福永武彦のレビュー一覧

  • 忘却の河

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    『草の花』『海市』につづいて福永先生の作品を読むのは三冊目。
    連作短編集で、父の語りに始まり娘二人、娘の知り合い、妻など家族それぞれの立場からそれぞれの悩みを描き、ラストはまた父の語り。語り手は変わるが物語は進行しています。

    一読しただけでは語るのが難しくて、読後もなかなか感想を書けずにいたので、また再読したいとおもいますが、冒頭とラストの父の章が最も印象的でした。これ昭和39年に書かれたんですよね、始まり方が斬新でした。戦死した友人の雨天下の瞳の描写や、賽の河原を訪れる場面等々、福永先生ならではの美しい描写。
    一言では語れないので、何度も読み込んで理解したい作品です。

    個人的には『草の花』のようにストーリーがわかりやすく、せつなさが前面に出ている作品のほうが好きですが、福永先生が伝えたいことは『忘却の河』に描かれていているような哲学なのだろうなと思います。

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    2022年01月02日
  • P+D BOOKS 海市

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    『草の花』が好きすぎて、氏の他の作品も読んでみようと手にとった2作目。
    文章がとにかく好きなので、蜃気楼を見に行く冒頭から世界観に浸らされて酔いました。
    「私」こと画家の渋の視点で語られる一人称の合間に、「彼」「彼女」の三人称視点をはさむことによって、物語の全体像が少しずつ明らかになっていきます。『草の花』しか読んだことがなかったので、福永さんってわりと構成にこだわるんだな〜というのが新鮮でした。『草の花』のノートという構成もすごく好きですが。

    さて、内容ですが。
    安見子さんと接近してからは、やたらとホテルでいちゃこく渋さん‥‥‥。彼の悩ましい語り口と、そのいちゃこきっぷりのギャップに「うーん、これが昭和というものなのかしら」と古臭さを感じました。いや、時代的なものなのか、福永氏的なものなのか、わかりませんけども。『草の花』でプラトニックなボーイズ・ラブが描かれていたイメージが強かったので、渋さんのエロおやじっぷりに、あら意外とこういう感じも書くのね‥‥‥?とドギマギしながらも、これはこれで楽しめました(笑)でも福永さんはきっと超真剣に濡れ場を書いていたんだろうな‥‥‥。
    とはいえ、濡れ場の中にも揺れ動く男女の心情が丁寧に描かれていて、読んでいるあいだは脳内でTHE YELLOW MONKEY『聖なる海とサンシャイン』が流れていました。愛と死、交われない孤独、記憶。歌詞がこの小説の世界観とピッタリです。

    ダブル不倫、それも親友の妻、さらに過去の男女模様など、複雑な恋愛関係だけに、ハラハラしながら読み進めましたが、そのわりにラストはちょっとあっさりでした。あそこまで書いたなら、あえて匂わせずに最後まで書いてほしかったかな。冒頭に立ち返るラストというのは綺麗なおさまり方ではあるんですけどね。

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    2021年11月28日
  • 草の花

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    美しい筆運び、とぎすまされたみずみずしい感性の文章がいい。特に「第一の手帳」が好きだ。青春の輝き、うつろいをかくも美しく書けたらいいなーと思わされた。三島由紀夫もその美少年「藤木忍」にいたく魅せられたと書いている。

    サナトリウムで知りあった主人公汐見茂思(しおみしげし)は、無謀とも思える手術を進んで受け死んでしまった。雪の朝、語り手に残された手記を読んでいくと、戦争の影におびえる青春の悲劇があり、孤独な一人の青年の魂の鎮魂歌がせつせつと語ってあった。

    『生きるということは、その人間の固有の表現だからね。』
    『思い出すことは生きることなのだ。』

    芸術家は作品を残すことによって未来を持つかもしれない。しかし、芸術家ではない人間は一日一日が終わっていくと死が待っているばかりだ。現在も未来もなくて過去があるばかりだ。と思いつくままに書き綴ったノートが「汐見茂思」の人生そのものだったのだということである。

    その美しい「第一の手帳」にくらべると「第二の手帳」はちょっといらいらさせられるが、「第一の手帳」をいやがうえにも際立たせていることになる。そして「春」という終章は「汐見茂思」のすさまじい孤独の影の謎を解いてくれるのだ。

