あらすじ
日本中を震撼させた傑作がついに文庫化!
B県海塚市は、過去の厄災から蘇りつつある復興の町。
皆が心を一つに強く結び合って「海塚讃歌」を歌い、新鮮な地元の魚や野菜を食べ、
港の清掃活動に励み、同級生が次々と死んでいく――。
集団心理の歪み、蔓延る同調圧力の不穏さを、少女の回想でつづり、
読む者を震撼させたディストピア小説の傑作。
(解説・いとうせいこう)
「誰も触れたがらないきわどいポイントを錐で揉みこむように突いてみせた、とびきりスキャンダラスな作品」(松浦寿輝)
「この作品に描かれた社会が、近未来の日本に現れないことを願っている」(佐藤優)
「世界をありのままに感じることがいかに困難であるかを描きだした魂の小説」(若松英輔)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
災害から復興したした海塚市に暮らすクラスで浮いた存在の少女。他人の目や娘の行動に過敏に反応する母。しかし本当に異常なのはクラスメイトが次々と死んでいき、復興の名の下に同調圧力が蔓延する海塚市だということに読者は気付かされていく。デイストピア小説の傑作。
Posted by ブクログ
なんて怖い小説なんだ。
読み終わったあと、背筋がゾッとした。
冒頭から、薄々と漂う不穏な空気。
何かおぞましいものをみんなが見ないふりをしていることだけがわかるけど、それが何かはわからない。
淡々と子供が死んでいく。
最後の章で、これまでの点々とした違和感が線になる。
どうして、浩子ちゃんは似顔絵を見て首を絞めるほど怒ったのか。
どうして、赤ちゃんを見つめることが咎められることになるのか。
どうして、肉や魚をわざわざ買って捨てるのか。
どうして、緊張するとTシャツが濡れるのか…
どうして、うーちゃんは後ろ足で立って体当たりで餌を欲しがるのか…
主人公が淡く心を寄せていた川西さんが、20年もの投獄に引き渡した人物だというのがまた、辛い。容赦ない…
一見のどかな日本の村社会だが、起こっていることは侍女の物語や1984などのおそろしい世界と変わらない。
この人の他の本も読んでみたい。
あぁ、おそろしかった…
Posted by ブクログ
主人公・恭子の回想で物語が進みます。小学5年生の頃の様子を語っています。
恭子の住むB県海塚市は過去に何らかの災害があり、住民は数年間避難生活を強いられていたらしい。復興が進みやっと故郷に戻ってこられたからか、住民たちの海塚市への想いや住民同士の結びつきは極端な程強い。
冒頭からずっと何かがおかしくて、母親とのやり取りや学校での様子もずっとひっかかる。
だんだんこの海塚という町の異様さや、何らかの病気が蔓延している雰囲気が感じられてきます。
結局、誰が正しくて誰が間違ってるのか、具体的に何が起こったのかは想像するしかないのですが、所々で「絆」「放射能」を連想してしまう…ずっと怖い話でした。
読み終わると母親の印象が変わるのも驚き。
Posted by ブクログ
怖い。逃げる場所があるようでないのが本当に怖かった。同調圧力を感じずに過ごしたら、気持ちの良い達成感とかあるんだろう。それに乗っかって生きていけたら幸せに死ねるのかもと思う。でも本当に怖い話。
Posted by ブクログ
これは本当に怖かった。
ちょうど震災の数年後くらいに読んだのもあって、排他的な街の雰囲気や、異物を良しとしない不穏な感じが常にまとわりついてくる感じ。
大人になった今、もう一回読んでみたい。
Posted by ブクログ
ーー本当に病気なのはあなた方の方です。せいぜいそうやって、どこまでも仮想現実を生きていけばいいんだ。(p.182)
世界が狂う時、正気でいることは、狂気に囚われていることと見做される。
使い古されたモチーフかもしれないけれど、震災後の風景を念頭に読むと、また違った響きを帯びてくる。
村田沙耶香さんの『消滅世界』や、今村夏子さんの『こちら、あみ子』に通じる読後感だった。
Posted by ブクログ
三角をみて、みんなが丸というとだんだん丸になっていく、と書かれていた言葉が印象的。
同調とか洗脳って自分の考えがなく生きていけるから楽だし、周りからの圧力を感じず生きていけるので、
ある意味究極の幸せなのかもしれない。
まぁ気づいた時の喪失感とか虚無感がすごいだろうから、そうはなりたくない。
だけど実は自分も今同調している状態なのかもなぁ…
と思える怖さがあった
