その繁栄の絶頂にあったイギリスの統治者であったのが、ヴィクトリア女王である。
ヴィクトリア女王は、その生涯にわたって日記をつけていたそうだが、本書では、その日記からの抜粋が効果的に挿入され、その時々の女王の生の気持ちが知る事が出来て興味深かった。
18歳で即位してから国内、海外との難しい局面に立ち向かい次第に強く成長していく女王の姿が、当時の様々な情勢を分かりやすく説明しつつ描写されており、非常に良くできた好感が持てる本だと思う。
(その時々のイギリス首相とヴィクトリア女王の関係なども分かりやすく書かれており、とても参考になった) -
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君臨すれども統治せず。存在を許されたからか、まだ必要だと請われたからか。絶対の遥高みから引きずり下ろされた君主の役割とは何だったのか。ヴィクトリア女王の生涯を軸に、渦中のヨーロッパ情勢を概観する。
女王が即位した1837年から1901年のイギリスは、立憲君主制に始まり産業革命、自由民主主義、アイルランド飢饉、英領インド帝国の成立、アヘン戦争、義和団事件と国内外を問わない動乱の中にあったが、この大英帝国の拡張期にあって、女王は全く普通の人間だった。
右派と左派の政権の狭間で首相の任命に頭を悩まし、婿入り旦那に先立たれた悲しみから公務を長く放棄し、うだつの上がらない息子の扱いに困り公務から遠ざけ、思い通りにならない他国元首へのイラつきを外相にぶつける。
この時女王にできた仕事とは、勲章の授与、血縁外交、政権の支持、慰問・閲兵、各種式典など。それは国の趨勢を決める実行力の行使ではなく、せいぜいが他者の行動を促す程度の影響力であった。
しかし、弱腰外交に憤懣し、帝国拡張に歓喜し、敵国の戦争に一喜一憂するその姿は、大英帝国は女王の所有物ではなかったとしても、確かに女王は国と一体であった。
イギリスが、いや、大英帝国が最も躍進し、最も嫌われていた時代。その行動の責任が女王一人にに問われることはないが、女王もまた、国の一員であることには変わりない。
女王の人生の禍福は糾える縄の如しであったが、史上の人物の、いや、すべての人の、いや、国の善悪もまた、糾える縄の如し。歴史から学ぼうとするならば、両面を見ることを忘れてはならない。 -
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17世紀の清教徒革命から、2つの世界大戦を通じて、現代までのイギリスの歴史が語られています。物語として書かれていますので、イギリスに視点が固定されており、全世界の歴史と並行しての見方はできませんが、イギリスという国がどのようにして出来上がったのかを知ることができます。イギリスには、各時代に主人公がいるのですが、それが代々の国王だというところ。国王と議会が協力しあって政治が動かされているということがよくわかりました。ヨーロッパの中でも、そういう意味で特殊さがあり、それに誇りも持った国民性が伺えまして、この国にとても興味を持つことができました。
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イギリスの歴史について、古代からテューダー朝のエリザベス1世に至るまで、物語として時系列に把握できるように書かれています。イギリスに元々いた民族と移住してきたアングロサクソン、グレートブリテンという一つの島ではなく、フランスの北部やアイルランド、スコットランドとの、領土の争いや駆け引きがあり、それにどのように対応して今のイギリスが出来上がってきたのか、とても面白く理解することができました。イギリス議会がどのように出来上がってきたのかについても丁寧に理解することができました。
無能な王や、問題のある王、その危機がうまいこと有能な王によって乗り越えられる。国内は内乱や簒奪があり平穏ではないのですが、そのような危機の中で諸外国に滅ぼされるようなことがなかったのは奇跡的とも思えました。歴代の王たちが、婚姻関係を重要視し、そのおかげで周辺にも血縁関係を作っていたからだと思います。その極めつきとして、この上巻最終に出てくるエリザベス1世の治世には、ただ感動しました。 -
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大英帝国の黄金時代を象徴する女帝であるヴィクトリア。彼女は、18歳で女王に即位し、81歳で没するまで、実に63年にわたって、イギリスの君主に君臨し、のみならず実質的な統治者であり続けた。女王が特に辣腕をふるったのは、外交である。
戴冠当時のヨーロッパ世界は、ドイツ連邦内でオーストリアの地位が低下し、ウイーン体制そのものが危機に瀕していた。フランス、ロシアは、自国の領土拡大を虎視眈々と狙い、プロイセンは大国へ脱皮する機会を伺っていた。外交交渉は、常に自国の領土拡大を掛けた綱引きの場であった。
そんな中に18歳で放り込まれた女王は、はじめ政府の外交強硬策を批判する立場を取っていたが、いつしか植民地政策を強行に推し進める「戦う女王」に変貌することとなる。
80歳を超えてもなお精力的に公務をこなし続けたヴィクトリア女王の『人生を掛けた戦い』は、一読に値する。 -
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以前から興味を持っていた人物。
大英帝国の栄光の時代に君主であった女性。
単なる象徴的存在だったのかと思ったらトンでもない、まさしく政治に大きく関与し、舵取りをした女性だと知った。
1901年の20世紀の幕開けの年に81歳で亡くなるまで、64年もの間英国女王であり続け、いまだにこの記録は破られていない。
世界が王政から共和制に変わる過渡期の時代に、古いと片付けるのは簡単だが、王政の良さは確実に存在し、それを見直すのは意味のあることだと思う。
彼女の場合、多くの子供や親戚がヨーロッパ各地に広がっており、「血縁を外交に使う」という手が使えたのが最大のメリット。
現代は政府の外務省が一手に外交を引き受けるが、こういう裏の手が使えることは外交の幅をとても広くしてくれる。
残念ながら、今はこういう手は使えない。
彼女が英国の外交に精力的に係わったというのは、間違いなく英国にとってプラスに働いただろう。
さらに自国のみの象徴ではなく、世界に広がった帝国の象徴として、女王という存在はとても統一するのに重要だった。
さて、今の我が国において、国の柱となる父親あるいは母親の存在はあるだろうか?