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    2021年09月12日
  • 廃市・飛ぶ男

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    短編八編を収録しています。

    「未来都市」は、人間の非理性的な性格を消し去ることが可能になった都市にやってきた一人の芸術家を主人公とする、寓話的な作品です。時代背景を考えると、マルクス主義の芸術観に対する抵抗の意味が込められているのかもしれません。

    「廃市」は、ひと夏のあいだ田舎の旧家ですごすことになった大学生の男が、その家に暮らす姉夫婦と妹とのあいだの愛憎劇を目撃することになる話です。

    「退屈な少年」は、ひとりで心のなかに思いえがいた「賭け」に熱中する中学二年生の謙二を中心に、彼を取り巻く家族たちをえがいた作品です。端正な文体で、少年から青年になろうとする不安定な時代の心をえがいており、古い作品ながら現代にも通じるようなテーマに感じられました。

    「影の部分」と「飛ぶ男」は、文体などの点で実験的な試みがなされている作品です。「未来都市」ほど寓話的な内容が明確に語られているわけではありませんが、個人的にはとりわけ「飛ぶ男」が強い印象をのこしています。

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    2021年08月29日
  • 草の花

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    サナトリウムで療養生活を送ることを余儀なくされた「私」は、おなじ部屋の汐見茂思という男と知りあいます。彼は、周囲の反対を押し切って危険な手術を受けることをきめますが、その結果は彼に死をもたらすことになります。

    「私」は汐見から託された二冊のノートを読み、彼がそれまで歩んできた道について知ることになります。そこには、弓道部の後輩である藤木忍と、その妹の藤木千枝子への愛と挫折がつづられていました。

    プラトンの説く愛を信じ、それにしたがって藤木を求めた汐見は、そのために藤木を孤独へ追い込んでしまいます。一方、汐見の信じるようなプラトンの愛が現実において成立することを受け入れられない千枝子は、神への信仰を通じて現実に結ばれる道があるという考えをいだいていましたが、汐見はその考えを受け入れず、みずからの孤独のなかに入り込んでいくことになります。

    『愛の試み』という著作もある著者ならではともいうべき、思想的な背景に裏打ちされた文学作品で、日本の小説にはめずらしいように感じられました。同時代の読者として本書を読んでいたならば、日本の小説でこうしたテーマを臆面もなくあつかうことにむずがゆさを感じたのではないかとも考えました。適当な距離を置いて読むことのできる時代に本書を手にとることになったのは幸運だったのかもしれません。

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    2021年08月29日
  • 草の花

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    愛と孤独について。
    祈りのような、音楽のような、美しい文章。
    ああ、もっと、若いころに出会いたかったなあと思う。10代20代くらいの、寂しくて寂しくて仕方なかったころに。孤独と向き合い続けるのは辛いけれども、空っぽは、自分で埋めるより他にどうしようもない。

    汐見の思う「愛する」ことについて共感できるところもあるのだけれど、やっぱり本当に藤木きょうだいを愛していたかとなると千枝子の意見に賛成…
    「人から愛されることには何の孤独もない」と汐見は言うけれど、愛されていても孤独はなくならない、と思う。藤木くんもそう言ってた。
    ふたりが愛を返したとしても、汐見の孤独はそのままそこにあるのだと思う。

    汐見が千枝子にあてたさいごの手紙があんまり軽やかで、そういうところだよ!って思うし、千枝子が日常のふとした瞬間にひどく違和感を感じてしまうのも苦しいし切ない。

    (それにしても、汐見のことをいちばん理解していたのは立花なのでは…と妄想してしまう…)

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    2021年08月10日
  • 矢の家

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    推理小説古典黄金時代の20年代作品。この時代の特徴なのか、推理よりは関係者の心の様子を追うストーリー展開がこの作品でも顕著。でもアノー探偵のキャラクターは新鮮であった。

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    2021年06月01日
  • 日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

