上司にお借りしました。また面白いハウツー本? 啓蒙本を借りたよね!
ガッと読むと意識に残らないので、わりとじわじわ読みましたよ。
ちょうど、「嫌われる勇気」を読んだのも去年の今頃やったんやね。こうやって思い出したように触れていきたい、アドラー心理学。
今回、主役となっている女性はエリアマネージャーという、中間管理職に近い立場の人。
なので、どちらかというと「周囲の人を勇気づける」と、いうことを中心に書かれていたけれど、どうしても私が求めちゃうのは、勇気づけてもらう方なんやね・・・。(;^ω^)
勇気づけてもらいたい・・・、と、いつまでも思ってたらあかんか。自立せえよと。
ほんで、この本を貸してくれはった上司は、私を勇気づけてくださっています・・・。ほんま、ありがたい・・・。
でもなあ。
今回取沙汰されていた「他者を勇気づける方法」なんやけれども、
よい出しをする
加点主義でかかわる
プロセスを重視する
失敗を受け入れる
感謝を伝える
これら上記のこと、私、めっちゃやってる自信がある。これだけはやってる自信がある。
全部やってる。でもそれって、「他人を否定しないこと」とか「所詮他人事と思ってる」とか、そういうスタンスなんかなあと思うところもあるんやけど・・・。
でも、こうやって書かれると、やってるよなあとあらためて思った。
そうか、だから、一緒に役員をやった面子に
「ユイがいたからこれだけ仲良くやれた」
とか
「絶対に必要なムードメーカーやった」
とか、いわれたのかもしれない・・・。とか・・・。
正直、個人的にはそんなことよりも数字に強いとか、記憶力がいいとか、頭の回転が速いとかそういう能力が欲しいよ・・・、と、思うんやけどね・・・。
能力は人それぞれやからいいのかもしれへん。
ほんで、自分のいいところをたまには自分で認めてあげよう。
プロセスの重視はケースバイケースやけれども、よい出しをすることと加点主義でかかわれるのは、(円滑な人間関係を作るためには)らくやなって思う。
逆に、ダメ出しをしまくり、減点主義の人を見てると
「そんなんでようやるなあ」
と、思うし、まったくウマが合わなかった。
加点主義とかよい出しやからって、愚痴や文句を言わないっていうことではないけれど、でもまあ、基本、言わないわなあ。いうた時点でそれが事実になってしまうからね(自分の中で)。
だから、口に出して文句をいうた時点で物事って終わりやねん(私にとっては)。
それで発散してスカーッと前向きになれる人ももちろんいてはるやろうけど、私はムリ。
「あ、この人無理」
って思うと、もうそれは取り戻せないから、極力いいところしか挙げない。
でもそれが、ことなかれ主義といわれればそうかもしれへんし、一番大事な子育てにおいてはその理論が通用しないんやけどね・・・。
「あ、うちの子無理」
とか、思ったらあかんやろ! 笑
どこまで口を出すべきなのか、出さないことは育児放棄なのか、ほんま、日々悩まされます。
あとは、私は他者に関してはこうやって加点主義で考えるのに、こと自分に関してはぜんっぜんあかん。
加点できない。自分自身を客観的に見ることがまったくできひん。
・・・けど、できひんできひんっていうててもあかんねんな。
それは、できひんのじゃなくて「したくない」のかもしれへんねん。
加点したら、
「ほんまにそれだけのことをやってるなら、次からもやるべきよね」
と、いうようにどんどんハードルを上げられるのが怖い。
責任を取らないとあかんのが怖い。
でも、それでいいのかなあって最近思うこともある。
加点したら即結果を出さなあかんわけではないし、自分に甘いくらいでもええんちゃうんかなとも思う。
だっていわゆる「ベイシック・ミステイクス」といわれる
「決めつけ」
「誇張」
「見落とし」
「過度の一般化」
ぜーーんぶ、やってるわ。
ひとつのミスで自分の価値観を決めつけ、まるで全員が敵だと現実を誇張して受け取り、自分を支持してくれる人に対して心が及ばないという見落とし。
そして、ひとつのミスだけで自分のすべてがアカンと一般化する、っちゅう基本的な誤りをし続けてる。
正直、そんなスパイラルにはまる私を誰かが拾ってくれないかと期待すらしているんやけど、いやいやいやいやいや。
そこから、自分で這い上がれるように自分で意識付けしていかないとあかんね。
他者に対してそれだけ加点評価ができ、前向きな関係を築こうとできるのなら、自分とだってそんな関係を築けるはずだよ。
私のために、そこは私ががんばらないとあかんね。
第三者に認めてもらいたいなんて甘えてたら、肝心なことを見落としてしまうんやわ。
なかなか、それが難しいんやけどね・・・。(;^ω^)
だって、よい出しも加点評価も、正直いうてしんどい。
この本に書かれている通り、ダメ出しのほうがよほど簡単やし、減点するほうがずっと楽ちんだよー。
(それで円滑な人間関係が生まれないのは重々承知してるけれども)
この人は何ができないか、じゃなくて、この人が得意なことは何かを考えることや、一つの物事に対して、この人はどう思うか、ほんで、どういう対応をするかっていうのを一生懸命想像してみることは、結構、しんどいねん。
しんどいねん・・・。(;^ω^)
みんなはそんなこと、さらっとやってるのかもしれへんけど(笑)、特に
「この人はこの事象に対してどう思うか」
と、いうのを常に想像するのが大変。ちょっと自分の首が回らなくなるとつい(想像することを)忘れてしまうし・・・。
ほんで、そんなことを考えてると、自分はどう思うのかということを見落としていってしまう。
あの人ならこういう、この人ならこうする、そればっかりを考えて、
「私は?」
と、なるねん。
気づけば、自分の意見を考えるための材料すらない。なんにもない。
結果、優柔不断だとか、即決できないとか、いわれちゃうのね。
それもそれなんやろうけれど・・・。
でもまあ、どこかでそんな自分でもいいんちゃうのと思うところもあるから、いつまでも変わらないのかもな。
一番いいのは、他人のことも、自分のこともちゃんと考えられる人やろうからな。
もちろんこんなことは、四六時中考えてるわけではないよ。
この面子で何かひとつのことを完遂せなあかんときに、この人は何ができる、あの人はどう動くか、っていうことを見てしまうということ。
べつに一緒になんかせなあかんわけでないときは緩い、緩いー。
そこらへんはほれ、団体競技の鬼でしたから。笑
感情が人を支配しているわけではないらしい。
人がある目的のために感情を使って成し遂げるんやって。
そんなこと、知ってる。
わかってる。
そして私は、成し遂げるために一番必要な感情は「好き」と、いうこと。
その人を好きになれれば、その他のネガティブな感情は基本的にコントロールできる。
好きになるためには、この人は何が得意か、何ができるかを見る。
できないことは見ない。それだけでいい。
できることを素敵だと言って、好きだと言う。
素敵な部分を認めて、好きだと言われたら大概の人は悪い気がしないから、そこに悪意は生まれなくなるのよ。
でもなあ。
そんなんが通用しないほど、もともと私に対して悪意と偏見をもたれていたら、もうどうしようもないよね。
いやいやいやいや、決めつけはよくないよね。もっとこう、リラックスして、やっていこう。
私の目標は、他者にやるのと同じくらい私を加点評価することかもな。
それにしてもこの本、ラストのロマンス風味なオチはびっくりしたよー(笑)。
ここにそれ、持ってくる(笑)!?
いろいろな意味で、楽しめました。漫画にしてもらうとやっぱり、わかりやすいね!
(2017.03.20)