やはり天皇はその役割を果たせる唯一の人物だろう。
露骨に利用するのはマズイ。
逆に象徴だけにしておくのはモッタイナイ。
だからといって、天皇が政治に口出しするのもアブナイ。
だけれども、明治維新があれだけ成功したのは、明治天皇の存在抜きには考えられない。
次から次に交代する首相の顔を思い出しながら、この国に優れたリーダーが出現しない悲劇を思う。 -
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19世紀イギリスの繁栄期に64年近くも女王の座にあったヴィクトリア。
「君臨すれども統治せず」という言葉もあったため、政治にはあまり口を出さなかったような印象があるが、実際はそうでもなく、かなり熱心だったという実像を紹介。
女性であり、若くして即位、9人の子だくさんで家庭的なイメージといったあたりから、実際よりも政治的でないと思われている。
王家の跡継ぎがいなくなりそうだった時期の問題から始まり、結婚出産ラッシュ。
しかし早世した子もあって、四男の娘ヴィクトリアしか跡継ぎはいない事態に。
ヴィクトリア自身は伯父にあたる王に気に入られていたが、母親ケント公妃がドイツ人だったために王に信頼されていなかったいきさつも。
首相や大臣達との対立や交流ぶりが具体的に。
メルバーン首相を師と仰いで信頼したが、政権交代で身近な女官も取り替えなければならなくなって、当初はこれを拒否したために揉める。メルバーンは妻子を亡くした後で、父娘のようだったらしい。
ディズレーリやグラッドストン、名前は覚えていたけど、詳しいことはすっかり忘れていたので、また印象が変わりました。
自由主義のグラッドストンとは仲が悪く、ヨーロッパのもめ事に不干渉な態度を無責任と感じたらしい。世間にも不評となって辞めたがまた復帰、長年勤め上げて辞めたときにも冷たい態度だったとか。
女王が拡張政策に熱心だったという一面も。
長女のヴィクトリアがドイツ皇太子を結婚し(後の皇帝フリードリヒ3世)と結婚したため、ドイツとも縁が深かった。
ビスマルクを嫌っていたが、対面したときに互いに印象が変わったという。
ロシアのことはかなり警戒していて、ロシアが帝国であるために、一つランクが低い「女王」というだけでなく張り合える「インド女帝」の称号を望んでいたとも。
(1872年に女帝の称号を得る)
子どもや孫が各国の王家と縁を結んだので、ヨーロッパ一のゴッドマザーになってゆく。
1861年、42歳の時に最愛の夫アルバート公が亡くなってしまう。
その後は、生涯喪服で通したため、政治に関心を失ったと思われてもいる。
実際に10年ほどは国民の前に姿を現さなくなったのだが、離宮で静養していても書類は持ってこさせ、政務には関わっていた。そして、10年ほどだってからは、やはり国民の前に出なければと思うようになったらしい。
黒い服で通したが、子どもの結婚の時には白いベールを付け、在位50年の時には黒いドレスに銀の刺しゅう、60年の時には金の刺しゅうをしたとか。
長男で跡継ぎのバーティには失望していて、30になっても何も実権を与えなかったのは失策だったと批判的に書かれています。
確かにバーティは大学を中退してしまった遊び人ではあったんですね。
自身が喪に服している時期には、バーティに何かさせた方が良かったかもねえ。
1893年には、ロシアの皇太子ニコライ二世がロンドンを訪問。
バーティの次男ジョージ(後のジョージ5世)の結婚式に出るためだった。ニコライとジョージは母親同士がデンマーク王女で姉妹という従兄弟で、そっくりだったという。
翌1894年には、皇帝になったニコライ2世と、女王の孫娘のアリックスが結婚。
後にロシア革命で倒された一家ですね。皇帝の方が格が上なため、結婚式はロシアで行われた。
結婚相手が公国の出だったりすれば、結婚式はイギリスで、ということになる。
面白かったです。
女王は、1901年1月に81歳で死去。
世紀の葬列を夏目漱石が目撃したとか。ちょうど留学していて、下宿の主人の肩に乗ったんだとか。
2007年発行。 -