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    とにかく町田康の宇治拾遺物語が笑えて最高!疲れが吹き飛ぶ面白さ。
    最初の日本霊異記は、現代の常識じゃ理解できない展開ばかり。オチそれでいいの?みたいな。
    最後の発心集までくると、普通にしみじみ自分の生き方を考えてしまう。
    1冊としてさすがの構成。
    今の考えすぎ、悩みすぎな時代に、読んで頭がほぐすのにちょうどいい1冊だと思う。

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    2021年01月25日
  • 忘却の河

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    扉にこうある。

    レーテー。「忘却」の意。エリスの娘。タナトス(死)とヒュプノス(眠り)の姉妹。また、冥府の河の名前で、死者はこの水を飲んで現世の記憶を忘れるという。
    「ギリシャ 神話辞典」

    これでこのタイトル。それはもう。
    四つに組んで読みましょう。

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    2020年09月29日
  • 日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

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    町田康の訳がとにかく笑える。
    全体通して、1000年前後昔の話だが、考えていることや悩んでることは今と大して変わらないなと思った。当たり前といえば当たり前だけど。
    ドスケベな坊さんがたくさん出てきた印象。
    読んだ直後は色々考えたけど、時間がたってしまったのでわすれてしまった。
    また読みたい。

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    2020年07月20日
  • 日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

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    『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』の中には、こんなにもおもしろい話が載せられていたのかと、あらためて目を開かさる思いであった。確かに、ここに掲載されているような、特に性愛に関する説話の類は、中高生の古典学習の教材として取り上げるわけにはいかないであろうが、もしもこのような話が載せられているということを知ったなら、いつか読んでみようと興味を持つ?中高生もいるのではないか。
    『今昔物語集』の福永武彦訳もよいが、出色は『宇治拾遺物語』の町田康訳。適度に関西弁が混じって、それがまた絶妙の味わいを出している。

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    2020年05月02日
  • 日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

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    皆さん書いているけど、町田康の訳が本当に面白い。
    声出して笑えるくらい。
    中学高校の時こんな訳に出会えていたら、もっともっと古典が好きになっていた気もする。

    日本霊異記は真面目な感じ。教科書のよう。
    今昔物語は、受験生の時に死ぬほど読んだものがちらほら。
    宇治拾遺物語は大人のエロさもあって、R20な感じが好き。
    発心集は、興味がなかったのでとりあえずスルー。

    この本好きだなぁ。何度も読みたい。

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    2020年03月09日
  • P+D BOOKS 海市

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    画家の渋太吉は一人で旅に出ていた。蜃気楼が見られると言われて行った海の街で若い女性に出会う。自由で陽気で掴みどころがなく奔放。渋はすぐに彼女に惹かれてゆく。渋にはかつて愛した女性があったが、彼女とは不幸に始まり不幸に終わった。その後妻と結婚したが、その愛情は幸福に始まり不幸に終わりつつある。だから今度は幸福に始まり幸福に終わる関係を経験できるのではないか、そんな想いを持った。
    だが彼女は安見子(やすみこ)という名前だけを伝えて去った。
    (「安見子」は万葉集に出てくる「我もはや安見子得たりみな人の得がてにすとふ安見子得たり」という歌であり、「安見しし」というのは「心安く天皇が国を収めるという意味の枕詞」)

    東京に帰った渋は思いがけず安見子と再会した。20年来の友人の古賀の妻として。
    その関係を知っても渋は余計に安見子に惹かれていくばかり。愛情を訴える渋に安見子は近いようで遠い、かと思えばまた近づいてくる。
     私たちは一緒に愛し合っているのではない、互いに自分のやり方で別々に愛していた。
     愛の燃焼が極限までに達したなら、焼き滅ぼす以外に方法はない、死は完結で、あらゆる美しいものは死に終わる。

    戦中派の渋の人生には死は切り離せなかった。彼は人間を3つのパターンに分ける。
    確実に死ぬべき人間、死が通り過ぎて生き残った者、死とは無関係なる者。
    そして渋が愛した3人の女性たちとの物語には精神の、肉体の死がつきまとっていたのだった…。


