吉村萬壱のレビュー一覧
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最終章はまるで鈍器で頭を殴られたような衝撃があった。全編を通して作中にずっと漂っていた不気味さ、海塚市の気味の悪さがこの最終章で一気に昇華されている。見事な結末。
こんなに最後の一行で打ちのめされた小説は他に記憶にない。
主人公の小学五年生の恭子の目を通して描かれた海塚市民の姿がとにかく不気味。得体の知れない悍ましさが漂っている。大人の欺瞞に疑問を持ち斜に構えてしまう子供ならではの感性の裏に、「本当にこの街の人々はどこかおかしい」と思わせる確かな淡々とした描写。直接的なビッグブラザーが存在しない、よりグロテスクな日本的管理社会。“世間”という言葉の持つ異様性、異常性。
出版時期から間違いなくあの災害を念頭に置いて書かれたことは察せられるがその深奥にある日本社会の薄暗さの描写は他に類するところがない。
同調するか、抵抗するか。狂うか、狂わないか。普通や一般という名の異常な正常者。正気なのは、間違っているのはどちらなのか、次第に分からなくなる。これは一種のサイコホラー作品だ。 -
Posted by ブクログ
読書開始日:2022年2月6日
読書終了日:2022年2月7日
所感
最悪の読後。
引力がすごい。
ずっと気持ち悪いところに強制されているよう。
いつもの日々をこれほど愛おしく感じたのは久々かもしれない。
はやく日常を営みたい。
清潔で正常な愛情の中にいたい。
水面に出て呼吸をしたい。
そう感じる。
堕ちることをこれほどまでにリアルに書いた作品を読んだのは初めて。
この一文が一番怖かった。
決して終わることがないだろうと思えるような、さめざめときた泣き方だった
すでにサチコの顔が思い出せなかった
それがどんな毒であっても、ちょっとだけ舐めてみたい
飢え、かつえ
闖入者
われわれはその「はい」にすがりつくように立ち上がった
剔れて
瓜実顔
うつろきまわる
寝ているサチコまで生ゴミのように見える
みなさん大変でんな
日記にそう書いたが、書かれた文字が気に入らなかった、
いかに不完全に見えたとしても、この女は既にこれで完成体らしい
そういうの…嫌なの
その深刻ぶった真面目な顔に不潔なものを感じた
こういう小説に限って親に会いたくなる
決して終わることがないだろうと思えるような、さめざめときた泣き方だった
これに追いつかれてはならないと思った
これに追いつかれてはならないと思った
私はこの女が私をサディズム男と断定し、ホテルでの事も巧妙にじぶんの中に取り込んでいる
暗い方は暗い方へと闇雲に走った -
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あなたは10年前に戻れるなら、戻りたいと思いますか? わたしは戻りたくないです。過去を変えることは未来を変えることに繋がるから、この作品を読んで改めてそう感じました。この作品はいわゆるタイムリープがテーマになった作品で、主人公の専業作家江川が、夫婦生活といい作品が書けない、いわゆるスランプに陥って、過去に戻りたいと思う所から始まります。タイムリープを繰り返すうちにある事に気付く江川の心情を読んでいったら悲しくなりました。でも読み応えが良く文章のテンポもよくて、読んでみて良かったと思いました。ぜひタイムリープに興味がある方読んでみてください。
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ネタバレ正直、これは愛の話なのか?と疑問が残った。
うーーーーーん。
前半は主人公にとって愛=色欲っていう感じ
でも後半は奈緒美への愛があったかな
何かを吹っ切った感じがした
主人公がひたすら利己的なのが目についた
自分が周りに及ぼす影響も考えず悪臭を放ち
周りに罵詈雑言を吐き
敦子を、奈緒美を、鑑賞物として見做している
奈緒美が死ねば自殺すると言いながら、
原稿のことばかり考えている
でも人間は、食べて排泄して生きていく生き物
奈緒美は巨大になっていくため
主人公は生活を営むために
そう考えると…仕方ないかなぁ
奈緒美を介護するのは二人が共に生きるためなのだとすればそれは愛だな。うん。
最後のシーンは切ない…
でも私は早く奈緒美に死んで欲しかった、読むのがしんどくて笑 -
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「クチュクチュバーン」「国営巨大浴場の午後」「人間離れ」の三作を収録しています。
