フェルディナント・フォン・シーラッハのレビュー一覧
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弁護士である「私」が携わった事件、その背景を追いかけながら、被告人たちの真実を描く11篇の連作短編集。
現代ドイツを舞台にしているのだが、難解で共感も困難な事例が多く出てくる。それを一番感じたのは、移民や難民などの他民族他国籍の人々との絡みだった。「この民族は〜な性質」「この国籍は〜レベル」といったような暗黙の既成観念があるように感じ、それを覆せなかった人々による犯罪は、日本にいるとあまりピンとこないように思った。読み進めると、痛々しくて生々しい人々の叫びが文中から聞こえてくるようで、淡々とした「私」視点も相まって、一篇一篇にキツイ読後感を味わうこととなった。
後書きを読んでもう一度本文を読み -
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最近気づいたシーラッハの新作。
タイトルから別の話を想像していたのですが、主題は「臨死介助の是非」でした。「自死選択の是非」ではなく。
法学、神学、医学の観点からそれぞれ意見を求め、戯曲なので、観客に最終判断を委ねる…「テロ」の時と同じ手法。
個人的には、なしであってほしいです。
倫理観は、時代で変わっていくものかもしれないですが、ナチの事例をシーラッハが持ち出していることが、警鐘だと思いたいからです。
この本を読む寸前にジャン=リュック・ゴダールがいわゆる安楽死を選択していた、という記事を読んだこと、また、やはりこの本を読む寸前に読んだアチェベの「崩れゆく絆」の主人公の最期のシーン、な -
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英小説は邦訳が読みにくくて苦手意識を持っているのですが、ドイツ小説はそうでもありませんでした。やはり言語にも相性はあるんですね。
帯のとおりのあらすじです。刑事を担当する新米弁護士が一番最初に弁護人となったのは殺人事件の被疑者(被告人、コリーニ)でしたが、その被害者は実は親友の祖父だった、と。これだけ読んで、てっきり刑事弁護人の立場からくる心の葛藤を描いたものだと思っていました(それにしては政治を動かしたとは…程度で)。しかし、読み進めるにつれ、それだけではないことに気が付きました。コリーニが頑なに犯行の動機を口にしない理由が何だったのか、法廷の弁論で漸く明らかにされます。まるで自身も傍聴人 -
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ネタバレ冒頭の方で「自死」というべきです。「自殺」ではありません。自分自身を死に至らしめることは殺人ではありませんから(弁護士ピーグラー)という箇所があるが、日本ではほぼ同義に使っているが漢字を帰るだけで印象が変わると感じた。
「わたしは死にたいのです。」(ゲルトナーの意思)
「生きていたくないからです。」(それは何故か問われたゲルトナーの回答。)ここは死にたいという意思を言い換えているだけの印象をこの時点では持った。
「孫のことは愛しています。しかし、孫がはたして理解してくれるかどうかわかりませんが、エリザベートが死んでから、わたしは半身をもがれたような感じなのです。(ゲルトナー)」他人同士が繋がり -
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ネタバレ2013年日本刊行、シーラッハの初長編作品とのこと。
『禁忌』は読んだことあったけど、あれよりもこちらの方が前だったとは。
やっぱりこの文体は好き。
どこか不穏でぴりっとした緊迫感が終始漂う。
決して奇をてらった表現や独特な言い回しがあるわけではないのだが、何がどうしてこの著者特有の雰囲気が生まれているのだ。
すごく物語世界に没入させられる。
訳者、酒寄さんの力量、推して知るべし。
ある夜ホテルで一人の大物実業家ハンス・マイヤーが元自動車組立工の年老いたイタリア人コリーニに殺される。
そこには強烈なまでの憎しみがあった。
殺害後自ら警察を呼ぶが、その後は黙して何も語らない。
新米弁護士のラ