    ===
    福永武彦の小説における、家族不全、愛の不在、孤独、死の影、というものが色濃く出ています。
    構成としては、「私」という一人称で語られる渋太吉の現在の物語(安見子との恋愛、うまく行かない家族のこと、絵画のことなど)に、「彼」「彼女」として語られる男女の愛の断片が挿入されます。
    読んでいくうちに、「彼女」とはそれぞれ渋が愛してきた三人の女性だとわかります。
    一人はかつて渋が心中を誓ったけれどそれを破った ふさ という娘さんとの挿話。一人は別居中の妻弓子と彼女が昔好きだった男性との一こま。一人は安見子で、彼女の子供の頃のことやボーイフレンドや夫との生活。それらにはやっぱり死が近くて。

    時代的なものもあるのか、女性が自立していないのでウダウダしていたり、男性が家庭に無関心だったり、やっぱりが「愛している」を連呼されるとなんかこっ恥ずかしいなあとか、恋愛を含む人間関係においても現代感覚では「はっきりしろ〜〜〜!」と言いたくなるような気もするんですが、まあ小説の筋や人物像より愛と死のテーマが重要だからそれはしょうがないか。

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    2020年02月27日
  • 忘却の河

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    面白かった。。



    人は他人の見るようにしか見られないし、他人によって見られることの総和が、つまりその人間の存在そのものであるのかもしれない。

    あたしたちはみんな宙ぶらりんだ、宙ぶらりんのまま生きているのだー生きることも出来ず死ぬことも出来ず、惰性のように毎日を送っているのだ。いつかは何とかなるだろうと、それだけは信じて。

    他人なのだ、みんな他人なのだ、ー他人がいることによって、他人が鏡の代わりに自分の姿を映していることによって、地獄は成立する。そして家庭も亦、他人の集合なのではないだろうか。

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    2020年01月05日
  • 現代語訳 古事記

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    とても幸せな読書を味わえた。貴重な時間であった。辞書と格闘しながらである。歌謡も情感あり楽しい。数々の発見があった。一例として、「尾張」が何か所も記述あり、「美濃」もあったが、「三河」「駿河」は無かったことである。素晴らしい日本の宝である。現代まで読み継がれてきたことを誇りに思う。

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    2019年03月20日
  • 日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

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    説話、物語が抜粋でまとめられている。仏教の話も楽しめた。『宇治拾遺物語』が訳がキュートなこともあり、特におもしろかった。性に関してもおおらなであっけらかんとしていて、みだらな感じがしなかった。

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    2019年03月20日
  • P+D BOOKS 海市

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    蜃気楼を「海市」と呼称するなんて、すてき
    というちょっとミーハーなあこがれで読みたかった小説です

    これも倉橋由美子さんが例の『偏愛文学館』で究極の恋愛小説とおっしゃっているのですが

    ストーリーをありていに言えば
    男の友人に失恋した女と結婚してしまった男と
    結婚相手のうちの二番手と結婚した女が
    ダブル不倫になった・・・ため苦しむ・・・

    はあ?
    勝手にしてクレい~~!
    と言ってしまえば終わりなんで

    そんな不合理な恋愛は破綻するってのは、常識
    死者が出ますね
    でも、不条理だから究極の恋愛物語というわけでして

    蜃気楼でなくても幻の城郭をさまよう空想をたまらない楽しみに思う、フィクション好きには
    架空上の恋愛物語も興味津々で、どうなることかと読み終わってしまうのであります

    そして、合理性を巻末に見つけたりしてね


    「東方の雲海 空また空 群仙出没す 空明の中・・・」蘇軾「海市」(『偏愛文学館』)
    「海上に蜃気、時に楼台を結ぶ 名付けて海市」(池澤夏樹「海市」解説)

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    2019年03月12日
  • 日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

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    「日本霊異記」(伊藤比呂美訳)

    訳者あとがきで、伊藤比呂美さんはこの書に惚れ込んだ理由をこう記す。「なにしろエロい。グロい。生き死にの基本に立ち戻ったような話ばかりである。しかしそこには信仰がある。今のわれわれが持て余しているような我なんてない。とても清々しい。しかも文章が素朴で直裁で、飾りなんか全くない。性や性行いについても否定もためらいも隠し立てもない。素朴で素直で単純で正直で明るく猟奇的である。」(469p)