「クチュクチュバーン」は、人びとが異形へとすがたを変えていく世界のなかで、生きる意味を求めるなどということがまったくうしなわれてしまった状況をえがいています。他の二作も同様の趣向で、「国営巨大浴場の午後」ではナッパン星人の襲来以後の世界がえがかれ、「人間離れ」は緑と藍色の奇妙な生物が人間たちを襲うなかで「人間離れ」を試みて助かろうとする人びとがおこなう「直腸出し」などの奇妙なふるまいをえがいています。
「解説」を担当している椹木野衣は、「クチュクチュバーン」に登場するシマウマ男が体現している「見る」ことを、本作の重要なモティーフとしてとりあげています。こうした見かたに悪乗りしていえば、世界がその法則性を崩壊させてしまったなかで、なんらかの理論的背景にもとづいておこなわれるはずの「見る」ことが、もはや実践的なふるまいと見分けがつかなくなってしまうような臨界点を示しているところに、本作のひとつの読みかたを見いだすこともできるのではないかと思います。 -
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ネタバレアニオタにとってループものは特別な意味合いを持つ。
さらにまた、ボクとキミの関係が世界全体へというセカイ系も。
そのふたつに、そのナイーブさや作法を(おそらく)あまり知らない吉村氏が蛮勇を振るって参入してきた、というものだ。
岩井俊二が「打ち上げ花火、上から見るか? 下から見るか?」でアニメに関わってきたときには、結構複雑に感じたが、さすがに吉村氏の参入に対して目くじら立てるほど餓鬼ではない。
中華料理屋の床に落ちていた錠剤7粒という、それありきの設定を、本気参入なら、根拠不明瞭と批判するだろう。
が、本作はあくまで思考実験なのだろうて。
たぶん作者も、たとえば「シュタインズ・ゲート」を勉強することなく、ご自身のオブセッションに忠実に書き切った作品なのだろう。
この解離をあげつらうことは簡単だが、どちらも好きな身としては、吉村氏の蛮勇=気軽さを買いたい。
この人の作品で輝くのは、設定ではなく細部のモノやコトだ。
たとえば、醤油のミニボトルとか、尿瓶とか、ミニカとか、が独特な底辺感→(金子光晴の所謂)「むさい」感じ→切なさ、につながっていく。
いいんだなー。悪くないなー。まあ結構好きだなー。
あのときああしていたら、とか、いまはこうだけど別の人生もありえた、というモチベーションを想像の糧にしている作家は少なくないはず、というか多いはず。
村上春樹なんかは、その欲望をいったん抑圧した上で自分をもだます作法をスタイルにして、自己神話化の繰り言を続けているともいえる。
そこにエロゲだかアニメだかから突っ込んだのがkeyとか「AIR」とかだと思うが、そういった構図そのものを、自分の生活に近づけて考え直したのが本作、と……。
まあ、そこまで作者自身は考えていなさそうだけれど。 -
Posted by ブクログ
裏表紙の紹介文「淫靡な芳香を放つ狂気」は伊達ではなく、結構強烈な描写が多くて耐性がないとまともに読めないであろう本。というか多分まともに読めてない。
どいつもこいつも考え(思い込み?)が極端で、その極端な考えが、例えば不浄なものに聖性を見出したりするのでわからない。汚くてもいいじゃん、ならまだ分かるのだが、汚いものを貴ぶのは何だかよくわからない。「絶対にあり得ない」(p.154)。
それでも、当の本人からすればそれが正常なわけで、その切実さを前にどうすればよいのかもさっぱり分からない。人は人、自分は自分ではあるけど、活動の幅が重なってきたらそんな正論を言っている場合ではない。この小説に出てきた「常識人」と同じく、彼らを隅に追いやるしかない。
常識を疑ったところで、得るものよりも失うものの方がずっと多いと思ってしまう。「常識を疑う」という言葉にむなしい響きを感じてしまうのは、それが理由なんじゃないかな。齢を重ねるごとに、どんどん私は臆病になってゆく。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私は一体何を読んだのか…不思議な気持ち。
旦那さん、自分の不倫に対する罪滅ぼしの為に奥さんを介護していくのだ…と思いきや、人間とは呼べない姿になっていっても、それでも献身的に介護をする。
世間的には、周りの反応の方が普通なんでしょうが、そっとしといてあげて…とイライラした。
奥さんの気持ちはどうだったんだろう…不倫に対する罰で、介護させることで自分に付きっきりになってくれるので良い気味だと思っていたのか…それとも申し訳ないと思っていたのか…。身体の巨大化の原因が、前者だとしたら恐ろしい…。でも旦那さんの理想になりたかっただけなんだな、と最後に分かるのでまぁまぁスッキリ。