Posted by ブクログ
主人公の少女時代の回想として語られる海辺の復興の町。統制された町。幻想のディストピア。病気なのはどちらなのか?狂っているのは誰なのか?苦しくってぎゅうぎゅうする。薄気味悪くってぞわぞわする。どう生きるのが正しくって、どう生きるのが幸せなのか?エンディングも読後感も悪い。作者の術中に嵌っている。
Posted by ブクログ
不愉快な感覚が読んでいる間ずっと続いていた。
小説内では全てが明らかにされないが、それもまたリアル。
自分の見ている世界はある意味簡単に変わりうるし、宗教のように思考を委ねることは楽なんだろうな。
海塚町の閉塞感は昔ながらの共同体の閉塞感というより、なかったことにしよう・自分たちは素晴らしいという新しい未来に向けての同調であり、リアリティを感じた。
Posted by ブクログ
不穏な描写が続き、なんとも言えない不気味な展開が続く。ディストピア小説として下手なSFじゃなく、震災後の延長上に存在しそうな世界観だったのは良かった。
多和田葉子の『献灯使』という同じく震災後のディストピア小説も読むと、文学界にも東日本大震災や原発事故が多大な影響を与えていることに気づく。
Posted by ブクログ
ここはB県海塚。新鮮な魚や野菜が手に入るこの町で、町民は心を一つに支え合いながら生活し、子ども達は自主性を重んじる学校に通いのびのびと育つ。同級生の急死が若干多い点はさて置き、理想的な共同体から外れまいと必死に努力する主人公の少女だがー。モダンディストピア小説と聞き、真っ先に手に取った本作。ポスト3.11の日本を痛烈に揶揄した、薄いながらもインパクト大の一冊でした。最初から最後まで不穏な空気満載で、先が気になり気になりページを繰る手が止まらない。明らかに子どもがナレーションしている分、『向日葵の咲かない夏』のような「信頼できない語り手」のトリックには引っ掛からないぞ~!と構えていたものの、ラストの主人公の卓見が伺える独白には衝撃を受けた。特に一番最後の台詞が良い~。同調圧力に極端に弱いと言われる日本人だからこそ書けた作品だし、日本人だからこそ読むべき作品だと思う。因みに母に勧めたら「結局なんだかよう分からんかった」と一蹴されました。
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回想録のように少女の視点で語られていくため、随所で何が起こっているのか不明瞭ですが、舞台となる海塚市の強いディストピア感が描かれていきます。最後は圧巻でした。
Posted by ブクログ
多和田葉子先生の『献灯使』と同じで、震災後の日本を彷彿とさせるような舞台設定。
明確に「ここが怖い」みたいなポイントがあるわけではないけど、最初からうっすらと漂う不気味な雰囲気が漂っていた。
こういう寓話ぽさがある文体、話の進み方をする物語は得意ではなくて読むのに少し時間がかかることが多かったけれど、終盤どんどん不穏さが増していく物語にページをめくる手が止まらなかった。
ディストピア小説だけどリアリティもあり、描かれている世界が全然大袈裟にも思えなかった。こういう大きな災害などで大人数が同じ感情を共有するような出来事があった時、「団結」を全面に打ち出されると弱さを出すのが難しくなったり、逆にお通夜ムードだから楽しい様子を見せることがNGな空気になってしまう、みたいなことは結構ありそうだし、多感な年齢の子どもたちにはこのへんのケアも必要だと思う。
アメリカは「ポジティブ」の同調圧力がある、という話を思い出した。
Posted by ブクログ
著者は芥川賞作家の吉村萬壱さん。震災から復興した町の物語、ディストピア小説等の触れ込みがあり、怖いもの見たさで手にしました。
物語は、主人公の恭子が小5の頃を回想する形で始まります。舞台はB県海塚市。長い避難生活から戻ってきた人々は、〝結び合い〟で繋がった人たちです。
ところが、何ということでしょう! 少しずつ不穏な様子が描かれていきます。同級生がぽろぽろ死に、葬儀や学校での授業での異様な光景、海塚讃歌、食の安心・安全の同調圧力等々、不穏を通り越して、宗教がかった怖さと危うさを感じます。盲信する人にとっては理想郷、外から見たら暗黒社会です。
因みに、「ボラード」とは、船を繋ぎとめる太い鉄柱で、道路の車止めとしても設置される物とのこと。恭子はどちらの世界に繋ぎ止められるのでしょうか‥?