    何しろ雄略天皇のセックスをたまたま見た小姓に向かい、天皇は場を取り繕うために「雷神を連れて来い」という話もある(15p)。これが、​奈良県飛鳥の里に今もある「雷の岡」​の謂れだというのだから、かなり有名な話なのであるが、実際の場所の立て看には「セックス」の話は一切ない。現代って、なんてツマラナイ。

    9世紀初めに成立した日本最古の仏教説話集。奈良薬師寺の僧・景戒の筆。行基の大ファン。どうやら本気で行基は菩薩の生まれ変わりと信じていたようだ。彼の信じる仏教は、普通に読めば因果応報、現世利益なのであるが、本人は現世利益とは思っていなかったのだろうな、とも思える。でも、その「俗っ気」がとっても貴重で、彼の採取した話はホントに俗世間が多い。行間に当時の庶民の飾らない本音が垣間見えてとても興味深い。子育てをほっぽらかして男と寝てばかりいて死して苦しむ母親を、成人した子供たちが許して仏を作る話がある。「でも、私たちは恨みになんて思ってやしません。そんな母でも、私たちには慈しみの母でした。」(49p)あゝ人間ってそうだろな、と思うのである。

    「今昔物語」福永武彦訳

    「日本霊異記」より300年後の12世紀初めに成立。欠損はあって未完成だが、天竺震旦本朝の3部構成、壮大な意図で作られたはずだが、作者の名前も意図も不明。最後に無理やり仏教説話にこじつけているので、仏教関係者のはず。しかし、内容は無常観と淫蕩か漂い、不可解さもある。芥川が世間に知らしめ古典と変えたが、この物語が芥川を作家にした面もある。霊異記と比べれば気品があり、文章の構成力も増している。福永訳の選択には、芥川の入れた七つの話は出てこない。また、谷崎潤一郎は「少将滋幹の母」、堀辰雄は「曠野」、福永は「風のかたみ」を此処から想を得て小説を書いている。実際現代でも、何処かのエンタメ小説に出てきそうな話もある。天皇の母を鬼の霊力でもって邪淫する場面は、少なからずショックである(「天狗に狂った染殿の后の話」)。安珍清姫の道成寺のタネ本も此処にあったし(「女の執念が凝って蛇となる話」)、「異端の術で瓜を盗まれる話」は、中国で有名な説話の見事な和風になっているのだが、本朝話に載っている所を見ると、作者はそのことを知らなかったのかもしれない。「高陽川の狐が滝口をだます話」は、仏教説話にさえなっていない。1度騙した青年が少し情けをかけてくれて、2度目は騙しさえしなかったのに殺されそうになった。「人を騙そうとしたために、可哀想にひどい目にあった狐である」とつい作者もまとめてみせる。この狐に当時の庶民の女の姿が見えるのは、私だけだろうか。

    「宇治拾遺物語」町田康訳

    13世紀成立、「宇治大納言物語」の拾遺という意味で書かれた。付け加えた話も幾つかある。かなりくだけた文体になっているのか、町田訳もかなりくだけている。「道命が和泉式部の家で経を読んだら五条の道祖神が聴きに来た」は、現代で言えば、アイドルの桜井が石原に手をつけたあとインターネットしていたら「実は海外アーチストの多くがファンなんですよ」と外国人の下衆なファンが盗撮の報告のメールをしたというような話である。確かに、嘘か真か文春のスクープネタのようで、一般大衆の我々には、そんな話は頗る楽しい。「利仁将軍が芋粥をご馳走した」は、単なる芋煮会を開催しただけのように感じるのだけど、まあいいか。「楽人である家綱と行綱が兄弟互いに騙し合った」は、現代の兄弟芸人の間でもありそうな話だ。それにしても、訳がいいのか、選択がいいのか、それとも原作が素晴らしいのか、あまりにも傑作が多すぎ。

    「発心集」伊藤比呂美訳

    鎌倉時代初期、鴨長明が「方丈記」(1212年)を書いた数年後に編んだとされる仏教説話集。「宇治拾遺物語」は太田光がブラウン管の中で広く世に向かい得々と毒を吐いたのだとしたら、これは又吉直樹が教育テレビの中でボソボソと心情を語っているようなものだろう。両極端な見栄えはするが、語っているのは同じ芸人だということ、人に語っているということでは同じである。

