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Posted by ブクログ
輪廻から脱線したおっさん
一言で言えば、暗い作品。まず何より主人公が暗い。この作品は家族4人の独白談を集めた構成になっており、最初と最後の章を語る男、つまりお父さんが主人公だと読めるのだが、お父さんの性格があまりに暗いために、作品全体がどうしようもなく暗い。
お父さんは、子供が間引きされていた東北の田舎の家で生き残り、東京の家に養子に出されて成人した。若い頃には、恋仲になって妊娠させた看護婦を自殺に追いやってしまい、妻との間に最初にできた子は生後間も死んでしまい、五十半ばの現在になって、堕胎したばかりの女を行きがかりで世話するようになってしまう。いつも意識を過去と交差させているから、自分でも生きているのだか死んでいるのだか分からない。輪廻から脱線して状況をつかめていないような、おっさんなのである。
こういうお父さんの独白から始まる小説を、読み続けるのはちょっと難儀だった。妻や二人の娘の話はまずまずテンポ良く読めるので、こちらを物語を進める芯にした方がきりりと締まっただろうに。おっさんの話はこってり凝縮させて、暗闇の中にちらりと見えるぐらいである方が、深みが出たのではないかと思う。
現実の世界でも、おっさんの話は鬱陶しいのだよ。自分がおっさんだから余計にそう思う。
Posted by ブクログ
とにかくすごい小説だった。
寂しくて哀しくて、過去と現在が入り乱れる、揺蕩うような物語。文章がひたすらに美しい。
忘れたまま生きていくということ。
父親のパートでの、こちらの文章が印象的だった。
「私が物語を選んだのではなく、物語の方が私を選んだのだ。」
作中ではサルトルの劇が演じられるが、まさにサルトルのいう、「地獄とは他人である」という世界をこの小説で描こうとしたのかもしれない。
立体的に描かれていく家族の歪みと澱。生きることの罪。捨てていくこと。サルトルの「他者」。お見合い結婚の時代だからこそのままならない諸々のこと。秘密。賽の河原。愛と死。忘れるけど忘れないこと。死に近いから愛すること。
ーー登場人物、それぞれ皆好きになった。
なかでも、人妻でありながら出征前の青年と愛しあった母の過去についての話が好き。
「このまま死んでもいい」
と言って、人を愛する。それでも死なずに生きていかないといけない。
人は人を愛した瞬間に死ぬようにできていたらいいかもしれない。
そんなことを思った。
惜しむらくは、全体的に素晴らしいだけにラストが少々陳腐に感じてしまうところかなあ…。
しかし、素晴らしく言葉の美しい小説だった。
Posted by ブクログ
草の花から続けて読んだ、福永武彦作品。
藤代家の主人である「私」の独白に物語は始まり、語り口は彼の家族へ移りながら、ゆっくりと進行してゆく。
愛するということと、愛されていると感じること、其々に家族は苦悩を抱いており、日常と過去がシームレスに展開する中で、いつでも彼らは自分の心を探している。
福永武彦の巧みで独特のテンポ持つ文章はとても心地良く、酔いしれながらも読み進めてゆくと、作品を通して深い意識の中に潜っていってしまうような感覚があった。
綿密に練られた全七章からなるその構成は、これ以上無いくらいに読み易く、読後はとても爽やかな気分になれる。無人島に一冊もっていくなら、僕は迷わずこの一冊を選ぶ。現時点で、今まで読んだ本の中での最高傑作。
Posted by ブクログ
絶版になったと聞いて、散々捜し求め、やっと入手した本。
以前「草の花」を読んだ時、ひどく落ち込んだ気分になったので
恐る恐る最初のページをめくった。
前作からなんと10年の月日を隔てた288pに及ぶ長編とあって、
文体もかなり現代に近く、読みやすかった。(しかも回りくどくなくね(笑))
著者の想いが伝わってきて、不思議とすらすらと一気に読めた。
藤代家の四人の家族と、周囲の人々のそれぞれの心の動きが
一編ずつ綴られていて、そのあまりにも切ない感情が、読んでいて
ひどく辛かった。
主となる登場人物に、「彼」と「僕」、「彼女」と「私」
という微妙な隔たりがあるが、それを行き来するうちに、だんだんとそれらが融合されて
違和感なく一体化する。そんな不思議な文章だった。
藤代氏は過去の罪の深さに押しつぶされながら、生きてきた、いや、
生きながら死んでいたんじゃないかな。
そして妻の死後、自分の子供を身篭ったまま何も言わずに自殺した
最愛の彼女の古里へ行き、そこで冷たい河原の石を拾う。
彼はそして、彼の罪を捨てるため、彼女の許しを得るため、過去と別れを告げるために
その石を、掘割へ捨てたんじゃないかと私は思う。
誰の心にもある、誰にもいえない罪。
彼らの幸せはどこにあったんだろう。
おそらく、日々の何気ないところに「幸せ」はあったのかもしれない。
ただ、それを彼らは幸せと感じていたかどうか・・・。
過去のどこで、どうしていれば幸せになっていたのだろう。
著者は後に、クリスチャンとなり、洗礼を受けたらしいが、
人はやはり、「許し」を得たいものなのだろう。
三浦綾子とよく似ている人のようだ。(2003.1.22)
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