福島第一原発事故で帰宅困難を強いられている方がいまだにいる中、放射能とその後、被災地の未来と重ねて考えさせられました。
何が正しく、何が真実なのかが曖昧な世の中ですが、簡単に集団心理に巻き込まれずに、違和感をもてる人でありたいし、行政が愚かな方向に進まないことを願うばかりです。
Posted by ブクログ
最終章はまるで鈍器で頭を殴られたような衝撃があった。全編を通して作中にずっと漂っていた不気味さ、海塚市の気味の悪さがこの最終章で一気に昇華されている。見事な結末。
こんなに最後の一行で打ちのめされた小説は他に記憶にない。
主人公の小学五年生の恭子の目を通して描かれた海塚市民の姿がとにかく不気味。得体の知れない悍ましさが漂っている。大人の欺瞞に疑問を持ち斜に構えてしまう子供ならではの感性の裏に、「本当にこの街の人々はどこかおかしい」と思わせる確かな淡々とした描写。直接的なビッグブラザーが存在しない、よりグロテスクな日本的管理社会。“世間”という言葉の持つ異様性、異常性。
出版時期から間違いなくあの災害を念頭に置いて書かれたことは察せられるがその深奥にある日本社会の薄暗さの描写は他に類するところがない。
同調するか、抵抗するか。狂うか、狂わないか。普通や一般という名の異常な正常者。正気なのは、間違っているのはどちらなのか、次第に分からなくなる。これは一種のサイコホラー作品だ。
Posted by ブクログ
なんとも言えない不快感と、気持ち悪さを感じた。
もしやこれが作者の伝えたかった事なのか?と思うくらい、意図的な気持ち悪さ。
何が正常で何が異常か判断できなくなるような感じでした。
Posted by ブクログ
とても気味の悪い小説でしたが、面白かったです。
右へ倣えのように皆が同じ方向を向いて、そのことが素晴らしくて、それに同調しない人は病気だと排除する…なんて怖いことなんだろうと思いました。
人がぽろぽろ亡くなっていくところがまだ復興の最中のようですが、こんな歪な世界で、本当に復興しているのだろうか…と読んでいると、最終話でドキッとしました。どちらが病気なのか。
時代に流れる空気感は、なんだか怖いなぁと思ってしまいます。
何故か、村田沙耶香さんの小説と似たものを感じました。
Posted by ブクログ
いったいこれは何なのか。裏表紙を読めば、被災して蘇りつつある復興の町で暮らす少女の回想であることがわかりますが、それを読まなければ中盤までそんな町の話だということはわかりません。
話し手は三十代の女性で、小学生の頃を思い出して綴っているみたい。彼女の家庭はものすごく貧乏で、着ているものが臭うほど。だけど彼女が暮らす町ではたいていの人が貧乏だから、臭いからといじめられるわけではない。むしろ同級生と「臭いよ」と笑い合えるぐらい。母親はいつもピリピリしていて、自分の何が母親を怒らせているのだかわからない。そんななか、同級生が立て続けに死ぬ。新鮮だと謳われている地元の魚や野菜を食べて。
終始不穏な空気がつきまとい、なんだか不快になる描写も多く、読んでいて気分のいいものではありません。なのに惹きつけられてしまいます。
中盤になってようやく、この町全体がおかしいことに気づかされます。復興に向かって一見前向き、だけどみんなと同じように行動することで安堵している。個性を発揮すれば病気とみなされる町。これはもうホラーだと思いました。
著者はあちこちの学校で教員を務めていたとのこと。こんな不気味な作品を書く人の授業はさぞかしおもしろかろうと興味が沸きます。その反面、ちょっと怖かったりもして。
Posted by ブクログ
病的なほどに娘の態度と世間の目を気にしながら家に閉じこもっている母と、「頭の中の虫」を飼っているという娘の恭子。不気味な語り手の声に導かれて物語をたどるうちに、読み手はやがて、異常であるのは母娘なのではなく、彼らが生きている「海塚」という町の方であることに気がついていく。
教師や親たちが熱く称揚する「ふるさと」への愛と、人々の「強い結び付き」。命の大切さ。海塚の食べ物の安全と美味しさ。大人たちがかつてこの町を集団避難しなければならなかったこと。帰還の後に生まれた子どもたちが次々と死んでいっていること。町民たちの高揚した一心同体の背後には、どうやら陰惨な暴力があるらしいこと。
「解説」でいとうせいこうが書くように、これは寓話などではなく、小説という名の現実である。まさに。
しかしこの現実はあまりにも見覚えがありすぎて、私たちを遠くへ――少なくともこの狂気じみた現実をその外部から見ることができるほど遠くへ、連れて行ってくれないことも事実なのであった。現実がこれほどディストピアに接近してしまったとき、小説には、より遠くへと飛躍する力を求めたくなるのである。