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最盛期の大英帝国に君臨した女王の評伝。在位は63年を超え,昭和天皇よりちょっと長い。最近読んだ清盛本よりずっと面白かったのは,著者の筆力が大。あと,時代が近代だからかな。近代好きなので。
ほぼ時系列に沿って,女王中心の描写が続くのだが,結構な分量があって,「長い18世紀」がウィーン会議で終わった後,19世紀末までのヨーロッパの歴史も概観できる。序盤と終盤,若き女王と老成した女王のあたりがとても読ませる内容だった。中盤は議会政治との確執が描かれ少しとっつきにくい。
イギリス王室の王位継承は,男子優先の長子相続制が基本。王子がいない場合,王女が年齢順で王位を継承する。子がいなければ傍系へ。これは16世紀以来の伝統で,実際に何人もの女王が出ているのはよく知られたとおり。ヴィクトリアの父は,ジョージ三世の四男。王位が回ってくることはなさそうだったが,将来女王になるはずだった長兄(王太子)の娘シャーロットが最初の出産で子とともに死亡,他の兄にも子がないか早世していたため,話は変わってくる。父と祖父(ジョージ三世)の死によって,ヴィクトリアは生まれてまもなく,継承順位第二位に踊り出ることに。小さいうちから女王になるための帝王教育が始まる。
伯父の死により18歳で即位。翌年の即位式での女王の立ち居振る舞いは驚くほど堂々としていたという。ややリップサービスかも知れない。はじめはやはり経験浅く,首相メルバーンに頼り切ってしまうところもあった。好みの宮廷人事を押し通して政権交代を妨害してしまう事件も(寝室女官事件)。
その後は次第に女王も成長してゆく。20歳で母方従弟のアルバートと結婚。以後17年で9人の子をなす。16人のマリアテレジアには負けるがすごい。これで宮廷外交も有利になって,晩年には各国の君主に親戚が大勢。ドイツのヴィルヘルム二世は孫(初孫)だし,ロシアのニコライ二世は孫の夫。
長い在位の間には様々なことがあった。クリミア戦争,第二次アヘン戦争,セポイの乱,アフガン戦争,ボーア戦争。内政ではアイルランド問題や,保守党と自由党の二大政党制の確立。「君臨すれども統治せず」とは言うが,女王はかなり積極的に政治にかかわっている。1848年の仏二月革命,独三月革命の余波が尾を引き,君主制廃止の主張が高まる共和制危機も経験した。選挙権の拡大に起因してジャーナリズムを意識しなくてはならなくなっていく。国民の目に見える形で女王の存在意義を示さなくてはならない。
パーマストン,グラッドストン等,歴代首相との確執,息子の出来にやきもきしたり,ビスマルクに敵意を抱いたり。結構感情がはっきりしている印象を受ける。やはり我が国の天皇とはイメージが違うな。政治にかかわり書簡もいっぱいのこってるからいろいろわかるんだろうか。即位50周年,60周年のお祝いは,各国から人を招いて盛大に。金婚式,ダイヤモンド婚式の名前はこれに由来するのかも。即位50周年記念式典,60周年記念式典は,それぞれ「Golden Jubilee」,「Diamond Jubilee」というらしい。エリザベス二世のDiamond Jubileeは来年だそうだ。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
植民地を世界各地に築き、「太陽の沈まない帝国」と呼ばれた19世紀イギリス。
18歳で即位し、この繁栄期に64年間王位にあったのがヴィクトリアである。
後に「君臨すれども統治せず」の確立期と言われ、女王の役割は小さいとされたが、実態は違う。
自らの四男五女で欧州各王室と血縁を深めた女王は、独自外交を繰り広げ、しばしば時の政権と対立した。
本書は、全盛期の大英帝国で、意思を持って戦い続けた女王の実像を描く。
[ 目次 ]
第1章 「暗黒の時代」の女王即位
第2章 戦う女王への変貌
第3章 アルバートの死と王室の危機
第4章 女王から「女帝」へ
第5章 二大政党の確執と女王の憂鬱
第6章 大英帝国の女王として
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