    鴨長明はマイナーな番組で、マイナーな人々(僧侶たち)に語っているのだから、内容は如何にして往生を遂ぐか、に尽きる。基本的には延々と執着を捨てよ、と書く。いくら書いても書いても、易行と難行の間を往来したり、至る所俗気満々である。ところが、細部に至ると、「玄賓、大納言の妻に懸想する事。そして不浄観の事」の最終節のように、真理に至る。(437p)彼は俗世間をよく観察した。ホントは「俗世間を離れる」ことに執着するのではなく、「俗世間を記録する」ことを生業と定めるべきだったのではないか。蓋し、事さに成り難しが人生也。

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    2018年08月25日
  • 堀辰雄/福永武彦/中村真一郎

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    堀辰雄の「かげろうの日記」と「ほととぎす」。
    ここにはヨーロッパ仕込みの見事な「平安文学の心理小説化」がある。前回配本の森鴎外からもう一歩進んでいる?

    平安貴族の生活が生き生きと描写されて、物忌みや、待っていることしか出来ない貴族女性の立場、子供のような道綱(藤原道綱)の振る舞い、揺れ動きながらたまに男を手玉にとる道綱母の行動など、なかなか興味深い。

    道綱も成人したころに、夫は他の女に産ませた「撫子」という少女を連れてくる。次第に情が移ってきちんと育て始めたころに、頭の君が撫子を求めてひつこいぐらいに道綱に連絡する。「まだほんの子供ですから」と「いや一目だけでも」何度も何度も同じやりとりをする中で、道綱母の中に女が目覚める。原典にこんな場面があるんだろうか?

    そんな気持ちを知ってか知らずか、あれほど通いつめていた頭の君が来なくなり、ついには他の妻を盗んでどこぞへこっそりと姿をくらましたという噂を聞く。「これは自分のせいだ」道綱母は確信する。ーーこの辺りは原典を確かめるまでもない、完全に堀辰雄の創作だ。1939年(昭和14年)の発表。中村真一郎、福永武彦、そして加藤周一ら東大の若き知性が、堀辰雄を慕って軽井沢を尋ねるのはこの後のことである。

    福永武彦の「深淵」。
    信仰篤い処女の35歳女性と、放火殺人犯との出逢いと2人が堕ちてゆく様を描く。1956年刊行。この同じ年に「古事記」の現代語訳も出している。そのせいか、端正でおとなしい文章というイメージとは違う、荒々しい描写が続く。

    ずっと、聖女のように周りから見られ本人もそう努力してきた女性の「隠れた欲望」が露わになるのは堀辰雄「ほととぎす」と同じ。現代小説なので、非常に精微に描かれる。

    「雲のゆき来」中村真一郎
    江戸時代の漢詩人元政上人の生涯と作品を辿りながら、若い国際女優の楊(ヤン)とその父を巡る旅をすることになった「私」の小説である。

    「私」は、なぜ藤原惺窩や林羅山や伊藤仁斎や石川丈山ではなく、ほぼ無名に近い元政上人に心惹かれたのか。当代の「世界」である中国を日本人でありながら、自らのものにし、「異なる伝統の調和を実現」し「美しい精神の舞踏」を舞った知識人として、自分を見たということが一つ。もう一つは中村自身の最初の妻との「私的体験」の合わせ鏡があったのではと池澤夏樹は推測している。

    私はこの作品に、もう一つの「合わせ鏡」を見た。「うまく作られた小説家」である中村真一郎と、「うまく作られた評論家」である加藤周一という合わせ鏡。不幸を描く小説家、展望を語る評論家。しかし、世界を観るレンズは、この小説を読んで思うが、同じ精度を持っていた。加藤周一が当初目指した小説は、このような内容だったのではないか?しかし、加藤は遂にこんなに「うまく」は小説を書けなかった。

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    2017年12月23日
  • 日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

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    書評を読んで町田康さんの超訳「宇治拾遺物語」を読みたくて借りました
    なーるほど いいのかってくらいの現代語訳でした
    面白かった
    よく知っている話も
    こういう古文なら高校生にもうけるかなあ
    ≪ 笑いあり エロい話も 昔から ≫

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    2017年06月17日